3-4 弱点~打ち明けて~

 ざあざあと、絶えず降り注ぐ雨粒が雑音を奏でる中、翔と綾音は開かずのドアを前に顔を青ざめさせていた。


 夜のように仄暗い体育館倉庫の中、じめじめとした湿気が身体中に纏わり付く。


 それがまるで、倉庫の中に潜む幽霊が背後から抱きついているような、不気味な不快感を演出している。


「ど、どうしよう……確か明日って……」


「開校記念日だから、休みです……」


 因みに明日は、石護高校の開校記念日である。


 とどのつまり、今日脱出できなければ明日まで体育館倉庫に閉じ込められたまま。


 綾音にとって、最も嫌いな相手――翔と二人きり。


 湿気と初夏の暑さが入り交じった最悪な空間で、時間を共にしなければならなかった。


「そ、そんな……ただでさえこんな悪天候だってのに……」


 綾音は言いながら、開かずのドアの前にへたり込む。


 と、すぐに翔を睨んだ。


「アンタのせいよ如月」


「は、はぁっ⁉」


「アンタがあんなふざけた手紙をよこしたせいで、アタシも閉じ込められたんじゃない!」


 綾音は声を荒げ、翔を責め立てた。


 完全に八つ当たりである。


 湿気と熱気で凄まじい不快感が漂っていることを加味しても、こればかりは翔に非はない。


 しかし綾音にも非はない。


 ただの事故、人為的なミスでしかない。


「そそ、それを言うなら天道さんのせいでもあるじゃないですか! ボクだって、天道さんの手紙を見てここに来たんですから!」


 言われるままでいられるかと、翔も立ち上がって反論する。


「だから、アタシが書くわけないって言ってるでしょ! 大体アンタ、アタシをこんなとこに呼び出すなんて、何かウラがあるんじゃないの?」


「べべ、別にないですよ! というか、ボクだってその手紙書いてない――」


「じゃあ誰が書いたって言うのよ!」


 お互い激しい口調でまくし立てながら、誰のものでもない罪をなすりつける。


 まさに一触即発。あと一歩でもラインを越えてしまえば、男女無差別級の乱闘が始まってしまいそうな。


 そして勝敗は、逆転劇のような奇跡が起きるはずもなく、綾音の完全勝利に終わる。


 ――と、そんな緊張感の走る戦場の中、翔は叫ぶように反論した。


「言っておきますけどボク、天道さんのこと全然好きじゃありませんから! むしろ大っ嫌いです!」


「あっ! 言ったな! じゃあ言わせて貰うけど、アタシも大嫌いだから! いや、大大大大大っ嫌い! 眼中にも入れたくない!」


 遂に一線を越え、二人は無心で叫んだ。


 その言葉にお互い傷を負いながらも、翔は踏みとどまって反論した。


「それならボクだって――」


 しかし叫ぶ直前、口論の終わりを告げるゴングが鳴らされた。


 ――ゲコッ。


「……あれ? カエルだ」


 一体どこから迷い込んできたのか、綺麗な緑色をしたカエルが翔の前に現われた。


 クリクリとした愛くるしい目で翔を見上げ、カエルは頬を膨らませて挨拶をする。


 その仕草があまりにも可愛らしく、翔は正気を取り戻し、カエルの前にしゃがんだ。


「どこから入ってきたんだろ?」


 両手を差し出すと、カエルはぴょこんと飛び跳ねて翔の掌に載った。


 カエルの頭を優しく撫でてあげると、カエルは目を瞑って口を開ける。


 その表情は愛嬌のあるペットのようで、ニコニコと笑っているようにも見えた。


「ふふっ」


 さっきの殺伐とした気持ちはどこへやら、自然と笑みが零れ出す。


 だがすぐに綾音のことを思い出し、後ろを振り返る。


 がしかし、そこに綾音の姿はなかった。


「あ、あれ? 天道さん? 天ど……」


 綾音の名を呼びながら、翔は周囲を見渡し、そして見つけた。


「天道さん……?」


 果たしてそこには、木組みの棚の真下に縮こまる綾音の姿があった。


 綾音は体育座りでスレンダーな体をコンパクトに纏め、顔を青ざめさせている。


「き、如月、ソイツ早くどっかやって!」


 蹲ったまま、綾音は叫ぶように言った。


「どうしてですか、こんな可愛いのに……可哀想です!」


「いいから早く! アタシ、無理なのっ!」


 そう言う綾音の体には鳥肌が立っている。更にはカエルがゲコゲコと鳴く度に、小さな悲鳴を挙げて両耳を押さえる。


 過剰な程にカエルを怖がっている。その様子を心配しつつも、翔はカエルを小窓の隙間に置いてあげた。


 カエルはお礼を言ったのか、げこっと鳴いて窓の外から飛び出して行った。


「もう大丈夫ですよ、早く出て来てください」


 言って振り返るが、しかし綾音は蹲ったまま、全く出ようとはしなかった。


 それどころかネガティブな紫色のオーラを纏い、ヘラヘラと乾いた笑いを浮かべていた。


「もういいわよ。アタシの弱点、よりにもよってアンタに知られちゃったんだし」


「もしかして、カエル怖いんですか……?」


「ええそうよ、怖いわよ! 文句ある!」


 綾音は顔を上げ、凄んだ表情で翔を詰める。


「い、いえ、文句はないです……」


「ま、好きに言えばいいわ。ギャルのリーダー的存在であるアタシが、カエルにこんな怯えるだなんて。面子は丸つぶれよ」


「何もそこまで……」


「しかも宿敵のアンタに見られたのよ。もう、お嫁にも行けない」


「そこまでですか⁉ ちょっとショックです!」


 ツッコミを入れつつ、翔は胸元を押さえる。


 だが無理もない話だ。


 綾音にとって、翔は永遠のライバル。


 校則に拘束されて、殻を破れない女子達の味方である綾音にとって、翔は最強最悪の宿敵。


 そんな宿敵に弱点を晒してしまうなど言語道断。


 弱みを握られてしまった以上、綾音の勝ち筋は絶たれてしまったも同然だったのだ。


「うーん……」


 翔はどう慰めるべきなのか、言葉を考えては、喉元まで出かかったものを飲み込む。


 つい先程、嫌いだ何だと言った相手にどう言葉を返せばいいのか。


 どん底まで落ち込んでしまった女子を、永遠とも呼べるライバルを相手にどう言葉を返すべきなのか。


 それは翔の頭脳を以てしても、かのアインシュタインを以てしても難しい超最難関の問題だった。


 と、その時だった。


 ――ピカッ!


 突然、濃緑色の雨空が一瞬真っ白に染まった。かと思えば――


 ――ビシャーーーーーーーーーーーーーーンッ!


 と、まるで平原に巨大な金槌を打ち付けたかのような雷が落ち、音波で体育館が揺れた。


 刹那、翔の背筋に冷たいものが一気になだれ込み、思わず悲鳴を挙げた。


「わあああああああああああああああああああああ!!! ああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!!!!!!!!!!」


 先程までの冷静な印象はどこへやら、翔は取り乱し、綾音の隣に身を隠した。


 綾音は突然の翔の叫び声に驚き、異様なまでに怖がる彼を見て、目を丸くする。


「如月……アンタ……」


「う、ううっ……」


 よく見ると、翔の頬には一本の川が流れていた。その正体は冷や汗ではない。


 少しヒビが入ったコンクリートの倉庫とはいえ、まだまだ新品と言えるような倉庫。築20年程度。


 仮に雨漏りしていたとしても、翔の頬だけをピンポイントで通過することはない。


「まさか如月、泣いてる?」


「な、泣いてません……別に……」


 翔は強がって言葉を返すが、しかし腕には鳥肌が立ち、体は震えている。


「もしかして、雷怖い?」


 綾音はニヤリと笑みを浮かべ、顔を近付ける。


 すると観念したのか、翔は縮こまりながら、コクリと肯いた。


「……実は、雷、苦手……」


 カタコトになりながらも、翔は打ち明けた。


「ふーん。そっか~、雷怖いんだ~」


 綾音は「プププ」と口元を覆いながら、翔を煽るように言った。


 がしかし、翔は言い返すワケでも煽り返すワケでもなく、更に蹲って呟いた。


「そうですよ。いつも偉そうにしてますけど、本当は雷が怖いただのチキンですよ。ボクなんて、骨なしチキンにでもなって食べられちゃえば良いんだ」


「骨なしチキン……?」


「何なら、カンピロバクターにでもなっちゃえばいいんだ」


「カンピ……何て? て言うか、そこまで言う⁉」


 あまりの落ち込み様に、綾音は思わず驚いた。


 だが無理もない話だった。と言うよりも、綾音と全く同じ理由だった。


「別に、そう気に病む必要とかないんじゃない? アタシだって、さっき弱点バレちゃったし……」


 言うと綾音は、クスクスと鈴を転がすように笑った。


「別に、雷怖いからって、それネタにアンタ黙らせるつもりとかないし」


「えっ、ほ、本当ですか?」


「当たり前よ! アタシを何だと思ってんのよ」


「ボクを黙らせるためなら手段を選ばない人……」


「ちょっと締めていいかしら?」


 と、冗談を交えて言い合う。


 先程までの険悪な空気が嘘のように和らぎ、綾音は安堵するように溜息をひとつ吐いた。


「……ねえ、アタシ達って、いつになったらここ出られるんだろうね」


 雨の音がより一層強くなった倉庫の中で、綾音はぽつりと呟くように訊く。


「さあ。最悪、用務員さんが気付かなかったら、ずっとここにいるしかないかもですね」


 翔は言葉を返しながら、ざあざあと屋根を叩き付ける雨音に耳を傾ける。


 すると綾音は再び翔を向き、ニシシといたずらに笑みを浮かべながら言った。


「どうせ出られるまで時間掛かるんだしさ、教えなさいよ」


「教えるって、何がですか?」


「雷苦手な理由。そこまで怖がるってことは、何か理由あるんでしょ?」


 それはまるで悪魔のような質問だった。


 よりによって、自分から嫌いな理由を語るなど、自分の首を絞めるのと同じ。


「アタシもカエル嫌いな理由言うから、それでいいでしょ?」


「で、でも……」


「いいじゃない別に。いつもの口喧嘩で弱点狙わないって約束するから」


 お願い! と、綾音は両手の皺と皺を丁寧に合わせて頭を下げる。


「本当ですか?」


「本当! その代わり、アンタもカエル使ってアタシ黙らせるのナシだからね?」


「しませんよそもそも! ボクのこと何だと思ってるんですか!」


「手段を選ばない鬼眼鏡」


「酷いっ!」


「やったら締めるから」


「淡々と言わないでっ!」


 綾音のノリに困惑しつつも、翔の口角は自然と上がっていた。


 天道綾音と一緒にいるというのに、不思議と安心感を覚えていたのだ。


「じゃあ、ボクからですね」


 一息吐いて、まずは翔から話し始めた。


 なぜ雷が苦手なのか。


 ――それはボクがまだ、保育園にいた頃のことでした。

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