第8話
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スヌードはシクロを漕ぎ、ハミー博士の遣いに出ていた。ギアバランスはオフロード用に改造されて前3×後12の26段仕様である。有機石油生成を目指す山師とは言え、成功するまではただの貧乏人。高価な内燃機関の移動手段は夢のまた夢である。
そんなシクロ乗りのスヌードは一丁前にライダーズの着こなしで揃えていた。ヴィンテージのヘルメットにシルバーのライディングゴーグル、着脱式の耳あてまで付いている。UKタイプのダブルの革ジャケット、黒のスキニーパンツ。足元はオイルレザーのバックル付きエンジニアブーツだ。
博士の遣いというのは他でもない。今日のランチはチキンが食べたい。そういう要望に応えるものだ。まさしくガキの遣いである。いやいや、子供がこの荒野を渡り、屋外食料プラントまで買い出しに出るなど言語道断であろう。
スヌードはゴーグルを持ち上げ、荷台に乗ったケージを眺めた。籠の隙間から嘴(くちばし)を覗かせるのはシックスレグホン二羽である。六本脚でしがみつく様は羽根を生やした昆虫さながら。どことなくガウルを想像させる。チキンという生き物が元々鳥類であったとは想像し難い。ま、スヌードが見たのは博士の百科事典でのことだが、翼があって二本脚、かつては大空を飛んでいたというのだから驚きだ。本当だろうか。
「待ってなさい。美味しく食べてあげるから」
そう言ってスヌードは籠を中指で弾いた。チキンは反射的に突(つつ)き返した。
「痛っ!」
不躾なチキンを睨む。
「いいわよ。………楽には逝かせないからね」
それにしてもプラントの業突(ごうつく)ババア、チキン二羽で三千パスカとは正直ぼったくりだろう。チキンは豚より育てにくいと言うけれど、こいつは卵も産まない雄鶏なのだ。肉質だって固い。しかしながらハミー博士とやっているガウル正肉混入の秘密のソーセージを考えるとどうにも。砂地で放し飼いにされてる家畜の方がまだマシである。
スヌードはサドルに腰を下ろすと、再びペダルを踏み込んだ。嵐の後の青空は高く、日差しが眩しい。シクロを進めながら、ある一節を思い出した。
(砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているから)
これは二十世紀に発表されたフランス文学の一節である。もちろんこれもハミー博士の受け売りだ。パイロットであり小説家でもあった作者は、ラテン系女子との激しい情愛の末、この境涯に至ったと言う。宇宙にたった一つの最上の薔薇を求める。………作家を捉えて離さなかった砂漠とはそもそも、こことは似て非なるものに違いない。
十分ばかり漕いで風紋の彼方に岩場を見付けた。強い日差しのコントラストのもと、窪地に動く影を見た。スヌードはそっと護身用のオートマチック拳銃を抜いた。こんな昼日中に、はぐれガウルと出会うかしらね? まさか。じっと注視すると影は二つだ。思ったよりも小柄で、ぱっと見、人間に見える。トーブを羽織っていて特徴がわからないが背格好からして恐らく女。二人連れの女が砂漠の真ん中で立ち往生って、一体どう言う状況だろう? 好奇心に駆られたスヌードは慎重に岩場に近付いた。
スヌードは後ろ手に銃を隠し、声を掛けた。
「お困り?」
浸食された岩石に腰かけた二人はゆっくり頭をもたげた。フードの隙間から若々しい声が届いた。
「あなた、人間?」
女の顔が見えた。年の頃は十七、八。アーモンド形の眼をした小顔の少女である。トーブの下はほっそりした体つきでタンクトップに黒のレギンスという恰好。何だ、結構可愛い娘(こ)じゃない。そのナチュラルな美貌にスヌードは微かな嫉妬を覚えた。声掛けなきゃ良かった。知らなきゃそのまま死んだだろうに。もう一人は緊張を解かず、フードの奥で睨みを利かせいてる。
「それって、どういう意味? 見ての通りじゃないかしら?」
不満げな声を上げるスヌードに女は力なく笑った。
「そうね。………ご免なさい」
「行き倒れてるんなら、そう言って」と、スヌード。
女は空を見上げ、髪を掻き上げた。
「一晩中、この辺りを歩いてたんだけど」
「一晩中?」
「ええ。………それで迷っちゃって」
「あ、そう」
スヌードは一瞬妙な顔をした。だがすぐに取り繕い、たずねた。
「何しに?」
「医者を探してるのよ」
若い女は顎で後ろを指した。シートに包まれた物体が見える。どうやら人間らしい。死んでいるのか、生きてるのか? スヌードは首を捻った。
「ふーん。医者って言うからにはもちろん、生きてるんでしょうね?」
「今はね。落ち着いてるわ」
スヌードはホルスターに銃を仕舞うと肩をすくめた。
「そっちに行くわよ」
若い女は無言でうなずいた。スヌードは岩場を乗り越え近付いた。それからシートを開き確認する。予想を裏切る、いい男。
「何があったの?」
「この人、大怪我しちゃって。それで(若返りの庭)に放り込んで」
「白の降塵溜りのこと?」
「ええ」
スヌードは男の、血の乾いた肩口を調べた。
「傷は塞がってるみたいね。巻き戻しが速くて生気が抜けちゃったか」
若い女は眉を顰めた。
「あなた医者、ですか?」
スヌードは鼻を鳴らした。「医者じゃないけど。人体のことなら多少は。うちのセンセーならもっとわかるわよ」
それを聞くなり、女はこれ幸いと持ち掛けた。
「ねえ、その、センセーってのは近い? 助けてくれたら、助かるんだけど?」
スヌードは笑った。
「何よ、その変な喋り方。一体何処の生まれ?」
女は薄笑いを浮かべた。
「近くよ。この辺りは久しぶりで」
ちっこくて黙ってる方が若い女の袖を引っ張る。スヌードは手を伸ばし、そいつの頭巾を払った。
「あんたも顔くらい見せなさい」
顕わになった頭部は少年のようだった。毛先十ミリできっちり刈り詰められ、頭のかたちに沿うている。肌は浅黒く、日焼けで細かい皺が刻まれている。年齢不詳。性別は恐らく女。驚きと怒りに満ちた視線が見上げている。スヌードは値踏みした。
「どうしようかな?」
「タダとは言わない。ここに五万パスカあるわ」
若い女は革袋を振って見せた。スヌードは小さくうなずき、それから留置いたシクロを顎で指した。
「こっちはこれで良し、っと」
手負いの男は処置室の寝台に寝かされた。センセーの診断の後、カテーテルを準備する。ごく普通の乳酸リンゲル液である。スヌードは手伝いながら軽口を叩いた。
「やれば出来るんですねえ、センセー」
「何だよ?」
「救命処置。見たの初めてですけど」
センセーはぎょろ目を回してスヌードを見た。
「当たり前だ。これでも養成所は出てんだよ」
「それはそれは。でも図書館司書のハミー博士が何でまた?」
ハミーはあやふやに答えた。
「そりゃまあ、あれだ。………空気みたいな免許じゃ仕事にならんだろう?」
「なるほどね。郷に入っては郷に従え。勉強だけは得意ですもんね、センセー」
パウラとミリジャはシクロに乗せられ、(ハミー博士の研究所)に到着した。道中、スヌードは長距離無線で連絡を取り合った。どうやらそのセンセーと言うのが今、目の前にいる髭面のアラブ人、ハミー博士であるらしい。怪しい風体だが、怪我の処置は手際良い。
二人は戸口に近いソファで待たされた。固いPVC張りの長椅子は不愛想な佇まいだった。ミリジャは緊張、パウラは興味津々に辺りを伺う。この(研究所)、建物というにはいささか難ありの物件である。テント、もしくは東アジアで言うところのパオに類するものだ。金属の支柱に動物の皮が何層にも巻かれ、気密を高めてあった。キャビネに並んだ薬品、医療機器。一応診療所らしき体裁も伺える。視界の届く範囲はそのくらいで、間仕切りの先に居住スペースがあるようだ。性質上、室内には強い消毒薬の臭いが立ち込めている。急ぎ拭き清めたのかもしれない。
ミリジャは肘で小突いた。
(パウラ様)
不満げな思念が脳裏に届く。パウラは無言で返した。
(何?)
(ほんとに大丈夫ですか?)
(心配ないわよ………処置はちゃんとしてたし、扱いも雑じゃない)
ミリジャは不信感たっぷりに目を細める。
(疑われてません?)
(何か心配?)
(いえ………なんとなく)
ミリジャはあらたまって伝えた。
(私たち、お互いのことはわかってますけど、ヒトの心は読めないんですよ。一方通行だし)
それを聞いたパウラは皮肉に返した。
(あなたと? わかり合えてるって?)
今度はミリジャが応酬した。
(アギーレの弱点教えたの、わかってますからね)
バレてたか。
パウラは口惜しく反応した。
始めて入ったヒトの住処。不気味だし不安ではある。彼らだって直接は知らなくとも、ガウルの一部がヒトの似姿であることは知っているだろう。ばれたらどうなるのか? あっさり殺されたり?
「お二人さん」
ハミー博士が突然顔を突き出した。
顔がでかい。それに汗臭い。いきなりのことでパウラの声が裏返った。
「あ………はいっ………」
ハミーは前掛けで両手を拭うと笑顔を浮かべた。
「大変でしたね。でも、ここまで来ればもう大丈夫だ。ハミーにお任せあれ」
何だか上機嫌だった。気色悪いし、腕を振り回す動作が鬱陶しい。人間の雄が若い雌と出会った時、そんな求愛行動をとると何処かで読んだ気がした。
「は、はあ」と、パウラ。
ハミーは朗らかに笑い、たずねた。
「何があったんです? 若い女の二人連れ。それも、あんな場所で? ………詮索するわけじゃないですけど。………あ、いや、それよりまず、お名前いいですか?」
大柄なハミーに見降ろされ、パウラは恐縮至極に答えた。
「私、パウラと言います。で、こちらがミリジャ」
ミリジャはこくりとうなずいた。
「ども」
皺だらけの顔に決意がみなぎる。すうーっと息を吸い込むと、突如ミリジャは喋り出した。まさしく立て板に水である。
「ええ、ええ、ええ。そうなんですよ。………彼女と一緒に近くの市に車で遊びに来てましたんですけど帰りしな、ガウルと隊商の小競り合いにぶつかりまして」
「ほう」
「怖いの怖くないのって………ま、そりゃ怖いんですよ。………だから陰から覗いていたんです。そうしたら、あっという間に人間がやられてしまって。………で、あの人だけ息があった。それで取るものも取らず (若返りの庭)に運びました」
ハミーは腕組みしたまま、さもありなんとうなずいた。
「そりゃ、何よりでしたね」
「はい………そうなんですけど、傷は塞がったんですけど、今度は熱が出ちゃって。それで医者を、ってことになったので。そしたら次は砂嵐が………」
「それで車を?」
「廃棄しました。………で、着の身着のまま、あの人を引っ張って、ここらをさまよってたんでござぁますよ」
ミリジャのトークは過分に事実を織り込んだ上々の嘘だった。
ハミーが口を挟んだ。
「そこにスヌードが現れて?」
「はあ」
「そうなんです」
と、パウラの横槍で締め括る。ハミーはゆっくり首を縦に振った。
「それは災難でしたな」
ハミーは患者に繋いだ点滴の輸液を調節した。パウラは辺りを見回した。
「スヌードさんは?」
「隣の厨房です。ランチの支度中で。恐らく美味いフライドチキンが出て来てますよ。いかがです?」
パウラとミリジャ、珍しく二人の声が揃った。
「是非。願ってもないです」
そこでハミーは弾かれたように人差し指を持ち上げた。
「そうだ、食事の前にシャワーはいかがです? 女性が汗まみれ、埃まみれじゃ、ちょっとね」そう持ち掛ける。
たちまち二人は身構えた。ハミーは慌てて言い添えた。
「いやいやいや、不安はごもっとも。ですよね。………しかし、スヌードはあの調子で、私には妻子が。ね。ハハハッ。だから心配ご無用」
パウラはハミーのギラ付いた目玉を油断なく伺った。何とも調子のいい男である。パウラは深呼吸した。ま、見られたところで減るもんじゃなし。ヒトのもてなしを試す、いいチャンスではないか。
パウラは上目遣いに微笑んだ。
「すいません、じゃ、お言葉に甘えて」
二人をシャワー室に案内すると、ハミーは厨房を覗いた。
「具合は?」
「順調、順調」
調理場の切り台に、羽の処置が終わった肉が並べてあった。濃厚なチキンの香りが立ち込めている。スヌードは大振りの中華包丁を振るった。コンとまな板に突き刺さる軽い音。部位ごとにキール(胸)、リブ(あばら)、サイ(腰)、ドラム(脚)に解体する。
「ご要望通り、伝説のフライドチキン、ダービー風よ」と、スヌード。
ダービー風というのはそのレシピの生まれた場所を指している。大きな競馬レースが開かれ、美味いバーボンを作るという大陸の特定地域、その名もケンタッキー。
スヌードはステンレスボウルに牛乳を注ぎ、卵と擦りおろしニンニクを加えた。出来上がった下味液にチキンを順次放り込んでいく。隣のバットに、あらかじめ用意した薄力粉、塩、各種スパイスを混ぜ込んだ特性パウダーが広げてある。
「ウーム、美味そうだ」と、ハミー。
「女の子たちは?」スヌードが聞く。
「入浴中」
「じゃ、タオルと着替えを貸してあげて。引き出しの………二段目」
「OK」
スヌードは丁寧に肉にパウダーをまぶしていく。それからハミーを揶揄した。
「若いコに野心は?」
「まさか」
スヌードは鼻で笑う。
「こちとら妻子持ちだよ」と、ハミー。
「とっくに時効じゃないの」
「いたのは事実だ」
「フン。一人で(壁の門)に行く時、いっつも買ってるくせにさ。善人面はよして」
ハミーは目を泳がせ、ばつが悪そうに咳払いした。
「シャンプーと石鹸。いつも、ぷんぷん匂ってるんだから」と、スヌード。
ハミーは開き直って、「まあ、私だって男だから………」
スヌードは即座に遮った。
「別に興味ないわよ、センセーのラブライフなんて」
スヌードはチキンを鍋に泳がせた。油の温度は一六〇℃。低温でじっくり揚げるのがコツである。
「それより」スヌードは眉を持ち上げた。「どう思います?」
ハミーは腕組みした。
「男は人間だな。間違いないよ」
「女の方ですよ」
詰め寄るスヌードにハミーは唸った。
「気になるのか?」
スヌードは首を傾げた。
「やたら目配せ多くなかったですか、あの二人?」
「だから?」
「テレパシー、とか?」
「そりゃ、判断できないだろ?」
「ガウルの支配階級はヒト型だって聞いてるし」
ハミーは肩をすくめる。
「噂だよ、噂。誰も見たことないんだから。………それに何だってガウルがヒト助けなんてすんだよ?」
「そりゃ、生け捕りすれば使い道は色々ある」
「ウーム………」
フライの香ばしい匂いが漂い始めた。スヌードは浮き上がって来るチキンをトングで突(つつ)いた。
「大体女二人で荷物引っ張って。一晩中荒野を歩き回ったってどういうこと? 武器も持ってなくてさ。それで野生動物の餌食にならないなんて、あり得なくない?」
「だからガウル?」
ハミーは不承不承、首を振る。
「それは、ちょっと………早合点だろ?」
「だったらセンセーも考えてよ」
ハミーは困った顔をした。スヌードはハミーの目を見据えた。
「俺はね。ガウル王家、女王の血統、あれを試してみたいのよ。その血を持って、望みを得んとする。女王の血統により、世界は………」
「待てよ。………都市伝説じゃなくて、ウチはウチで、オレオモナス・サガラネンシス、石油精製菌の線で行くんだろ?」
スヌードはため息を吐いた。
「言い伝えとか、伝説とか、そういうの。何かあったから残ってるんでしょ。これが最後のチャンスだったらどうするの? 試さない手はない。そうだよね? 俺たち、砂漠の井戸を見つけたんじゃなくて?」
ハミーは強く首を振った。
「違ったら? もし違ったらどうすンだ?」
スヌードは酷薄な笑みを浮かべた。
「誰が気にするって?」
「………」
ハミーはスヌードの恐るべき野心に舌を巻いた。
「決断して、センセー。早くしないと二人ともお風呂から出ちゃうわよ」
ハミーは汗ばむ掌を握りしめた。
オレオモナス・サガラネンシスも女王の血統も、詰まるところ根も葉もない閃きなのである。科学の進歩なんて、いつだって思い込みから始まるものだ。そう言ったのは自分ではなかったか。試してみたいのは山々。しかし………
テントの薄い間仕切りを通して、風呂場ではしゃぐ女の声が聞こえた。ハミーは狼狽した。スヌードは笑った。
「何? 一緒に入ってるの? しょうがないコたち」
そこでハミーは唐突に古い文献の一節を思い出した。ペルシャ湾南端の首都圏、最大級の図書館の科学論文の記述では………
「ガウル体表皮面のpHは、人間より幾分酸に傾いている。人間の場合はph4.5〜6の弱酸性。ガウルはpH2から2.5の間。………胃液のちょい手前って感じになるはずだ」
スヌードはピンと来た。
「なるほど。リトマス試験紙一枚あれば………OK?」
模様ガラスに差し込む外光は、ダイニングテーブルの食器やグラス、湯気を立てる大皿料理の上で乱反射した。トーストしたバゲットに琥珀色のスープ、付け合わせのポテト、ラディッシュ。もちろんメインはフライドチキン・ダービー風である。
「さあさあ、飲んで飲んで。グラスが開いてますよ」
ハミーが勧めるピッチャーは自家製のサングリアだった。ネーブルオレンジと白桃の缶詰、レモンシロップ、バニラビーンズを漬け込んだものである。焼酎ベースで度数がやや高めなのはご愛敬。女性陣の好みを聞き、オン・ザ・ロックで振舞った。
「砂漠でこんな歓迎されるなんて。………思っても見なかった」
ピンク色に上気したパウラは酔いも相まってご機嫌である。スヌードはまだ手を付けてない料理を二人に勧めた。
「どんどん食べて。まだまだあるわよ」
ミリジャは苦しそうに椅子の上で背筋を伸ばした。「私は、もう………」そう仄めかすが、そこにスヌードが被せて来る。
「デザートだってあるんだから」
「えっ?」
「それは別腹でしょ?」
パウラが名残惜しそうにたずねた。
「ウーン………ちなみに?」
スヌードはチッチッと人差し指を振った。
「それは、見てのお楽しみ」
パウラは満足げなため息を吐くと、処置室を気遣った。「あの人も一緒に食べられたら良かったのに」
するとハミーが否定した。
「しばらくは無理ですよ、あの状態じゃ。二、三日は眠ってるはずです。起きても急には食べられない」
「それで大丈夫なんですか?」
「そのための点滴ですよ」
パウラは貸してもらったロンTを着、頭をタオル巻きにしてあった。襟足のおくれ毛が僅かにこぼれる。肩口から続く顕わな曲線が若々しいエロスを発散させている。ミリジャの方は何だか瘦せこけた少年のように見えた。自ずと男性二人の視線はパウラに集中した。一人は肉欲と、もう一人は羨望の対象として。
その心持ちをパウラは強く意識した。スヌードは恐らく、異性を求めない嗜好だろう。確かヒトの言葉でゲイ? 明らかに私の事を睨んでいる。ハミーはどうか? 妻子持ち。そう語る者ほど、こぞってなびきやすい、そう書いてあるヒトの本の、なんと多かったことか。
パウラは遠い目で間仕切りの向こうを意識した。
スヌードは含み笑いを浮かべた。
「やっぱ、気になるわよね。………いい男だし」
「そう、思います?」と、パウラ。
「俺はタイプよ。あなたも?」
パウラはグラスを掲げ、笑った。
「ライバル登場」
ハミーは自分のグラスに酒を足しながら、「しかし、良く助けましたね? 結構危なかったでしょう?」
パウラは静かに目を伏せた。
「それはもう。タンクローリー四台を狙った飛行ガウルとのせめぎ合い。彼はライフルと綱一本で渡り合った」
「ヒーロー漫画、みたいですな」と、ハミー。
パウラはきっぱり否定した。「いいえ。ただの無謀な人です」そして肩をすくめる。「わけはあるんでしょうけど」
ハミーは残念そうに呟いた。「あの隊商は(壁の門32)のギャングが差し向けたコンボイです。なので恐らく彼は用心棒だ。それも高額の多重債務者でしょうな」
ミリジャが顔をしかめた。
「資産じゃなく、借金………うへっ」
「黙りなさい、ミリジャ」と、パウラが一喝する。
ハミーとスヌードは互いに顔を見合わせた。
スヌードは吟味するように目を細めると、「あなたたちの関係ってどうなの? いいとこのお嬢と付き人、そんな感じかしら?」
パウラはこともなげに認めた。
「そうですよ。親は地位のある人物です」
ミリジャの視線が俄かにきつくなる。
「………パウラ様」
「だと思った」
そう言いながらスヌードは皿の周りにキチンの骨を並べた。ハミーが継いだ。
「ご両親はどう言ってますか、この諍(いさか)い? 軽く五十年は続いてるわけでしょ?」
パウラはグラスを見詰めた。瞼が重くなって二重に霞む。
「母は、運命だと」
そこでふいに身体がぐらりと揺れた。
「あれっ? ………変だな」と、パウラ。
気付くと、ミリジャがテーブルに伏している。ハミーの声が遠くに聞こえた。
「あなたは? ………どうなんです?」
壁と天井がぐるぐる回り始めた。
「私は………私………」
グラスを掴んだまま倒れるパウラをスヌードが要領よくキャッチした。
「ちょっと、ちょっと」
軽く揺さぶるが反応がない。スヌードは彼女の口元に耳を近付けた。
ハミーはポケットから取り出した、茶色い小瓶をあらためた。フルニトラゼパム、昔でいうレイプドラッグだ。
「良く効くな、これ」
スヌードは気を失った二人の鼻先で、パチパチ指を鳴らしてみた。だが目覚めない。
「よっし、大丈夫そうね。………さて、センセー。チェックします?」
ハミーは資材置き場を物色して、試験紙のパッケージを取って戻った。やましい思いで覗き込む。スヌードが後ろからせかした。
「貸して」
ハミーが持ってきたのはリトマス試験紙ではなく、もう少し精度の高いWR(ホウルレンジ)試験紙のロールタイプだった。もちろん変色対照表付きである。
スヌードは三センチほどテープをせり出し、それを二つに千切った。一方をパウラの頬に張り付ける。しばらくするとテープの色が変わり、橙と山吹色の真ん中辺りに落ち着いた。対照表を照らすと、pH2から3の間である。
「ビンゴ」と、スヌード。
ミリジャの額で試すと、同様のpHを示した。
「そんな簡単に決めちゃって大丈夫なのか?」と、ハミー。
しかし、スヌードは譲らない。
「数字は、嘘つかない」
ハミーは渋々うなずいた。スヌードは得意げに鼻息を漏らすと、ハミーの肩を叩いた。
パウラは酷い頭痛で目覚めた。喉がカラカラだ。固い寝台に身を起こし、ここが何処か、戸惑った。食事をしたのは覚えてる。ミリジャとハミー博士、それとスヌード。美味しいチキンだったし、スープとポテトも最高。甘いお酒を勧められて、それで………どうなったんだっけ? 覚えてない。
そろりと降りると素足に砂だらけの床が触れた。頭が痛い。痛すぎて吐き気を催すほどだ。左腕に鈍い痛みがあり、袖をまくってみると二の腕に四角い絆創膏が貼ってある。僅かに漏れた血の跡が点になって浮いていた。
何か、された?
パウラはぼんやり、そう考えた。
部屋は暗く、本や機材が並んでいた。間仕切りされたカーテンの隙間から明かりが一筋漏れている。我慢ならないのは糞便を巻き散らしたような酷い臭いだった。おぼつかない足取りで近付くと、小さな話し声が聞こえてきた。
「………結腸に腎臓、胆嚢に十二指腸。人間と大して変わんないわね」
スヌードの声だ。ハミーが相槌を打つ。
「違ってるのは心臓の位置と肋骨の数くらいかな?」
パウラはおもむろにカーテンを開けた。
「あの………」
瞬間、ラテックス手袋を嵌めた二人が見えた。ハミーとスヌード。揃って調理用の前掛けにマスクを着けている。少しばかり返り血があった。二人は振り返り、驚いた表情になる。ステンレスの作業台に女の右足が見えた。脇に避けたトレイの上には、暗赤色の肉片がある。よくよく見るとそれは臓物だった。血まみれの鉗子、ピンセット、メス。視線を上げるとそれは身体で、切開部がステンレス製開腹器でこじ開けられていた。
「………何してるの?」と、パウラ。
光を失った目。青ざめた唇。
虚ろな少年のような顔立ちにぶつかる。
そこにあったのは、ミリジャだったもの、である。
パウラは思わず嘔吐した。チキンと酒が逆流した。
「何よ、このコ」
スヌードは蔑んだ目で睨んだ。パウラは口元を押さえ後ずさった。
「何………何を………」
鼻腔に胃液の刺激臭を感じる。ようやく周囲が見渡せた。いたのは怪我人を運んだ処置室だった。男は奥の手術台で微動だにせず眠っている。
スヌードは大股に近付くとパウラに詰め寄った。首根っこを掴まれ、冷えた硝子に押し付けられる。顔を背けると、霜の付いた小窓が見えた。凍った肉塊。これって? ひょっとしてガウルの遺骸?
「あなたたち、もしかして………」
スヌードが人差し指を唇に押し当てた。
「シーッ………そうよ。俺たち、石油を研究してんの」
パウラの目が慄く。
ハミーがすまなそうに頭を下げる。
「ご免な、パウラさん」
スヌードはパウラの頭の先から足元まで眺めすかすと、「ほんとにヒト型なんだね。何かびっくりだわ」
「スヌード………」ハミーは静かに首を振る。
パウラの視界の端に血まみれのミリジャが映った。だが、直視は出来ない。
「何で?」と、パウラ。
スヌードは笑った。「俺たちはね、女王の血統ってやつを探してるの」
パウラは首を振る。
「そんなもの………ないわよ」
「フーム」スヌードはマスクを外し首を傾げた。
「こっちのコには、なかったね」
バラバラに切り刻まれたミリジャが目に入り、吐き気がこみ上げる。
「よくも………こんな………」
スヌードは肩をすくめた。
「お互い、敵同士でしょ?」
パウラは口ごもった。
「だから?」
「そうね」スヌードはにっこり微笑んだ。
「………あんたはどうかな?」
スヌードは顔を近づけ、鼻先でメスを振った。パウラは思わず固く目を閉じた。
(駄目だ、殺される!)
次の瞬間、ブゥンと唸る音が耳元を擦り抜けた。パウラの鼻先を何かがかすめる。
「うぎゃあっ!」
スヌードの大きな悲鳴。電気が走ったように身体がのけぞる。気付くとスヌードの右の眼窩に、深々とピンセットが突き刺さっていた。
パウラはあっけにとられた。
「えっ?」
甲高い声でハミーを呼ぶスヌード。
「センセー、センセー!」
「スヌード!」慌てふためく、ドクター・ハミー、
スヌードは痛みと驚きで床を転げまわった。磨かれた銀の手術器具が辺りに散らばる。ハミーは痙攣するスヌードを抱きかかえ、テントの外へ連れ出した。
パウラは恐る恐る背後を見た。
砂漠から連れ帰った手負いの男。男は上半身裸のまま、手術台に起き直っていた。右手にはハサミが握られている。
「………あなた?」と、パウラが呟く。
男はちらりとこちらを見た。その目は左右で異なり、向かって左が碧眼、右がルビー色の塩梅だった。
男はあくびを漏らすと言った。
「………呼んだか?」
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