1ー2 男の娘インフルエンサー『つばさてゃ』

 石護市中央区は、今日も沢山の人々で賑わっていた。

 右も左もビルに囲まれ、歩道ではフリフリのアイドル衣装を纏ったコンカフェ嬢が客引きをしている。

 今日は平日の金曜日。にも拘わらず、群衆に紛れて高クオリティなコスプレイヤーがちらほらと見える。

 どれも原作に忠実な整った容姿をしており、まるで〈テレビの中から飛び出してきたんじゃあないか〉と錯覚してしまう。

 それだけではなく、ここにはスイーツやコスメショップ、果てはアニメ専門店など沢山の店が所狭しと並んでいる。

 翔はスマホで地図を確認しつつ、横断歩道を渡り、街の中へと入っていく。


「なあ、あの子って『つばさてゃ』だよな」

「嘘、本物?」

「可愛いなぁ、お前声かけてこいよ!」


 道行く人々は翔の存在に気付き、すれ違う度に軽い騒ぎが起きる。

 無理もないだろう。何故なら今の翔は今大人気のインフルエンサー『つばさてゃ』なのだから。

 今話題の、超人気男の娘インフルエンサー『つばさてゃ』。

「男の子もメイクで可愛くなってもいいのです」をモットーに、数々のメイク動画、ファッション、ダンスなど、様々なトレンドを総舐めにしてきた。

 SNSの総フォロワー数は200万人を超え、今やJKをはじめとした女子人気だけでなく、男性達をも虜にしている、知る人ぞ知る〈時の人〉。

 それが石護高校に通う、地味な風紀委員長――如月翔であることを知る者はいない。たった一人、彼の友人だけを除いて。

 つまり、誰も翔が男の娘インフルエンサー『つばさてゃ』であることは知らない。そして、翔自信、先の友人以外にバレてはいけない。


「あの、つばさちゃん!」

「い、一緒に写真撮ってもいいですか?」


 後ろを振り返ると、本物の『つばさてゃ』を前に緊張した女子高生が、ぐっとスマホを握りしめて翔を見つめていた。

 その制服は石護高校のもの。石護市内で唯一セーラー服も選べる高校であるため、翔はすぐに彼女達が同じ高校の生徒であることに気付く。

 しかし、同じ高校の生徒だと知っても、逃げたり追い払ったりするワケでもなく、


「わあ~、ありがとう! 勿論、可愛く撮ろうね☆」


 逆に声をかけてくれたことに感謝を述べ、一緒に少女達とツーショット写真を撮影する。

 もちろんお代は無料。『つばさてゃ』、もとい翔なりのファンサービスの一つである。

 普段は家で動画撮影をしているのだが、週末はこのように女装して街へ出向き、声をかけてくれた子達にファンサービスを行っている。

 それには、普段生真面目な風紀委員長の《仮面》を被り、溜まりに溜まったストレスを発散するという理由もあった。


(本当なら、こういうのは校則違反だけど……)


 しかし、翔のこの活動は高校規則では《違反》とされている。厳粛な風紀委員長が、堂々と校則を破っていると知られてしまえば、200万人といるファンを悲しませてしまう。

 それどころか、如月翔として築き上げてきたものが、全て無駄になってしまいかねない。

 絶対にバレてはいけない。しかしファンサービスやストレス解消には、最早これしか方法がなかった。

 それだけではなく、今日は〈女装をして〉外出しなければならない用事があった。


「えーっと。確かこの辺り、だよね」


 スマホの地図を確認しつつ、翔は目的地を見つける。

 そこは、今女子高生達に人気のコスメショップ。つい最近、石護市にもオープンしたこの店は今や人気が爆発し、売り切れ続出が相次いでいるという。

 店の外からでも分かるほど、客はほとんどが女性。そんな花園のような世界に、地味な少年が一人で入るのには、相当な勇気がいる。

 そのため、こうして『つばさてゃ』として潜入しているのだ。

 

「ねぇカノジョ、何処探してるの?」


 その時だった。突然、背後から男が現れ、翔の肩に腕を回してきた。


(い、いつの間にっ‼)


 驚いたのも束の間、男はあたかも彼氏ですと言わんばかりに身体を密着させてくる。

 翔は慌てて振り払おうとするが、男の腕力には敵わなかった。


「それより、俺らといいことしない? なぁ、タケちゃん」

「大丈夫、俺達怪しいモンじゃあないから。そうだよな、サトっち」


 そうこうしている間に、もう一人の男が近付いてくる。

 二人の容姿は一見して清涼感のある青年のよう。タケちゃんと呼ばれた方はチャラく、焼けた肌と明るい茶髪が印象的。

 サトっちはブランドのスーツと金色のネックレスをしており、それはまるでホストクラブのイケメンといった風貌。

 そして、桃髪ツインテール、地雷系ファッションの翔。端から見れば、ホストに誘われた女の子のようにしか見えない。


「あ、その、大丈夫です……間に合ってますので……」


 そう言って切り抜けようとするが、男達は決して諦めようとしない。それどころか、平然と翔の手を握る。

 華奢な翔が男二人から逃げるのは、最早不可能に近かった。


「いいじゃんいいじゃん。俺らと遊ぼうぜ?」

「奢ってあげるからさぁ、恥ずかしがらなくていいって」


 そういう問題ではない。そう言いたくても、握られた両手の感覚がとてもいやらしく、恐怖の感情が勝ってしまう。

 今の状況はまさに、肉食動物に挟まれた哀れな羊と同じだった。


 *


 気付けば場所は街から薄暗い路地裏に変わり、男達の表情もやけに興奮が抑えられないといったような表情が見え始めていた。

 普段センシティブなことに無関心で、いわゆるウブな翔も、この状況がどういうことなのか、すぐに理解した。


(まずい……このままじゃ、食べられちゃう……)


 暴行。誰がなんと言おうと、それは度し難い犯罪である。

 男達は言わずもがなそれを知っているだろう。しかし、知っていたから何だと、翔の身体を触る。


「さて、ここならもう大丈夫だろうなぁ」

「ほ~ら、さっさと始めようぜ?」

「い、嫌……! やめてください……!」

「イヤイヤって、本当はそういう目的で来たんだろ?」

「ち、違います……! そんなこと――」

「そんな格好しといて誘ってないとか無理あるって。ちゃんとお小遣いはあげるからさぁ?」


 何を言っても通じない。奴らはただ、肉欲に塗れた化け物なのだ、と。

 この時、翔は男達の不気味なまでに爽やかな笑顔を見てそう思った。

 しかし、華奢で女子よりも腕力のない翔では、この化け物を倒すことはおろか、逃げることすらできない。

 取り押さえられ、男達の欲が尽き果てるまで食い物にされてしまう。ただ、それだけ。


(嫌――! お願い、やめて――! そんなことのために、ここに来たんじゃない――!)


 下半身に伸びる男の腕を押さえつけ、必死にスカートの中を守る。だが逆に、胸が無防備になってしまう。

 男達は、『つばさてゃ』が男の娘であることを知らないのか、恥ずかしがる翔の姿を、邪な目でじっと眺めては、


「恥ずかしがって可愛いねぇ」


 と吐息混じりの声で言う。

 耳にかかる男の吐息に、翔の背筋がゾクッと反応する。反射的な拒否反応だった。

 もちろん、翔に男同士で抱き合う趣味などない。恋愛対象も、一部を除いて女性だけである。

 とどのつまり、彼らへの興味など全くといっていいほどなかった。


(お願い! 誰か、助けてッ!)


 自分の力では逃げられない。助けを呼んで来てくれる筈もない。手も足も出ない状況。

 最早、漫画やアニメのように、遅れて助けにやって来てくれる〈正義のヒーローのような人〉の助けを願うしか、方法はなかった。

 

「観念しろって。誰も助けになんか来ないっての」

「恨むなら、小狡こずるい方法でお小遣いを稼いでた、バカな自分を恨むんだな」


 そう言って、男達は翔の服を引き裂こうとした。


「おい、お前ら」


 その時だった。路地裏の入り口から、男の声が聞こえてきた。

 振り返ると、白いパーカー姿の青年が立っていた。

 身長は178センチほど。ラフな格好で、フードで顔を隠しているが、それでも煌めくようなオーラは隠せていなかった。


「何だテメェ? この子は俺達と遊ぶ予定なんだがなぁ?」

「見世物じゃあない。さっさと失せな」


 男達は翔から手を離し、青年の方へ近寄る。だが青年は堂々とした態度で翔の方を見ると、静かに首を傾げながら、


「表情も強張って、今にも泣きそうなあの子が? これから遊ぼうという風には見えないな」

 

 氷にように鋭く、冷静な口調で言葉を返す。その言葉は、男達を苛立たせるには充分すぎた。

 

「テメェ、何モンだ?」

「そうだ! フード外しやがれ!」


 最後の警告と言わんばかりに、男達は凄んだ表情を向けながら、青年に問う。

 青年は細いため息を吐くと、徐にフードを脱ぎながら、


「通りすがりのコスプレーヤー、『ヒビキ』。覚えておけ、クズ共」


 銀髪真ん中分けの髪を見せた青年、もといヒビキは日本刀のように鋭く研ぎ澄まされた視線で男を睨み付けた。

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