1-3 通りすがりのコスプレイヤー『ヒビキ』
「通りすがりのコスプレイヤー、『ヒビキ』。覚えておけ、クズ共」
フードを脱いだヒビキは、日本刀のように鋭く研ぎ澄まされた視線で、男達を睨み付けた。
顔立ちはまさに眉目秀麗という言葉が似合うほど美しく、真ん中分けの銀髪がよりヒビキの姿を引き立たせている。
ラフな格好でも分かるほど、スラリとした長身。しかしそれは細すぎず太すぎずの理想的な体型で、そこから放たれるオーラは只者ではないことを物語っている。
ヒビキの威圧感に、男達は固唾を呑む。しかし――
「て、テメェ……調子に乗りやがってッ!」
チャラい風貌の男は勢いよく地面を蹴り、拳を大きく振りかぶる。
ヒビキはその攻撃を、軽い身のこなしで避ける。
それに激情して、男は拳を振る。しかし、ヒビキにはそれがスローモーションに見えているのか、右へ、左へと攻撃をいなす。
「その程度か?」
「貴様ァ!」
ヒビキの煽りに乗せられた男は、雄叫びを挙げながら拳を繰り出した。
その勢いは先の攻撃よりも早く、避ける余裕もなかった。
「危ないッ!」
危機的状況で、言葉を失っていた翔は咄嗟に叫んでしまう。
がしかし、ヒビキは男の拳を片手で受け止めた。そして「ギギギ……」と、まるで 万力で鉄を握り潰すような音が、男の拳から響き始める。
男の表情は怒りに満ちたものから、苦悶の表情へと変わった。
「あだだだだ! テメェ、離せ、離しやがれっ!」
「……いいのか?」
「早くしろ! いでぇ、でないとぶ、ぶっころ――」
「ほい」
そうは言わせまいと、ヒビキは男が拳を引っ込めるのと同時に拳を解放する。
男は拳を引っ込めた反動でひっくり返り、奇しくも尻餅をつく。
握りつぶされた拳は、幸か不幸か骨折はなかったものの、ヒビキの手形が赤くクッキリと刻まれ、ジンジンとした痛みを与えている。
「畜生、タケちゃんの仇」
「サトっち、油断するなよ……」
「ああ。身ぐるみ剥がして慰謝料分カツアゲしてやるよォ!」
そう言って、今度はサトっちと呼ばれたホスト風の男が参戦した。
男は懐に隠していたナイフを展開し、ヒビキに襲いかかる。
(っ! 嘘、ナイフッ⁉)
翔は路地裏に差し込む光を反射させたそれを見て、一瞬背筋を凍らせた。
もしあのままヒビキが助けに来てくれず、男だとバレてしまった時の、最悪な展開を想像してしまったのだ。騙したという逆恨みで、〈刺し殺されていたかも〉、と。
そして、最悪の展開が今、ヒビキに襲いかかろうとしていた。
しかもその動きは姑息で、ヒビキから見てナイフを持った手は死角に入っている。
「ひ……ヒビキさんっ! ナイフ――」
咄嗟に叫ぶが、うまく状況を言語化できず、「ナイフ」で言葉が詰まってしまった。
男は既に半径1メートル以内に潜り込み、死角に潜めたナイフを突き出す直前だった。
万事休すか。と思ったその時、
「死ねッ!」
「っ!」
刹那の出来事だった。
ヒビキは死角から飛び出したナイフを膝蹴りで吹き飛ばし、それを握っていた右腕を掴むと、勢いよく路地へと叩き付けた。
背負い投げ。そのフォームはまさに柔術を極めた者が持つ技のように、綺麗な弧を描き、男の動きを完全に封じ込める。
「あ……?」
「嘘……」
男は何が起きたのか理解出来なかった。翔も同じく、刹那の決着に理解が追い付いていなかった。
一方ヒビキはと言うと、空中に解放されたナイフの柄を器用に捕まえ、
――ガキンッ!
と、壁に勢いよく刺すようにして、刃を折った。
「さ、サトっち、しっかり!」
「お……おい、なんだよこれ……夢、か?」
男達は、突然現れたヒビキの強さに、ただただ困惑することしかできなかった。
ヒビキは腰を抜かした男達の前に立ち、鬼のような凄まじい圧を放つ。
背後には守護霊のようなものが現れ、自然と周りに「ゴゴゴゴゴ……」と擬音が具現化される。そして、ヒビキの目元には影が掛かり、不気味なまでに赤い光が覗いている。
「ヒッ……」
「いいかお前ら。女の子はテメェらみたいなサル共の食い物じゃあね。丁重にエスコートもせず、自分の欲を解放するためだけに使う奴らを、オレは許さねぇ」
ヒビキは淡々と、冷たい口調で語る。そこに怒りの感情はない。ただ、〈怒り〉という一線を越えた感情だけが、そこにはあった。
路地裏の暗さも相まって、次第に男達の周りには〈死〉を予感させる、重量を持った霧が立ちこめる。
吸えば肺が、内蔵が、胴体が、身体全体の重力が何倍にも増加するように、重くなっていく。
そして――
「とっとと消え失せろ。そして、あの子の前に二度と面を見せるな」
強く、そして激しい圧を与え、男達の胸に釘を差し込む。
その瞬間、男達はヒビキの圧に耐えきれなくなり、顔を青ざめさせながら悲鳴を上げた。
「「し、し、失礼しましたぁぁぁぁぁッ!」」
男達は情けない悲鳴を挙げながら、ヒビキの両脇から逃げ出し、賑やかな街の中へと姿を隠した。
路地裏が、静寂に包まれる。ヒビキと翔の、たった二人きり。
そこにあった筈の死の霧は気付けば引いていたが、まだ翔の中の恐怖は残ったままだった。
「…………」
(あの人、ボクを助けてくれたんだよね……でも……)
「あー」
深く考え込んでいると、ヒビキが声をかけた。
「だ、大丈夫、ですか? つばさちゃん」
つばさちゃん。一瞬誰のことか分からなかったが、翔はすぐに自分――『つばさてゃ』の愛称であることに気付いた。
「はは、はい。えと、助けてくれて、ありがとう……ございます」
「ああいや、ごめんなさい! 怖がらせちゃいましたよね、オレ。お詫びにその、カフェとか奢らせてください」
「えっ⁉ 悪いですよ、むしろボクがお礼をしないと……」
「オレに奢らせてください! 今は……奴らと同じ男として、このままじゃあダメな気がするんです……ます!」
先の強そうな印象はどこへやら、ヒビキは緊張した様子で翔の答えを待つ。その緊張は言葉にも表れていた。
翔はその勢いに負けてしまい、「お言葉に甘えて……」と首を縦に振った。
***
翔とヒビキの入ったカフェは、つい最近できた新しい場所だった。
明るい色の木材がふんだんに使われた内装。天井に付けられたモダンチックなファンライト。
店内に流れる小洒落たピアノジャズは、芳醇な挽きたての豆の香りと共に、五感で雰囲気を楽しませてくれる。
そんな店内の片隅で、翔とヒビキは向かい合って座っていた。
「さっきは、助けてくれてありがとうございます」
「こちらこそ、あの時咄嗟にナイフを持っていたことを教えてくれて、ありがとうございます。というか、本当にごめんなさい」
「なんで謝るんですか?」
「だって、流石にあの時、怖がらせちゃったかなと」
言って、ヒビキは頭を下げる。その時、ふと男達を淡々と追い詰めていた時のことを思い出した。
殺意をむき出しにして、二度と変な気を起こさせないように詰めていた表情。
暗くてよく見えなかったが、それが鬼のよう。いや、鬼も恐れる〈エンマ大王〉のような表情であったことは間違いない。
翔自身、怖くなかったと言えば嘘になる。しかしその怒りは、翔を助けたいという感情から来た怒りであることを、彼は理解していた。
「謝ることはないですよ。それにほら、とても――カッコ良かったです」
結論として、ヒビキのお陰で翔は助かった。そして、彼の戦闘ぶりはカッコ良かった。
それを聞いたヒビキは頬を赤らめ、しかし満更でもない様子で頬を掻いた。
「か、カッコイイですか……」
「はい。それに、奢ってくれるなんて。むしろボクも何かお礼をしないと……!」
「えっ! だだ、大丈夫ですよ。つばさちゃんにお礼をさせるなんて恐れ多い」
「それじゃあボクの気が収まりません! 何か、ボクにできることはないですか?」
翔は必死な様子で、ヒビキに言う。
つばさてゃとしてだけでなく、元々の生真面目な少年「如月翔」としての
翔も、この完璧主義すぎる自分の性格が悪い癖だと、自覚はある。
だが、あの絶望的な状況から救い出してくれただけでなく、メンタルケアでカフェまで奢ってくれた以上、恩を返す以外の選択肢は、翔には思い浮かばなかった。
すると、ヒビキは深く唸って考えた後に、
「それじゃあ、つばさちゃん。オレと、友達になってください」
と、勇気を振り絞った声で言った。それに続けて、
「実はオレ、5年前からつばさちゃんのファンなんです」
「ごご、5年前から……? それって、まだボクが活動したばかりで、まだまだ無名だった頃の――」
「はい! 初期の頃から、簡単メイクの動画とか参考にしてましたし、食品レビューで美味しく食べる姿が可愛くてもう悶えてしまって! それに、配信でハネ友の相談に的確なアドバイスをくれる奴、あのアドバイスのお陰で今のオレがあるんです!」
激しく展開される『つばさてゃ』ガチファンによる賞賛の嵐。その〈つばさてゃ愛〉は、つばさてゃ、もとい翔本人が溺れてしまいそうになるほど、深く大きな愛だった。
それに気付いたヒビキは、自分が白熱してしまったことに反省し、肩を縮める。
「す、すみません。オレったらつい……」
「い、いえいえ。初期の頃から応援してくださってること、とても嬉しいです」
「けど、つばさちゃんって今すっごく人気のインフルエンサーですし。流石に、友達は……」
「いいですよ」
勢いが止まり、途端に弱気になるヒビキ。彼の言葉を、翔は遮った。
顔を上げると、翔はヒビキの手を取り優しく、柔らかい笑顔を見せた。
その表情はとても愛らしく、画面越しに見ていたつばさてゃの顔が霞んでしまうくらい、キラキラと輝いていた。
「つばさ……ちゃん?」
「友達、是非よろしくお願いします」
「ほ、本当ですか!?」
「はい。その代わりと言っては何ですけど、よかったらボクに、コスプレのこととか、教えて欲しいです」
「もも、勿論ですっ! つばさてゃのためなら、何だってお教えしますッ!」
翔の了承に歓喜したヒビキは、顔をバッと上げ、目をキラキラと輝かせる。
その表情は先ほどまでの緊迫感や恐ろしさはどこにもなく、年相応の純粋な少年のようだった。
そんなヒビキを見て、翔はクスリと笑う。
(なんでだろう……この人がこんなに喜んでくれてると……ボクまで嬉しくなってくる)
少し冷めたカフェラテを啜り、口の中に広がるコーヒーのほろ苦くも香ばしい風味に心を落ち着かせる。
しかし、二人は知らなかった。これが『仮面恋愛』の始まりであることを。
そして――
――仮面の奥に隠された、その素顔、二人の正体が誰であるのかを……
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