第6話



 ネルラが城塞に戻って、と言うべきか、ヘンリー・チャンのアジトで厳しい制裁を受けてから一週間。彼は再び荒野の真っただ中に戻っていた。宣告通り、輸送隊商の行脚は決行された。ネルラのお役は護衛である。つまり、隊商の用心棒だ。


 がたがた揺れる薄暗い車内で、ネルラは一同を見渡した。タンクローリーの狭い待機所に埃まみれの連中がテーブルを囲んで座っている。用心棒たちの目下の暇つぶしは、講師ネルラによるポーカー教室だった。

「まずはドローだ。みんな、覚えてるか?」

「ああ」

「じゃあ、親は? ジョッシュ」

 見た目一番の若手であるジョッシュ・トレバーがカードを配り始める。即座にネルラが止めた。

「ジョッシュ」

「ああ?」

「左からだ」

「悪りい」

「ジェイ、一枚………ポーカーだぞ」

「おいおい」

「わかってるって」

「カードを睨むな、手は変わらない」

 ジョッシュが続けて配った。ネルラは面倒臭そうに人差し指を振る。

「ジョッシュ、左からだって」

「あ………、はいはい」

「ホリー、君が賭けろ」

 ハイチ人風、紅一点のホリー・スナイダーがチップをまさぐる。

「じゃあ、あたしはブルーで」

「ブルーは五〇だぞ」

「コール」

「イーサンのコール。五〇」

「ケチな勝負だな」と、イーサン。ネルラがすかさず窘(たしな)めた。

「額は関係ない。もっと勝負師の顔をしろ」

「うるせえな」

「何枚だ?」

「ええっと、四枚」

「駄目だ、降りろ」

「降りる?」

「そうだ」

「これで終わり?」

「ああ」

「なんでだよ?」

「それじゃ勝てない」

 向かいに座ったジェイ・エリオットが無精ひげをさすりながら言った。

「俺はペアが三つだ」

「スリーペアってことか?」と、ネルラ。

「ああ」

「持ち札は五枚だ。なんで三つもペアが出来る?」

「俺じゃねえさ」と、肩をすくめるイーサン。

「あたしのが混じったのかな?」ホリーがとぼけたことを抜かした。

「知らねえ」

 そこでハンス・ルーベンが声を上げる。

「おい、みんな見てくれ」

 一同が注目した。

「オールレッドだ。ハハハハッ」

「すげーな」

「やるだろ。どうだ、全部赤だぞ!」

 手札はハートの9に7、ジャック。それとダイヤの5と3。紛れもないブタである。ネルラは手札を置くと静かに首を横に振った。

 やれやれ。馬鹿相手にやってられん。


 輸送隊商は予定通り(壁の門12)で積み荷を捌き、(24)で買い付けを済ました。指揮を執るリーダー、アーロン・チャンはヘンリーの従弟にあたる。(12)の老獪なインゴ・ヴァーンを手玉に取って法外な値段で売り付け、続くリサイクルペレットと縫製原料を節操なく値切り倒した。一族揃っての糞野郎振りは惚れ惚れするほどの悪党である。アーロンの容姿はヘンリー・チャンと良く似ていた。背丈はアーロンの方が僅かに大きいやもしれん。しかしながら肌の白さや艶やかな黒髪。取り澄ましたいけ好かない表情はそっくりそのままときている。向かうところ敵なしの厚顔無恥。戦場にあっては弾丸が避けて通ると豪語する、そんな気性の輩らしい。

「見張りの交代。ネルラ、ジョッシュ、ホリー。上がれ」

 音質の悪いインカムががなった(・・・・)。ネルラは片眉を持ち上げ言った。

「悪りいね」

 呼ばれた三人はアサルトライフルを掴み、にじるようハッチへ向かう。取っ手を押し上げるとオレンジ色の強烈な光が飛び込んで来る。鼻を刺す埃の臭い。戸口を出るときタンカーの接続箇所が見えた。ネルラは腕を伸ばし、上り梯子を掴んだ。

 タンクローリーのデッキに辿り着くと、それぞれ見張り場所に張り付いた。身体を鋼鉄製の防護柵に皮ベルトで固定する。

 巨大タンカーが列車の如く、四台縦列で疾走している。もうもうと舞い上がる土煙。ネルラが乗った車両は、後ろから二番目の位置だった。ネルラはすぐさまゴーグルを掛けると鼻と口をボロ布で覆った。大き目の砂粒が耳元でザリザリ鳴っている。後方に目を向けるとしんがり、ホリー・スナイダーが頭の横で手を振っている。インカムを入れて、どうやらそう合図してるらしい。ネルラはヘッドセットを付けた。

「はい、どうも」

「ネルラ?」

「ああ」

「ジョッシュも聞こえてるかしら?」

「あいよ」

 ホリーは細身の身体に弾帯を巻き付け、しゃがんだ姿勢でライフルを構えた。

「到着までどのくらいなの?」

 ネルラは肩をすくめた。「悪いな。時計は持たない主義で」

「ジョッシュ?」

 ホリーの呼びかけにジョッシュが伸びあがった。

「ああ、………そうだな、大体三時間ってところか?」

「二泊三日のチャーター、あんまり大したことなかったわね」

「行きしなに三匹、だったか?」と、ジョッシュ。

「ま、ついてたな」とネルラ。

 結局、護衛全員が生き残ってるってことはボーナスなし、ってことである。用心棒の支払いは生き残った人数で割る。ヘンリー・チャンの口約束が思い出され、不謹慎ながら舌打ちが出た。

 察してホリーが笑い声を上げた。

「みんな生きてて残念とか?」

 ネルラは曖昧に鼻を鳴らした。そこでジョッシュが突っ込んだ。

「なんだよ、ネルラ。ひでえじゃねえか」

「仕方ねえだろ。皆さんとは桁が違ってね」と、ネルラ。

「へえー」

「賭場の負けが込んでんだよ」

 ホリーが失笑した。「あら、自業自得ならいいじゃない」

「姐さんは?」と、ジョッシュ。

「あたしは相続。父親のね」

 ジョッシュが口笛を鳴らした。「それで? 借金のかたに身売りってパターン? ホリーなら、まあ………ありかもな」

「一回目はそうだったんだけど。男の扱いが荒すぎるってさあ。クビになっちゃった」

「ワオッ」

 ホリーはしたり顔で揶揄する。

「ジョッシュ、今、変なこと考えた?」

「いやいやいや。………それで用心棒とは勇ましい」

 二人のくだらないやり取りを横目に、ネルラは彼方の丘陵を眺めた。水平線の辺りがうっすらピンクに染まっている。腰のホルダーベルトから降塵計を取り出し、探針を拭いて数字を検めた。0.21ppmの五対五。赤と白が均衡に近い。濃厚って程でもないが音や光に影響が出始める頃合いだろう。

「因みに。興味本位で悪いけど。ネルラの借金ってどのくらいなの?」

 ホリーは茶化し気味にたずねた。ネルラは億劫そうに声を上げる。

「ま、天文単位には届いてない」

「ってえと?」

「不動産の範疇だ」

 ジョッシュとホリーは腹を抱えて笑った。

「ハハハッ。じゃ、あんたにポーカー習ったって、しょうがないじゃ………」

 言い終わらぬうちに、目の前でホリーの頭が飛び散った。ガンと鈍い金属音がして台座に鉤(かぎ)爪(つめ)が突き刺さる。

「ひゃああ!」ジョッシュが腰を抜かした。首無しホリーがぐったりうなだれる。

「敵襲!」ネルラはヘッドセットに叫んだ。

 ピンクに霞んだ天空から低い唸りが近付いた。見る間に大型バイクほどある黒々とした物体が現れる。数えて五つ。編隊を組み一糸乱れず旋回した。ネルラは銃を構えると、三点バーストで狙った。ぞっとする黒い影がネルラの頭上をかすめる。

 固い外殻に二対の翅。飛び出した複眼。昆虫然とした四足の先には曲がった鉤爪が覗いている。それは飛行タイプのガウルだった。低高度を滑空するガウルは真っ先に護衛車を狙った。間髪入れずガトリングガンで30×173ミリ弾を応酬する。近付き過ぎた一匹に対装甲用焼夷徹甲弾が叩き込まれた。怪物は奇声を上げ、木っ端みじんに吹き飛んだ。身体が四散し、地べたを転がる。残りのガウルは散り散りにその場を逃れると、たちまち取って返し、大きく振りかぶって鉤爪を投げた。薄く鋭い三日月形の回転体はブーメランのように放物線を描き、その加速重量をもって質量破壊した。護衛車が炎に包まれる。逃げ惑う用心棒を狙って黒い爪は容赦なく降り注いだ。首が飛び、手足が千切れる。飛行ガウルの鉤爪は見る間に生え変わると、第二第三の攻撃を繰り出した。

「畜生、全然当たらねえ!」

 遠距離射程の標的にジョッシュがめくら撃ちを放った。馬鹿め。拮抗した時間降塵の中では音も光も捻じ曲がる。歪んだ視界で長射程が当たるはずない。

「ジョッシュ、無駄撃ちすんな!」近付いたガウルをネルラが7.62×51ミリNATO弾で薙ぎ払った。ようやくジェイとイーサン、ハンスが台座に現れ、反撃を始める。併走する三つのタンクローリーにも用心棒が立ち応戦した。先頭に立ったのは、なんと隊商のリーダー、アーロン・チャンである。

「ハハハッ、掛かってこい、虫野郎!」

 アーロンはデッキ先端に付いた火炎放射器にまたがると、ガウルに向かってナパーム噴射剤を吹き掛けた。点火した紅蓮の火柱が空気を切り裂く。一匹をかすめ二匹目のガウルを捉えた。空中で火だるまになったガウルは悶絶しながらデッキに墜落した。落下する火球ガウルはまるで中世の投石砲弾のようである。鋼鉄の装甲を突き抜け、燃料パイプに引火した。一瞬でタンカーが火達磨になる。アーロンの耳障りな笑い声が爆轟に呑まれた。


 

 切り立った崖の向こうから爆発音が聞こえた。

「何? 今の。何なの?」

 パウラはジープのルーフから身を乗り出し、辺りを見渡した。助手席には侍女のミリジャがいる。二人はお忍びの外出中で、外の市からの帰りであった。

 岩陰に砂塵が舞い立った。間髪入れず突風が走る。衝撃波が頭上をかすめ、パウラの日除け帽が翻った。

「うわっ!」

「パウラ様!」

 咄嗟にミリジャがパウラを引き戻した。車体がふわりと浮き上がると、数メートル後方へ飛ばされた。

 ガッシャン! 

「きゃあっ!」背中に突き上げる衝撃。見る間に崖の向こうから、もうもうと黒煙が上った。

「見た?」

 興奮気味にパウラが振り返る。ミリジャは、じゃじゃ馬王女の行動を予想し、釘を刺した。

「駄目ですよ、パウラ様!」

 聞く耳持たぬパウラは即座にアクセルを踏み込んだ。

 崖の外周、約五〇メートルを猛スピードで疾走する。ミリジャは歯の根の合わぬ悪態を吐きながら必死にシートに掴まった。

「パ、ウ、ラ………さ、まーっ!」

 視界が開けた途端、鼻先をタンクローリーが擦り抜けた。

「ひっ!」

 慌ててパウラはハンドルを切った。合わせて三台、巨大なタンカーのデッキから突撃銃のフルオート射撃が木霊した。狙っているのは上空から攻撃を仕掛ける三つの物体である。パウラは、はっとなった。

「戦闘カースト!」

 飛行タイプの使役カースト、アギーレである。先だって母アルセアが増産した一群であろうか。パウラは舌打ちすると距離を取って併走した。

「止めなさい! 巻き込まれますよ!」

 叫ぶミリジャにパウラは無視を決め込んだ。目の前でガウルとヒトが争っている。度々外に足を延ばすパウラだが、戦闘を目にしたのは初めてだ。弾む車体の上で人間が銃と火炎放射器で応戦している。アギーレは図体がでかく断崖の岩床ほどもあるので、如何にも人が貧相に見えた。力の差は歴然だ。アギーレが急降下を掛け、護衛を爪に引っ掛けるとあっという間に天高く放り投げた。かすれていく悲鳴が着地と共に途絶える。地面で、ぐしゃぐしゃになった遺体が目に入った。圧倒的な同胞の勝利。思わずミリジャが歓声を上げた。

「ざまみろ、人間!」

 それを聞いたパウラは、かっとなって耳が熱くなった。

 何よ、ミリジャったら。

 ………あれっ? でも、それっておかしくない? 彼女は間違っていない。でもそう思っていない自分がいた。人間贔屓(びいき)の心根が、身体の奥底で頭をもたげる。

 ヒトのゲノムが影響しているのか? でも、昆虫頭の怪物を味方だなんて…………

思えるわけないじゃない。



 ネルラはライフルを担いだまま、タンカー後方へ走った。壊れたインカムはノイズだらけだ。このオンボロめ。ネルラはコードを引き千切って捨てた。

 駄目だ。持ちこたえて五分。ここで命を捨てる義理はない。ネルラはデッキの廂(ひさし)に隠れ、脱出のタイミングを計った。

「ネルラ! ネルラ!」

 ジョッシュの叫び声が聞こえた。弾を打ち尽くしたのか、デッキの上で立ち往生している。さっさと逃げろ、馬鹿。ジョッシュは先頭の火炎放射器まで走ろうとして、飛行ガウルに捕まった。

「うわあぁぁぁっ!」

 そのままぐじゃりと潰される。デッキに果実をぶつけたようなシミが残った。

 並んだ車列の一筋向こうで爆発が起きた。石(いし)礫(つぶて)が飛んでくる。横殴りの爆轟でタンカーが押され、ネルラの鼻先まで迫って来た。運悪く、焼夷徹甲弾に撃ち抜かれたガウルが火達磨になって落ちてくる。

「畜生!」

 ネルラは咄嗟にホルダーベルトから鉤(かぎ)縄(なわ)を引き抜いた。鳶職人必携、古くは日本の忍者も使ったという命綱である。素早く伸ばすと回転させ、ネルラは勢い良く遠くへ飛ばした。二台が接触して軋(きし)りを上げる。ネルラは絡め縄を引き、隣りへジャンプした。間一髪、車体が横転する。滑るタンカーに火の付いたガウルが直撃した。爆炎が膨張する。ネルラの身体は縄に掴まったまま吹き流しのように宙を舞った。

「死ねるか!」

 反動に押され、どうにか防護柵を掴まえた。最後の一台となったタンクローリーにネルラはしがみついた。



 パウラは急ハンドルを切った。

「ひっ!」

 横転したタンクローリーが火を噴く。二人が思わず首を縮めたところで爆轟が起こった。超音速で飛来する金属片がフロントグラスを直撃する。

「死ぬ………死ぬぅー!」と、ミリジャ。

「うるさい!」

 パウラはアクセルを踏み込み、さらに加速した。

 パウラは揺れるハンドルを抑え込み、中腰になって目で追った。さっきの紐一本で飛び移った人間。あいつは何者? 一体、何処へ行ったんだ? 

………いた! 

 男は疾走するタンクローリーの後方で防護柵を登っていた。背中にライフルを担ぎ、デッキ下に転げ落ちる。

 正面の火炎放射器が二、三度咳込み、遂に沈黙した。ガス欠か? ホバリングしていたアギーレはやおら接近すると鉤爪でしがみついた。

「離れやがれ、ゴキブリ野郎!」

 アラブ系の用心棒はアサルトライフルで三点バーストを見舞った。爪が滑るのか、怪物はデッキから落ちまいと、ブルブル翅を震わせながらあがいている。黒光りする外骨格は、まるで戦車のように強靭だ。シンプルなアーチ構造が直撃をかわし、その絶妙なカーブで弾を弾く。

 ライフルを構え、数メートルまで近付いたところで、突如アギーレが身を乗り出した。深海魚のような大口を開け、用心棒を肩から食い千切る。まるで温めたバターのようにサクッと。頭が消えた。硬直した身体が痙攣し、ライフルを握ったまま落下した。

 怪物はデッキをよじ登ると逃げ惑う用心棒を襲った。後ずさりしながら発砲するが、玩具のように歯が立たない。あっと言う間に鉤爪で押さえ付け、八つ裂きにした。びっしり並んだ歯牙の間から涎を垂らし咀嚼する。アギーレは逃げ遅れたもう一人に振り向いた。ライフルは弾切れ。震える手でオートマチック拳銃を構えた。

「来るなぁ!」

 アギーレは歯に挟まった肉を爪でせせった。そのしぐさがあまりに人間臭く、怖気が走る。拳銃のパンパンッという軽い発射音。アギーレは不思議そうに首を傾げると億劫そうに指を曲げた。次の瞬間、鉤爪が飛び出した。あんぐりと空いた口腔を貫き、先端が後頭部から突き出す。アギーレは腹いっぱいになったのか、遺骸に興味すら示さない。


 ネルラは吐き気をこらえた。くっそ、さっさと何処か行きやがれ、化け物。

物音は立ててない。が、怪物は不意に振り返って影から覗くネルラと目が合った。

(げっ!)

 瞬時にアギーレは飛び掛かった。デッキの鉄板を突き抜け、爪が鼻先をかすめる。咄嗟に転がるとネルラはライフルを構え躍り出た。レバーを切り替えフルオートで薙ぎ払う。だがアギーレの外殻はびくともしない。十秒も経たないうちに弾がジャミングを起こした。

「畜生!」

 ネルラは銃床を掴むと右に捩じった。格納されたスパイク型ナイフが溝に沿ってせり出し、瞬く間に銃剣にチェンジした。


 並走するパウラは、タンカーの先頭まで進めて運転席を覗いた。ドライバーはとっくに逃げ出していた。自動運転で直進が指示されている。そこでようやくパウラは前方に気が付いた。目の前に断崖が迫っている。まさか、浸食谷? ………やだ、崖っぷちじゃない。言葉通りの断崖絶壁だ。パウラは運転席から伸びあがった。

「ちょっと! あなた! 前、前! 崖よ!」

 前方を指差し大声を上げる。だが、届かない。

 男は銃剣を振り回し、アギーレの目玉を狙っている。鋭い鉤爪に阻まれ、やすやすとは近付けない。鍛えられたマルテンサイト・ステンレス鋼の刃が爪と触れ、鋭い火花を散らした。

 パウラは焦った。このままだとタンカー諸共、谷底に真っ逆さまだ。みんな地獄行き。

 パウラは男の注意を惹くべく、ジープを車両の横っ腹にぶつけた。

ぐらりと足元が揺らぎ、一瞬、男が下を見た。


(何だ、車?)

 ネルラは真下に併走するオフロード車を見付けた。人影が二人。若い女がルーフを開け叫んでいる。それから前方を指差した。

(何、言ってんだ?)

 気が散っている間にガウルが爪を伸ばしてきた。咄嗟に鉤縄を飛ばし、タンク側面をリードクライミングの要領で跳躍する。ガウルは慌てて方向転換した。ネルラは迫りくる断崖を確認した。どうする? 併走する車から女が手招きしている。

 飛べってことか? でも、ジャンプするにもガウルが邪魔だ。どうにかするにも………一体どうしろってんだ、これで? ネルラは手に持った頼りない銃剣を見やった。


(翅の付け根)


 突然の声がした。頭の中に女の思念が響いた。

 同時に、甘ったるい女の体臭。

 まさか? 

 しかし考えるより先にネルラの身体は動いた。ネルラは鉤縄をデッキに引っ掛けると、助走を付けてガウルに飛び掛かった。銃剣を振り上げ、重力加速を利用して肩口を狙う。僅かに開いた外骨格の隙間。翅の付け根に剣先を突き刺した。盛り上がった肉塊は柔らかく、中まで押し込むと動脈が切れてシャワーのように鮮血が噴き出した。ガウルは甲高い奇声を上げた。

 ネルラは絡め縄を手繰った。防護柵を乗り越え、ジャンプする。

 併走するジープへ落ちていくネルラ。

 翅を広げられぬガウルは最後のあがきで鉤爪をめくら撃ちした。ルーフからバックシートに着地する寸前、ネルラの背を黒い鉤爪が撃ち抜いた。

「グエッ!」

 ゲップとも悲鳴ともつかない音を立て、ネルラが崩れた。爪は左の鎖骨を砕き、V字型に肩をえぐった。腱が切れ、皮一枚で繋がった腕がぶらりと下がる。ミリジャが咄嗟に受け止め、パウラは直ちに車を緊急回避させた。


 タンクローリーは減速することなく断崖を乗り越えて行った。



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