2ー終 ハイヒールのお姫様

 店を後にしてすぐ、気付けば空は既に夕焼けに染まっていた。


 そんな二人は最後に、近くにあったクレープ屋でクレープを食べてから帰ることにした。


「えっとそれじゃあオレは、このバニラアイスのクレープで。つばさちゃんは?」


「プリンクレープで、お願いします」


 翔はそう言って、一歩後ろに下がる。


 何故なら、


(まだ足が痛い……。やっぱり、靴のサイズ合わなかったかな……?)


 翔の足は今、激痛に見舞われている。


 男子であれば、普段は履かないであろうハイヒール。しかし男女問わず、長時間ハイヒールを履いていると、足が圧迫され、少しずつ圧迫感から来る痛みに見舞われてくるのだ。


 更に、この時翔が履いてきたハイヒールは、新しく取り寄せたばかりの新品だった。


 それも相まって、翔の足には今や、いつ爆発してもおかしくない爆弾を背負っているような状態にあった。


(立ってるだけでも痛い……。でも、ヒビキさんを立たせて、ボクだけ座るなんて不公平だし……)


「つばさちゃん、大丈夫ですか? もしかして、調子悪いとか……?」


「えっ?」


 ヒビキにそう訊かれて、翔は自分の表情に出ていたことに気付いた。


 その表情はどこか機嫌が悪いのか、それとも具合が悪くなってきたのか、どっちとも取れるが、しかし、どっちでもないような微妙な表情だった。


「だ、大丈夫です。ちょっと歩き疲れちゃっただけです」


 咄嗟に笑顔を見せ、心配ない風を装う。


 確かに、翔は何だか足を気にしているようだ。と、ヒビキは彼の足を見て思った。


「そうですね、ずっと歩き続けてましたし。それじゃあつばさちゃん、先座って待っててください」


「は、はいっ!」



 ***



 しばらくして。

 

「お待たせ、こちらプリンクレープでございます」


 ヒビキは両手にクレープを持って戻ってきた。


 翔がそれを受け取ると、ヒビキはその向かい側に座った。


 その位置は、奇しくも初めてヒビキと出会い、同じテーブル席に座った日と同じだった。


「わぁ……美味しそう!」


「もしかしてつばさちゃん、こういうの初めてですか?」


「はい……お恥ずかしながら。買い食いって言うんですかね、普段はそういうことしないので」


「へぇ、じゃあこれもオレが初めて貰っちゃったって、感じですかね」


 ヒビキは言って、意地悪そうな笑みを浮かべる。その小悪魔的な笑みに、翔はつい頬を赤らめる。


 同時に、ヒビキも翔の照れ顔を見て、何故か返り討ちに遭い、頬を赤く染める。


「…………」


「あの、ヒビキさん。早く食べないと、アイス溶けちゃいますよ?」


「えっ? ああ、いけないいけない!」


 ヒビキは慌てて、クレープに一口齧り付く。


 薄くふわっとした生地は、中のチョコソースをその身体に染みこませながら、まるで絹のようにすっと綺麗に千切れていく。


 そして、口の中に焼きたての甘い香りと、チョコのほろ苦い風味が広がっていく。更に、その後からアイスのひんやり、とろりとした甘さがやって来る。


「んっ! 美味しい!」


「それじゃあボクも、いただきます」


 ヒビキに続いて、翔もクレープに齧り付く。


 ふんわりとした生地と香りはそのままに、プリンのぷるぷるとした食感が同時にやってくる。


 そして、噛みしめる度に、カラメルソースとチョコソースの味が広がり、絶妙なほろ苦さを演出する。その奥にある生クリームとプリン、そして生クリームの中に閉じ込められたみかんが、苦みの奥から飛び出してきた。


 それはまるで、〈苦しい冒険を乗り越えた先で手に入れたお宝〉や、〈ほの暗い洞窟の奥に眠るダイヤの原石〉のような、とても素晴らしいもののようだった。


「お、美味しいっ!」


「そんな驚くほどですか? どれどれ……」


 ヒビキは言いながら、なんの躊躇いもなくクレープに齧り付いた。


「あっ、ヒビキさん!」


「うん、美味しい! ほら、つばさちゃんもどうぞ」


「う、うーん……ヒビキさんが言うなら……」


 続けて、翔もヒビキのクレープを一口頬張る。


 その時、プリンとはまた違った味が、翔の口の中に広がった。


「お、美味しい……!」


「もう、仕返し、ですからね。ふふっ」


 翔は笑う。


「アハハ、やられちゃったね。はー、面白い」


 ヒビキは笑う。


 楽しい時間もあと僅か。その間、翔は足の痛みのことなどすっかり忘れてしまっていた。


「名残惜しいですけど、そろそろお開き、ですかね」


「ですね……」


 ただ、クレープを一口食べる毎に、その名残惜しさが段々と強くなっていく。


 これを食べ終わったら、また暫くは会えなくなってしまう。


 二度と会えないと言うわけではないのに、何故か心の中に、ぽっかりと穴が空いていく気がしてしまう。


(これが終わったら……また、いつもの日常に戻っちゃう、のかな……)


 いつもの日常、如月翔として、規律にうるさい優等生としての日々を送らなければならないのか、と。


(これが終わったら……また如月と……)


 天道綾音として、しつこく噛みついてくる風紀委員長と口論しなければならないのか、と。


 二人はどこか、いつもの日常に対し、どこか憂鬱な気分になっていた。


 しかし――


「食べ終わっちゃいましたね……」


「でも、美味しかったですし、今度来たときにもう一回、食べに行きませんか?」


 翔は憂鬱な気持ちを切り替えて、早速立ち上がった。


 嫌だと言っていても、明日は来るものだ、と。


 二度と会えないわけではないんだ、と。そう自分に言い聞かせて。


 だが、翔が足を着いたその時、


「きゃっ!」


 忘れていた痛みが、足を伝って襲ってきた。


 翔はその痛みに、思わず転んでしまった。


「つ、つばさちゃん!?」


「っ……」


「つばさちゃん、大丈夫……?」


 慌てたヒビキは、咄嗟に翔を抱き上げる。


(ハイヒール……? そうか、長時間歩き続けたから、その分足に負担が……)


 それに気付いた瞬間、ヒビキはこれまで頭の中で引っかかっていた翔の異変の点と点が、一直線に繋がった。


(もしかしてずっと、アタシに心配掛けないために、黙ってたの?)

 

 だがヒビキ、もとい綾音はそれに一切気付かなかった。


 エスコートすると意気込んでおきながら、翔に助けられておきながら、何もできなかった。


 その罪悪感に、ヒビキの胸が締め付けられる。


「だ、大丈夫ですよヒビキさん。ちょっと、躓いちゃっただけですから……」


 嘘である。ヒビキは確かにこの目で、崩れるように倒れた翔の姿を目撃していた。

 

 だがその嘘は、翔なりの優しさであり、自業自得だと自分に言い聞かせるための言葉でもあった。

 

 全ては慣れない、それも買ったばかりの新品を履いてしまった自分の責任だ、と。


(つばさちゃん……そこまでして……)


 オレのことを、庇ってくれるの? 心の中で、ヒビキはそう続ける。


 エスコートできなかった自分に非があると言うのに。翔はそう思わず、自分のせいだと言っている。


 それが、どうしても居たたまれなかった。


「……よし。つばさちゃん」


 その時、ヒビキはあることを閃いた。


 ヒビキはしゃがんだ姿勢のまま振り返り、翔に背中を見せた。


「乗ってください」


 おんぶ。翔の足に負担を掛けないようにした、ヒビキなりのアイデアだった。

 

「で、でも……」


「ここから駅まで、結構あります。少しでも、足を痛めないためですから、遠慮しないで」


 ヒビキの優しさに圧倒され、翔はついに折れ、ヒビキの背中に身を委ねた。


 ヒビキの女性らしくもありながら、大きな背中に身を委ねると、ヒビキは翔の太ももに手を回し、軽々と持ち上げた。


「ひゃっ! ヒビキさん、お、重くない……ですか?」


「全然、大丈夫です。さっ、駅まで突っ切りますよ」


 言うとヒビキは、回した両手に今日買った紙袋を持ち、軽い足取りで中央街を駆け抜ける。


 しかし、多くの人でごった返す中央街で、このようなおんぶした男女二人が目立つはずもなく――


「ねえ、あれ見て~」


「嘘、めっちゃラブラブじゃない? いいなぁ、アタシもあんな彼氏欲しいなぁ~」


「ドラマみたい~」


 すれ違う人々から、憧れにも似た熱い眼差しが降りかかる。


 翔は彼らの熱い視線に耐えきれず、思わずヒビキの背中に顔をうずめる。


 その時、ヒビキの付けている香水の香りを感じた。


(あっ……)


 その香りと、おんぶしているこの感覚に、翔はどこか懐かしさを覚えた。


(この感じ……これが、おんぶ? これが……甘えるってこと、なの?)


 ヒビキに体重を預け、まるで母親に甘える子猫のように、顔をうずめる姿勢。


 それは翔にとって、とても新鮮な体験だった。


 誰かに甘える。ただそれだけのこと、しかし、翔にとってそれは、とても大きなものだった。


「ふぅ、到着しましたよ、つばさちゃん」


 気付けば、駅前まで辿り着いていた。だが翔は、それでもなお離れようとはしなかった。


「つばさちゃん?」


「ヒビキさん……」


「ん?」


「その……わがまま言ってごめんなさい。けど……」


 恥ずかしそうにしながらも、翔は呟くように言った。


「電車が来るまで……このままでいたら、ダメ、ですか?」


 ダメと言われてしまうかもしれない。そんな不安を覚えつつも、翔は言った。


 ヒビキはその答えを言うことはなく、そっと翔を降ろす。


(やっぱり、おんぶのままは、ダメ、だよね……)


 その時、ヒビキはそっと、翔の身体を抱き寄せた。


「えっ?」


「プリクラの時のお返しです。それに、この方がつばさちゃんの顔がよく見えます」


 フッ、と静かな笑みを浮かべながら、ヒビキは言った。


 おんぶとはまた違う感覚に、翔の体温は急激に上昇する。


『まもなく、4番ホームに○○行き列車が参ります――』


 夕暮れの駅のホーム。偶然にも二人きりになった翔とヒビキの間に、また奇妙な縁が結ばれたような気がした。



 ***



 そんな二人を横目に、彼らを尾行していた影は息を呑んだ。


「成程ねぇ~、確かにコイツは、翔ちゃんが惚れてまうワケですわ」


 見るからに怪しい探偵服に身を包んだ少年は、あんぱんを片手に下手な口笛を吹く。


 そして、そっと帽子を持ち上げる。


 その影の正体、それは翔の親友、歌星拓眞だった。


「しっかしあの男……いや、女? なんか見覚えがあるんだよなぁ……とっても、身近にいるような……」


 拓眞はじーっと双眼鏡でヒビキの顔を覗き、拓眞の脳内データベースにそれと類似する人物の顔で検索をかける。


 そして、見つけた。誰も知らない筈の、ヒビキの正体、それに類似する人物を。


「はっは~ん、これは面白い展開になるんじゃあないのかしらん?」


 オネエ口調になりつつ、拓眞はある計画を企てる。


 全ては親友――翔のラブストーリーを面白くするために。

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