2-1 それぞれの日常

 つばさてゃとの出会いから数日、綾音は悩んでいた。

(これが……つばさてゃの連絡先……!)

 推しの連絡先を獲得し、いつでも繋がることができるようになった。

 それは今も夢を見ているのかと錯覚するほど嬉しい出来事に違いは無い。

 だが冷静になって思えば、一体どうやって推しと、〈友達として〉接したらよいのか。

 どのように、つばさてゃにコスプレを教えたら良いのか。

 その難解な問題に、綾音は深く頭を抱えていた。


「天道さんが唸るなんて珍しいな。なんかあったのかな」

「次の勇者と付き合うかガチ悩みしてる、とか?」

「それはないだろ。《難攻不落》のラプンツェルだぜ、今まで何人の勇者が自滅してったんだ?」


 男子達は片隅で綾音のことを観察し、口々に噂をする。

 天道綾音はこれまで、誰一人として付き合ったことがない。

 自他共に認める美貌、圧倒的な高身長、可愛らしくもクールな印象を受ける顔立ちと、どれを取っても美しさが欠けない完璧美少女。

 その美貌に惹かれた男達は綾音にプロポーズをしたが、お付き合いの許しを得た勇者は、誰一人として存在しない。

 長く綺麗な髪と、果てしない場所に咲く〈高嶺の花〉である所から、いつしか男子間から『《難攻不落》のラプンツェル』と呼ばれるようになっていた。

 そんな次なる勇者が出ようとしている中で、加賀美ひよりは綾音の前に現れる。


「綾音~、どうしたの、そんな悩んで~?」

「別に、なんでもないわよ。ただ、どうやって話し出せば良いのか困ってただけ」

「珍しい。もしかしてついに綾音にも彼氏できた?」

「そ、そうじゃないわよ。でもまあ、あながち違くない……かも?」


 綾音はひよりの心配を振り払い、再び考え込む。

 しかしどれだけ考えても良い案が思い浮かばず、ただただ時間だけが過ぎていく。


「天道さん、加賀美さん!」


 そうしているうちに、今度は翔が教室に入ってきた。


「げっ、風紀委員のワンちゃん」

「次は移動教室ですよ。こんなところでゲームしてないで、早く移動してください」


 翔はメガネを光らせて、厳しく言い放つ。綾音達が遅かったので、呼びに来たらしい。

 綾音達は渋々教科書と筆記用具を手に取り、席を立つ。

 とその時、開いた筆箱からカランっ、とペンが落ちた。


「あっ」


 綾音は慌ててしゃがみ込むが、あと少しの所で翔に取られてしまう。

 その瞬間、また口論の火蓋が切って落とされた。


「天道さん、これ……アイライナーじゃないですか! 勉強に必要ないものは持ってきてはいけないと言ったはずですよ!」


 綾音が落としたペンは、アイライナーだった。翔は校則違反を指摘するが、綾音も毅然とした態度で反論する。


「なに、ただのフェルトペンだけど? 使っちゃ悪いのかしら?」

「嘘つかないでください! こんな可愛らしい模様の入ったフェルトペンなんてありません! アイライナーですよこれは!」

「ペンはペンじゃない。ていうか、アタシは何も言ってないのに、どうしてこれがアイライナーだって言うのかしら?」


 その言葉に、翔は一瞬言葉を詰まらせる。だがすぐに反論を用意して口を開く。


「ちょっとちょっと、やってる場合? ワンちゃんなんかほっといて、遅刻しちゃうよ!」

「あ、ヤバ!」


 ひよりの叫び声に我を取り戻した綾音はどさくさに紛れてアイライナーを取り返し、そそくさと教室を飛び出した。


「まだ話は終わってないですよ!」


 慌てて翔も追いかけるが、綾音の歩幅には到底付いて行けず、アイライナーを取り上げられずに終わった。

 仮に取り上げても、身長差のために取り替えされるのがいつものオチなのだが。


 ***


 それから数時間、時刻が昼休みを回った頃。

 翔はため息を吐きながら、屋上で弁当を突いていた。


「うーん……」

「なんだよ翔、珍しく深いため息ついて唸ったりなんかして」


 そんな翔を心配しながら、前上げツーブロックの少年は唐揚げにかぶり付く。

 彼は翔の唯一の親友、歌星琢磨うたほしたくま。翔とは対照的に、根明で人付き合いに遠慮がなく、今では他校を含め20人の女子から告白された逸話を持つ、まさに生ける伝説レジェンド

 そしてこの学校で唯一、翔の裏の顔――つばさてゃの正体を知っている人物なのだ。


「で、何をそんな悩んでんだ? もしかして、彼女とかできたのか?」

「まさか。でも実はちょっと、それ系で悩みがあって……」


 翔は言うと、他言無用を条件に耳打ちで悩みを打ち明ける。


「ふむふむ、斯く斯く然々、地デジ化デジカメ……ふぁあっ⁉」


 全てを理解した瞬間、拓眞は驚きのあまり顎を外して驚いた。

 その姿は一体どうやっているのだろう、顎が溶けたチーズのように地面まで伸び、ギャグ漫画でも〈そうはならないだろ〉とツッコミを入れたくなるような驚き様だった。

 だが無理もない。


「翔ちゃん? つまりそれって、ヒビキってイケメンに恋しちゃったって……事ォ⁉」


 改めて聞かれて、翔は頬を赤く染めながら肯く。

 ヒビキと出会ってから数日、翔もまた悩んでいたのだ。

 一体どのように接するべきなのか、〈友達〉として、どう付き合うべきなのか。

 それどころか、まず出会いの次に何をすればいいのかすら分らない。


「で、この〈恋愛の神〉こと、オレちゃんにどうしたらいいか教えて欲しい、とな?」

「だって、歌星君しか頼みのツテないし……」


 そう言って、翔はしゅんとうなだれる。そんな翔を見て、拓眞は唸りながら考え始めた。

 これまで経験してきたイベントの回数は数知れず。

 拓眞はそれまでの思い出から翔、もといつばさてゃとヒビキがより親密になれる最高のイベントが何か考えた。

 何より拓眞は、翔がこうして頼ってくれたことが嬉しかった。


(しっかしまさか、《ザ・孤独の王》みたいな感じ出してる翔にカレピッピができちまうなんてなぁ。しかもオレちゃんが霞んじまうくらいのイイ男、ならコイツは……)

「ようし、ならばオレちゃんが一肌脱いでやろうじゃあねえか!」


 突然、拓眞は叫びながら立ち上がった。その声に驚き、屋上に集まっていた鳥たちが飛び去っていく。


「歌星君、それホント⁉」

「おうよ! このオレちゃんに任せとけ!」


 どんっと胸を叩き、拓眞は誇らしげに言った。



 ***



 一方、その頃……


「綾音~、私もそろそろ彼氏欲しいよ~」


 ひよりは滝のように涙を流しながら、綾音の机に突っ伏して嘆く。

 綾音は嘆くひよりを横目に、つばさてゃの写真を眺めつつ話を聞く。


「私もって、アタシに彼氏いないの知ってるでしょ?」

「綾音の場合、彼氏がいないんじゃなくて、〈作らない〉んでしょ? モテモテなのに」


 羨むようにため息を吐き、ひよりは口先を尖らせながら綾音の方を見る。

 相変わらず、絵に描いたような美人だ。そんな彼女が何故、告白を全て蹴ってまで男を作ろうとしないのか。と、ひよりは思った。

 詳しいことは分らない。だがその行動に、何か理由があることをひよりは知っていた。


「で、何で彼氏とか作らないワケ? 確かこの前告白されたので、え~っと、50人目だっけ?」

「13人から数えてないわね。多分それ以上は、断った気がする」

「それだけでも凄いよ! なのにどうして……?」

「ちょっと、ね」


 ひよりの問いを遮るように、綾音は静かに答えた。

 その表情はどこか遠くを見据えているようで、まだ昼にも拘わらず、どこかノスタルジックな風を漂わせていた。

 綾音はスリープモードに入っていたスマホを起こし、待ち受けのつばさてゃを見つめながら、


「私なんて、結局は臆病なだけ。今はただ、純粋に推しを推していたい、それだけよ」


 まるで自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎ、待ち受けを見せる。


「綾音……」


 今まで見たことない思い詰めた表情に、ひよりは固唾を呑む。

 が、すぐにケロッと表情を変え、綾音の見せた待ち受けに注目した。


「あ、それってつばさてゃだよね! もしかして“推し”って……」

「つばさてゃよ、言うまでもなく。もう五年は推してるわね」

「五年⁉ ってことは、活動初期から⁉」


 目をまん丸とさせて驚くひよりに、綾音は自慢げに肯いた。

 彼が活動を開始したのは今から五年前のこと。今を生きるインフルエンサーになったのは二年前、翔が中学三年生の頃。

 だが初期の頃からメイクのクオリティは健在で、かつての姿と見比べて見ても、やはり両方とも女の子にしか見えない。

 故に今も、つばさてゃが普段どんな容姿で、どこに通っているのか知る者は誰も居ない。

 まして、それがあの口うるさい風紀委員長、如月翔であることなど、知る由もない。


「昔のつばさてゃも好きだけど、今も可愛いのよねぇ。ほら、これとか」


 言って、綾音はもう一枚、つばさてゃの写真を見せる。そこに映るのは、ベッドに転がったつばさてゃの姿。

 目線はねだるような上目遣いで、まるでご主人様と添い寝したいから、大胆にかまってポーズを取る〈人懐っこい仔猫〉のよう。


「こんなに可愛くて男なんでしょ? いいよねぇ、すっごく可愛い。オフの時とかすごく顔いいんだろうなぁ」

「ひよりも十分可愛いわよ? それに、つばさてゃは男の娘だからいいの」

「男の娘だから? どゆこと?」

「男子が〈理想とする女の子〉を表現するから、アタシら女子よりも造形が深いのよ」

「つまり、つばさてゃを参考にしたら、より可愛くなれる!」


 ひよりの理解に、綾音は満足げに微笑む。

 と、その時だった。


『今週の土曜日、買い物に行きませんか?』


 和気藹々とした女子二人の空間に割って入ったのは、つばさてゃ本人のメッセージ通知だった。それも、遊びのお誘いである。


「ふぇっ⁉」


 唐突で、かつ推しからのお誘いに綾音は思わず素っ頓狂な声を出して驚いた。

 無理もない。綾音にとって、つばさてゃとは全、そして一。すなわち真理。神。

 そんな推しからの誘いを断る選択肢はなかった。〈はい〉か〈YES〉のみ。


「どしたの綾音、急に変な声出して?」

「え、あ、何でもない。またママからみたい」


 適当に誤魔化して、こっそりと『喜んで! エスコートします!』と返事を送る。

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