第12話
12
「センセー、どうです?」
スヌードはしゃがみ込んで作業台を眺めた。加熱炉から取り出した真空カプセルが五つ。粗熱が取れるのを待って気密バルブを開いた。ハミーはカプセルの挿入口に点火棒を近付けた。一瞬の緊張が走り、しかし炎は微動だにしない。
「駄目だ、全然だ!」
ハミーは点火棒を投げ捨てた。慌ててスヌードか拾いに走る。
「センセー、駄目駄目………」スヌードは声を潜め、扉の向こうを指差した。
汚れた小窓に映る男の影。それも複数人いるのが分かる。彼らはチャン・ファミリーの下っ端構成員だ。ハミー博士の研究所は五人のヤクザに見張られているという体だった。
スヌードが(女王の血統)の話をヘンリー・チャンに漏らしたことが仇になった。逃げた方の女、確かパウラと言ったか。彼女の採血が手元にあることを土産話にするつもりが、ヘンリーはそれで石油を作って見せろと言ってきた。しかも期限は二週間。根拠のない噂話にしては結論に飛び付き過ぎだ。石油が出来ないとなれば恐らく二人とも………この世とおさらば、となるだろう。
「暗い顔しないで。バレちゃうでしょ」と、スヌード。
ハミーはスヌードに窘められ、怒りを顕わにした。
「よくもそんな呑気なこと言えるな、スヌード!」
「シッ!」
ハミーは険しい目付きで睨むと声を殺した。「お前が当てにもならない話、するからだ」
スヌードは涼しい顔で言った。
「でも血液(サンプル)が手元にあるのは事実でしょ?」
「はっきりしたことは何もだ」
スヌードは小首を傾げ、指折り数えて見せた。
「両親は地位ある人で、付き人がいて。試験紙の結果は酸性。バラした方は間違いなくガウルだった。そうでしょ? これで決まりじゃない」
「楽観的過ぎるよ………」
スヌードは人差し指を持ち上げた。「いいこと。俺たちは今、石油精製の最前線に近付いてるのよ。方法なんて、そのうち見つかるわ」
ハミーは反論した。
「時間は幾らもないんだ。結果が出来なきゃ殺されるぞ」
「だったら時間稼ぎすれば?」
「どうやって?」
スヌードは鼻を鳴らすと窓辺に近付いて発電機のタンクを開けた。ピペットを差し込み燃料を吸わせる。それを作業台のカプセルの一つに流し込んで点火棒を近付けると、たちまち炎が吹き上がった。
「はい、石油精製大成功」
ハミーは真っ青になった。
「そんなの、通用するわけないだろ!」
スヌードはどこ吹く風だ。
「どうして? 連中作り方なんて興味ないのよ。多分言ったところでわからないし。しばらくはガソリンと灯油でも混ぜて渡しときゃいい。実験中だからちょっとしか出来ない、とか言ってさ。設備が足りないとか何とか。………そしたら増資も考えてくれるんじゃない?」
「お前は一体………」
スヌードは思案した。
「これを機にさ、お金の工面でも考えましょうよ。ヤクザって結構持ってンじゃないの? ………そうね。こう言うのよ。(女王の血統)には、オレオモナス・サガラネンシスと同等の代謝系が存在して………それがガウルのミンチから化学組成を取り込んで石油精製が起きる。我々はその配合と最適のバランスを発見した、なんちゃらかんちゃらってね。………中々それっぽいでしょ?」
ハミーは気持ちを落ち着け、肝の据わった若い助手を眺めた。ハンサムな横顔に白い傷跡が目立っている。
「とんでもない詐欺師だな、お前。それで? 大量生産を求められたらどうすんだよ?」
スヌードは凄みの有る含み笑いを浮かべた。
「簡単じゃない。それには女王の血統………血が足りない。そう言やいいの」
複数の書架が並んだ狭い空間は殊の外薄暗かった。設えは入り組んでおり、さながら老獪な名探偵の脳髄を覗く思いである。その中心に据えられた申し訳程度の机に男が一人、電気スタンドの明かりに照らされている。書物を積み上げ、丹念にページをめくっているのはヘンリー・チャン、その人であった。
この場所は(壁の門32)の地下二階に位置した。小さな部屋だが(図書室)と呼ばれている。廃棄された城塞や施設から持ち帰った書物が積もり積もってこの場所が出来たと言う。僧院の密書蔵のよう? いやはや、それほど大層なものでもない。何故ならその大半を占めているのが俗悪な大衆冊子だからである。言うなればこれは人類の出版文化史のエコー、そんなところだろうか。
ヘンリー・チャンは丸眼鏡を外すと眉間を押さえた。スタンドの明かりのせいで目の奥が痛い。持ち込んだトニックウォーターを煽り、ついでにゼリービーンズをつまむ。これはヘンリーの数少ない悪癖の一つだ。
書物に目を通すと面白いことに気が付く。旧世界との端境(はざかい)となった三百年前。それからこちら百年ばかりの印刷物は、いずれも劣化が少ないのである。これは印刷インフラが安定しており、塗工された高級コート紙にオフセット刷りされているためだ。文字は手書きでなく全てフォントである。写真も高密度で色飛びしていない。その後、徐々に精度が落ち、ここ五十年の記録は精々ロウ原紙を使った謄写版印刷が関の山だった。経年劣化により取り扱いには慎重を期した。
五十年前のファーストコンタクト以降、人とガウルは一時の前向きな協力関係に漕ぎつけている。束の間の蜜月である。
ガウルから供与された預言カーストは、時間降塵下に於ける測位誘導など人類の未開拓分野で重宝した。生産財でありながら機械設備のようにシンプルに再現出来ない。その点がガウル文明の厄介なところである。
ヘンリーは分厚い冊子を繰りながら考えた。この記録書には当時の(壁の門)での交渉記録、その大半が詰まってた。
預言カーストの記録も然りだ。人に渡されたのは全部で十二体で、全てがコード管理され、終(つい)の行方まで残っていた。
面白いことに彼らはそれぞれニックネームで呼ばれていたらしい。例えば01号のあだ名は(ルーシー)。02号が(チャーリー・ブラウン)という風である。(ウッドストック)なんてものもあった。明細にはそれぞれ赤で×印が付いており、廃棄された期日が記されている。………ただ一つの個体を除いて。
08号(ペパーミントパティ)が抜けているのである。
行方不明なのか?
ヘンリーは眉間に皺を寄せた。こういうのが一番気持ち悪い。我慢ならない行き詰まりに、無意識に貧乏ゆすりが始まる。唐突にポケットを探ったが爪ヤスリが見付からない。
ヘンリーはイライラした様子でページを睨み付け、ゼリービーンズに手を伸ばした。噛みしめる奥歯の間にオレンジフレーバーが広がる。後ろ手に頭を支えると、考えを巡らせた。
記録から詳細が抜け落ちたとなれば、それは他とは異なる、そう考えていいだろう。08号(ペパーミントパティ)は、何処かへ動かされたということなのか?
何故動かされたのか。何処へ行ったのか。
預言カーストの行方を気にしているのは他でもない。(女王の血統)である。ハミー博士とその助手が手に入れたという、あの雌ガウルの血液。それが有機石油生成の扉を開くやもしれない。近いうちに大量の血液サンプルが必要となるだろう。ガウルとは、やったりやられたりの控えめな関係であったが、そうそうぬるいことも言ってられない。ガウルの本拠地を制圧する。それが見えて来たのである。詰まるところ、早急に預言カーストの妨害思念に関する解明が必要となったのだ。
ヘンリーはこめかみを掻くと、もう一度期日を見比べた。
ヒト型の支配的カーストながら、預言カーストの生存年数は四半世紀に及ばない。能力の特殊性ゆえだろうか。01から07のナンバーは、さみだれに二十五年前後で廃棄されている。09から12は、さらに短かったらしい。
ヘンリーは眉を顰めた。
09から12までを一括りで読んだのは他でもない。納品日に違わず、その末尾が同年、同月で終わっていたからだ。今から十八年前の六月、いずれも廃棄されている。
何故?
ヘンリーはピンときた。今後供給されず、作り出せもしない技術となればどうだろう? 保存を考える、が妥当である。二十年近く前となれば、ぎりぎり生体技術者もいただろう。ナンバー09から12までを被検体とし、しかしいずれも失敗に終わったのやもしれん。では08は? どうなったのか? 他とは違ったから? それは成功の証ではないのか? だからこそ廃棄の記録が見つからない。そんな風には見えないか?
ヘンリーの口元に薄っすら笑みがこぼれた。
ハハーン。面白くなってきたぞ。
ヘンリーは、事務方を務めあげたという多重債務者から聞いた話を思い出した。会計士と言う輩は膨大な書類に目を通すとき、最初に見るのは脚注欄なのだそうな。多かれ少なかれ人はそこにメモを書き込む。この古い資料にも鉛筆の印が多数走っていた。計算式やら日付、寝落ちしたであろう流れた文字まである。所によってコーヒーカップらしい輪どりまで見つかった。ヘンリーはめくらで数ページ手繰ってみた。欄を眺める。
(選挙は第16区)
(有権者にお願いする感染症対策?)
残念ながら関係なさそう。これは西アジアで発生したウイルス疾患を危惧してのことだろう。もう数ページ辿ってみた。
(ジェニファーとデート。PM8時。フレンチの予約♡)
まるで関係ない。
苦々しい思いでしばらくめくってみたが、それらしいものにぶつからない。外れか? 仕方なく指を挟んだ箇所まで戻ってみた。もう一度紙面をつぶさに眺める。
おっと?
ページの上の方、意外な場所にそれはあった。
(08ペパー、3-36-256)
汚い筆跡の鉛筆書きだった。
08ペパー? 来た来た。
ヘンリーは抱えた冊子の背表紙を検めた。 (壁の門3・編年記38)とある。編年記の番号は巻数を意味する。つまり三十八巻だ。これに倣ってメモを読み解けば、それは壁の門3・編年記三十六巻の二百五十六ページ、にならないか? ウーム。
あり得る。
ヘンリーはそそくさと席を立つと書架へ向かった。
ペンライトを咥え、目的の棚、埃臭い背表紙を照らした。既に何冊か持ち出した歯抜けのシリーズ(壁の門3・編年記)。管理がずさんで順序がバラバラである。ヘンリーは目を凝らし消えかけた背表紙を辿った。十分ほど調べ、ようやく目的のものを見つけた。
第三十六巻。
ヘンリーは小脇に抱えると急ぎ足で戻った。脆いページを注意深くめくり二百五十六ページを探し出す。二百五十、二百五十三、二百五十四、………あった。三十八巻の記録より数年を遡る交渉記録である。
(第08預言カースト検体・移送扱い)
そして注釈欄に破り取った地図が粘着テープで貼り付けてあった。クウェート近辺を表した図である。その一か所に星印があり、同じくへたくそな鉛筆書きでこう記されていた。
(R.G.E.L.A.B 6)
なんだろう? ヘンリーは眉間に皺を寄せた。L.A.Bはラボ? 第6ラボってところか。R.G.E.は何だろう? ひょっとしてRegeneration? 繋げて読めば意味は第6再生ラボ、って辺りだろうか。
ほほう。
ヘンリーはもう一度地図を調べた。クェートの西、ジャハラーから三十キロほど南の土地。砂漠のど真ん中に答えがある。
ヘンリーは乱暴にページを破り取ると、外に待たせた手下に声を掛けた。
「出掛けるぞ」
「アルセア様、参ります」
そう声を掛けたのは預言カーストのイーリアだった。赤い長裾の装束にすっぽり包まれた彼女の姿はヒトの古代史に現れる宗教裁判の審問官のようである。山高の頭巾から覗く容姿は既に老化の兆しが著しい。まだ十年も生きていないだろうに。余命はあと数年というところだろうか。預言カーストの消耗は日に日に短くなっている。
「よろしいですか、女王?」
「結構よ」
アルセアはそう答えたが内心舌打ちしていた。何故先に教えるの? それだと鍛錬にならない。
屋内アリーナは二人の声が木霊するほど天井が高かった。遥か上方から差し込む光芒に、埃の粒が舞っている。壁には複数の擦過痕が見えた。幾度となく繰り広げられた先代の練達の足跡である。アルセアもまた女王の血統を絶やさぬため、護身格闘術を身に着けている。
アルセアは白い網目状スーツを纏っていた。身体に密着し、無駄な緩みは一つもない。髪を解きリラックスした様子で身構える。イーリアが呪文を詠唱すると、床に転がった十数個の銀色の独楽が回転を始めた。静かに唸り、やがて浮き上がる。そして滑るようにアルセアの方へ吸い寄せられた。
間髪入れず独楽から無数の金属針が飛び出した。標的はアルセアである。反射的に伏せ身体を翻し、攻撃をかわした。寸前立っていた足元に十数の金属針が突き立った。アルセアは跳躍して縦横無尽に飛来する針を避けた。独楽の攻撃に一瞬の間隙が見えた。瞬間、アルセアは知覚繊毛を払った。空を切る唸り。銀色の軌跡が閃くと独楽は貫かれ、或いは真っ二つになって落下した。最後に放たれた針が鼻先を過るが、予期したように繊毛が素早くガードした。
十数秒の攻防であった。アルセアは全ての攻撃を制圧した。
「お見事です」
預言カーストの冷淡な言葉が届いた。アルセアは身軽なフットワークでオーバーモーションを相殺した。僅かに息が上がっていた。
「女王、小休止致しましょう」
アルセアは汗拭きを受け取ると壁のバーに寄り掛かり、股関節柔軟を始める。格技において攻撃・防御、どちらに於いても身体の可動域は重要であった。
肉体を動かすことは、すがすがしい。練達の経過もさることながら、格闘修練はアルセアにとって雑事から離れるルーティンでもあった。
背後を振り返ると壁面を覆う大鏡に、汗の浮いた己の顔が覗いている。目元や額、顎のラインに嫌なものを見付ける。同様の遺伝子を継承する娘、パウラの面影である。
パウラとは、あれ以来断絶している。とはいえ娘が思念遮断をしているだけで生きていることに相違ない。自分とパウラには相容れない当惑があるばかりだ。異端のパウラの、そうした傾向さえ、自分が死ねば一括りの知見として統合されてしまうだろう。パウラの記憶は、今後の王位継承の上で危険なよす(・・)が(・)となるわけだ。
考えただけで胃の腑が痛んだ。今では始末した暁の、不快なつかえがとれることばかり期待している。
歴代の母娘がどうだったかと言うと、認めたくはないが何例かあった。もちろんアルセアの体験でなく、パウラにも教えていない。
数世代前のガウル女王ミネルバは人類研究と称してヒトの男を飼いならしたと聞く。ヒトとガウルの共生が始まる随分前のことである。他人事ながらその記憶はアルセアにとってトラウマとなった。毛むくじゃらの手足が身体をまさぐり、臭い息を吐く男たち。その様は実に………如何ともしがたい。
記憶によればミネルバは娘にもその関係を迫ったようだ。強要され、どうなったか。その辺りがはっきりしない。結果として母娘がいがみ合うことはなく、ミネルバは天寿を全うした。娘が次世代のガウルを率いたことも記憶されている。
パウラの傾向は、この母娘の不祥事から始まっているのやもしれん。言うなれば嗜好の隔世遺伝だろうか? なおの事、継承はここで断ち切らねばならない。
パウラはヒトを味方に付けた。しかし、こちらには数がある。戦力差は言うまでもないが、多勢に無勢をあきらめる娘でないこと。それは母であるアルセアが一番良くわかっていた。パウラなら、どう攻める?
正面衝突を避け、アルセア一人を狙うだろう。つまりは暗殺だ。しかしながらこの居城は預言カーストの妨害思念に守られており、人知の届くところではない。万一パウラが手引きし侵入が成功したとして、大勢の使役カーストが動くだろう。パウラの思念は既に排除対象として宣布してある。
アルセアは城塞の外壁で見掛けた二人の様子を思い返していた。パウラを背負い懸垂下降する人間の男。どうということのない普通の人間だった。
娘よ、思いもよらぬ悪だくみを考えているの? 私の鼻を明かそうとしている?
そこでアルセアは、預言カーストのイーリアが頭巾の下で微笑んでいるのに気付いた。間髪入れず独楽が飛び上がる。高速で回転しながら銀色の針が発射された。
「はっ!」
アルセアは反射的に飛びずさった。さっきまで掴んていたバーに鋭い音を立て突き刺さる金属針。アルセアは満足した。
そうそう。これでいい。
後方宙返りで背後にかわしながら知覚繊毛を操り、飛来する無数の針を、はたき落とした。
よし。完全制覇だ。
一瞬の気の緩みに、回り込んだ独楽が反撃した。
「うっ!」
左の頬を針が掠める。差し違えるように銀色の繊毛が独楽を貫く。
イーリアがアルセアに駆け寄った。
「ご無事ですか、女王?」
アルセアは手を振り制した。
「大事ない」
アリーナの床にしゃがみ、アルセアは頬を触った。指先に一筋、赤い血の跡が付いた。じっと眺めて静かにうなずく。
(掛かってきなさい、パウラ)
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