第10話
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暗がりの中、パウラは目を開いた。とは言え、夜目の効く彼女にとって、さほどの違いはない。しいて言うなら色くらいのものだろう。
三人がくんずほぐれつした寝台に既にミサキの姿はなかった。寝乱れたシーツにくるまっているのはネルラ、自分はその下敷きになっている。汗臭い体臭と雌雄の体液の入り混じった匂いがした。ネルラは枕に顔を埋め、苦しそうに呻いている。耳元で豚のようないいびきを聞かされ、どうにかしたいのだが、がっちり抑え込まれてどうすることも出来ない。
ま、いいか。
パウラは諦めて天井を見上げた。
数時間前に繰り広げた、めくるめく三者異種間交接。人間の言う性愛とやらは、種さえ問わぬ無軌道な継承文化であった。パウラの身体には、這いまわった指先や舌の感触が、まざまざと残っていた。思い出しただけで身体の芯が疼いた。下腹部から侵入し、脳天に突き抜ける昂ぶり。知らずと身体が震える。ヒトはこうした秘術を継承し、娯楽として洗練させていったのだろう。ミサキ・シノが手練手管の専門家であるのは聞いた。ネルラが求道者であるかはわからない。齢六十を超える熟達が無意識にそうさせるのだろうか。
パウラはネルラの顔を眺め、黒髪を掻き上げた。
「ウーン」
寝ぼけたネルラが動き出し、唇を求め迫ってくる。
ちょっと、ちょっと!
強引な舌先がパウラの口にねじ込まれたところで部屋の明かりが点った。
「はいはいはい、朝からあんまり頑張んないでー」
ミサキが薄物を羽織って立っていた。眩しいライトにネルラが目覚める。
「ああ………ウーム」
腹の下にパウラを見付け、ネルラはにっこり微笑んだ。
「やあ、お姫様」
ネルラは大あくびで目を擦る。
パウラは初めて男の外見を意識した。あらためて近くで見て、実に好感の湧くルックスである。ヒトの尺度で言うところのハンサム。
「悪い。寝ぼけてた」と、ネルラ。
ネルラは眠気覚ましに頬を叩くと、するりとベッドを降りた。軽く伸びをし、用足しに向かう。ミサキの横をすり抜ける時、彼女に軽くキスをした。ほんの挨拶程度のものなのに、パウラは何故だかドギマギした。
「ねえ、パウラ。コーヒー淹れるけど、飲む?」と、ミサキ。
パウラは慌てて取り繕った。
「昨日の夜、考えたんだけど」
ミサキはカップを傾けた。
「夜?」と、ネルラ。
パウラも目を丸くする。ネルラが代弁した。
「姐さんったら優秀」
ミサキは、さもありなんと同意した。
「あたし、マルチタスクだから」
テーブルにカップを置き、ミサキは身を乗り出した。
「今日のあんたたちの予定だけど。とりあえず、お金のことは置いといて。まずは出てってもらわなきゃ。ね?」
二人の動作が止まる。
「いきなり叩き出すのか?」
文句を付けるネルラを、ミサキが抑えた。
「わかってるって。でも留まってると見つかりやすいし、このコがガウルのお姫様ってわかったら、わんさか山師が押し寄せて来るわよ。命の保証なんてないから」
パウラはネルラをちらと見た。ネルラはそらとぼけて余所見した。
「俺は、保証なんてしてないぜ」
不本意なパウラは反論した。
「無事に脱出出来たら。そう言ったじゃない?」
「無事に、到着したろ?」と、ネルラは涼しい顔だ。
「あなたはね。私はどうなるのよ?」
「二対一で人間が優勢」
ネルラはそう、うそぶいた。が、それになびくミサキではない。
「誰があんたの味方だって?」
「えっ? ………」
ミサキは含み笑いを浮かべる。「あたしはいつだって女のコの味方ですう。二対一でネルラの負け」
ネルラは舌打ちした。ミサキは続けた。
「どの道あんた、ヘンリー・チャンに見つかったらただじゃ済まないんだから。ま、殺されはしないだろうけど、半殺しに合った上に(庭)で復元されて。追加分まで上乗せされて、こき使われんじゃない?」
「ウーム………」
苦々しく黙り込むネルラを、ミサキは茶化した。
「ハハハッ。今あんたの手にある金づるはこのコだけなんだから、どうにか考えなさい。………それがあんたの生きる道」
ミサキは付け足した。
「とりあえず、足が必要だよね」
「そりゃ、徒歩じゃ無理だろ」
「だから。リオンのところに遣いをやった」
ネルラは眉を顰めた。
「リオン? リオン・ジャンティ?」
「城塞の西側。分かるよね? 発明家のリオン・ジャンティ」
「ああ。………知ってる」
「あんたが行くって伝えてあるから、訪ねてごらん。何か問題ある?」
ネルラは渋い顔をすると両手を擦り合わせた。
「そうだな………あるっちゃ、あるな」
「何?」
ネルラは声を落とした。
「借金」
ミサキとパウラは顔を見合わせると、呆れた顔をした。
「知ったこっちゃないわ」と、ミサキ。
ネルラは作り笑いを浮かべた。
「わかったよ、姐さん。取り合えず早々に出るから。………いつまでだったら、いられる?」
ミサキはにっこり微笑んだ。
「今すぐに」
三人は地下駐車場に戻ってネルラの荷車から道具を引き上げた。7.62×51ミリNATO弾アサルトライフル二挺と9×19ミリのサブマシンガン二挺。オートマチック拳銃を何挺か揃え、弾は持てるだけ。身動きを考えるとそれが限度である。鳶(とび)の七つ道具も補充した。
荷物を担いだところで、ミサキはどういうわけだか最上階に上がると言い出した。ネルラは聞き返した。
「一階は、この上だぜ?」
「灯台下暗しよ。屋上にも出口あるんだから。普通に出るよか、ヘンリー・チャンにバレにくい。そうでしょ?」
ミサキは身軽に階段を上ると二人を誘導した。
真上に砂の溜まった天窓が見える。ネルラはつい最近の、ここからのダイブを思い出し身震いした。ヘンリー・チャンの手下から食らった、固い握り拳も然りだ。
三角窓の一枚だけが灰色に塗装されている。そこに向かい、タラップのような短い階段が続いている。頂点が六〇度回転した鉄扉には、潜水艦のようなバルブハンドルが付いていた。
「大げさな」ネルラは鼻で笑った。ハンドルに手を掛け、力を入れると簡単に回った。どうやら施錠はされてないらしい。
「不用心でしょ?」と、ミサキ。
ライフルを担いだ二人が扉を潜る。パウラのサブマシンガンが引っ掛かったので、ネルラはストラップを緩めた。
一歩外に出ると、ベージュの光景が広がっていた。緩い風が吹いている。遠巻きに霞んだ地平線が見える。
石英、並びに長石を主とする砂岩の外壁は、砂漠に溶け込むための目くらましである。城塞の姿はところによって違うが、(壁の門32)は一見して巨大な白アリの巣のように見える。不定形に広がる歪(いびつ)な塊の上に、ジオデシックドームがのぞいている。
「うわっ、高」
見下ろすパウラの声が震えた。地上六十メートルの眺めは、いやはや、立ち眩みする壮観さだ。パウラが尻込みするのを見てミサキが肩を叩いた。
「大丈夫。こいつ、これが本業だから」
早速ネルラは出口脇のロッカーから、作業降下用具を取り出した。ロープを支柱にひばり結びで結わえた。
「たかが懸垂下降、されど懸垂下降だ」
ネルラはパウラを背中のハーネスに背負うと、カウンターラッペルの準備を整えた。
「きつくない?」と、ネルラ。パウラは不安そうにうなずき、しがみつく。ネルラは慣れた手付きで繋いだロープを斜面へ投げた。
「じゃ」と、ミサキ。
「おう」と、ネルラ。
そこでミサキが思い出したように言い添えた。
「そうそう、リオン・ジャンティ。迎えに来るって言ってたわよ」
「マジか?」
「一時間かそこら。多分、そのくらいね」
「ウーム………」
「借金あるって言うのに、結構、律儀じゃない?」
ネルラは首を捻った。
「………そこがまた………付き合いづらい、とこでさ」
手を振るミサキが遠ざかっていく。ネルラはチェストハーネスに付いたカラビナを調節し、ブレーキを掛けながらそろりと降りた。
城塞の外壁はバスケットボールのように外側に膨らんでいる。そのせいで傾斜は幾分緩やかだ。しかし距離それ自体が長くなるので、少々面倒な下降でもある。
黙々とロープを手繰るネルラにパウラが問うた。
「お忙しいところ、何ですけど………」
「ウン?」
パウラは言葉を選んだ。
「昨日の私、どう、だった?」
ネルラは含み笑いを浮かべた。「どうって………かなり乱れてたんじゃない?」
パウラは小さく咳払いする。
「後学のための質問ですけど………あれって普通なの?」
「まあ、そこはそれぞれだな」
「何で?」
「ミサキが変なの舐めさせたろ?」
「ああ。ちょっと気分が………変になる?」
「そうそう。あれ、媚薬だから」
「媚薬?」
「あっち方面が元気になるやつさ」
パウラは小さくうなずいた。
「なるほど。………なんだか、あっちこっち敏感になっちゃったけど、そういうことね?」
ネルラは意味深に首を縦に振った。
「しかし何だな。あんた、見掛けが人間っぽいだけじゃなく、中身も近いのかな? クスリが効くってことは代謝が似てるってことだろ?」
パウラは話しているうちに昨晩のことを思い出し、口の中がカラカラになった。まだ、薬が残ってるかも? 無意識に太腿に力が入った。
「おいおい、あんま締め付けんな」と、ネルラ。
パウラは慌てて腿を緩める。
「失礼」
察してネルラが言った。「今、変なこと考えた?」
パウラはだんまりを決め込んだが、身体は嘘を付かない。
「早速、ローヤルゼリーの匂いがしてるぜ」
「まだ………残ってるみたいね」
ネルラは言った。
「お楽しみは、また今度」
パウラは声を顰めた。
「人間って、種族限定とか、なんか、そういう制限はないのかしらね?」
ネルラが笑った。
「形が似てりゃ、いいんじゃねえか? 大昔はそれを目的にした人形だってあったって話。異種間交雑も然りだ。要は想像力でカバー、だな」
「貪欲………」
「ただの、娯楽だし」
「それであんな薬まで?」
ネルラは鼻で同意した。パウラは非難がましく指摘した。
「おかしな文化。大体、いつでもOKなんて生理学的に変でしょ?」
城塞の外壁、三分の一ほど下ったところで、二人は奇妙な音を耳にした。プロペラが回るような低い羽音。背後を振り返り、パウラが叫んだ。
「アギーレ!」
「戦闘ガウルか?」
パウラは無言で首を縦に振る。
「畜生、このタイミングかよ」
唐突に地平線に三十余りの編隊が現れた。あっと言う間に城塞の防空域に近付く。
パウラは考えた。ひょっとして自分を探しに来た捜索隊だろうか? 思念は遮断してある。だが近付けば匂いで察知されるだろうし。パウラは決断した。
遮断を外し、自ら命令を送った。
(捜索撤回。直ちに戻れ)
群れに伝えた。
耳を澄まし、しばらく待ったが、羽音は遠ざかって行かない。
キャンセルされない? おかしいな。
後ろを振り返ったネルラが、サブマシンガンのコッキングレバーを引いた。
「オートガードが作動するぞ」
(壁の門32)の外周約30メートルには、前文明の軍事遺産、近接防御火器システム・CIWSが設置してある。既に操作についての伝承は途切れ、メンテだけを続けている古代テクノロジーだ。
長らく生きているネルラも、実際に目にするのは初めてである。
数秒の後、爆発音と共に大地が陥没した。城塞を囲む同心円が二つ。その割れ目から螺旋を描くよう軌道レーンがせり出した。地上二〇メートルに押し上げられたそれらは(ローラーコースター)と呼ばれた。レーンを自在に走り回るのは軌道車ではなく、複数の自走砲台である。白い甲虫のような無人銃座が高速移動する。30ミリガトリングガンの焼夷徹甲弾がターゲットを索敵排除するのだ。
赤外線射撃管制が飛行する戦闘ガウルに照準した。甲高いチャージ音と共に給弾機構が作動する。砲台に装填。狙い撃ちが始まった。
耳を弄する轟音。
「きゃーっ!」
パウラが悲鳴を上げた。発射の反動が二人に押し寄せる。足場が滑って二人はロープに宙釣りになった。
「やべっ!」ネルラは慌てて支点確保した。揺れる視野から見上げると十ばかりのガウルが炎に包まれた。遅れて気色の悪い奇声が届く。
「さっさと降りるぜ!」
ネルラは大急ぎでロープを手繰った。転落しそうな勢いだ。パウラも必死にしがみつく。オートガードは戦闘ガウルを次々と迎撃した。固い外殻に守られたアギーレも焼夷徹甲弾の前ではひとたまりもない。
十字砲火を潜り、一匹のガウルが防衛線を突破した。二人の頭上十五メートルで外壁にぶつかる。
「抜けたわ!」
砕けた砂岩がバラバラと降ってくる。ガウルは壁にしがみつき、直滑降で接近した。巨大な顎を開いて二人を狙う。
「待て待て待て待てっ!」
ネルラは外壁を蹴ると斜交いに走り抜けた。ロープが振り子のようにスイングする。突然、目の前にもう一匹ガウルが現れた。止まらない加速に振り回される二人を正面から迎える。黒い鉤爪が狙っていた。ネルラはサブマシンガンを構えた。
無理だ。9ミリ弾じゃ、太刀打ち出来ないぞ。
「翅の付け根!」背後からパウラの指図が飛んだ。
ネルラは反射的に引き金を引いた。フルオートのバーストが唸り、肩口に集中させる。殻の隙間の柔らかい筋肉が飛び散った。真っ赤な血飛沫が噴水のように噴き出す。
直後、頭上に影が落ちた。
(上か!)
途端に背中でNATO弾が発射された。三点バーストの連射が二度。見上げるとパウラがアサルトライフルで仕留めた。歯を食いしばった荒ぶる第三王女の表情。
「お見事!」と、ネルラ。
そのまま一気にロープを伝い、二人は砂地に投げ出された。急いで装備を外すと転がるように避難壕に飛び込む。
オートガードの火力は留まることを知らず、空中で次々にガウルを血祭りにあげた。ネルラは素早くパウラに覆い被さる。パウラは言葉にならない悲鳴を上げた。ネルラは轟音に消されぬよう、大声を上げた。
「大丈夫か!」
パウラは反射的に叫んだ。
「………大丈夫じゃない!」
広い屋内アリーナにラケットの音が響いていた。もちろんそのための場所ではない。食料か、あるいはこれから誕生する有精卵を保管するためのスペースだった。
十二人の夫たち、アンヘル、ヴィクトル、オリアル、サムエル………その他諸々は、暇つぶしの庭球に興じていた。人間たちの言うところのテニスと言うスポーツだ。
どうやら古臭いポロシャツと短パンを着込み、それらしい雰囲気を楽しんでいるらしい。胸の刺繍は二種類あり、それぞれフレッドペリー、ラコステに分かれていた。
七十二代新生ガウル女王アルセアは、天窓からの日差しを避けた隅に座り、様子を眺めた。
「0ー15(ラブ・フィフティーン)」
「ラブ? ラブって何だよ?」
「ゼロのこと」
「普通に言えよ」
「いいだろ? その方がそれっぽいし」
フレッドペリーのサーブ。
パコン。
「アウト」
「ふざけるな、今、入ってたろ」
「アウトだよ」
種付けと遊ぶ以外何の才覚もない夫たち。アルセアは関心なく目をやり、同時に別の思索に耽っていた。
巣全体に及ぶ管理、統制の数字は絶え間なく流れ込んでくる。それぞれのカースト、必要個体数とそれを維持するエネルギー。消耗による減衰と補填。何処まで行っても終わりのない変動するパズルのようである。社会学におけるトライアンギュレーション。アルセアが統制する閉じた社会は、次第に変わりつつあった。
一番の不穏分子は、集団における確たる不具合、第三王女パウラである。思念の遮断が徹底しているため、傍で仕える侍女をトレースしていたのだが最後に届いたのは、二人が人間の巣に滞在している様であった。
そして切り刻まれた侍女の最期。それを目視したのがパウラという事実も。十中八九、パウラは既に、敵の手に落ちている。
馬鹿な娘。
予想以上に無軌道で、とんだ期待外れだった。実際、どのくらい黙っていられるだろうか。同胞の秘密を。
ガウルの内部情報が人間に洩れるのはまずい。いろんな兼ね合いを天秤に掛けても、生きてるパウラより、死んだパウラの方が価値がある。
早急に必要なのは、彼女の口封じであろう。
娘など、また産み直せば良いのだから。
今しがた城塞に偵察を送ったが(壁の門32)で部隊は交戦中であった。人間たちの古代兵器は屈強で、ものの数十分で返り討ちを食らった。アギーレたちの見た映像がアルセアの意識に飛び込んでくる。レーン上を走る自走砲は、まるで生き物のように動いた。
一匹のアギーレが弾幕を潜り、城塞外表面を下る人間を捉えた。
二人組。
一方がもう一方を背負い、銃を構えて直滑降している。視界はぐんと近付いて、二人の姿がはっきり見えた。男と女である。二人はロープを振って横っ飛びに壁面を蹴ると、正面で構えたアギーレの肩口を狙った。
明らかな急所狙いだ。
被弾の衝撃がアルセアにも伝わる。別のアギーレが頭上をとったが、今度は背負われた女がライフルで排斥。
見るまでもない。
匂いでわかった。ローヤルゼリーの甘い香り。
振り向いたその姿は、パウラであった。
銃口に光が閃き、アギーレの視界が潰される。
パウラ。
あなたは敵? 私たちの敵なの?
そこで無神経な夫たちのはしゃぎ声が、アルセアの神経を逆撫した。
「アウト」
「嘘だろ、入ってるよ。………入ってたよなあ、ハニー?」
ラテン男が微笑みながら近付いて来る。アルセアはじろりと睨んだ。
「うるさい」
アルセアは知覚繊毛を尖らせ、眉一つ動かさずに夫の頭を串刺しした。
「ぐわっ!」
目鼻を突き抜け、後頭部から飛び出した。夫は身を硬直させるとラケットを取り落とした。
残った夫たちは言葉もなく、すごすごとコートに端に引っ込んだ。
砲撃が止んだ。
ネルラとパウラは城塞の避難豪で土埃にまみれていた。炸薬のいがらっぽい燃焼ガスが立ち込めている。
霞の合間に動いているものがないか確認し、ネルラは身を起こした。オートガードCIWSは格納され、(ローラーコースター)も地中に沈んだ。
放心したパウラにネルラは声を掛けた。
「どう見ても救援じゃなかった、なあ?」
パウラは重々しくうなずく。
「母は怒ってるみたい」
「ウーム」
パウラは思い詰めたように呟いた。
「私、アギーレにキャンセルを送ったのよ」
ネルラは慎重に畳み掛けた。
「てことは?」
「多分、私を………殺すつもり」
ネルラは冗談半分に言った。
「家出娘に堪忍袋の緒が切れた。………そりゃまあ、あちゃーだな」
パウラは不満げにネルラを睨む。
「何? 人間って、もっと情に厚いんじゃなかった?」
ネルラは笑った。
「ハハハッ。何だよ、そりゃ? ………何情報だ?」
パウラはぎゅっと下唇を噛んだ。ネルラは軽口を叩いた。
「銃のマニュアルまで読んでンのは、わかったけど。………お前、あんまり驚いてねえな、感じてないか、はたまた肝が据わってるのか?」
ネルラは装備をまとめると、避難壕を背に寄り掛かった。ホルダーベルトを探り、ミサキの部屋で失敬した煙草を取り出す。
パウラはネルラの態度に声を荒げた。
「どういう神経してんの!」
ネルラはどこ吹く風である。
「しょうがねえだろ、迎えが来るって言うんだから」
リオン・ジャンティが来ると言う。ミサキが言うんだから本当だろう。それを無碍にするわけにも行かない。
パウラは悪態を吐いた。
「人間の男があんたみたいで。正直がっかりよ」
「そりゃ残念」
「何て言うの? そう言うの………」
「クズか? それとも糞野郎?」
「それね。後の方」
「そいつはどうも」
パウラは目を細めた。「あなただって人の子………お母さんから産まれたんでしょ?」
「まあね」
しばらく遠くを眺めて、ネルラは煙を吐き出した。上目遣いにパウラを見る。
「俺の出生、聞きたい?」
パウラは鼻を鳴らした。
「ご冗談」
ネルラは煙草の灰を払うと続けた。
「ま、聞いとけよ。時間もあるしさ。………大した話じゃないが、よくある顛末だ。………ワームホールラッシュとともに俺の人生は終わった」
ネルラは顎を擦った。
「まだガキの時、中央アジアの一角に時空連続体の口が現れた。知ってるか?」
「本で読んだわ」
「ウム。何人か向こうへ行き、金銀財宝を持ち帰った。………ま、作り話って噂もあるんだが広まるのが早くて。大勢が詰め掛けてラッシュになった。俺の両親も然りだ。で、みんなが乗り込んだところで………ペシャン」
ネルラは両手をぴしゃりと閉ざして見せる。パウラはうなずいた。
「扉が閉じちゃった?」
「そういうこと」
「アラジンと魔法のなんちゃら、みたい」
ネルラは静かに同意した。
「フーム………それから何度か口は現れたけど、その度に人が詰め掛け、そして誰も戻らなかった」
「今はどうなの?」
「まだあるぜ。空中をふらふらしながら中央アジアにね。だけど、ここ十年くらいは片道切符だな。向こう側には行けない。時間降塵が、ただ流れ込んでるだけ」
パウラは爪先で小石を蹴った。
「それで? それで、あなたは天涯孤独に?」
ネルラは口の端を曲げると、鼻の頭を掻いた。
「ウーン、それがそうでもないんだな。………預けられた山師のキャンプから人買いに売られて。しばらくは人足と変態相手のご奉仕で食い繋いだんだが、十二で雇い主を殺しちまって。あちこちブラブラしているうちに塗装関係のギルドに迷い込んで。そこで仕込まれて、今の俺があるってわけ」
パウラはネルラの顔をしげしげ眺めた。
「ギャンブルに目がないのは………」
「そうだな、親譲りだ」
「最悪………」
はっきり言われて、ネルラはニヤついた。
「ちょっとは、ねぎらえよ」
「あなた、胡散臭過ぎる」
ネルラは一度伸びをすると、美味そうに煙をくゆらせた。パウラはたずねた。
「両親のことは覚えてないの?」
「それが全くでな。おぼろげにも残ってねえ」
「つくづく不幸者」
そこで話が途切れ、二人は黙った。ネルラはお構いなしに煙草を吸い続けた。風に流された煙がパウラの目に沁みる。
「あの」
「何?」
「臭いんですけど。止めてよ」
ネルラは笑って煙草をもみ消すと二本目に火を点けた。パウラは諦めたように首を振り、無言で距離を取った。
しばらくして土煙の向こうからモーター音が近付いた。薄い埃のベールを透かし、高いマストが現れた。三輪の車軸の上にむき出しのフレームが乗っている。砂色のランドヨットが姿を現した。
「おいでなすった」と、ネルラ。
ビニールの覆いが開くと、良く陽に焼けた小柄な男が顔を出した。プエルトリカンの痩せ男。パイナップル柄のアロハに半ズボンを履いている。
それが発明家、リオン・ジャンティ、その人であった。
「よお、ネルラ」
リオン・ジャンティのことを動物に例えるなら猿、それもキツネザル下目(かもく)に似ている。目玉が大きく顎がない。いずれも既に地上に存在しない生物種だ。
「砲撃が激しいから駄目かと思ったぜ。でも、ま………ネルラだからな」
砂除けゴーグルを掛けたリオン・ジャンティはクォータリーでセイル展開し、追い風を捉えた。ランドヨットは軽快に砂漠を疾走していく。後部座席に収まったネルラとパウラは揺れる車体から振り落とされないよう、しっかりフレームに掴まった。
「リオン、ありがとな」と、ネルラ。
「いやいや、ミサキ姐さんの依頼とあっちゃ。しょうがねえだろ」
小物のチンピラ然とした喋り方のリオンは、パウラをちらりと見た。
「今度は随分可愛い相方じゃねえの。どした?」
ネルラは居心地悪そうに呟く。
「なんつうか、まあ………成り行き?」
パウラが軽く会釈する。
「パウラです」
「あ、ども。はあー………成り行きでこんなコ、ゲットってなー。さっすが色男は違うぜ」
冷やかし半分、浅ましさ半分のリオンの言葉を、ネルラは軽く流した。
リオン・ジャンティ、代々発明家の家系で、今時珍しい清く正しい理科系人間である。父親か、祖父だったか、莫大な利益を生む特許を見付け、綿密な法的手段を講じて末代まで続く資産を作ったらしい。そしてリオンは日々、それを食いつぶしながら生きている。そんな男が、どこでどうやったらネルラと接触出来たのか。それはリオンの、ジャンティ家ゆかりの功名心ゆえであった。
リオンの自宅兼研究施設は城塞の西側にある。もちろん、全て家族から受け継いだものだ。先見性からか、住まいは完全に地下に埋設されていた。
リオンは砂漠のど真ん中でランドヨットを止めると、セイルを畳み、マストを仕舞った。そしてポケットからキーレスエントリーを取り出した。
「ポチッとな」
いきなり砂地に切れ目が走ったかと思うと、見る間にスライドし、下り斜面が現れた。なんだか二十世紀の英国製スパイ映画のようである。
「ワオ」と、パウラ。
ランドヨットはモーター駆動に切り替え、そのまま地下へと滑り込んだ。車体が隠れたところで素早く扉が閉じる。眩いキセノンランプが点った。広いガレージに到着すると、百平米ほどのスペースに三台の車両が見えた。いずれも知らない車種ばかりだ。恐らくは、これもリオンの発明品なのだろう。
「何か、すごーい」
パウラは開口一番、感嘆を漏らした。リオンは得意げに両手を広げた。
「ネルラ、半年振りかな?」と、リオン。
ネルラは視線を合わせずに、「だったか?」
こめかみを掻きながら、皮肉めいた口調で続けた。「先代の稼ぎは未だ潤沢か?」
「おかげさんで」リオンの汚らしい髭面がニヤリと笑う。
三人共々に降塵除去装置に掛かると、リオンは奥へと誘った。ネルラはかつて、ここを何度か訪ねたことがあった。研究施設とリビング、その他諸々が設えてある。間仕切りの扉に白文字でメッセージが掲げられていた。
(人間は思考する努力を省きたいがため、あらゆる方便に頼ろうとする)
何とも耳の痛い格言である。こんな上から目線、一体どこのどいつだ? と開けてみると正面に白髪、蝶ネクタイの爺の肖像が見えた。下に添えられたのはトーマス・エジソンのサイン。肖像の右隣、天井から吊り下げられているのはモビールでなく、ライト兄弟のフライヤー1号のミニチュアだった。いずれも発明家精神を称えてのことだろう。
ルイス・ポールセン風のシェード付きペンダントライト。LC2グランコンフォートのソファ&テーブルセットが存在感を出している。揃いのサイドテーブルにはショットグラスとバーボンのボトルがあった。
リビングは清潔かつ簡素で、合理的に纏まっていた。つまりこれは二十一世紀初頭の人類の文化的継承、そういうアピールなのだろう。
パウラは断りもなく長椅子に飛び乗った。それから猫のように背伸びをする。
「ああ、気持ちいい」
彼女は冷たいレザーに頬擦りすると二人に問うた。
「あなたたちって、どういう関係?」
リオンは奔放に放り出されたパウラの太腿を、惚れ惚れ堪能した。
「ウーン、まあ、その辺は色々あって………」と言い掛け、口をつぐんだ。「いやいやいや、そうじゃねえよ。まずはあんたとネルラのことでしょうが?」
パウラは驚いた風に胸に手を当てる。
「私?」
ネルラが咳払いで後を受ける。
「あー、何だ、こいつは何て言うか………ガウルの第三王女………だ」
終いの方は声が消え気味だった。
「は?」
リオンは狐につままれたようになった。ネルラは眉間に皺を寄せ、パウラはこくりとうなずく。リオンは目を見開いて指差した。
「待て待て待て、何言ってんだよー、ネルラ。お前、正気かよ?」
それから十分ほど掛け、ネルラはリオンに事の次第を説明した。リオンはすっかり腰が引けていた。
「何だよ………。おっかねえ」
パウラは小首を傾げた。
「心配しないで。私、リオンさんとおんなじ側なんで」
「おんなじ側?」
「そういうことだ、リオン」
リオンは口をへの字に曲げ、無言で後ろ首を掻いた。
パウラはソファで胡坐をかくと片肘を突いた。
「ね、リオンさん。ネルラはあなたに借金があるって。そう聞いたんですけど、それってほんと?」
リオンはスツールに寄り掛かりうなずいた。
「ほんとだよ」
「何の借金?」
ネルラが咳払いする。ちらりとリオンが睨んだ。
「あれだ、その………二人で画期的な新製品を作って一攫千金………一発当てようっていうあれだよ」
そう、うそぶくリオンをパウラは薄笑いで迎えた。
「ベンチャー、みたいな?」
「そうそう。そういう言い方もある」と、リオン。
「で、ネルラはあなたの資金繰りを充てに擦り寄ってきた、と」と、パウラ。
ネルラは強く否定した。
「馬鹿言うな。俺はこいつの才能に惚れ込んでだなあ………」
パウラは耳障りに笑った。「ハハハッ。物は言い様ね」パウラは部屋をぐるり見回し、たずねた。
「ご家族は随分と成功したんでしょ? どういう業績で?」
リオンは腕組みした。
「爺さんが二酸化ジルコニウムの結晶構造を相転移させる技術、つまり透明なセラミクス成形に成功したんだ」
パウラは感心した。
「なるほど。そいつは有力ね。長い目で見て、とても有効。で? ………あなたたちは?」
「俺たちはボルツマン重粒子群の影響を限りなくゼロに相殺する、そういう塗料の開発を目指したんだよ」リオンは凡庸な研究者らしく、あえて小難しい言葉を選んで言った。
「わかりやすく」と、パウラ。
「つまり時間降塵の赤と白をバランスよく配合すると、だ。耐食をゼロに近付けることが出来る」
パウラは首を傾げた。
「つまり塗り変え不要のペンキ、みたいな? なあ?」と、リオン。
「そうだな」と、ネルラ。
パウラは興味津々にうなずいた。
「で? それは完成したの?」
「もちろん。当然だ。………でもそこからが運の尽きだった」
パウラは下から見上げるような視線をリオンに送り、ニヤニヤ笑った。
「多分だけど………棟梁のところへ持ってって売り込んだところが断られた、そうなんでしょ?」
リオンは目を丸くし、不思議そうな顔をした。
「何で、わかんだよ?」
「そりゃだって、それだと塗装の仕事がなくなっちゃうじゃん。向こうは商売あがったり。………そうじゃない?」
リオンとネルラは沈黙した。
しばらくしてネルラが苦々しげにうなずいた。
「俺たちは見抜けなかったんだよ。………で、残ったのが大量の資材と研究費の赤字ってわけ」
パウラは小馬鹿にしたようにケラケラ笑った。
「大馬鹿」
「うるせえ」
リオンは眉を持ち上げると、おどけて見せた。
「ネルラ。気にすんなよ。俺は困っちゃねえから」
ネルラは憤慨した。
「違うだろ! そこはプライドの問題だ」
ヘンリー・チャンは不愉快だった。輸送隊商の全滅。巨大タンカー四台諸共にである。一体どれほどの損害になったことか。無論、従弟のアーロンが死んだこともあるが、この落とし前、誰かに取らせねばなるまい。それが新興勢力の若きドンとしてのけじめだった。
直ちに情報は寄せられた。逃げ出したドライバーが成り行きを見ていたのである。最後に残された男は、タンカーごと崖から転落する直前に戦闘ガウルを仕留めていた。断末魔の反撃に深手を負ったが間一髪、車に救われた。何処の誰かは知らない。瀕死の男を抱え、この付近を転々としているらしい。繋ぎ合わせてみると、その一行が(壁の門32)から遠からぬ辺縁の居宅に入ったことは間違いない。状況からして治療、あるいは医師の施術が可能な世帯、ということになるだろうか。
黒のランドクルーザーは城塞から七百メートルほど離れた掘立小屋の前に留まった。
「ボス、ここですね」
舎弟が先回りし後部座席のドアを開けると、サングラスを掛けた小柄なヘンリー・チャンが降り立った。龍の刺繍のチャイナシャツを着、神経質そうに指先を見詰める。ヘンリーは合図を送った。
手下は助手席から破(は)城(じょう)槌(つい)を下ろすと、一撃で扉を破った。砂埃の向こうに太鼓腹の男が立っている。驚いた顔で言った。
「何だよ? ………呼び鈴、あるだろ?」
ヘンリー・チャンは不機嫌そうに前へ出た。
「ハミー博士?」
「そう、だが………」話している最中に相手に気が付いた。ハミーは言葉に窮した。
けたたましい騒音に驚いたか、奥から若い男まで顔を出す。
「どしたの、センセー?」
ハンサムな美青年の顔立ちを、右の眼窩に白く浮き上がった傷跡が台無しにしている。よくよく注視すると眼球に何か突き刺さった跡まである。瞳の正円が崩れて僅かに外に流れ出している。
ヘンリー・チャンはうなずいた。ハミー博士と助手のスヌード。若い方がスヌードらしい。
「うわっ、ヤクザ………」
スヌードは思わず口を滑らせた。ヘンリー・チャンは薄笑いを浮かべる。
「そうですよ。正真正銘、ヤクザです」
ハミーは恐縮して口ごもった。今にも泣きだしそうな顔になる。
「………それで、今日はどういうご用向きで?」
ヘンリー・チャンは中を見回すと、うなずいた。
「ま、研究所と呼ぶにはいささかね。どちらかと言うとお肉屋さんか?」
「はあ、それは………」と、ハミー。ヘンリー・チャンは畳み掛けた。
「あなたたちがガウルの遺骸を混入させたソーセージを市場に卸している。そういう話も聞いてますよ」
「いや、それはその………別に法律違反じゃないですよね?」
やや的外れなハミーの受け答えに、ヘンリーは苦笑いした。
「そうですね。味も中々なんだとか。シンケンクラカワに似ているとか、どうとか?」
ハミーは脂汗をにじませた。
「何処かで、お召し上がりになりましたか?」
「私はソーセージは食べません」
ヘンリーは口の端を曲げ、酷薄な笑みを浮かべた。
「ま、そう、緊張しないで」一旦言葉を切り二人を見比べる。「ここに三人の人間が来たのはわかってます」
ハミーはスヌードに向かい、白々しくとぼけて見せた。
「三人? 三人ですか?」
スヌードも申し合わせたように肩をすくめる。
ヘンリーは笑った。
「嘘が下手だな。………しかし庇いだてするところを見ると、何かありますか?」
ヘンリーはじろりと睨んだ。
「何って、別に」ハミーの声が震える。
「駆け引き、なんて考えてるなら、止めた方がいいですよ」
蛇に睨まれたカエルのようにハミーの動きが止まった。
ヘンリーはシャツのポケットから写真を取り出すと、ゆっくりハミーの鼻先に突き出した。
「一人はこの男」
ハミーは写真を受け取ると、老眼らしく距離を取って眺めた。
「えーっと………あ、ああ。思い出した。来ましたね………こいつ」ハミーは眼を眇めた。「でも、どうして?」
ヘンリーは鼻を鳴らした。「隊商のメンツで名前はネルラ」
ハミーは記憶を辿った。
「隊商って、この間のガウルに襲われた、あれですか?」
「そう」
ヘンリーは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
「大損害の隊商ですよ」
ハミーは唸り声を上げた。
「災難ですな」
「ええ、全く」
ハミーは緊張に詰まって咳払いした。
「はあ………それで? どんな男なんですか、ネルラは?」
ヘンリーは皮肉たっぷりに答えた。
「臆病で卑怯で狡賢い。おまけに借金もたっぷりだ」
「だから、追い掛けてるんですか?」と、ハミー。
するとヘンリーは薄笑いを浮かべた。
「いや。何………私、単純にこいつが嫌いなんですよ。だから責任をおっかぶせるならこいつかなって」
ハミーは背中に冷や汗を掻いた。
「何か、それも相当………卑劣ですね」
ヘンリーは乾いた声で笑った。
「でしょ? なんたって私、ヤクザなもので」
固まっている二人を他所に、ヘンリーは壁際の棚を物色した。そして古いトランジスタラジオを見付ける。
「音楽でも?」
スイッチをひねると女声のブルースナンバーが流れた。いささか物悲しいコード進行で始まる。
「おっと、ビリー・ホリディ。お好きですか?」ヘンリーは短く鼻歌を歌った。
「音楽は詳しくなくて」と、ハミー。
歌はこう続いた。
南部の木々に奇妙な果実がある
葉は血に濡れ、赤い滴りが根を染める
南部の風に揺れている黒い身体
ポプラの木から、ぶら下がった奇妙な果実
………
ハミーは耳をそばだて、顔をしかめた。
「何ですか?」
「人種偏見における暴力の叙景。わかりますよね?」
ヘンリーが二人を見据え鼻息を漏らすと、舎弟が前に出た。手には破(は)城(じょう)槌(つい)が握られている。
「言っときますが、案外気が短いんですよ」
ヘンリーはそう言い、微笑んだ。ハミーの顔にどっと汗が噴き出す。ヘンリーは仕方なしに付け加えた。
「ま、そちらの若い方でも。構いませんが」
今度はスヌードがぎょっとする番だ。
慌ててハミーが否定した。
「あの、ヘンリーさん。隠し立ては致しませんので、それだけはご勘弁を」
「そうですね。正直が何より」と、ヘンリー。
ハミーは汗ばんだ両手を擦り合わせ、ヘンリーから渡された写真をもう一度眺めた。
「確かに三人、やってきました。一人はこの男で間違いない。名前は聞いてないが脱水状態で。乳酸リンゲル液を点滴しました」
「生きてましたか?」
「もちろんです。だからこいつがこんな目に」そう言ってスヌードの傷のある顔を指示した。スヌードは訴えるように右目を開いてみせる。
「ネルラらしいですね。で? 後の二人は?」
ハミーはポケットにタバコを探したが見つからなかった。仕方なく周りを伺いながら神経質に続けた。
「女です。と言うか雌? あいつらどっちも人間じゃなくて、人型のガウルでした」
ヘンリーの表情が微かに変化した。
「ほう」
ハミーは震える声で続けた。
「一人はバラして………もちろん研究のためですよ。で………もう一人には逃げられてしまって」
「男と? 一緒にですか?」
ハミーは二度、首を縦に振った。
「恐らく………はい」
そこでスヌードが横槍を入れた。
「逃げた女、あいつ絶対、女王の血統ですよ」
「何です?」と、ヘンリー。
スヌードは含み笑いを浮かべた。「血液サンプルなら取ってありますけど」
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