第5話



 パウラは十七インチホイールの砂漠仕様を施したカスタマイズ車を走らせた。車体は何度も塗り替えられ幾つもの改造を加えられていたが、車種に詳しいものが見ればラングラー・アンリミテッド・トレイルエディションであることは伺える。

 かつて双方に和平が結ばれていた頃、ヒトから与えられた機械技術である。内燃機関は堅牢で気兼ねなく使える労働力だ。ま、それもこれも燃料ありきの話である。

 人間たちは石油の独占を目論んでいるようだが、いつの世も裏家業で私腹を肥やす輩は多い。ヒトは基本的に信用ならない生き物だ。同胞、仲間さえ簡単に裏切る。だからこそこうして燃料だって簡単に手に入るわけだが、引き合いに取引されるのが高タンパクなガウルの無精卵、そして使役カーストの遺骸というのだから、ヒトの食糧事情は相当にひっ迫しているらしい。


 縦(じゅう)谷(こく)の北壁沿いに群れの居城は広がっていた。頑丈で粘りのある白い分泌物で織り上げられたその住処は産み付けられた卵塊のようであった。預言カーストの妨害思念で守られ、その場所は未だヒトに特定されていない。

 砂埃の立つ走路を走らせながら、パウラは先程の母とのやりとりに思いを馳せた。

 相応の距離と幾つかの嘘がある。

 ヒトの描く物語ならば極当たり前な親子の対話であろう。それらしい格好はしているものの我等は根本的に別の生き物である。純正ガウルからしてみても過分に奇妙な存在と言える。何者でもないくせに我々はこの地の永住権を主張しているのである。

書物で読んだ人間はもっと複雑で、何と言うか………魅力的だ。母はヒトを忌み嫌っているが論理的文脈において論拠に乏しい。捕食性天敵に対する生理的嫌悪感。それとさして違わない。逆を行く自分にしても理路整然からすれば程遠く。ともあれ、矛盾を認めた上での賛同なのだから、母親よりは幾らかマシ、そう言えるのではなかろうか? 

 母の言い分にも一理ある。ヒトの野蛮で原始的な感情の昂ぶり。戦争を引き起こすほどの闘争本能は正直いただけないものである。書物の受け売りを取り上げるなら、ヒトには数量化困難なあやふやな情動があるらしい。愛、並びに恋と言う、特有の生殖活動に関わる生化学反応である。これは広義な受動感覚であり、彼らの社会の根幹に関わっている。

 パウラは物心付いた頃からヒトの古代書物を読みふけった。無反応な姉上たちと過ごしてもつまらない。早々に二人からは引き離され、話し相手は侍女のミリジャただ一人という、そんな寂しい幼少期を過ごした。ミリジャのもう一つの顔である密偵、敵陣への潜入、諜報活動の折に必ず持ち帰って来た、ヒトの文化や芸能の書物に目を通した。最初は王道学の教材として、でもすぐにそれが心待ちする楽しみに変わった。ヒトの記述はガウルの記憶共有とは異なり経過を書き留める物語の形式だった。事実は無論の事、面白おかしく伝えるために演出も含まれている。時にはまるっきり事実でないことさえ。そんなもの一体何のために書くのか? 最初はそう思ったものだが、それがヒトの娯楽だと理解した。ヒトは物語を通じて気持ちを揺さぶられることを好む。どうやら自分の中にも同様の受容体(レセプター)が備わっているらしい。

 歴史も文化も多くの場合、中心に心の機微がある。王家の行く末が愛憎に左右され、たった一人の雌を巡り戦争さえ始まる。母に言わせれば愚の骨頂であろう。だがパウラは如何せん、それが魅惑的に思えた。思いを寄せる雄の態度に胸を焦がし、友の約束に儀を立てる。人の情緒は不合理極まりない。が、そこに野蛮な閃光が閃いているのである。

 結局自分はどうなりたいのだろう? 人間になりたいのか? ………はてさて、良くわからない。そんなことを考えること自体、奇妙な振る舞いである。自分はあくまでガウルの第三王女なのだから。

 母に吐いた嘘は数知れず、手に入れた服がミリジャのプレゼントというのも嘘である。パウラはミリジャと連れ立って外の市に何度となく出入りしていた。このジャケットもブーツも、何もかも自分で手に入れたものだ。市には衣料品だけでなく、雑貨や書物も扱っていた。ヒトの生殖行動を誘引する生理補助的な分野も多数取引されており、彼らの言うところの俗悪雑貨というものまであった。ミリジャは低次元で下等な文化と毛嫌いしたが、自分は興味津々。冊子には人間たちのアクロバティックな手練手管が詳細に載っていた。最初は良くわからなかったものの、しばらく眺めていると身体の芯がうずいてくる。そんな効能を秘めているらしい。

 母、自分に関わらず、ヒトと同等の生殖器官を持つものとして、恐らく感じているはずなのだ。母の中に知られまいとする恥じらいがあるならば、それこそまさしく証(あかし)というものではないのか。

 母がたずねた原始的生理欲求についてもパウラは体のいい嘘を吐いていた。試してみたかと聞かれれば答えはイエス、だ。生殖雄、父親たちは格好のターゲットだったし、数年前に数のうちの誰だったか、ミケルか、ラウル? それぞれ誘惑して抱いて貰った。信じられない痛みに戸惑ったけれど、そこは好奇心が勝った。父の頭を共感覚で探ったところで別段疑いもしなかったろう。父はそのように設計され、純粋に労働体として機能している。短期記憶は乏しく、それが現実か、はたまた妄想なのか。判別は難しい。妊娠に至らなかったのはやはり、遺伝学上の不整合かもしれない。

 ヒトの道理からすれば自分の行為は近親相姦という罪らしい。罪は当然ながら罰せられる。それがヒトの掟であるからだ。欲望で一杯の頭を抱え、おまけに独占欲まで強い。ヒトは、ほとほと野蛮な生き物だ。

だからこそパウラは、大いに気に入ってしまったのである。


 浸食(しんしょく)谷(こく)の底を南に進むこと約二十分。堆積層が露呈した赤茶けた絶壁の下に東へ進むくぼみが現れた。パウラは車のヘッドライトを点け、速度を落とすことなく直進した。四つのタイヤが砂利道を踏みしめ、入り組んだ通路の曲がり角で止まった。

 ここは居城から最も近い秘密の隠し砦である。

 パウラは積んできた、ずだ袋を担ぐと運転席を降りた。ライトを消し、真っ暗闇に歩み出す。光がなくともパウラは夜目が効いた。前方の壁面を注意深く眺めながら毎度のサプライズに備える。

 何処よ? 門番たちは? 

 いつもながら全く予想外の方向で壁が動いた。一瞬ぎくりとなる。身の丈四メートル、土色の怪物が壁から迫り出てきた。数えて二体。八本脚で蠢く、苔むした甲冑付きの大蜘蛛という感じだろうか? 彼女の腕回りほどあろう触覚がぶるぶる震えていた。隠し砦を守る使役カースト、警護ガウルファンブルであった。彼らの擬態はいつもながら完璧で、何度訪れても見破れない。パウラは共感覚で己を示すと、ファンブルはうやうやしく道を譲った。岩盤が音もなく開き入口が現れる。

「ご苦労様」

 パウラはファンブルの切り立った崖のような下腹を見上げながら、そそくさと通り抜けた。あれが遺伝学上、正しく同族であるとは。想像力を逞しくしても合点がいかない。

 パウラは袋を下げたまま軽やかに石段を上った。狭い通路は預言カーストたちが作り出す霊封石の青白い光に照らされている。舞い立つ土埃が妖しく光った。

「お姉さま」

 吹き抜けの高い天井にパウラの声が木霊した。

 はるか遠い天蓋からレース様の薄膜が揺れた。幾重にも重なり、その隙間をすり抜けるように風がそよいでいる。見張り窓からの和らいだ光が淡い影法師を描いた。

「パウラですよー、お姉さま。ご飯ですよー」

 椅子を引き寄せテーブルに着くと、彼女は袋からボトルを取り出した。半透明の容器を開け、薄黄緑のペーストを覗かせる。持ってきた木製スプーンでかき混ぜるとほのかにフルーティな香りが立った。するとたちまち、ぺたぺたという足音が近付き、膜に小柄な人影が映った。

「キュルキュル?」

 鳥のようにさえずり隙間から二人の少女が顔を出す。ほっそりした体躯と小顔は、審美の観点においてかなり美的と言えたが、ヒトのそれとは掛け離れていた。どちらかというと均整の取れた昆虫。額から伸びる銀色の知覚繊毛は完全に虫のそれであり、おまけに肩口から透き通った翅(はね)まで生えている。

 ケイラとミイナ。

 ガウルの王女たる長女と二女。パウラの姉君である。

「キューウン、キュルキュル?」

 二人はパウラを認知すると甘えた鳴き声を漏らした。二人の頭を思念で覗いたところで何もない。単純で純粋。知性の閃きはかけらもなかった。

「お待ちどうさま。さ、口を開けて」

 パウラは機械的に目の前に開く口腔に交互にスプーンを運んだ。ボトルに入っているペーストはガウルの無精卵を裏漉(うらご)ししたものだ。受胎室から出る、いわゆる廃棄物の一種である。ケイラとミイナは反射的に口を開き、咀嚼もせずに飲み込んだ。

「慌てないで。ゆっくりでいいからね」

 スプーンを運ぶパウラには、何の感情も湧かなかった。そもそもこの二人を自分の身内と思ったこともない。二人の存在意義は女王の遺伝形質を持って生まれたということだけ。二人いるということは互いにスペアであるわけで。そこでパウラは皮肉に微笑んだ。

 そういう自分も、そういうことになる。

 母も、父たちも、同じく家族と思ったことなどなかった。だから共感覚はいつも閉ざしている。連中に自分を覗かせるつもりなどなかったから。パウラは大勢の同胞に囲まれ、同時に孤独だった。

「キュー、キュキューウ!」

 ケイラとミイナがパウラの手が止まっていると文句を言い出した。

 パウラは我に返り、スプーンを動かした。二人に餌付けする仕事は母に頼んでやらせてもらっている。もちろん好意からではない。母の元を抜け出し、この砦まで車で来られるからである。当然この後に、本当の予定があるのだ。

 部屋の入口に小走りな足音がした。

「パウラ様………お待たせ、しました」

 息を切らし走り込んできたのは頭巾を被った小柄な下女だった。灰色のトーブはくたくた。腰回りを紐で結わえてある。いかにもヒトの子供のような、そんな格好をしていた。彼女は密偵として人目を惹かぬよう産み落とされている。その女は王女たちの侍女、ミリジャであった。

「ミリジャ、遅かったじゃない」

 パウラは微かに語気を荒げた。ミリジャは眉を持ち上げ、パウラからスプーンを取り上げるとボトルに残ったものを二人の王女に与えた。

「仕事があるんですよ、色々」

 煙たがって横柄な口振りのミリジャを、パウラは面白そうに覗き込んだ。

「下働きだから?」

 微妙に振り返り、頭巾がずれる。ミリジャの横顔が伺えた。浅黒い皮膚には予想を裏切る無数の小じわが刻まれていた。

「そうですよ、暇じゃないんです。パウラ様の相手してるほどには、ね」ミリジャは眉根をひそめ、皮肉をにじませた。パウラは口を尖らせ反目した。

「なんでよ? あなた、私の侍女じゃない」

 ミリジャは小さく人差し指を振った。

「皆さんの、侍女なんです。忘れてません?」

 パウラは腰をかがめてミリジャの頭をクシャクシャにした。

「怒ると皺増えちゃうよ。ミリジャ」

「うっとうしい………」

 パウラは身を引くと不満そうに鼻を鳴らした。

 ミリジャは手早く食べさせ終えるとスプーンとボトルを片付けた。あっという間に荷をまとめ、ずだ袋を背中に担ぐ。

「それで? 今日はどちらへ?」

 パウラは満面の笑みを浮かべた。

「壁の門まで」

 ミリジャが呆れた声を上げた。

「またですか?」

「東の16だっけ?」

「………はいはい」

「昨日から市が立ってるのよ。あそこ、素敵な服が多いから」

 諦めた様子でミリジャは問うた。

「何が入用で?」

パウラは上目遣いに答えた。

「今日のお目当てはねえ………ビンテージのワンピース」



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