第7話



 パウラは崖っぷちに車を停めると、意識のない男の出血をどうにか止めようとしていた。

「ミリジャ、そこの布、取って!」

「どれです?」

「そこ。シートの下………あるでしょ?」

 男の肩口は、ぱっくりと裂けて骨が覗いていた。静脈からとめどなく鮮血が溢れる。布で押さえたところで焼石に水だ。パウラは市で買ったセーターやTシャツ、ジャケットを引き裂き、裂傷に巻き付けた。

 ミリジャは非難がましい口調で言った。

「無駄ですよ、パウラ様」

 返り血に染まったパウラが振り向く。

「どうして人間なんか?」と、ミリジャ。

 パウラは聞こえない振りでだんまりだ。

「あなたは、ガウルの第三王女なんですよ」

 その言葉にムッとしたパウラは皮肉に返した。「関係ないでしょ?」

 ミリジャは吊り上がった目で睨み、続けた。

「いいえ、パウラ様。大ありですよ。あなたが応援すべきは使役カーストの方。人間じゃない。人間は、我々の敵、なんです」

 パウラは侍女の糾弾を聞かず、男のフードを払ってゴーグルを外した。精悍な横顔は剃刀のような印象だ。彼女は砂にまみれた無精ひげの顎にそっと手を触れた。

「虫の出来損ないと、こっち。どっちが私に似てると思う?」

「姿カタチじゃありません」

「赤い血だって流れてるし」

「それは皆同じ…………」

 突然パウラは手を振り、ミリジャを遮った。

「あー、もう、うるさい! 何でもいいから! 私はこのヒトを助けたいの。悪い?」

 ミリジャは目を丸くした。それからじっと見据え、恐れ多くも我が主(あるじ)に対し、反論した。

「わかりました。パウラ様。アルセア女王に伝えます」

 パウラも黙ってはいない。

「もしあなたが今、共感覚を開いたりしたら殺すよ、絶対に。…………私、本気だからね」

 どす黒い悪態にミリジャは生唾を飲んだ。

 どうだろう? この恫喝。 昔から突拍子もない姫であったが………。パウラがヒトに興味を持っていることは確かである。それも原始的生殖にまつわる様々なことに。ま、若気の至りと言えばそうかだが、同胞の合議からの逸脱とも取れる。つまりガウル社会への反逆だ。お目付け役としては当然の事、女王への報告が義務付けられる。しかし、侍女という立場で我が身を案ずるならば、パウラに肩入れすべきかも? 育ての乳母とは言え、慢心は命取りだ。パウラは理屈でどうこうするような相手ではないのである。

 ミリジャは、渋々うなずいた。

「わ、わかりましたよ、パウラ様。………怖いこと言わないでください」

 パウラは吐き捨てた。

「あなたが悪いのよ」

 ミリジャはため息を吐き、男の様子を検めた。

「重体なのでは? はっきり言って出血が」

「えっ?」はっとなるパウラ。

 ミリジャは続けた。「かなりの量ですけどね? 脈はあります?」

 慌ててパウラは男の手首を掴んだ。

「ほとんどない。物凄く弱いわ。ミリジャ、どうしよう?」

 視線を受け流し、ミリジャはやるせなく呟いた。

「無理ですって」

 パウラは子供のように駄々をこねた。

「ええーっ? そんなこと言わないで。ミリジャ、どうにかなるでしょ? そうだよね?」

「そんなこと言われても………」

「………ねえ、ねえ、ねえ………」

 そうしているうちに、男の顔色はどんどん青ざめていく。パウラは焦った。

「やばいよ、ミリジャ。やばい、やばい!」

 ミリジャはパウラの肩を掴んだ。

「いいですか、静かに死なせておやンなさい。どうにかするったって、どうにもならならない。死んだ者は誰も、生き返らない。それが自然なんです………吹き溜まりでもあるならいざ知らず………あっ」

ミリジャは口走ってから気が付いた。そして急に口をつぐむ。

それを見逃すパウラではなかった。

「ミリジャ」

「知りませんよ」そっぽを向くミリジャ。

パウラは詰め寄った。

「言いなさい、ミリジャ」

「だから………知りませんって」

「道連れに、なりたい?」

 振り返るとパウラの知覚繊毛が、こっちを向いて光っている。まっすぐにミリジャの両目を狙っていた。



 ミリジャが閃いたのは他でもない。時間降塵(白)の吹き溜まりである。一部の人間たちが(若返りの庭)と呼んでいるとかいないとか。密偵として(壁の門)に潜入した折、何度か耳にしたことがあった。北東門から出て十時の方向に車で二時間。どうやらその辺りにあるらしい。

 つまり、この崖を下ってすぐのところに、その場所はあるのだ。

 浸食谷の尾根を辿り、東の裾野に石造りの寺院が見えた。が、そう思うたは一時。近付いてみると建物は霧散し瓦礫が現れる。薄皮一枚の立体構造物が風に吹かれて揺れている。遠い古(いにしえ)の光景であった。

 エントランスの石畳みには砕けた異形の神々の像が散らばっていた。名も知れぬ神仏たちに白い雪平が降り積もる。

 車は石畳を踏みしめ進んだ。

「ここなの?」パウラは徐行しながらたずねた。ミリジャはこくりとうなずくと、「いかにもって感じでしょ?」

 言い終わらぬうちに、ひしゃげた声が木霊した。

(ここなの?)

(いかにもって感じでしょ?)

 ミリジャはパウラに言い含めた。

「あんまり近付き過ぎないでくださいよ。濃度が濃いから。………長居してると子供に返っちゃいますよ」

 内心、そのまま居座って消えてしまえ、が本音であるが。思惑が表情に複数の可能性となって後追いした。パウラに見透かされそうで、ミリジャは少しばかり神経質になった。

 中心から放射状に白い塵が沸き立っている。パウラは意を決すると運転席を降りた。リア・ゲートを開け、シートにくるまれた男を引く。ミリジャもパウラを手伝った。一つ一つの動作が後戻りするよう重なって輪郭がぼやけた。

 黄色と黒の縞のロープを取り出すと、「身体を縛って」そう、ミリジャに指図した。

 縛り終わると二人はくるんだシートの前後を掴み、リアから下ろした。一旦呼吸を整えると重い包みを持ち上げる。

「一、二の三で、行くわよ」

 二人はブランコの要領で揺すると力の限り投げ飛ばした。放物線を描き、遠く降塵のただ中に落下する。

 パウラはたるんだロープを手繰りながらたずねた。

「どのくらい掛かるかな?」

ミリジャは苦笑いで「時間ですか? ………この場所で?」

「大体の話」

「一時間かそこら。ま、生きてればの話です」

 時間降塵による可逆とは言え、死を免れることはないのである。程度の如何にせよ、生き死には時の運だ。


 パウラは今更ながら自分の行動を精査した。その場の流れ? もしくは勢い? そうしたあやふやな思い付きから生じた幾つかの出来事だった。

 ガウル対人間の激しい攻防を目の前に咄嗟にヒトに加担した。これは理屈じゃない。己が似姿をもってして、似姿のように動いたのである。

 二人は車中に戻ると、ルーフと扉をきっちり締め切り、降塵濾過装置を入れた。

 ミリジャは灰色のトーブを掻き合わせた。

「考え直しません?」

 パウラは血の付いたタンクトップを脱ぎ捨てると、車内に着替えを探した。

「何でよ?」

「先の事とか、全然考えてないでしょ?」

 パウラはアーモンド型の目を細め、悪戯っぽく笑った。

「試したいことは色々あるわ」

「………」

「噂話とか、ね」

 ミリジャは首を横に振った。

「いいですか、ヒトの書物にはフィクションってのがあって………」

「知ってるわよ、作り話でしょ?」

「そうです」

「じゃ、どこまで本当か試せばいい」

 ミリジャはため息を吐いた。

 パウラはシートを倒し、ブーツの留め具を外した。ショートパンツも脱ぎ捨てる。ようやく見つけたレギンスに白い足首を通した。

「確かに興味深いわね。………だから余計に………五体満足でないと困るのよ」

 言葉に詰まったミリジャをからかうよう、パウラはたずねた。

「あなただって支配的カーストの亜種でしょ? 私とお母様も一緒。つまり人の似姿としてジーンオーダーされてるわけよ」

「それは目的あってのことです」

「もちろん。でも人の恰好で生まれて………あなた、人間社会にまで潜り込んでる。そうでしょ? ってことは色々思うところもあるんじゃない?」

「私は本分から外れてません」

 パウラはミリジャにウインクした。

「私は好奇心に正直なだけ」

 ミリジャは言い淀んだ。

「誤解があるようですけど、パウラ様。………私にはその………ヒトの生殖器はない、ですよ」

 パウラは意外そうな顔をした。「あれっ? そうだった? 知らなかったなー。それは残念。そういうの先に言ってくれなきゃ」

「………」

「ま、あなたの意見はともあれ、私は私」

 ミリジャは思い詰めた表情で額に汗を浮かべた。

「お父様との関係………なかったとは言わせませんよ」

 パウラは一瞬きょとんとした。

「えっ? 見てたの?」

「………はい」

「出歯亀」

「なっ………」ミリジャは顔を真っ赤にした。

 パウラは快活に笑った。

「ハハハッ。冗談冗談。黙っててくれてありがと、ミリジャ。ああ見えてお母様、結構、嫉妬深いから」

 ミリジャは話の行方がわからなくなり、慌てて取り繕った。

「ラウル様と結ばれても、何もなかったでしょう?」

 パウラは小首を傾げた。

「そうね。呆れるほどつまンなかったわ」

「そうじゃなく………」

 パウラは遮った。

「ミリジャ、私は子孫繁栄なんてどうでもいいの。そういうのはお母様に任せましょう。私はもっとその、………ヒトのことが知りたいの」

 その時、突然外から大声が聞こえた。

「ウワオーッ!」

 顔を見合わせる二人。

「生き返った!」

「ちょっと早すぎませんか?」と、ミリジャ。

 二人は車を飛び出し、ロープを引いた。男は息を吹き返していた。ひどく震えて歯の根が合わない。パウラは男の額に手を当てた。

「熱があるわね」

 ミリジャはくるんだシートを開き、背中と肩の傷口を検分した。出血は止まり、盛り上がった赤い肉で穴は塞がっている。

「急激に戻ったから、代謝が追っ付かないんですよ」

 パウラはチラつく残像を払った。

「医者が必要ね。人間の医者が」

 ミリジャはパウラが次に言い出すことを予見して思わず身を引いた。

「まさか?」



 吹き溜まりを後に、二人は最寄の城塞(壁の門32)を目指した。が、たちまち猛烈な砂嵐に見舞われた。辺りは真っ暗になり、窓を叩く礫の音が恐ろしいほど高まっている。

「椅子に縛り付けるわ」と、パウラ。

 二人で何とか男をバックシートに結わえたところで、横殴りの強風が車を襲った。車体が大きく傾ぐ。

「パウラ様!」

「ミリジャ!」

 二度、三度と転げまわり、車の中がもみくちゃになる。あっちこっちに頭をぶつけながら、回転は止めどなく坂を転がるように弾んでいった。どのくらい街道から外れたのだろう。考える間もなかった。


 気付くと周囲は静まり返っている。フロントグラスが真上にあり、パウラは運転席側の扉を背にしていた。ねじ曲がったサイドミラーに細い三日月が映っている。

「大丈夫?」

 バックシートで身じろぎするミリジャの気配がした。

「痛た、たたたっ…………」

 情けない声を上げるミリジャ。パウラは扉の上に正座し、姿勢を正した。

「しっかりなさい。………とりあえず、生きてるみたいね」

「ま………何とか」

「彼は?」

 ミリジャは包みに顔を寄せた。しばらく間があり、返事が返った。

「息はしてますね」

「よっし」

 パウラはバックシートに右手を差し出した。

「早く」

 ミリジャが腕にしがみつくと、パウラはどうにかこうにか助手席まで引っ張り上げた。

「フゥーッ………あなた、結構重いのね」

「あいすみません」

 ミリジャはパウラと並び正座した。

「さて、どうします?」

「このまま、な………わけにはいかないよね?」

「はい」

 二人はシートに仰向けになるとインパネに足を掛けた。

「せーの!」で、フロントガラスを蹴飛ばした。

 ガラスのひび割れがメキメキと広がり、四度目のキックで外れた。どっと砂が流れ込んで来る。二人は慌てて起き上がり大急ぎで外に這い出た。

「危ない危ない」と、ミリジャ。

 二人は埃まみれの身体をはたき、それから咳き込んだ。

 辺りはとっぷり暮れて月明かりの元、リアを下にした車が埋まっている。暴風のせいか、時間降塵の影響は、ほぼない。気温が急激に下がって二人の呼気が白く凍った。ミリジャは両手を擦り合わせた。

「車は駄目ですね」

「………さ、荷物を運び出すわよ」

 パウラはバックシートに縛られている男を覗き込んだ。それからミリジャを見る。

「えっ、私ですか?」

「あなた、侍女でしょ」と、パウラ。


 非力な女二人が如何にして男を外に出したのか。そこは侍女ミリジャでなく、密偵ミリジャの知識が役立った。岩にロープを固定し、滑車二個を使った動滑車の原理である。宙吊りに引き上げて、そのまま地べたに転がした。

男は相変わらず、小刻みに震えている。

ミリジャは眉をひそめた。

「城塞に入るのは危険ですよ」

 パウラは爪を噛んだ。

「それは考えてない。でも周辺に、ぽつぽつ集落があるじゃない。あれはどうなの?」

 ミリジャはきっぱり否定した。

「あれも同じ人間ですが、それでいて中に入れない輩なんですよ。仲間外れの人間。関わらない方がよろしいかと」

「どうして?」

「世捨て人というか、社会的落後者、というか。彼らの世界のはみ出し者です。………それに医者がいるかもわかりませんし」

 パウラは顎を擦った。

「ウーン。そういうコミュニティなら余計、独立独歩でしょ」

「どうでしょう?」

「きっと、助けてくれンじゃない?」

 ミリジャは今日何度目かの小言を言った。

「いいですか、パウラ様。私たちは、人間の敵、なんです!」

 苛立つミリジャを他所に、パウラは両手を広げて、くるり回って見せた。

「どう? ヒトに見える? あなたも十分よ。大丈夫だから」

「………パウラ様」

「わかりゃしないって」

「パウラ様!」

「はいはい。………じゃあ、そっち。持って。早く」


 ガウルの支配的カースト、女二人組は、男を引きずり、広大な砂漠の踏破に踏み出した。



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