3ー2 互いの印象

 5時間目、体育。

 

 体育館に集められた翔たちはこの日、男女別になってバスケットボール大会を行っていた。


 床を滑り、キュッ! と鳴く上靴のゴム。


 ダン、ダン、ダン、ダンとリズミカルに撥ねるバスケットボール。


 ざぁざぁと体育館の窓を休むことなく叩き続ける雨粒。


「綾音っ!」


「はいっ!」


 ピィーーーーッ!


 そして、シュートが決まったことを報せる、ホイッスルの音。


 体育館という小さな劇場の中で、様々な音が主役を争うように演奏を続けている。


 いや、それを演奏と呼ぶには、あまりにも雑な音ばかりだった。むしろ、終日の大雨というのが、より鬱屈とした空気を漂わせていた。


 暗雲に包まれた空模様はまるで〈慌てすぎたあまり、いつもより早く夜がやって来た〉と錯覚するほど暗く、濃い緑色をした嫌な空がどこまでも広がっている。


 そんな暗雲に包まれた校舎の中、翔と拓眞は、男子チームの得点板係として右往左往するボールを、目で必死に追い続けていた。


「あんま気に病むなよ、翔。運動なんて怪我してなんぼだ、それに出来ないからって全部がダメになるワケじゃあねえ」


「う、うん……。ありがとう、歌星君。ボクが転んで手を痛めたばっかりに、歌星君にまで嘘吐かせちゃって……」


「だから気にすんなって。オレちゃんはただサボりたかっただけだし。この日のために、怪我した時の演技だって練習したんだぜ?」


「なんでそんなピンポイントな練習をする必要があるの。真面目に授業受けなよ」


「それに、オレちゃんは今サッカーに夢中だから、手を怪我したら困るのよん」


「サッカーは手を使っちゃダメでしょ。そもそも、歌星君はキーパーでもなかったら、ただの帰宅部でしょ?」


「そうだっけ? 色んな部活の“補欠”を掛け持ちしてるから忘れちまったぜ☆」


「補欠って。でも歌星君はなんでもできるよね、羨ましい」


「なんでもはできないわ。現に勉強はからっきしだもの」


「そんなネタを使っても頭はよくならないよ。て言うか、誇らしげに言わないの」


 他愛もない会話をしつつ、翔は手にしていたボタン式のホイッスルを鳴らす。


 一方で、向かい側、綾音ら女子たちが集まるフィールドでは、綾音の快進撃が繰り広げられていた。


 身長180センチ前後の高身長、バネのような跳躍力を魅せる脚、クールにシュートを決めて静かに微笑む横顔。


 どれを取っても美しいその姿に、男子の目は釘付けになっていた。


 そこには珍しく、翔も含まれていた。


(カッコイイ……けど天道さんって確か、バスケ部じゃなかったような……)


「何よ、翔ちゃんも気になっちゃうの? いやん、翔ちゃんもイイ趣味してるじゃないのよん♪」


「べべ、別にそんなんじゃないよ。ただ、あんなに凄いのに、どうしてバスケ部じゃないのかなって……」


「ふぅん、なるほどねぇ」


 拓眞は言うと、まるで翔の心の中を透視するかのように、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべる。


 いつも通りといえばいつも通り、しかし、翔は今日の拓眞の様子に、少しばかり違和感を覚えた。


(なんだろうこの感じ……今日の歌星君、なんか変? いや、いつも変なテンションだけど、今日はちょっと違う……)


「さしずめ、なんで天道がバスケ部じゃあねえのか、とか思ってんだろ」


「それもそうだけど……うん、そんなところ」


 言い返そうと思ったが、翔は訂正の言葉をあえて呑み込んだ。


 拓眞のことはいつになっても分からない。だが、天道綾音に関することには、少しだけ興味があったからだ。


 拓眞は、石護高校のいわゆる情報屋。ただ、「○○屋」というのはあくまで彼のあだ名のようなもので、情報を提供したからといって、金銭のやり取りをするワケではない。そもそも金銭の貸し借りは友人関係であっても校則違反である。


 とはいえ、一体どこから、誰からそんな情報を仕入れているのか、それはこの石護高校七不思議の一つに数えられている。とどのつまり、不明だ。


 真相は神と歌星拓眞のみぞ知る。


「なんて、そんなけったいなものじゃあねえって。ただ、ひゅーっとやって、ひょいって情報集めてるだけさね」


「突然の関西弁!? それに、どんな集め方だよそれ」


「ま、それこそ神とオレちゃんのみぞ知る。フッフフッフ」


「いいから早く教えてよ」


「……シラネ」


「は?」


「シラネ」


 まさかの回答に、翔は思わずずっこける。


 何でも知っているような拓眞にも知らないことがあった。そのことにもまず驚いたが、堂々と知らないと言われたことに、翔は驚いた。


「何だったの今の間!」


「だって、この話には諸説あるから、完全に正しい情報じゃあないし……」


 言い訳を述べながら拓眞はホイッスルを鳴らし、翔にだけ聞こえるよう、小声でその説を教えた。


「なんでも中学の時、色恋沙汰で色々恋々あったみたいで、それ以来万年帰宅部だとか」


「い、色恋沙汰……? あの、天道さんに?」


 天道綾音、通称「難攻不落のラプンツェル」。


 告白された回数は数知れず。しかしその告白に「OK」を出したことは、一度たりともない。まして、彼女が誰かと付き合っているといった噂すらない。


 まさに恋愛とは無縁な人物。高嶺の花のように、届きそうで届かないような彼女。そんな彼女の色恋沙汰。


 初めて聞くその情報に、翔は目を剝いた。


「な、オドロキだろ? 芸能人だったら超・超・超絶級の特大スクープだ」


「けど、なんでそれと部活動が関係してるのさ?」


「さあね。つまる話、これは諸説あり。信じるか信じないかは、貴方次第ッ! ってな」


「いきなり懐かしい! でも……」


「そんなに気になるなら、ものいっそご本人に訊けば? オレちゃんのパイプで対談の間とか設けちゃっても、いいんだぜ?」


「いいよ、そこまでしなくて」


 キッパリと断りつつ、翔は綾音のことを見つめていた。


 緑色のネットカーテンの向こう側、丁度一試合終えた綾音は、そこのチームメイトであるギャル仲間たちに褒められていた。


 綾音は褒めちぎられて照れているが、しかし満更でもない様子で、左手で自分の右頬をさする。


「それで話変わるけどよぉ、翔ちゃん」


 と、彼女を見つめていると、拓眞は声をかけてきた。


 その視線は翔と同じく、綾音の方へと向けられている。


「翔ちゃん的に、天道のことどう思ってるのん?」


「ど、どうって……? いつも授業中にメイクしたり――」


「そうじゃあなくて。普通に男の子として、天道のことどう思ってんのって。ほら、可愛いとかクールとか美人とか、あるだろ?」


 拓眞の問いに、翔は視界に捉えた綾音と、普段口論を繰り広げる彼女の姿を思い出して考える。


「そう、だなぁ。天道さんのことは、嫌いじゃあないよ。確かにキレイな人だし、それにメイクの腕もプロ並みだし、他クラスの女子からもすごい信頼されてるし……凄い人、だと思う」


「ほぉ~う?」


「な、なにその反応。別に恋愛的な意味じゃないからね」


 まるで「本当か?」と言いたげな拓眞に、翔は訝しんだ視線を向ける。


 すると拓眞はぱん、と手を叩き、ニシシといたずらに笑みを浮かべた。



 ***



 一方その頃、ネットカーテンを跨いだその先、女子達の集うステージ側のフィールドで、天道綾音は黄昏れていた。


 彼女の視線の先には、男子達のガヤが響くフィールドが広がっている。その中央、得点板の位置に翔はいたが、しかし、彼女にとってそれはただの背景の一部でしかなかった。


「……はぁ」


「どうしたの、ため息なんか吐いちゃって。何か嫌なことでもあった?」


 ふと声の方を振り返る。そこにはひよりが座っていた。


「別に、ちょっと張り切りすぎて疲れただけ。それにほら、今日って大雨じゃない?」


「わかる~、一日中大雨だってね~」


「ホント、最悪な気分よ」


 綾音はため息交じりに呟きながら、窓の方へ視線を向ける。


 雨は今も降り続き、耳をすませばゴツゴツと雨粒の音が聞こえてくる。


 その音はどこか心地が良かったが、しかし同時に、鬱々とした気分が強くなる。


「そういえば綾音、これ前から気になってたんだけどさあ」


「?」


 水を飲みながら、綾音はひよりの方を見る。


 するとひよりは無邪気な笑顔を見せながら、可愛らしく首を傾げて訊ねた。


「如月のこと好き?」


 その問いに驚き、綾音は咽せてしまう。


「は、はぁ!? な、何言ってんのよいきなり!」


 思わず大声を出してしまい、そのせいで周囲の視線を集めてしまう。

 

 綾音は落ち着かせるように咳払いをし、小声でひよりに訊く。


「いきなり何よ、如月が好きぃ?」


「だっていつも口喧嘩してるくせに、無視しないで構ってるじゃん? だから――」


「絶対にない、あり得ないわね」


 綾音はひよりの言葉を遮り、キッパリと断言する。


 するとひよりはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、じっと綾音の顔を覗き込んだ。


「本当にぃ?」


「じゃあ訊くけど、もしアタシがアイツの言う校則を受け入れたらどうすんの? 最悪、もう二度と学校でメイクできなくなるわよ?」


「え~、それ嫌なんだけど~。ただでさえ授業つまらないのに~」


「そういうことよ。ひよりじゃあすぐ言いくるめられるでしょう?」


 呟くように言い、綾音はステージの天井を見上げて深く息を吐いた。


 もし綾音が翔を追い払わなければどうなるのか。ひよりはその答えに気付き、口を噤む。


 だがふと、ある可能性があった場合に気付き、再び顔を上げる。


「でもでも、もし如月が風紀委員のワンちゃんじゃなかったら、どうなの? だったら別に校則にうるさくないじゃない?」


 その質問に、綾音は「そう来たか」と呟きながら考える。


「如月が風紀委員長じゃなかったら……」


「なかったら?」


 そこまで言って、沈黙が走る。


 ひよりはどんな答えが返ってくるのか、期待でソワソワとして見せる。


 しかし、


 ――ピーーーッ!


 試合終了のホイッスルが、フィールド上に響き渡る。


「はい、終了! 全員片付け!」


 体育教師の号令と同時に、生徒達は後片付けに向かう。


「あっ……」


「あらもうこんな時間? そうね、覚えてたら答えるわ」


 そう言って、綾音は質問に答えることなく片付けへと向かってしまった。


「……」


 答えは分からず終いで、ひよりは無言になる。しかしその表情は、どこか楽しそうだった。


(でも、あの作戦さえ遂行すれば、答えはすぐに出るし……)


 心の中で呟きながら、ネットカーテンの向こう側にいる拓眞に視線を送る。


 それに気付いた拓眞は、男子を呼ぶフリをして、狐の形にした手を挙げる。それは拓眞とひよりの秘密の合図となっていた。


(仕掛けるわよ、暗号名コードネームラクーン』)


(了解したぜ、暗号名『フォックス』)


((『恋のキューピッド大作戦』、実行っ!!))

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