第4話



 北東、南南西の砦で使役カースト、合わせて百二十三体の損失。

 バンダレ・エマームの小競り合いにより戦闘カースト五十二体損失。補填の受精卵二百六十個を産卵。内、二百二十六個が羽化。預言カーストの誕生、三体。

 

 七十二代新生ガウル女王アルセアは、頭頂前部に密集した銀色の知覚繊毛を撫でつけた。ここ数日、こめかみの奥に不快な圧迫を感じてしょうがない。

 生産個体数は赤字だ。

 女王アルセアは共感覚により交換される最新の帳尻を計算した。使役のカーストから伝わる意識の伝播に複雑な心象は含まれない。彼らのシナプスからは行動を制限する伝達物質や受容体(レセプター)が注意深く排除されているからだ。前提はそうなのだが微かに届く予感や戸惑い、幻滅。そうしたどす黒い動揺が折り重なると、彼女の胸中にマイナスの転移感情が生まれる。人間で言うところのメランコリアであろうか。

 アルセアは形の良い鼻先を神経質に触った。長い睫毛が頬骨に繊細な陰影を落としている。グリーンの瞳、チェリーピンクの唇。色白、細おもて。顎から首に繋がる美しい曲線は類稀なる美貌の持ち主と言える。

 彼女にとって実際的でない感情は全て面倒ごとに思えた。同時に数世代に渡る人間化にともない、彼女の意識に不明の不合理を残している。これは脆弱な感覚のもつれに他ならない。ヒトに求めたのは強い生命力であり内省的な傾向ではない。近いうちに分離の目途が立てば良いのだが。アルセアは先行きに思いを馳せ、顔を曇らせた。

 純白のドレスを引き擦り、女王は席を立った。放物線を描くゴチック様の王座も同様に、白い透かし模様が織りなす四段ほどの長楕円の雛壇から成っている。正面に位置する巨大なモザイク窓が、半円に広がった大広間を照らしている。

 アルセアは窓辺に近付くと無意識に手を添え、広大な荒野を見渡した。


 地球というこの天体に時空転移して数世紀。我々は苦渋の選択を余儀なくされた。本来のカタチを捨て、環境適応を第一としたのである。この選択が群れの絶滅を防いだのだ。

 ガウルは偶然の巡り合わせでこちら側へ迷い込んだ部外者に過ぎない。ワームホールで連結された二つの世界。時空トンネルは二つの宇宙を繋ぎ合わせ、間口を大気層の中に漂わせている。そこから日々、不可知の物理現象が侵入してくるのだ。留まることを知らぬ嵐、降り注ぐ時間降塵。地軸はさらに傾き、生態系に危機的影響を及ぼしている。

 アルセアの記憶は前任のそれを余すことなく受け継いでいた。が、惑星到達以前の知見はない。そもそも己の出生もわからなぬままに、群れの生存を願っている。我々は何処から来て何処へ行くのか? 

 アジアの東、タクラマカン砂漠に到達した二十万の民は分散し、個々に生き残りを図った。後に届いた思念から、その半数が死滅したことを知った。残りはあちらこちらに定住して、どうにかコロニーを形成したようだ。

 アルセアが束ねるのは現在の群れ、この居城と数か所の隠し砦だけである。課せられた終わりのない旅路は、暗中模索の行軍であった。

 アルセアは皮肉な笑みを浮かべた。

 それで? 我々は一体、何を手に入れたっていうの? 長寿命? それとも地球型生命の進化の多様性? 

 この惑星で生き残るためには地球型生命体のゲノム解析が必要だった。原生ガウルのライフサイクルは脆弱で、降塵の拡散崩壊の前ではひとたまりもない。生命としての根本的な耐性向上が必要だったのである。

 目を付けたのはヒトだった。この世界の食物連鎖、頂点にいる種である。共生もしくは競合において対等であることは不可欠だ。ヒトのゲノムは原始的で、かつ強靭であった。入手したサンプルから生命起源と進化、生物多様性のメカニズムを獲得した。 (労働単位として単純使役するカーストには、より実際的な機能特化・社会統率性を持たせてある)数百年のタイムスケールをもって、我々はこの惑星にゆっくりと順応していったのである。

 今から五十年前、ようやく人類との接触に至った。和平を協議し交渉の末、双方納得のいく共生が始まった。だが数十年を待たずして、協定は人類側からの一方的な反故で頓挫している。


「ハニー、呼んだかい?」

 鼻に掛かったバリトンの声。背後から呼ばれてアルセアは振り返った。視線の先、広間の入口に細身のラテン男が立っていた。豊かな黒髪、謎めいた微笑み。浅黒いエキゾチックな美男子は、ヒト基準において最上品位を体現している。

 アルセアは短く舌打ちした。今はそういう気分じゃないのよ、お馬鹿さん。

 彼女は知覚繊毛に触れ、人差し指を持ち上げた。

「ああ、アンヘル。………それともヴィクトルだったかしら?」呟いたと同時に、もう一つ影が現れた。

「ハニー、呼んだかい?」

 まるで木霊だ。姿かたち、寸分違わぬ二人の男が並んでいた。追い掛けるようにさらに二人、オリアルとサムエル? ま、なんだって構わないが。四人の相似形が勢揃いした。同様の容姿、同様の甘い微笑みを湛えている。彼らは群れ総体の遺伝学上の父であった。

 つまり、アルセアの夫である。

 現在、生殖雄は合わせて十二人いた。遺伝子の近似における破局に備えるため、数で揺らぎを与えている。アルセアの繊毛を通じて放出される生殖オーダーを選別し、受胎チェンバーに繋げる。

 (生産個体数は赤)、その共感覚が夫たちの生理を促したのだろう。人類の生殖サイクルにおいて一番の優位は発情期の不在にある。いつ何時、ところかまわずの衝動は特筆すべき強みと言える。

 アルセアは頭を切り替え、四人の生殖雄を見た。難しい組織運営はすっぱり忘れて夫たちの献身的なサービスを受けるとしよう。彼女は飼い犬に合図するよう指を鳴らした。

 アンヘル、ヴィクトル、オリアル、サムエルは、たちまちアルセアを抱きかかえると、片隅の寝台へうやうやしく運んだ。

「ハニー、待ちきれない!」

 血走った目で鼻息を荒くする夫たち。アルセアはされるがままに飽きるほど繰り返されてきた儀式に付き合った。雄は競うよう彼女にむしゃぶりついた。全身をくまなく愛撫する。オキシトシンの発生でアルセアの瞳がわずかに潤んだ。気分を揺さぶられるのは本意じゃない。が、それがヒトのオーガズムである以上致し方ない。アルセアにとってはエクササイズのようなものであり、日々の鬱憤を払拭する気晴らしとも言えた。頭は空っぽ。だが情熱だけは飽和状態の生殖雄を見栄えだけ良くしたのは、彼女の中に生まれた人間的な価値基準だったやもしれん。アルセアは愚かしいほど熱心な夫の働き振りを、じっと眺めた。

「焦らない、焦らない」

 じゃないとオーダーが正確に伝わらないから。

 雄たちは代わる代わるにアルセアに接吻した。うなじから額、鼻先を辿って顎の先まで。湿り気で艶めく彼女の素肌が雄の興奮を一層に誘う。獣めいた呻(うめ)きを上げ、まとわり付く四人。彼女の知覚繊毛にはより一層丁重に接した。頭頂前部から生え出す銀色のそれは毛髪より太く、撫でつけると勢いよく立ち上って蠕動運動を始める。しばらくすると濃く白い粘液が流れ出した。これはオーダーを内包した伝達物質である。押さえが効かなくなった雄たちは口々に奇声を上げた。それがエクスタシーなのか、単なる苦痛なのか。傍目に判断は難しい。

 アルセアは頃合いを見て知覚繊毛を拡張した。鞭のようにしなやかに、そして蛇の如く蠢くそれは、それぞれ雄の頭部に巻き付いた。順次、先端部分を涙腺、鼻腔、外耳道から侵入させる。粘膜を破って脳髄深部に潜り込む。雄たちは代わる代わるに悲鳴を上げると、泡を吹いて悶絶した。

 生殖オーダーを全て放出し終わり、アルセアは虚無感に襲われた。このやるせない脱力感。これもまたヒト由来のものであろうか。不合理だし原始的でもある。不思議なことにどこかで満足している自分もいる。そんな気がするのだから余計に後味が悪かった。

 寝台から転がり落ちた四人の雄は目、鼻、耳から鮮血を流していた。もちろん死ぬようなことはしてない。生殖雄には役目があり、そのために設計されている。五分もしないうちに回復しておもむろに受胎室へ向かうだろう。チェンバーを作動させ、ジーンリッチな精子を放出するために。

 アルセアはゆっくりと身を起こすと寝乱れた着衣を整えた。

 今回のオーダーに取り立てた変更はない。使役カーストの補充が優先されているからだ。(壁の門)に送り込んだ密偵によると、近々人間たちの隊商が街道渡りするらしい。言うまでもないが、その動きは叩いておかねばならない。


「お母様、お母様………いるの?」

 声と共に固いヒールの音が近付いた。バタンと大扉が開き、若い女が顔を覗かせる。

「お母様?」

 アーモンド形の目をした小顔の少女が立っていた。痩せた体躯で歳の頃は十七、八。(これはヒトの基準よるものだ)短く切り詰めたボブカットに特徴的な知覚繊毛が覗いている。光沢のある白のタンクトップにフリンジ付きジャケット。ストレッチ素材のぴったりしたボトムと革のブーツが若々しい。

 その様子から垣間見えるのは活発な気性である。痩せっぽちな見掛けとは裏腹に、中身は好奇心で一杯だった。彼女もまたヒトの優位特性を備えたガウルである。女王の血統、支配的カースト。少女は第三王女パウラであった。

 身繕いする母を見付け、パウラは快活に声を掛けた。

「あら、お母様、いたのね。………」そこで床に転がる四人の生殖雄に気付き、目を丸くする。「あらあらあら、お父様たちまで」

 パウラは茶目っ気たっぷりに眉を持ち上げると、「タイミング、悪かった?」と、一言。

 アルセアは一瞥して優雅に立ち上がった。

「生産個体数が落ちてるのよ。わかってるでしょう? その穴埋め」

 アルセアが言い終わらぬうちに生殖雄たちが息を吹き返した。ふらふら立ち上がると血走った目でパウラに微笑む。

「やあ、パウラ。元気かい?」

「やあ、パウラ。元気かい?」

「やあ、パウラ………」

 パウラは引き攣った微笑みで返した。

「ええ。………お父様たちもお元気そう」

 四人の生殖雄は娘に気安く挨拶すると受胎室に向かって歩き始めた。

夫、あるいは父親を見送る母娘の姿。その佇まいを一瞥したところで、しかし年齢差がつかめない。親子であるが見掛けはまるで姉妹のようだ。彼らの代謝は成体に進むにつれ遅滞し、成人初期の形態に留まる。そこから外見上のめぼしい変化は訪れない。

 パウラは小首を傾げ、母にたずねた。

「それで? 支配的カーストは如何ほど?」

 アルセアは窓辺に近付くと屈折する光を浴びながら答えた。「今回は使役だけよ。主に戦闘カーストね」

 パウラは広間を歩き、不満を漏らした。

「何だ、怪物君だけか」

残念そうに呟くパウラをアルセアは諫(いさ)めた。

「やめなさい。私たちは同胞なのよ」

「まあね。………でも友達にはなれないわ。そうでしょ?」

 パウラは母親の苦言を察知し、面倒くさそうに右手を振った。

「はいはいはい。わかってまーす」

 アルセアは無邪気な娘に渋い顔をした。控えめに言って厄介娘だ。天真爛漫と言えばそうだが、しかし十分に分別の付く年頃である。パウラは賢い。だがその賢さがヒトに偏るのが鼻に付いた。ま、いずれにせよ、女王の血統を継ぐ者が同じ種を小馬鹿にするとは言語道断である。

 パウラは物心ついてから、ヒトの文化に無批判な憧れを抱いている。

 自身の後継者として三つ子をオーダーしたのが十八年前のこと。運悪く上の二人は精神遅滞で生まれた。何が影響したかはわからない。時間降塵や厳しい土地柄のせいかもしれない。女王の遺伝子を持つ子たちなので、簡単に切り捨てるわけにも行かないが、恐らく王位継承は無理であろう。そうなると残るはパウラなのだが、これがまた制御不能の変わり種と来ている。

 母として、王として、行く末が危ぶまれる。アルセアは頭を過る数々の頭痛の種に目をつぶった。

「それで? 何の用?」

 パウラは母の問いには答えず、寝台に近付くとちょこんと座った。意味深な含み笑いを浮かべる。

「お父様たちってお母様のこと。大好きみたいね」

「それはそうよ。それが彼らの仕事だもの。そういう風に作られてるの」

「それもお母様が?」

「その辺は何代か前の女王ね。私は正しく継承してる」

「正しく、ねえ。………お母様ってさあ、実際のところ、お父様たちのこと、どう思ってるの?」

「どうって?」

 パウラは人差し指を顎に添えた。

「お父様たちは受胎室の装備品。それはわかってるのよ」

 さあ、おいでなすった。最近のパウラのお気に入りの話題である。生殖絡みの厄介な質問。私を困らせようと面白がっているに相違ない。ヒトにあてはめたところの反抗期だろうか? アルセアは冷静に娘を観察した。

「他に何があるっていうの?」

 パウラはシーツを人差し指でかき回した。

「愛情とか、そういうのは? 感じたことない?」

「それは人間みたいにってことかしら?」

「そうね」

パウラは僅かに身を乗り出したが、母はそこで切って捨てた。

「馬鹿馬鹿しい」

「どうして?」

「あなたが言いたいのは下級生命体の発情行動のことね」

 母の否定的な言葉に不満を表すと、パウラは言い直しを求めた。

「オーガズムと言って頂戴」

 アルセアは淡々と答えた。

「生殖を促すシステムとしては大仰で必要のない衝動ね。人間の不毛な闘争には大抵、そのオーガズムとやらが関係している」

 パウラは面白くなさそうに肩を揺すった。

「人類学の講釈? 私、興味ないんですけど」

「じゃ一体、何に興味があるのかしら?」

 パウラは上目遣いに考えた。

「そうね、どちらかと言うと心理学とか、文学?」

 アルセアは鼻を鳴らした。

「フン。それってヒトの書物のことかしら? 事実検証があやふやな、不毛な考察論よね。そんなもの読んだって時間の無駄よ」

 パウラは反論した。

「そうかなあ、敵を知るにはまず気持ちから、って。言うでしょ?」

「言い回しが間違ってる」

「そう?」

 アルセアは目を細めた。

「まあいい。………敵。今あなた、敵って言ったわね。そう。それでいいのよ。人類は私たちの敵」

「だから?」

「あなたがヒトと仲良くしたいって。そんなことを言いだしそうで。………私は正直、不安よ」

 パウラは口を尖らせ、視線を逸らすと曖昧に呟いた。

「そんなこと………ないわよ」

 王座に戻ったアルセアは、濡れた知覚繊毛をコットンで拭いながら娘の服装を品定めした。

「ところでパウラ、その恰好は何? どこで手に入れたの?」

指摘され、娘はバツの悪そうな顔をした。パウラの恰好は見るからにヒトの手によるものである。パウラは大きな眼をぱちくりさせた。

「外の市よ。ミリジャのプレゼント」

「ミリジャが?」

 外の市、と言うのは(壁の門)の周辺で時間降塵が収まる間、行商人によって設けられる中立交易場のことである。規制は緩く監視もされていない。現金、或いは現物さえ持って行けばば誰もが参加出来る。

 パウラが言い訳に出したミリジャは、姫君たちの侍女である。特別オーダーされた能力ゆえ、敵陣に潜入する密偵でもあった。なので言うまでもないがヒトの似姿をしている。ガウルの女スパイ、ミリジャ。(壁の門)を行き来する行商人の噂話こそ、恰好の情報源であるからだ。

「お母様、ミリジャを責めないで。私が無理言って頼んだんだから」

 パウラがうそぶくので、アルセアは共感覚で真偽を探った。が、案の定、思考はガードされている。ああ、なんて抜け目のない娘(こ)だろう。

「そうね。ミリジャは関係ない。非はあなたにあるわ」と、アルセア。

 パウラはあっさり謝罪した。

「ごめんなさい」

 アルセアは拍子抜けして、長い爪を噛むと改めてパウラに問うた。

「パウラ、聞くけど。一体人間のどこがいいの? 人間に肩入れしたって何にもならないわよ」

 パウラは寝台に寝そべった。

「なるとか、ならないとか? そういうんじゃないのよね。わからないことって興味深い。でしょ?」

「いいえ」と、アルセア。

 パウラは首を振った。

「また、そんなこと言って。まるで昔気質の母親みたい」

「私はヒトじゃない」

「その通りよ。だったらもう少し人間を研究対象として見なくちゃ」

「十分そうしてきたでしょ」

「そうかな? わかってるのは身体のことだけよね?」

「頭の中まで知りたいなんて思わない」

「それじゃ片手落ちじゃない。ヒトはそこが一番面白いのに」

 アルセアは眉をしかめた。

「何が?」

「そうね。………気まぐれ、バイタリティ、それと、負けを認めない愚かな情熱?」

 アルセアは人差し指を持ち上げた。

「それって単に馬鹿って言ってるようにしか聞こえないけど?」

 パウラはシーツに包まるよう転がった。

「私たちの身体の中にも人間の遺伝子は流れてるんでしょ? それがうずく、って言うのかな。だから私はこんな格好をしてるの。………いつくらい前からだっけ?」

「歴史の勉強をなさい、パウラ。………それとヒトの遺伝子は私たちには一つも含まれていなくてよ。ただ似通った風に作り替えただけ。この星の環境に適応するためにね」

 そう母に言わせたところでパウラは意地悪く笑って、自分の下腹部を擦って見せた。

「おかげで、あたしたちには人間のあれ(・・)が、付いてるんでしょ?」

パウラは勝ち誇ったように顎を上げる。アルセアは嫌悪も顕わに顔をしかめた。

「必要のない生殖器官? それと生理ね。ま、長寿を獲得したついでの副産物かしら。そんなものがなくったって私たちには洗練された受胎システムがあるわ」

 パウラは自分の頭に生えた銀色の巻き毛をいじった。

「知覚繊毛と十二人のお父様のこと?」

「受胎室を使えば効率的に産卵を促せる」アルセアはちらりと視線を落とした。「生体内受精なんかに頼ってたら、私たちはとっくに滅んでるわ」

 パウラは嫌味ったらしく吐き捨てた。

「ま、預言カーストについては思ったようでもないけど………」

「黙りなさい」

 アルセアの頬が微かに紅潮した。瞳に怒りが宿っている。パウラは身体にシーツをぎゅっと巻き付けると寝台に起き直った。

「お母様、ヒトの生殖行動って単に子孫繁栄ってだけじゃないのよ。そこには快楽とか………苦痛が伴うの」

 アルセアは乾いた声で笑った。「知った風なことを」そこでふと不安に駆られ、娘にたずねた。「もしかしてあなた………試したり、してないわよね?」

 パウラの読めない表情がこっちを見ている。

一瞬の間があり、パウラは目の前で右手を振った。

「まさか。ここに生殖雄はお父様しかいないでしょ?」

 アルセアは無言で娘の顔を凝視した。パウラは悪戯っぽく微笑んだ。それから問うた。

「お母様は試してないの? 一度も?」

 母は目を見開いた。

「馬鹿な事言わないの。私は女王なのよ」

 強く否定するアルセアを娘は面白がった。

「どうだか」

 パウラはシーツに顔をうずめると、そっと嗅いでみた。「そんな匂いがしてるもの」

 アルセアは視線を逸らし、パウラはケタケタ笑った。

 なんて娘。

 どこで育て間違えたか。それともこれがヒト特有の………思春期ってことなのか? 

 アルセアは柄にもなく狼狽した。一瞬のことだがパウラに対し、敵意を感じたのである。

 このコとは、反りが合わない。

 悟られぬよう素早く打ち消すと、アルセアは話題を変えた。

「パウラ、何か用事があって来たんじゃなくて? 早く言って頂戴。私も忙しいんだから」

 どう見ても多忙でない母だったが、パウラはしおらしく望みを告げた。

「鍵を頂戴」

「鍵?」

「車の鍵よ。お姉さまたちにご飯をあげなきゃ」

 アルセアは眉を顰めた。

「今日って偶数日だった?」

「そうよ」

 パウラに指摘され、アルセアは顔をしかめた。

「やだ。すっかり忘れてた」

 アルセアは壁に埋設した小さなキャビネットから本革のキーホルダーを取り出した。Jeepと刻印が読める。パウラは歩み寄ると、うやうやしく受け取った。

「ちゃんと食べさせてあげてね。ケイラとミイナに」

「ガソリン、満タンにしといて」

「使役カーストに伝えとくわ」

 アルセアは微かな罪悪感を覚えた。この世に生まれて来たのに、何の役にも立たない二人の姫君。こんな時、ヒトだったら何て言うかしら? 

 アルセアは思い立ったようにパウラに告げた。

「二人に会ったら………大事ない、と伝えて」

 戸口に向かいながらパウラは失笑した。

「愛してるってこと? それ、自分で言ったらどうかな? それとも頭のアンテナを使うとか?」

 アルセアは、それが二人には届かないことを知っていた。面と向かって言ったところで、きっと。

 パウラの後ろ手に振った右の袖が、フリンジを揺らしながら闇に消えた。



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