第9話



「くっそ、頭、痛てえ………」

 手術台の男は、こめかみを押さえ悪態を吐いた。パウラは動転したまま声が上ずっていた。

「あ、あの………」

 男は鼻の頭に皺を寄せ、盛大にクシャミをする。

 そして一言。

「てめえの心配でもしてろ」

 パウラは混乱した頭をフル回転させた。

「あなた、誰?」

「ネルラ」

「私が助けたこと覚えてる?」

 ネルラは首回りを擦りながら唸った。

「ああ、何か車で叫んでたな。お陰で俺は生きてるってわけだ」

「そう。でも、でも………何で?」

 ネルラは覚めた口調で呟いた。

「でけえ声で叫んだろ。声って言うか………そう、あんたの、あれ(・・)だ」

 ネルラは突如入り込んだ、女の体臭を思い出した。パウラは反射的に思念を使ったらしい。

「人間じゃ、ねえな?」

 パウラが窮していると付け足した。

「ま、どっちでも構わんが」

 パウラは外を伺った。

「あいつらは?」

「(若返りの庭)にでも行ったンじゃねえか。逃げるなら今のうち。………さ、行こうぜ」

 ネルラは手術台を降りると、ふらつく足で部屋を出た。

 それからテントをくまなく物色した。しばらくガタガタさせていたが、カーゴパンツとポケットのたくさんある革のジャケット、安全靴を見付けて着替えた。それからパウラのために衣装棚から一番スリムなやつを見繕った。

「ほら、着替えな」

 パウラは恥じらう様子もなく、素っ裸になった。裾と袖をまくって羽織ったが、どれも2サイズは大きい。何だかひどく不格好に見えた。

 ネルラは大き目の鞄を見繕うと、現金や金目のものを詰め込んだ。冷蔵庫の奥にMJBコーヒーの一キロ缶を見付け、開けると中に札束がねじ込んであった。控えめに半分だけ失敬した。

「あなた、泥棒なの?」

 ネルラは神妙な顔で首を傾げた。

「ま、お尋ね者ではあるな」

「ああ………」と、顔をしかめるパウラ。

「ああ、って何?」ネルラが突っかかる。

「ああは、ああでしょ」と、パウラ。

「フン」

 ネルラは冷蔵庫に皿のまま仕舞ってあったフライドチキンを引っ張り出してドラムと、モモ肉を咥えた。それを見てパウラが驚いた。

「起きても直ぐには食べられないって」

「誰が言った?」

「ハミー先生」

 ネルラは鼻で笑った。

「やぶ医者め。………よし。行けるか?」

「ええ。あの………私、パウラ」

 急な自己紹介を聞いたか聞かずか、ネルラは小さくうなずいた。

 出しなに、玄関間口のゴーグルと砂除け帽子を拝借した。パウラはちらりと振り返った。

「ミリジャ………」

 ネルラは声を落とすと、精一杯の弔いを告げた。

「あいつの分まで、長生きしようや」



 午後の日差しの中、二人は荒野を彷徨った。(ハミー博士の研究所)を出たネルラとパウラは、南の断崖に向かって進んだ。ネルラが先導した。

 パウラは不安に駆られて呼び止めた。

「何処に行くの?」

 ネルラは億劫そうに答えた。

「城塞」

「えっ?」

「(壁の門32)だ」

 パウラは足を止め、ネルラに言い含めた。

「私が誰か、わかってます?」

「もちろん、ガウル。そうだろ? それも支配的カーストってやつだ」

「だったら、どうしてそっちに行っちゃうのよ?」

 ネルラは渋い顔をした。

「このままだと共倒れだ。ちょっとでも生き残れる方に行かなきゃ」

「あては?」

 ネルラは堂々、胸を張った。

「ない」

「何なの………」パウラは口を尖らせる。「私のことも考えてよ。一応、命の恩人でしょう?」

 ネルラは、あやふやに笑った。

「さっきのじゃ、足りンか?」

「全然」

 ネルラは鼻を鳴らした。

「あ、そう」そう言ってまた同じ道を歩き出す。

「ちょっと!」

 パウラは頭にきて足元の石をネルラに投げつけた。まともに後ろ頭に命中する。

「何すんだ、コラッ!」と、ネルラ。

「ちょっとくらい興味持ちなさいよ!」

「何だよ?」

「だから………どうして助けたの、とか。そんな………何かあるでしょ!」

 ネルラは一瞥すると吐き捨てた。

「別に。ねえよ」

 ネルラは担いできた鞄を探るとペットボトルを取り出し、放って寄越した。パウラは無言でキャッチした。

「あんたが何で助けてくれたか。………ま、それよか俺を助けたせいで、お友達はあんな具合だ。違うか?」

「………」

 次にネルラが鞄から手を出すと、右手に拳銃が握られていた。パウラはペットボトルを手に身を固くした。

「つまり俺たちは、何処まで行ってもそういうわけ」

 パウラはネルラの握った9ミリ拳銃を凝視した。

「ひょっとして、私を撃つの?」

 ネルラは首を振った。

「いや。まだだな。借りがあるし。だからついて来なくてもいいんだぜ。あんたの好きなところで別れりゃいい。でも次に会う時は」そう言ってネルラは銃を掲げる。「敵同士ってこと」

「こんなところで放っておかれたら死んじゃうわ。そこは責任取ってよ」

 ネルラは面倒くさそうに片手を振る。

「わかったよ。じゃ、無事、脱出出来たら、そこで」

「あなたは味方のところに帰るだけでしょ?」

「ウーン」

 ネルラは苦笑いで顎を擦る。「ま、敵も色々でね」

 パウラは白けた表情で呟いた。

「借金の話、本当なんだ」

 ネルラはじろりと睨んだ。

「誰かに聞いた?」

「さあね」

 ネルラは腕組みすると眉を顰めてパウラを見た。「付き人がいたってことは………ひょっとしてあんた、重要人物?」

 パウラはボトルのキャップを緩めた。

「………フン」

「ちなみに?」

「ガウルの第三王女」

 ネルラは不信感一杯に目を眇めた。

「何言ってんだ?」

「信じないなら、また思念で頭に入ってあげましょうか?」

 ネルラは直ちに拒絶した。

「いや、それはいい。良くわからねえし。それに………」

 ネルラは鼻の頭に皺を寄せた。「身体ごとポン、と入って来ンのが気色悪りい」

「失敬ね」

 ネルラは首を縮めた。「体臭までわかンだぞ」

「どんなよ?」

 ネルラは眉間に皺を寄せた。「そうだな、例えるなら………ローヤルゼリー、とか?」

 パウラは皮肉っぽく笑った。

「なーんだ、いい匂いじゃない」

 からかい半分のパウラにネルラは銃を突きつけた。

「うるせえ。人間ぶってんじゃねえ」

 パウラは露骨に顔をしかめると、吐き捨てた。

「そういうの向けられてると、すっごく不愉快なんですけど」

 パウラに疎まれ、ネルラは渋々を銃を下ろした。そして苦虫を嚙み潰したような表情になる。

「何で教えたんだ?」

「何のこと?」

「ガウルの弱点」

 パウラは眉を持ち上げると、「そりゃ、あなたに死なれちゃ困るもの」

 ネルラは右手を差し出し、何故という表情をした。もちろん返事は帰ってこない。ネルラは、ため息を吐いた。

「はねっ返りは、面倒だぜ」

「そういうあなたは借金まみれ」

ネルラはベルトに拳銃を差すと踵を返し、歩きだした。

「ま、どこかに、落としどころはあるかもな」

 パウラは小走りに追い付いた。

「それまでは道連れよ」



 (壁の門32)は、午後のティータイムを過ぎた辺り。二人は人通りの多い時間を選んで侵入した。通路の降塵除去装置を通過する時、カウンターのダイヤルに細工をして数週間前の打刻にいじった。早々にヘンリー・チャンに見付かるわけにもいかない。パウラは何処で手に入れたか、ヴィジター専用の通行パスとIDを持っていた。よくわからんが、この女が特別な立場であることは確かだ。

 ジオデシック構造の天蓋から、外光が筋を引いて降り注ぐ。波のように押し寄せる喧騒。メインエントランスは往来で混雑していた。近くの市や周辺の食物プラントからの納品業者が戻り始める刻限であるからだ。

 食べ物屋台の客引き。ドネルケバブのスパイシーな香り。家族連れが順番待ちして、おしゃべりしながら焼き上がりを待っている。

「すごいわね」

 興味津々のパウラは物見遊山気分だ。ネルラは彼女の手を引き、二階コンコースに繋がる大階段を上った。

 バックヤードに置かれた鉢植えの傍に、小さな黒板が立て掛けてある。紐で結わえた、ちびたチョークを手にすると、ネルラは隅っこに(ZZZ)と記した。パウラは不思議そうに覗き込んだ。

「秘密の暗号?」

「待つのはここじゃない」と、ネルラ。

「ZZZってどういう意味?」

 ネルラは口をへの字に曲げ、呟いた。

「Z作戦。Zはアルファベットの最後の文字だろ。だから………見ての通りの崖っぷちで、後がない。そういうこと」

 二人はエントランスの外周を辿り、東側の屋台の軒先に陣取った。通路に面したテーブルに着くと一八〇パスカのブレンドコーヒーを注文する。ネルラは油断なく周囲に目を配った。

 カップを一口啜り、パウラが顔をしかめた。

「苦(にが)っ」

「初めてか?」

「何これ?」

「コーヒー」

 パウラは怪訝な表情でカップを見詰める。

「有害なアルカロイドって味じゃない」

「黙って飲め」

「人間って、どうかしてるわ」

 そう言い終わらぬうちにテーブル横をインライン・スケートの少年が猛スピードですり抜ける。パウラが悲鳴を上げた。

「きゃっ!」

中身をこぼしそうになって彼女は悪態を吐いた。少年の後ろ姿を視線で追い、ネルラに戻る。と、彼の手には小さな紙切れが握られていた。ネルラは一瞥した。

「行くぞ」


 地下一層の車止めに降りると、ネルラは指定されたAー19を探した。台車に荷車、シクロ、時折目に入る砂漠仕様のランドクルーザー。そう言えば自分の仕事道具を乗せた荷車も置きっぱなしである。ま、今はそれどころではないのだが。

「どの辺だ?」

 黄色い矢印を辿りながら、暗い天井から下がる蛍光灯の列を読んだ。

「埃臭いわ」パウラが声を潜める。

 五分ほど歩いて、柱のサインボードにAー19を見付けた。車はなく空車の印が見えている。奥まったところで影が動いた。

「いた」と、ネルラ。

 二人の前に現れたのは、トーブ姿の小柄な人物だった。

「あらあらあら、ついに野垂れ死んだと思ったら?」

 謎の人物はサングラスを鼻先に下ろした。女である。見知りのコールガール、ミサキ・シノ。花魁(おいらん)化粧の目はりと真っ赤な唇はいつも通りで、口元に読めない笑みを浮かべている。ネルラは肩をすくめた。

「悪かったな」


 城塞のバックヤードには秘密の抜け道が幾つもあった。元々の計画、設計段階からのものではない。様々な人種、勢力がひしめいてくると蟻が巣に横穴を掘るように、分厚い壁の内側に複数の通路が出来上がる。その全長が一体どのくらいになるか、計ったものはいない。城塞外壁の迷宮。モンテ・クリスト伯のフェネストレル要塞にも匹敵しようか。ミサキ・シノの居室も、そうした通路の狭間に存在した。虫こぶ状の寄生異物の結節だ。

 幾つもの段を上り、仕切りを潜る。ここがどの階層かもわからなかったが、坑道のように裸電球の吊るされた通路の一角に、その扉はあった。何度も塗りなおされた灰色の塗装に小さく花が描かれている。薔薇? いや、赤い牡丹である。

「入って。お二人さん」

 ミサキはトーブを脱ぐと玄関間口の衣紋掛けにぶら下げた。下にはスリムな黒のダンスタイツを着込んでいた。

 2LDKほどの広さの居室は入口から短い廊下に面して水回り、奥に二部屋が並んでいた。当然ながら窓はない。何と言っても外壁から数メートルの僅かなスペースなのだから。片方の部屋にはベッドと衣裳、ドレッサーをまとめてあった。ゴチャ付きはあるものの、掃除は行き届いていた。ミサキがリビングの明かりを入れると、クリスタルの照明が回転して周りに怪しげな乱反射を描いた。部屋のテイストを一言で言うならインドネシア、ネパール、西アジアを一緒くたにした南国リゾート風である。異国情緒溢れる唐草模様の布がドレープにして下げてある。嗅ぎなれないお香の匂いも相まって、不思議な味わいを醸している。掲げられたホーロー引きプレートに、梵語らしき書体で何事が記されていたが、早々読めるものでもない。

 珍しそうに覗き、ネルラが言った。

「へえー、こんな感じ?」

 ミサキはソファに陣取ると、適当にクッションを寄せた。

「ネルラは、初めてだっけ?」

「ああ」

「会う時はいつも宿だものね」

 おっかなびっくり戸口を潜ったたパウラは砂除け帽を外した。それから的外れなことを聞いた。

「あの、ひょっとして………奥様ですか?」

 ミサキはちらりとパウラを見た。それから咎めるように言った。

「何なの、緊急事態って言うから慌てて行ったのに………」そう言って目配せする。ネルラは咳払いした。

「苦言は、ごもっとも」

 ミサキはじろりとパウラを睨み、言った。

「あんた、誰?」

 見えない圧に押され、パウラは焦った。

「パウラと言います」

 ミサキは小さく舌打ちした。

「名前なんかどうでもいいけど。何者?」

 今度はパウラがネルラを見た。ミサキはイライラして断定した。

「ま、あたしがこの人の嫁ってことはないから、あんたが心配するようなことはないわよ」

 見兼ねてネルラが割って入った。

「俺から話そう」


 ネルラはガウルの隊商襲撃からの、記憶にある一切合切を伝えた。

「待って待って待って。じゃあ何で、このコは殺され掛けたわけ?」

 ミサキの単刀直入な質問にネルラは口ごもった。「まあ、それはその彼女が………ガウルの第三王女だってことで、な」

「何ですって?」

「だから………」

「聞こえたわよ」

 ミサキはパウラを見据えた。

「フーン。やっぱりヒト型ってわけか? 虫や魚じゃないんだね」

 パウラは気詰まりな感じで返した。

「あ………はい、ええ。………あの」

「何?」

「お名前、聞いても?」と、パウラ。

「あたし? あたしはシノ。ミサキ・シノよ」

「ミサキ姐さま」

「呼び方」

「………すいません」

 そこでミサキは、あることに気付いて眉を持ち上げた。

「そうか。連中、有機石油生成の山師なわけね。それであんたの血が欲しかったと。それって、ええっと………何だっけ?」

 ネルラが補足した。「女王の血統」

「ああ、それそれ」

 ミサキはソファから二人を見た。しかし当然のように椅子は勧めない。パウラは顔を歪め、諦め気味に首を振った。

「血で石油が出来るなんて。どう思います?」

「さあ、どうかしらね」

ミサキはネルラに視線を移した。「このコの話、どこまで信用できるの?」

 ネルラは肩をすくめた。「石油のことは知らんけど、他は概ね」

「何で?」

「二度、頭に入られた」

「ワオ」

「姐さんも試せばわかるさ」

 パウラは期待に満ちた表情を見せた。だがミサキはあっさり却下した。

「今日は、やめとくわ」

 そこで初めてミサキが屈託のない笑みを浮かべた。

「まあいい。信じましょ。それと………ネルラを助けてくれて、ありがと」


 二人が人心地着いたところで、ミサキはドリッパーを用意した。ようやくソファに着座したパウラが覗き込む。

「何です、これ?」

 ミサキは挽いた豆をフィルタに落としながら言った。

「ま、とりあえずコーヒーでも飲みましょう」

パウラが顔をしかめる。

「えっ? またアルカロイド?」

 ミサキは心外とばかり言い返した。

「アルカロイドとは穏やかじゃないわね。一体どこの、何を飲んだのよ?」

 ネルラはこめかみを掻いた。

「エントランスの東の屋台?」

 ミサキは鼻を鳴らした。「あんなのと一緒にしないで。豆だって、淹れ方だって全然」

 不安そうなパウラを見て、ミサキが探りを入れた。

「苦いのが苦手かな?」

 パウラは無言でうなずいく。

 ミサキはドリッパーに湯を垂らすと少し蒸らして、ゆっくり抽出した。香しい香気が立ち上る。さすがにパウラもそれは否定出来なかった。ばらばらの三つのカップに等量、黒い液体を注ぐと、用意したコンデンスミルクを流し込む。これは南シナの海に面する東南アジアの飲み方だ。

「あ、俺も」と、ネルラが手を上げる。

「好み、変わった?」

「あるなら是非」

 ミサキは二つのカップがベージュ色になるまでミルクを注いだ。

 パウラは差し出されたカップを恐る恐る口に寄せた。ネルラは脇目も振らず一気に煽った。

「うまっ」

 パウラも驚いた顔をする。

「あれっ? さっきのと全然違う」

「でしょ?」ミサキの自信満々な表情。

 ネルラはテーブルの上の煙草のパッケージを取り上げた。

「もーらい」

「ちょっと」ミサキが嫌な顔をする。

「ずっと我慢してたんだ。それにこいつは相性抜群」

 ネルラは火を点けると美味そうに燻らせた。

「それで?」

ミサキは身を乗り出して、ネルラを見た。「進退窮まったと?」

 ネルラは灰皿に先端を払い、首を掻いた。

「どうかねえ?」

 パウラはカップを置き、ミサキとネルラを見比べた。

「知らない者が嘴(くちばし)突っ込むのもなんですが」

「ウン?」

「ネルラさん、このまま死んじゃったことにしちゃった方が良くないですか? 借金だってあるでしょうし」

 ミサキは顔の前で手を振った。

「借りた相手が悪いのよ。ここの親分さん、蛇みたいなやつで」

「蛇?」

「こいつが死んでも、その借金は一族郎党、友人にまで返済が回るわけ」

「そういう契約なんですか?」

「ううん」

「だったら何で?」

「ロクデナシだから」

「はあ………」

 そこでパウラはネルラを見た。「あなたの親族って?」

「いや、いないよ。でも友人なら、ほら。そこ」そう言ってミサキを顎で指した。

「そういうことよ」ミサキは偉そうに胸を張った。「あたしは別に構わないのよ。どの道、後一年くらいのものだしさ」

 ネルラは苦笑いした。パウラは声をひそめ、たずねた。

「えっ? それって? どういう意味です?」

 ミサキはあやふやに笑った。

「あたしも、ちょーっと長生きし過ぎちゃってね。あんたは実年齢、見た目とそう変わんないでしょうけど? 十七か十八?」

「はい」

「あたしらは、それの何倍も生きてるってわけ。ネルラもそうだし、あたしはもっと。人は見掛けによらないって話よ」

「えーっ」

「でも、あたしが死んだ先にも借金は付いて回るから、ウチの女の子たちが巻き込まれるのは嫌でしょ。だからネルラ。そこはどうにかなさい」

 ネルラは身を小さくして、無言で煙を吹いた。

「あんたはここを出たら直ぐさまヘンリー・チャンに手を上げて、精々逃げ回って頂戴」

ミサキはパウラにターゲットを絞った。

「ねえ、王女様」

「あ………はい」

「人間でもないあんたが、どうしてこいつを助けたりしたの? ひょっとしてガウルのくせにガウル嫌いとか?」

 パウラは言いにくそうに首を傾げた。

「どちらかと言うと。はい」

「うわっ、出た。出ました。裏切り王女」と、面白がるミサキ。

「いやあ、そんな………」

「でもそうなんでしょ? ひょっとして人間に恋焦がれてる、とか? 人魚姫みたく?」

 パウラはきっぱり否定した。

「私、泡になって死にたくありませんから」

ミサキは面白そうに笑った。

「とか言って、ちゃんと読んでんだー。ハハハッ。ウケる。それで? 色々読んじゃったわけね。愛とか、恋とか? そういう類?」

「はあ………まあ………」

ミサキはニヤニヤしながら首を振った。

「実際どうかなあ? 案外幻滅するよ。こいつは六十過ぎの爺さんだし、あたしは百越えの婆さん」

 ネルラは舌打ちした。「正直に百六十って言いな」

「だ・ま・れ」

 パウラは言いにくそうに首を傾げた。

「愛とか恋って言うよりは………もっと、こう………」

 口ごもるパウラの様子に、ミサキは明け透けに断定した。

「そっか、エッチな方だ」

ミサキは、やおら身を乗り出した。

「ほうほうほう」

ネルラは呆れて、もう一本煙草に手を出した。

「止めとけよ………」

 ミサキは目を輝かせて反論する。

「どうして? ネルラは興味ないの、ガウルの生態系?」

 パウラは本意を確かめるように目を細めると、「そこはお互い敵同士なわけですし。そう易々と手の内見せるわけには」

 ミサキは笑った。

「あんたの情報仕入れて、あたしがどうにかするとか、思ってる? やあね、あたしは、ただの興味本位」

 キョトンとしたパウラに、ミサキは一気に畳みかけた。

「それで? あんたたちの生殖って、どうなってンの?」

 パウラは太腿を擦った。

「そうですね、あなた方とは違って………この知覚繊毛………この銀色のやつですけど、これで生殖雄にオーダーを送って、後は受胎装置で量産」

「全然色っぽくない」

「ま、そうですね」

 ミサキは問い詰めるようにパウラを見た。

「モノは付いてンの? 人間みたいに?」

 そう言って下腹を叩くミサキ。パウラは小さくうなずいた。

「そっか。ウン。じゃ、第二次性徴は?」

「つまり?」

「メンス」

「それも一応」

 ミサキは嬉しそうに目配せした。

「じゃ一回、試してみようか」



「頭。自分で拭いて」

 ミサキはシャワーを終えたパウラの真っ白い裸体を拭き上げた。体毛や色素沈着のない彼女の身体はマネキンのように均質で、良く水を弾いた。若くて、均整が取れて、そして色気がない。ミサキの正直な感想はそれだった。この姿こそ、ガウルが到達した人間の理想形なのだろうか。ま、好みは好き好きだ。

 前髪にまとまった銀の束が伺える。ミサキはおっかなびっくり触れてみた。

「こいつで、どうにかするわけね?」

 パウラは子供のように濡れ足をパタパタさせた。

「私は使ったことないんです。生殖雄は、みんな母のものだから」

「そう。じゃあ、あんた、今はバージンってこと?」

 するとパウラは知覚繊毛をくるくる指に巻き付け、悪戯っぽく笑った。

「ま、こっちの方は」

「ウン?」

 ゆっくりと無毛の下腹に指を這わせ、「こっちは別、です」と、ひと言。

 ミサキは眉を持ち上げ、たずねた。

「お相手は?」

「父の一人、いや、二人か。受胎はしませんでしたけど」

「そっか。じゃ、それって便利なアクセサリーってことね。お母様には?」

「もちろん内緒です」

 ミサキは声高に笑った。

「ハハハッ、悪いコ。パウラ。あんた面白いわね。………あたしたち、いい友達になれそう」

「ミサキ姐さま。………そう呼んでも?」

 パウラの経っての願いに、ミサキは渋々うなずいた。

「しょうがないなー」

 ミサキはパウラにタオル地のローブを着せた。髪の毛にドライヤーをあて始めると、パウラは不満そうにつぶやいた。

「父とは実に………つまンなかったんです」

「そう?」

「痛かったし………それに、顔中舐められて」

 ミサキは半笑いで身を引いた。

「犬じゃないんだから、ねえ」

 ミサキはパウラをドレッサーに座らせた。

「さて、パウラ。あんた、ちょっとお化粧した方がいいわね」

「このままじゃ駄目ですか?」

「ううん。今のままでも十分綺麗だけど、愛されたいんでしょ?」

「あ………はい」

「だったら、男の期待に応えなきゃ。それが礼儀ってもんよ」

 パウラは子犬のような目付きでミサキを眺める。

「薄々気付いてるんですけど、ミサキ姐さんって………」

「そ、あたしは、専門家(プロフェツショナル)」

 パウラは無言で納得した。ミサキは続けた。

「て言うか、もっと頑張んないと愛してもらえないわよ。見掛けと違ってネルラも、相当年季入ってるから」

 ミサキはベースメイクのカラーを顔色と比較すると、化粧下地を小鼻やTゾーンに塗り付けた。

「それで? あんたが王女様ってことは、早々に騎兵隊が束になって探しに来るんじゃない?」

 パウラは視線を泳がせた。

「それはどうですかね?」

 確かにあの時、ハミー博士の研究所で、自分は無防備にも思念の悲鳴を上げてしまった。ネルラを起こしはしたものの、同時に母アルセアにも届いたはず。しかし、かれこれ半日以上経つのに音沙汰がない。

「私って、どうってことない娘なんですかね? 単に生殖のための遺伝を継いでるってだけで」

「それって大事なことでしょ?」

「でも第三王女ですし」

「つまり?」

「上に、まだ二人も」

 ミサキは声を潜めた。「スペアは余ってるってか」

 パウラの調子が下がった。

「母は産み直すのも簡単なんです。記憶も含め、完全な受胎オーダーが出来れば、私の複製だってラクラクに」

「あんたは捨て駒ってわけだ?」

 パウラは渋々うなずいた。

「母にとって、私の軽口の方が心配かも。つまり情報漏洩?」

「………今度は命の心配か」

「そうですね………」

 ミサキはリキッドファンデを広げながら含み笑いを浮かべた。パウラがたずねた。

「ミサキ姐さん?」

「いやね、あたし今変なこと考えちゃった。怒らないで。………もし、あんたを人質に取ったら、ネルラの借金くらい軽く搾れるかなって。ああ………もちろん、これはただの冗談」

 パウラは眉間に皺を寄せた。

「お金ならありますよ。問題は、それが母の所有で」

 ミサキは考えた。

「お母さんが死んだら、次はお姉さん?」

「ウーン、どうだろう? そこもちょっと………色々と問題ありまして」

「複雑なんだね、あんたンち」

 そのやり取りがパウラに微かな閃きをもたらした。が、これから始まる異種間交雑の神秘体験の前では、些細な戯言としか感ぜられない。


 チークを施し、目元とリップを完璧に作り込むと、ミサキは満足そうにうなずいた。

「よっし」

 装ったパウラは美しいアンティーク人形のようだった。ミサキは明かりを絞ると、リビングで待っているネルラに声を掛けた。

「いいわよ」

 上半身裸、巻タオルで喫煙中のネルラは、咳払いと共に立ち上がった。そして隣りの部屋を覗き込む。

「おう」と、ネルラ。

 珍しく顎がつるつるに剃ってある。

 咥え煙草のネルラは僅かな贅肉さえないほど痩せこけていた。背中と胸に大きな傷跡が。時間降塵をもってしても完全な復元は難しかったようである。

 ミサキはネルラの反応を確かめた。威勢のいい言葉の割に案外覚めた眼差しだ。ちょっと刺激が足んないか? 仕方ない。こうなれば奥の手。

 ミサキはパウラを促し、寝台へ誘った。ヘッドボードを背に背後から抱きかかえる。ローブを解き、するりと下へと滑らせた。丸裸の肢体。しかし、パウラに恥じらう素振りはない。元々そんな概念すらないのかも。

 人間じゃ、ないものね。

 ネルラはベッドサイドに座ると顔を寄せ、パウラの胸元を嗅いだ。

「おっと、やっぱりローヤルゼリーだな」

 そして顔の輪郭を指でなぞる。額から鼻先、唇を通り喉元へ。

ミサキは耳元で囁いた。

「何か、感じる?」

 パウラは息を詰め、緊張で生唾を飲み込んだ。

「よくわからない、です」

 ミサキはサイドテーブルから小瓶を取り出すと、透明なゼリーに指を漬けた。

「口開けて」

 パウラは反射的に差し出された人差し指を舐めた。

「何ですか、これ?」

「フェネチルアミン誘導体。心配しないで。直ぐに効き目が現れるから。あんたもよ、ネルラ」

 そう言って、ミサキはネルラの口にも突っ込んだ。

「いきなりか?」

「いいでしょ。どうせなら楽しみたい」

 ネルラは肩をすくめた。「俺も、疲れてんだからさ」

「何言ってんの? 中学生みたいに頑張って」

 ミサキも指先を舐め、余ったゼリーをパウラの乳首に塗り付ける。

「………何? 何かあったかいです」

 パウラがくすぐったそうに身を捩ると、ミサキはそのまま下腹部へ指を滑らせた。ネルラは仰向けのパウラに身を寄せ、ゆっくりくちづけした。彼女の舌のベルベットの感触を堪能する。舌は中へ中へと差し込まれ、喉の奥を舐め上げた。溢れる涎(よだれ)に溺れそうになる。えずく直前で唇を離すと透明な滴りが糸を引いた。パウラは恐怖と期待に瞳が震えてい。呼吸が早まる。透き通った粘液が谷間を流れ落ち、ネルラは掬い取るように舌を這わせた。濡れた乳房に達すると舌先でしゃぶり上げた。

「あっ」

 パウラの口から吐息が漏れた。ミサキは彼女の両腕を羽交い絞めにし、耳朶を噛んだ。ゆっくりと首筋へ滑り、そのまま脇腹へ。一方ネルラは獲物に襲い掛かる軟体動物のようにしなだれかかると、易々と脇や臍(へそ)へと舌を侵入させた。抱えたパウラの身体が震え、熱を放つ。急に体臭が強くなった。紅潮した身体から滴る汗。ネルラが太腿に指を這わせると反射的に強張った。ミサキが耳元で何事が囁き、絡めた肢でゆっくり膝を開かせる。ネルラは顕わになった下腹部をじっくり拝謁した。サーモンピンクの無毛の秘所。ネルラはそのまま顔を埋めると、汗とフェネチルアミン誘導体で、ねっとり湿った陰唇をじっくり舐め上げた。

 パウラは身体を突き抜ける不断の快感に耐えきれず、甲高い悲鳴を上げた。



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