第11話

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 炉で加熱された麦飯石に掛かるアロマ水が音を立てた。たちまち小屋の中はラベンダーの蒸気で満たされる。

 パウラはリオン・ジャンティのところに完備されたスチーム小屋の熱気浴が痛くお気に召していた。砂漠で蒸風呂というのもなんだが、効率的な循環システムを使ったサウナと水風呂は、持て余す余暇の中、恰好の精神安定を促した。中でもアロマの利いたロウリュウ(ここでは自動タイマー式のもの)により、十五分おきに香しいスチームに包まれる。その感覚がなんとも爽快で、パウラは連日飽きもせず所望した。香りは五種類あり、ラベンダー、オレンジ、ペパーミント、そしてレモングラスとユーカリ。パウラのお気に入りは一番甘めのオレンジフレーバーだった。

 頭頂部から噴き出す汗が首筋を伝い、小振りな谷間に流れ落ちる。パウラはじっとり蒸されながら全裸でサウナマットに座っていた。

 小窓から差し込む明かりに浮かんだ十二分計。作法として一回に付き最大で十二分とされている。それが済むと水風呂に飛び込んでクールダウン。休憩を挟んでこれを何セットか繰り返すのが一般的らしい。時計はまだ一分を回ったばかりだった。

 パウラは雛壇の最上段で膝を抱えた。

 ここにいればしばらくの間、母に見つかることもあるまい。リオンの基地? に限って言うならば、この隠匿性は月の裏側にも匹敵した。ひょっとすると外に出ないでいる限り概ね大丈夫なのかもしれない。ほとぼりが冷めるのを待って………いやいや、そう言うわけにもいくまい。多分このままでは駄目だ。

 母が決めたことは絶対なのである。私は既に見放された。王女でも娘でもない存在。恐らく使役カーストほどの価値もない。近々、自分は殺されるだろう。

長生きはしたいし、自由も謳歌したい。そっちが見切りを付けたんなら、こっちだって。お生憎様。

 こう言う状況、ヒトの描く物語にも良く出て来た。人間は愛や恋を語るのも上手だが、陰惨な復讐劇にも才がある。コルレオーネ・ファミリーと呼ばれる王族の物語では、血の制裁によって事態が解決する。対立勢力のみならず家族さえ厭わない。長男は妹の夫を憎み、夫は長男を殺す。そして次男は三男の暗殺を企むという塩梅だ。そして全てに決着を付けるため三男は裏切り者を一網打尽にするのである。明快なまでの弱肉強食。

 身内殺しと言えば『我が子を食らうサトゥルヌス』なんてのもあったか。将来、自分の子に殺されるという予言を恐れ、五人の我が子を次々に呑み込んでいったという、食人鬼の伝承。

 ヒトにはこうした神経症的な側面があり、それでいてそれを他人事として楽しむことも出来る社会病質的な相反。この矛盾が根底に根差している。


 小屋の扉にノックがあった。

「誰?」パウラは上の空で聞いた。

「俺」

 断りもなく男が入って来る。ネルラである。パウラは視線で追い掛け、対面に落ち着くのを眺めた。

 オートロウリュが作動すると、たちまち蒸気が二人を包んだ。霞越しに見えるネルラの肩には色の違うV字の傷跡が見えた。

 視線を感じ、ネルラが返した。

「何だよ?」

「その怪我」

「ああ………」

 パウラは前髪を掻き上げると咳払いした。

「助けた意味、あったかしらね?」

「何だ? 恩着せがましい話か?」

「さあね」

 パウラは黙って額の汗を拭った。ネルラが聞いた。

「悩み事?」

「わかってるでしょ?」

 不貞腐れるパウラにネルラが呟く。

「ああ、母ちゃん問題か?」

 ネルラは鼻息を漏らした。「そろそろ決めねえとな」

 パウラは眉間に皺を寄せた。

「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」

「それ………何だっけ?」

 ネルラの間の抜けた問いに、パウラは呆れた。

「冗談でしょ? 人類最高の戯曲作家が書いたセリフでしょ?」

「そうなの?」

「『ハムレット』よ」

 ネルラは渋々うなずいた。そして鼻の頭を掻くと、「どの道そんな………大昔の戯言なんざ関係ねえ」

「ウーン………」

「はっきり言って答えは出てんだろ? 女ってえのはいつだって、男より現実的なもんだ」

ネルラは訳知り顔で呟く。

 時計は丁度十分を指していた。もう無理、限界。

パウラは突然立ち上がると、ネルラの鼻先を突っ切った。汗に濡れた、ほっそりした肢体が光る。扉を開くと青いタイル貼りのプールが広がっている。パウラは小走りすると、いきなり飛び込んだ。

 摂氏十七度の冷たさに思わず悲鳴を上げる。

「ひゃあっ!」

 一声叫び、そのまま頭まで潜った。仰向けにゆっくり浮かび上がると、彼女は背泳ぎを始める。

 ネルラはサウナ室から出て、ゆっくりプールサイドを歩いた。

「ねえ、ネルラ。私に殺れると思う?」

 ネルラは鼻で笑った。

「骨は拾ってやる」

「こう言っちゃなんだけど私、死にたくないのよ。差し違えなんて柄じゃないし、確実なのが一番」

 ネルラは無言でうなずいた。

 パウラは身体の向きを変え平泳ぎで進むと、ネルラの足元に近付いた。

「ねえ、ネルラ。私が頼んだら、やってくれる?」

「何を?」

「母の暗殺」

「ハッ」ネルラは呆れた声を上げた。「何言いだすかと思えば………自分で、どうにかしろい」

「私は本気よ」

 パウラは眉を持ち上げ、小さくうなずく。ネルラはこめかみを掻いた。

「それってさ………俺が関わる、いやそれよか………俺様のメリットは何だ?」

 パウラは含み笑いで答えた。

「借金って相変わらずでしょ? この間ので、さらに上乗せされて。リオンにだってある………」

「うるせえな」

「あなたもヤクザに見つかったらたちまちなわけ。でしょ?」

「………」

 パウラは人差し指を持ち上げた。

「考えてみて。………どうしてガウルがヒトからガソリンやら何やら、外の市で買えるのか?」

「そりゃ、金だろ」

「そういうことよ。何事もお金ありき、ってことね」

ネルラのこめかみがぴくりと動いた。パウラはにんまり笑った。

「つまり私の母、七十二代新生ガウル女王アルセアは、たんまり人間さまのパスカをため込んでるってわけ。母を殺せば自動的に女王の座は私に移る。彼女の記憶も能力も一族も。………もちろん、お金だって」

「ほうー」ネルラは関心なさそうに呟いた。が、パウラはそれを見逃さない。

「そういうことなのよ」

「何か、わかってきたぞ」そう言いながら、ネルラは水に足を差し入れた。たちまちパウラが引っ張って、裸身を摺り寄せて甘える。

「何だよ?」

 水の薄膜越しに彼女の肢体を感じた。その温もりは、たちまちネルラを興奮させる。耳元でパウラが囁いた。

「何だってするわよ、私。命が掛かってるんだから。………どう? 少しはやる気、出た?」



「じゃ、何………二人は本気なわけ?」

 リオン・ジャンティは億劫そうに呟いた。

「本気も本気よ」

 パウラはペプシのボトルを傾け、うそぶく。ネルラは無言。

 リオンが言った。

「お前が他人のいざこざに首突っ込むとはな?」

「金だよ、金。金が全ての三文芝居」

「予想通り過ぎて、つまらん」

 パウラが笑い声を上げた。

「利害の一致ね」

 リオンは後ろ首を擦りながらリビングを退席した。数秒と立たぬうちに筒状に丸めた用紙を担いで戻った。ネルラがすかさず揶揄した。

「何だよ。お前もやる気十分じゃねえか」

「こっちは、返してもらう側だぜ」と、リオン。

「へいへい」

 リオンは短く鼻息を漏らす。

「まずは場所だな。あんたの母親は何処にいる?」

 紙筒を開くと、それは近隣の地図だった。覗き込んだ二人は同時に眉を顰めた。

「何だ、これ?」と、ネルラ。

「地図だよ。ここらの」

「どう見るの?」と、パウラ。

 痺れを切らし、リオンが指南した。

「いいか、この印。わかるか? こいつが指してんのが北。………ていうか、地図ってのはな、大体上が北なの。北半球じゃ」

 キョトンとしたパウラが感心した様にうなずいた。

「へえー。ここ北半球?」

 リオンは腕組みすると唸った。

 地図は(壁の門32)を中心に描かれていた。もちろん上が北である。尺はわからないが(12)と(24)も記されている。とは言え、今時の地図など時間降塵が影響していて、ほとんど当てにならない代物だ。音や光は捻じ曲げられ、上空からの俯瞰も取れないとなれば、精度が上がろうはずがない。

「この崖。この間、俺がタンクローリーで死にかけた場所だな」

 ネルラは唯一理解出来たランドマークを指差した。

「そっか」

 パウラはしげしげと眺め、言った。

「ここが(32)だとして、この辺りが気狂い博士とその助手のところね?」

 リオンが訳知り顔で答えた。

「ハミー博士?」

「何? もしかして知り合いなの?」

 パウラが身構える。

「ま、同業のよしみでな」

 あからさまに嫌悪を顕わにするパウラに、リオンは慌てて手を振った。

「心配ねえよ。俺、あのスヌードって奴が苦手だから。だから………付き合いはナシ」

 ネルラは検分して現在地を示した。

「今、俺たちが居んのが、この辺だな」

 リオンが言葉を継いだ。

「それで? 王女様ンちは?」

 パウラは目を細めて眺め透かし、人差し指を用紙に当て、地図の外側まで辿った。

「多分………この辺かな? 縦谷の北壁沿い」

 ネルラとリオンが揃って膝を打った。

「おうおうおう、まさかのご近所さんだな。 (12)のちょい先じゃねえか。何度も通ってるぜ」と、ネルラ。リオンは静かに目を伏せた。

「灯台下暗しだ」

 パウラは自慢げに背筋を逸らした。

「そこは優秀な預言カーストによるところかしらね。妨害思念によるカムフラージュ。見破るのはまず無理」

 ネルラが揶揄した。

「自慢か?」

 パウラはペプシのボトルを煽った。

「ま、そういう防御があるせいで、案外警備は手薄だったりするのよね。もちろん、私と一緒なら楽に入れる」

 そこでネルラが人差し指を振った。

「そりゃ、今まではだろ? わかってるか? あんたは、もう敵側に回ってンだ」

はっとしてパウラは爪を噛む。

「………そっか、そうかも?」

 リオンは白けた声を上げた。

「どっちなんだよ、当てになンのか、ならねえのか?」

 パウラは苦し紛れに咳払いすると、目を眇めた。

「私だって元王女なんだから、下級カーストには顔が効くわよ。だから、勝算はあるわ」

 ネルラは面倒くさそうに眉を顰めた。

「まあいいや。先、聞こうぜ」

 パウラは姿勢を正して地図を見降ろした。

「そう、それで門番を交わして侵入したとして………母はいつも見晴らしのいい最上階にいるのよね。上までは六層ある」

ネルラが茶化した。

「まさか、下からズラッと強いやつが雁首揃えて待ち構えてるって? そういうンじゃねえだろう?」

「あなたたちのカンフー映画じゃないんだから。でも普通に警備はいるわよ。戦闘カーストがズラリ」

 リオンが顔をしかめる。

「強いんだろう? おまけに固いし」

「そうそう、ほんと固いんだ」と、ネルラ。

 パウラは人差し指で顎を支えた。

「飛んでるガウルと一緒かな? 見掛けは虫っぽい。ちなみに母や私たちみたいなヒト型は人並みだけど、母が纏っている装束は仲間の紡いだ繊維から作られてる。だからとーっても強いわよ。ちょっとやそっとじゃ抜けないわ。あんたたちの防弾着よりしっかりしてるから」

「ケブラーやポリカーボネイト以上ってこと? ウーム」と、リオンが頭を抱える。

「それに母には従順にして勇敢な夫が十二人いるわ。彼女のためなら皆、平気で命を投げ出す輩なの」そう、パウラが付け足した。

「旦那の使命感ね。………それで?」

 ネルラの疑問にパウラは首を縦に振った。

「一見して優男の集団だけど、雄のガウルの骨格はアギーレの外殻と同等だから………」

「やっぱ、固いってか?」

「巌(いわお)の如く」と、パウラ。

 ネルラは考え込んだ。「ウーム」

 パウラは首を傾げた。

「そうは言ってもタンクローリーに付いてた、あのごついガンなら、ガウルだって一溜りもないわよ」

 ネルラは鼻を鳴らした。

「馬鹿か、お前。焼夷徹甲弾発射出来るガトリング砲なんて、どうやって持ち込むってんだよ?」。

「そこは、まあ………考えてよ」

「何じゃ、そりゃ」

 パウラはくるりと目玉を回した。知らずと二人の視線がリオンに集まる。リオンはぎょっとした。

「何だよ?」

 ネルラがにんまり微笑んだ。「発明家の旦那。一発、根性見せておくれ」

 リオンは迷惑顔で呟く。

「何言ってんだ。調子こいてんじゃねえぞ、ネルラ」

 ネルラはリオンの肩をポンと叩いた。

「上手くすりゃ大金だ。なあ?」

「そりゃ、お前の借金の話だろ?」と、リオン。リオンはため息を吐くと両手を擦り合わせて二人を見た。

「ちょっと………考えさせてくれ」



 それから三日三晩、リオンは研究室に閉じこもった。ネルラとパウラは大飯を食らい、サウナに入り、惰眠をむさぼって過ごした。四日目の朝を迎えたところで、さすがのリオンも堪忍袋の緒が切れた。

「ネルラ、お前さあ、ヒマだったらガレージの塗り直し、やっといてくれるか」

 言い方に険があったのは言うまでもない。

 ガレージを調べてみると、支柱の隙間に小さな罅(ひび)が広がっていた。塗装と降塵材料だけは有り余るこの場所で、補修作業は簡単である。何よりネルラの本業は用心棒でなく、塗装職人であるからだ。

 溶媒の中に純度七〇パーセントの赤白時間降塵を門外不出の配合レシピで投入すると、限りなく耐蝕ゼロに近いの充填材が出来上がる。後は専用のコーキングガンで流し込み、乾くのを待つだけだ。スクレバーで削りワイヤーブラシを掛ける。

「なあに? 専門家のお仕事?」

 ネルラは作業台を離れると防塵マスクを下ろした。戸口に立ったパウラが面白そうに見てる。

「冷やかしか?」と、ネルラ。

「そうね」

「見学したけりゃ………ほれっ」

 ネルラはパウラに予備のマスクを投げて寄越した。

「何これ?」

「黙って着けな」

 不満そうなパウラだったが、結局鼻口を覆うと傍らに立った。

「へえー。これが時間降塵………」

 パウラは天板に乗った二つのボトルを指差した。どちらも黒い見掛けの入れ物だが、内側がそれぞれ赤、白に塗られている。想像通りであったが白い方には赤の粉末、赤い方には白い粉末が収まっていた。細かい泥、挽下ろした細粒薬のようである。

「純度は百パーセント?」そうパウラがたずねるとネルラは首を横に振った。

「いや。………自然界で採取出来るのは六〇パーセントが精々だ。こいつらはかなり濃縮して七〇パーセントまで高めてある」

「どうして百パーセントにしないの?」

「そりゃ、保存が難しいからさ。ケースが持たねえだろ?」

 きらきらと目を輝かせているパウラに、ネルラは一つ提案した。

「実験………見てみるか?」

 パウラは興味津々、同意した。

 ネルラは安定塗装を施した菜箸を手にすると、手近にあった50ミリの六角ボルトをつまみ上げた。比較的新しい銀色に光るねじ山を、パウラにじっくり拝ませる。

「見てろよ」

 ネルラは掴んだボルトを赤い粉末容器に近付けた。触れるか触れないかの寸前、ぱちぱちと爆ぜる音がして線香花火の如く光が散った。先端がみるみる赤錆びると、五ミリばかり崩れ落ちた。

「ワオ」と、パウラが目を丸くする。

「いいか、こいつは酸化して錆びたわけじゃない。赤の粉末が、こいつの先端の時間を数十年進めたってことになる」

「なるほど」

 ネルラは短くなったボルトを鼻先に眺めると、今度は白の粉末へ近付けた。たちまち空中から被膜が現れると、まとわりついて崩れたボルトが復元される。くすんだ表面は再び銀色の輝きを取り戻した。

「あなたの肩と同じね」と、パウラ。

「生体細胞だと、もっと効果が著しい、ンだそうな。俺は医者じゃないんでね。これがボルツマン重粒子群による変動拡散運動。詳しくは………俺には聞くな」

「時間降塵は可逆と不可逆を行き来する。この、あやふやな世の中の元凶ね」

「そう言うこった」

そこでネルラは考えた。

「不思議なんだかな、俺は何度か白の降塵で逆行を味わってんだが、記憶が戻ることは一度もない。つい最近も含めてな。………そういうンが脳内にあるなら、そりゃそれで、なんかありそうなもンだがな?」

「ヒトの魂は何処?」と、パウラ。

「知らねえ」

 パウラは眉間に皺を寄せ、首を捻った。

「思ったんだけど………この時間降塵って、白だけあったらいいんじゃない?」

「ああ?」

「この世界は放っておいても前に進んでるわけでしょ? だったらバックだけ出来たらいいじゃない? 先に進んだところで、いいことなんて何もないし。でしょ?」

 ネルラは人差し指を持ち上げた。

「いいか、時間降塵の働きは一定じゃないんだぜ。はっきりしてないことも一杯あって、なったりならなかったりの大博打だ。そんなもン充てにしてると、そのうち痛い目見るぜ」

 パウラはからかうように言った。

「博打うちに博打の説教?………」



 二人が通されたのは、北の端にある屋内試射場だった。十ヤード四方のスペースがコンクリートで囲われ、跳弾を防ぐため厚く油粘土で塗り固めてある。湿った土の匂いがした。作業台の上には口径の異なる複数の拳銃が見えた。少し離れた台座にアサルトライフルが固定されている。

「珍しいじゃん、リオン。温厚なお前さんが」

 軽口を叩くネルラに、リオンは肩をすくめた。

「ずっと遺産の食い潰しってのも、なんだしな」

 リオンは部屋の片隅から台車に乗ったトルソ・マネキンを押してきた。マネキンにはタクティカルベスト(防弾チョッキ)が二重に取り付けてある。

「問題はガウル特有の固い殻、もしくは骨格を如何にして撃ち抜けるかってことだろ?」そう、リオンが言った。ネルラはうなずいた。

「今のところ、抜けたのは30×173ミリの対装甲用焼夷徹甲弾だけだ」

 リオンは、もったいぶって説明を始める。

「弾丸の貫徹力はその重さと初速の問題で、貫徹力○○mm相当(RHA換算)なんて小難しい話になるんだが………ま、数字のことはさておき」そう言ってリオンはマネキンの肩を叩いた。

「このベストは胸と背中にセラミック層があって、防弾不織布(一方向強化ポリエチレン)が当ててある」

「そいつの二枚重ねってわけだな。随分寒がりなやつだぜ」と、ネルラ。

 リオンは鼻で笑った。

「心配するな。すぐに暑くなるって」

リオンは固定台座のアサルトライフルに近付くと弾倉を引き抜いた。

「こいつは7.62×51ミリの突撃銃だ。NATO弾では、ほぼ効果なかった。そうだよな、ネルラ?」

「急所以外な。ひっかき傷も付かねえ」

「しかし………」リオンは鍵付きの引き出しから別のNATO弾を取り出した。先っぽの弾丸部分が赤くエナメル引きしてある。まるで商売女の派手なネイルのよう。

「この弾なら、どうだ?」

 リオンは弾丸をセットすると、チャージングハンドルを操作してチェンバー装填した。照準を確かめ台座から離れると、イヤーマフとゴーグル三つを持って二人に近付いた。

「離れて」と、リオン。

「リモートか?」と、ネルラ。

「まだテスト段階だからな」

 そう言ってケーブルレリーズを振って見せる。

「おっかねえぜ」

「さっさと付けろ。………王女様は大丈夫?」

 気遣うリオンを他所にパウラは自分でイヤーマフを付けた。

 リオンは前触れもなく、レリーズを押した。猛烈な爆発音がした。

 が、少し違う。ネルラは首を傾げた。いつもと若干様子が違った。弾丸が物体を貫通する擦過音というか、そうした何かが足りない。

 パウラがマフを外しながらたずねた。

「抜けた?」

「抜けた、抜けた」と、ネルラ。

「頑丈なんでしょ?」

「まあね。ガウル並みってとこかな?」リオンはそう呟きながら、標的からベストを外した。

「ほら」

 覗き込むと表面の生地はもちろん、前後合わせて四枚のセラミック板に綺麗に丸く穴が開いている。防弾不織布も然りだ。しかしおかしなところもあった。正面の射入口はともかく、射出口が広がらず小さく収まっている。それに通過した射創管がアイスピックでも突き立てたように真っすぐだった。

「どういうことだ? 火薬量じゃなさそうだけど?」

 眉間に皺を寄せ、銃創を検めるネルラに、リオンは自慢げに語った。

「弾の貫通力は火薬の力だけじゃないだろ?」

「そうなのか?」

 リオンは笑った。「ネルラ、俺たちの研究は何だった?」

 ネルラは腕組みしてそらんじた。

「そりゃ、時間降塵から作った耐食ゼロの外壁塗装だろ?」

「そうだ。時間降塵の作用は、物体の接触面での時間進行の前進と後退。つまり俺たちはその+-ゼロの混合レシピを割り出したわけだよな」

「ああ」

「そこでだ。じゃ、赤を限りなく濃縮したら、どうよ?」

 ネルラは腕組みした。

「そうだな………接触面の時間進行を加速する?」

「そう。つまり物体の拡散崩壊を後押しするってことだな。この弾丸には濃縮した赤の時間降塵が塗ってあるんだ。薬莢の内側と弾の外周りは俺たちの非耐食塗料で固めてある。高濃度の赤に耐えられるよう、濃縮率はもう一段引き上げてある。表面はエナメル仕立て。だからそこは発射時に燃え尽きちまう。で、剥き出しの時間降塵濃縮赤の弾丸が標的へ向かって飛んでくわけだ」

 そこでネルラは閃いた。

「触れれば、たちまち?」

「弾はモノに触れることなく、耐蝕崩壊し続けるトンネルをまっすぐ通過するってわけ。こいつは目標の抵抗を限りなくゼロに近付ける弾丸なのさ。力で押すんじゃない。滑りを良くすンだよ」

「おおっ?」

 リオンは無精髭を擦った。ネルラは目を輝かせる。「固い殻は?」

「ボール紙のように」

 パウラが口を挟んだ。

「研究、無駄になってないじゃない?」

「ま、そういうこと」リオンは得意げに鼻の頭を掻いた。

早速、ネルラが先々の心配を始める。

「ちなみに今のはNATO弾だよな? 小型化は? 考えてんの?」

「そりゃモチのロンよ。やってますよ。必要なのは9ミリか? それとも.45ACP弾?」



 しかし問題は、どのタイミングで狙うかである。妨害思念を操るガウルたちは、その過信から防備が甘いと言う。本当だろうか。ま、今までガウルの攻撃に何度か出会ったが、その都度正攻法だったことは確かだ。


 ソファベッドに寝そべり、ネルラは胸の上で寝息を立てているパウラを見た。濡れた髪を撫で付け匂いを嗅ぐ。蜂蜜に似た香しい薫りがした。

 ネルラは真珠のように真っ白い女の尻を無意識に撫でた。彼女はくすぐったそうに身を捩ると細長い手足を巻き付けた。腹の上に汗ばんだ身体が密着し、何だか水棲動物にしがみつかれた気分になる。

「おい、ネルラ、ちょっといいか? ………」

リビングの扉が開くと、リオンが顔を覗かせる。

「………取り込み中?」

 ネルラは後ろ手に頭を支えた。

「いいや」

「そっか」

「こんな時間にまだ作業中?」

 ネルラの問いに苦笑いするリオン。

「こちとら慢性の不眠症だ。ま………それも趣味だしな」

「それは、それは」

リオンはちらりと様子を眺め、咳払いした。

「弾の話なんだが。9ミリってことは9×19mmでいいんだよな? それとも9×21mm?」

 ネルラは鼻の頭を掻いた。

「民間向けの拳銃弾なんて使うことねえだろ? 軍用なら、どっちでもいける」

「だよな」

 そこでパウラが甘い声を上げた。

「何の話?」と、パウラ。

「いいから。寝てな」

 ネルラはそっとパウラの頭を押さえる。彼女は首を傾げたまま伺い、リオンと目が合った。

「あら、リオン」

「どうも、王女様」

 パウラは照れくさそうにシーツで顔を隠した。

リオンはシラっとした声でたずねた。

「後学のためにさ………いや、男として聞いときたいんだが。ネルラってそんなに凄い?」

「知らないわ」

パウラは人差し指の爪を噛むと含み笑いを浮かべた。

「だって私、ネルラしか知らないもん」

「そうなの?」

「初体験。人間とはね」

 リオンはあやふやにうなずくと、「そりゃまた初々しいことで。………って言うか、何か羨ましいぞ、ネルラ」

リオンのあからさまな嫉妬にネルラは肩をすくめた。パウラはネルラの腕から逃れ、リオンの鼻先に顔を近付けた。

「あなたは二人目になってくれないの、リオン?」

 そう言われ、リオンはピクリと身を引いた。

「いやー、やめとくわ。ここで三人ってのも、何だしな」

 ネルラは寛大に申し出た。

「俺は構わんぜ」

 調子に乗るネルラに、パウラはぴしゃりと釘を刺した。

「あー、でも言っとくけど一番良かったのは、あなたじゃないから。ネルラ。………ミサキ姐さんだから」

 男二人は顔を見合わせた。

「何てこった」と、ネルラ。

「そりゃ、太刀打ち出来ねえ」と、リオン。

 パウラは悪戯っぽく微笑むと二人の顔を交互に見比べた。



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