第14話

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 ヘンリー・チャンによるガウル本拠地への総攻撃は、後に『アハサー砦の攻防』として歴史に記録されることとなる。

 予告された数日後は、実際には十日ほど猶予があった。ヘンリー・チャンは慎重に計画を進めた。まず入手した預言カーストの生首には、ケース裏蓋に詳細なマニュアルが添えられていた。彼らの使う目くらましは固有周波数によるエネルギー周波の偏向によるものらしい。よって生首から発生する相殺する振動波を合わせることで効果を無効化出来る。原理は良くわからないが、その調整において装置は有効だった。

 まずヘンリーは周辺のガウル出現率の高い場所を割り出し、上位五ヶ所に絞った。クウェートのペルシャ湾沿いからイラク方面、そして浸食谷が集まる南側。事前に密偵を送り、生首を試験させた。結果、偏向エネルギー周波が検出されたのは南に六百キロ余りの場所、アハサー砦であった。

 ヘンリー・チャンの考える攻略は次の通りである。奇襲はガウルの活動が最も緩慢になる明け方、日の出直前を狙ったものだ。前日の夜半過ぎに火器武装させた部隊を縦谷、段丘(だんきゅう)崖(がい)の南東尾根に配備した。アハサー砦は崖が高いため、底の方が思いの外暗い。夜はこちらに分がなかった。夜目の効く敵ともなればなおさらである。

 頼みの従弟アーロンが死去し、頭脳派のヘンリーも不本意ながら動かねばならなくなった。おまけに大規模作戦のため高価な無線装備も供出することになる。出費は嵩むばかりだ。ま、歴史の一端を書き加える大事となれば致し方ない。対装甲用焼夷徹甲弾を実装した武装車両二十台。その中の一台がスラリー爆薬を満載した自走式デイジーカッターときている。いずれも谷の入口に配備してある。

 ヘンリーの合図とともに(ペパーミント・パティ)を作動させる。相殺する振動波が妨害思念を打ち消し目標が明るみになったところで、部隊が尾根からスティンガーミサイルで攻撃。脆弱な箇所を狙い撃ちし、進入路を確保する。爆発を合図に車両が一気に居城内に雪崩れ込む算段だ。

 縦谷の切れ目から目標までおよそ十五分。ガウルの初動に阻まれずに谷底を走ってデイジーカッターを誘導する。内部まで進入させたところで起爆し、居城に不可避な被害をもたらす。そういう計画なのである。

 目的は人型ガウルの捕獲。それも女の姿を模した支配的カースト(女王の血統)を入手すること。その一点に尽きた。


「ボス、そろそろっすかね?」

 手下の一人がスティンガーミサイルのIFF(敵味方識別装置)を無効にしながら呟いた。尾根の稜線に朝焼けが滲んでいる。ヘンリーのサングラスが茜と濃紺の階調を映した。

「待て待て」

 ヘンリー・チャンは谷底を見降ろしながら思案した。朝日が西壁に反射し谷底が白むまで。もう少し猶予がある。

ヘンリーは五〇センチほどのポリカーボネイト製円筒形のトランクに座っていた。預言カーストの生首(08・ペパーミントパティ)である。こいつが本領発揮するところを早く見たい。

「後十分くらいかな? 待ってみよう」



 時を同じく、渓谷を南に進んだ洞窟内。

 ネルラ、パウラ、キム・ジ・ローファンの三人はパウラの案内で隠し砦にやって来た。

 案の定リオン・ジャンティは不参加だ。端から数に入ってないが、こういう体力勝負には向かないくちである。とはいえ赤の時間降塵濃縮塗装のエナメルヘッド弾は完成した。量産が効かないので数に限りがあるが二人で各々二百発少々。NATO弾と9ミリ仕様が装備されていた。パウラにも自動拳銃を持たせてある。ま、節約すればどうにかこうにか。行けるに違いないと踏んでいた。

「何だよ、ここは?」と、ネルラ。

 ヘッドランプで辺りを照らすキムは両手にオートマチック拳銃を構えている。油断なくアサルトライフルを構えるネルラにパウラが忠告した。

「気を付けて。警護ガウルが動くわ」

「警護ガウルが聞いて呆れンなあ?」と、ネルラ。

「共感覚では………」

 と、言い終わらぬうちに土壁が移動した。身の丈四メートル、八本脚で蠢く苔むした大蜘蛛が現れる。

「おおっ?」と、ネルラ。

 キムが言葉を失う。

 三人は咄嗟に後ろに飛びのいた。間髪入れず人間の腰回りはあろう巨大な前足が振り下ろされる。岩床(いわどこ)は破壊され、礫となって弾けた。

「痛ててっ!」

 焦ったキムが反射的に引き金を引く。エナメルヘッド弾がガウルの前腕を突き抜けた。弾は初速を失わず、バターのように貫いて左目を粉砕した。

「グワォッ!」

 警護ガウルはその場にどうと倒れた。直ちに二匹目のガウルがキムの背後に。ネルラは落ち着いてアサルトライフルを構えた。

「キム、頭」

 しゃがんだ途端に三点バーストが唸った。マズルフラッシュが閃き、ガウルの硬い頭部が砂糖菓子のように砕けた。

「すげっ」と、キムが唸る。

ネルラはしげしげとライフルを眺めた。

「やるねえ、リオン・ジャンティ」

 後ろに控えたパウラを振り返る。

「あんたが通行手形っていう作戦は却下だな。………どうする?」

 パウラは口を尖らせ呟いた。

「だからここに来たんでしょ」

「代案か?」

パウラは答えず、小走りに奥に進むと霊封石で青白く照らされた石段を指差した。

「来て。こっち」

 手招きにされ、ネルラとキムが走った。

 階段を上がり切ったところで開けた場所に到着した。吹き抜けの天蓋からレース様の薄膜が揺れている。早朝の空気が見張り窓から吹き込んでいた。

ネルラが聞いた。

「ここは?」

 パウラはくるりと振り返ると、小さくウインクした。

「女王の血統。こいつは本物よ。………お姉さま!」

 パウラの声が吹き抜けに木霊する。

「キューウン、キュルキュル?」

 甘えたような鳴き声がした。笛のような、赤子のような。それでいて明らかにヒトのものではない声音。足音が近付き薄膜に影が落ちる。子供の似姿を縦に引き延ばしたような細長い体形。小さい肩口に昆虫然とした顔が付いていた。額には銀色の触覚。背中に透き通った一対の翅まで生えている。

 二匹の風変わりな生き物は、身を寄せ合って闖入者を眺めた。

 キムが恐る恐る声を発した。

「なんですか? こいつら?」

 パウラは小さく肩をすくめた。

「これもガウルよ。それもかなり高位のね」

 ネルラは眉を顰めた。

「待てよ、お前、今、姉さんって言ったか?」

 パウラは意味深に微笑んだ。

「そう。二人はガウルの第一王女ケイラと第二王女ミイナなの」

「………身内かよ?」

 パウラは遠慮なしに言い放った。

「心配しないでいい。どうせ出来損ないだから。知力はないし、まあ虫みたいなものよ」

 と、ガウルの口から出た自虐ネタである。

「最悪、私が死んでも二人の遺伝子が役に立つってことね」

 ネルラは言い淀んだ。

パウラは涼しい顔で付け加えた。

「じゃ、早速。今、役に立ってもらおうかな」



 ヘンリーは腰を下ろしたトランクケースを開いた。灰色に縮み上がった女の生首。髪の毛は全て綺麗に剃毛されている。高い額に真っすぐな鼻筋。首に繋がれた何本ものアクリル管が青筋を立てているのを別にすれば案外上品な顔立ちかもしれない。預言カーストはヒト型で女王の血統を引いている。そこはかとなく漂う気品はそれだろうか。

「ボス、時間っす」

 声を掛けられ我に返った。ヘンリーはケースの内側に指を這わせると小ぢんまりした起動ボタンを探った。

「行きますか」

 電子的な起動音がし、(ペパーミントパティ)が息を吹き返した。背後の小型キーボードでコマンドを打ち込む。モニタに波形が現れ、ヘンリーはダイヤル調節して最大出力に合わせた。

 瞼が開くと暗い空洞が二つ。口を合わせて謎の正三角形が出来上がった。見えない波動がさざめき立つ。途端に辺りに硫黄のような悪臭が漂った。

「何だよ、屁みたいな臭いだぜ」

「オエッ!」

 口々に騒ぐ手下を他所にヘンリーは北壁を眺めた。峰をすり抜ける朝日に鈍く照らされた段丘崖。だがしばらくして像が乱れると壁に飴状の塊が浮かび上がった。ねっとりした流線形の表面。そこには法則性が垣間見えた。昆虫の産み付けた卵塊のような? そんな風にも見える。

 幻は霧散した。壁一面に繁茂する白カビのような滲(にじ)みが現れる。これこそ我らが敵、ガウルの居城であった。

「見えたぞ」と、ヘンリー。

 手下がロケット砲を構えた。

「やりますか?」

「下だ。とりあえず下を狙って」

「ようし。やっちまえ!」

 ヘンリーの掛け声を合図に手下たちは十基のスティンガー携帯式防空ミサイルを発射した。コンテナから飛び出したミサイルが数秒後にロケットモーターで超音速まで加速される。

 耳をつんざく轟音。堅牢な壁が瓦解した。七発命中。

 ヘンリーは命じた。

「よっし。今度は上。あの出っ張った張り出しを狙え」

 手下は直ちに実行した。第二陣のスティンガーミサイルが、岩の張り出しを木っ端みじんに打ち砕く。虫こぶ状の岩肌が自重でもって、ずり落ちた。北壁の正面が一気に削り取られる。

「いいぞ」

 ヘンリーは無線を開き、谷間に控えている車両部隊に合図した。複雑な谷間ではトランシーバーの最大出力ぎりぎりの距離である。さて、スラリー爆薬を抱えた自走爆弾が到着するまで約十五分。その間の時間稼ぎをせねばなるまい。

 陽動作戦開始だ。

「脱出する」

 ヘンリー一団は装備を抱え、段丘崖の尾根に走った。土煙の中、岸壁の像が何度か浮かぶが上手く行かない。あちこちが欠落し、居城の入口が丸見えになっている。さっきの一撃で内部に大きくダメージしたのだろう。預言カーストの目くらましが弱まっている。

 入口から飛行タイプのガウルが這い出した。その数およそ百。栗の実のような黒い外殻が重なりあって不気味に蠢いている。崖を上るヘンリーたちに気付いた数匹が翅を開いて飛翔した。

「来るぞ!」

 一団が上りきると十台の武装車両が待機していた。ドライバーは既にエンジンを吹かせている。パイプフレームで組んだ車体に黒いプレートがウロコ状にねじ止めされている。これは飛行ガウルから剝ぎ取った外殻だ。生乾きの不快なアンモニア臭が鼻を刺す。

一団はあっという間に車に飛び乗ると一斉にスタートさせた。四輪駆動車が礫を巻き上げ、狭い坂道をくだり始めた。

「行け、行け、行け!」

 飛行ガウルが車列を追う。遠距離からの追撃が始まった。後方から黒く鋭い爪がブーメランのように襲い掛かった。空気を切る不気味な回転音。

「大丈夫」と、ヘンリー。

 ぶつかった途端、重ねたシールドがはじき返した。ボカンともボヨンともつかない大きな物音がした。後部座席の手下が歓声を上げた。

「やったぜ、ザマみろ!」

 振り返ったヘンリーが手下の襟首を掴む。

「避けろ!」

 引いた途端、ガウルの爪がシールドを剥ぎ取った。車体は後ろに引き戻された。差し込んだ朝日。正面にガウルの頭が。

「ひぃぃぃぃっ!」

 ヘンリーは咄嗟にガトリング砲を向けた。油圧モーターが回転し、30ミリ対装甲用焼夷徹甲弾が叩き込まれる。粉々に砕けた飛行ガウルの首無し遺体が、斜面を転げ落ちていった。

 ヘンリーは運転手に叫んだ。

「スピード、スピード!」

 群がる第二、第三の攻撃をヘンリーはガトリング砲で払った。衝撃に振り落とされないようフレームにしがみつく。

 右前方の一台に数匹のガウルが取り付いている。車体ごと空中に引き上げ、崖に放り込もうと空中移動を始めた途端、座席から一人の男が飛び出した。背中に小型の火炎放射器を担いでいる。車を掴んだガウルの前腕をよじ登り、ナパーム火炎をくらわせる。

 シャーッという甲高い悲鳴。落下するガウルを踏み台にして飛び上がると、もう一匹に組み付いた。首根っこに足を絡ませ、あっという間に背後を取る。ガウルは何とか振り落とそうともがくが男も必死だ。くんずほぐれつどうにか尾根に近付いたところで、男は走ってきた別の車両に飛び移った。

「すげっ!」

 と、間抜けな歓声が上がった。果敢に戦う手下は即座にフレームに踏ん張ると、寄って来たガウルに次々と炎を浴びせた。

「あいつ誰だ?」

 超人的な活躍に思わずヘンリーが声を上げた。隣の手下は目を凝らした。

「多分、ハキムさん?」

 ヘンリーは舌打ちすると、運転席の背を蹴飛ばした。

「お前らも頑張れ!」

 ようやくガウルを振り払ったハキムは、無線を開いた。ヘッドセットに割れた声音が飛び込んで来る。

「食い止めますんで。………先、行ってください、ヘンリーさん!」

 言い終わらぬまま、ガウルに炎を浴びせるハキム。勇猛果敢な働きにヘンリーは思わず目を細めた。

 生きて戻ったらシマでも持たせてやるか。

 ヘンリーはヘッドセットに叫んだ。

「頼んだぞ、ハキム!」

 ヘンリーを乗せた車両が岩棚を抜けた途端、背後で掛け声が上がった。

 岩陰から十数人の伏兵が一斉に顔を出したのである。同時にランチャーからワイヤーネットが射出される。投網漁の要領で見事広がり、空中を舞ってガウルを数十の単位で絡め取る。まさかの虫取り作戦、大成功だ。

 ワイヤーの重さに引っ張られ、ガウルはあっという間に傾斜路に叩きつけられた。手下がそこに一斉にナパーム火炎を浴びせ掛けた。ナフサの燃える燃焼ガス。第二陣が柄付き手榴弾を投げ込んだ。赤黒い爆炎が膨張し、残響が後押しする。後続する武装車両が炎のカーテンを突き抜けた。



 アルセア女王の右のこめかみに錐をねじ込むような痛みが走った。居城の外表面で騒ぎが起こっている。

 何事だ? 

 突然の痛みは妨害思念を担った預言カーストとの断絶である。それもかなりの数が一度に失われた。

 ひょっとして、パウラ? 

 そう訝るが思念そのものが混乱して判断出来ない。

 恐らくこれは、ヒトの奇襲だろう。

 接続の悪い受像管のように、ぼやけた視界がアルセアの意識を過る。死の淵にある預言カーストが断末魔に伝えてきた。土煙の立つ瓦礫から段丘崖が見通せた。狙い撃ちされ大穴が開いている。居城の構造的脆弱性を見事狙っていた。装甲車両で逃走する奇襲部隊も見えた。

 妨害思念が無効化された? 

 一体、どうやって? 

 アルセアは直ちに被弾ヶ所に三個小隊のガウルを投入した。逃走中の襲撃部隊も追撃させる。

「ハニー、大丈夫かい?」

 広間の入口で声がし、エキゾチックなハンサム軍団が駆け付ける。アンヘル、ヴィクトル、オリアル、サムエル、その他諸々の十二人の夫たち。

 アルセアは一喝した。

「さあ、夫たちよ。私を………七十二代新生ガウル女王を死守なさい」

「了解した、ハニー」

 一同に固い決意がみなぎる。

 アルセアは頭を振ると、混乱した思念を集中させ、群れのコントロールに向き合った。



「オエッ!」

キム・ジ・ローファンはその場にしゃがみ込み、思わず嘔吐した。クリーム色の吐瀉物が弾ける。ネルラは舌打ちした。

「何やってんだ?」

「何って………こんなの無理」

 キムは青ざめた顔で懇願した。

 足元に横たわっているのは二つの遺体だった。繊細な天使のような生命体は人間の凶弾に倒れた。

 ネルラは両刃のナイフで首筋の綿のような組織を切断していた。上着は血まみれ。ネルラが今いそいそと取り掛かっているのはガウル第一王女ケイラの首筋である。

「よっし、っと」

 ネルラはコンバットブーツで頭を踏みつけ、ナイフを抜いた。知覚繊毛を掴んで鼻先に持ち上げる。

「うわっ………」と、身を引くキム。

「貸して」

 痺れを切らしたパウラはキムからナイフを奪うと、第二王女ミイナに突き立てた。

「おうおうおう………」ネルラが半笑いで呟く。

「容赦ねえ」

ぶら下がった薄膜が返り血で赤く染まる。パウラは黙々と取り組み、厄介な延髄組織を切除した。

 キムは遠巻きに訴えた。

「なんでそんな事?」

 パウラは刃先をズボンで拭いながら言った。

「通行手形よ。二人とも死んでるけど、しばらくの間は知覚繊毛が反応してるから、使役のガウルなら通用する。持って歩くなら小さい方がいいでしょ?」

「だからって………」

「あなたが気にすることじゃないわ」

 パウラは薄膜を引き千切ると二つに割いて、それぞれ持てるよう結わえた。たちまち血が滲み、表情が顕わになる。パウラが言った。

「ね? ヒトじゃないから」

「でも………あんたの姉さんだ」

「まずは自分の心配。はい、持って」

 パウラは二人に包み(・・)を差し出した。



 三人が隠れ砦を出た丁度その時、遠くで爆発音が聞こえた。浸食谷の北側である。

「始まったわね」と、パウラ。

「ヤクザにしちゃ、時間ぴったり」と、ネルラ。

 キムがうんざり首を振る。

「欲望に正直なだけでしょ?」



 伏兵たちに後押しされ、ヘンリー・チャンの一行は段丘崖の中腹まで走り下りた。前方に視線を向けると側壁にぽっかり横穴が開いている。

 武装車両は躊躇なく滑り込んだ。一斉にヘッドランプが灯る。ハイビームに照らされた洞穴は扁平な楕円を水平に切った形状だ。壁面は細かなモザイクタイルに覆われていた。ここは大昔の高速トンネルの遺跡である。平たく言うと山道を短縮するための迂回路だ。ヘンリーはこの土地の古地図を詳細に検討していた。そこで見付けたのがこのR-52道。段丘崖を一気にショートカットする近道である。

 侵入したガウルの羽音が迫って来る。しんがりの車両が焼夷徹甲弾を発射した。飛行ガウルが耳障りな奇声を上げ飛び散る。続く数匹に火炎放射が命中。あっという間にトンネル内がオレンジの炎に照らされた。

「ボス、上!」

 ハンドルを握る手下が上ずった声を上げた。明かりの届いた前方、タイルの表面に蜘蛛のような手足の長い巨大生物が貼り付いているではないか。

 待ち伏せか? 

 怪物は傘のように脚を広げ、順次落下を始めた。先頭車両の一台が質量圧迫で木っ端微塵に吹っ飛んだ。鈍い爆発音。黒煙に炎がねじれ、壁面を舐める。火の粉がヘンリーの鼻先まで飛んできた。

「撃ち落とせ!」

 ヘンリーはヘッドセットに叫んだ。一斉に十字砲火が始まる。落下してくるガウルをジグザグに避けつつ天井に焼夷徹甲弾を浴びせた。経年劣化したアーチ構造は脆く、たちまち崩落が始まった。

「落ちるぞ! 抜けろ!」

 武装車両は一同アクセルを踏み込んだ。土煙を上げ落下するモザイク天井に、今度は怪物たちが圧し潰される。崩落はドミノ倒しのように繋がった。霞んだ視界の先に微かな明かりが見えた。

 出口だ。

 脱出と同時、轟音を立てトンネルが潰れた。砂利と土煙が吹き上がる。谷底が煙幕のように白い靄に覆われた。

 予定合流地点の少し先にヘンリーたちの車両が飛び出した。生き残ったのは僅か二台。くそっ、犠牲が大き過ぎる。

 後発隊は? 間に合ったのか? 

 舌打ちし背後を見るヘンリー。

 もうもうと立ち上る土煙を破り、巨大なタンクローリーが現れた。特製、自走爆弾である。護衛の車両が周囲を固めている。その数、十台。

 これで五分だ。

「やりぃ!」と手下が歓声を上げた。

「間に合いましたね、ボス」

「このまま突っ込むぞ」と、ヘンリー。

 合図と共に壁面沿いを滑空する飛行ガウルに発砲した。北壁の進入路は目と鼻の先である。護衛とヘンリーたち生き残り二台は速度を落とし、タンクローリーに道を譲った。

 一直線に加速していく自走爆弾。併走する車両が一台。後方に巨大な捕虫網のようなネットを広げている。タンクローリーの運転席が開き、ドライバーが顔を覗かせた。見覚えのある男だ。おっと。またしてもハキムである。先発隊を見送った後、どうやって追い付いたのか。ハキムはタンクの運転も買って出た。

「何モンですか、ハキムさん………」

 ハンドルを握った手下は思わず感嘆を漏らした。

 目標に向かいタンクローリーの自動操縦を設定して脱出を試みるハキム。併走する車両のネットに飛び込むタイミングを計っているのだ。一瞬ちらりとヘンリーの方を見、そして笑った。

 ジャンプ! 

 その瞬間、上空から飛行ガウルの鉤爪が飛来した。回転する鋭い三日月刀がハキムの胴を真っ二つにした。

「ハキム!」

 呼び声も虚しく、千切れたハキムは巨大タンカーの十八輪に吸い込まれた。

シマを持たせる話はチャラ。

 ヘンリーは顔をしかめた。敵(かたき)は取ってやる、ハキム。

「退避!」

 ヘンリーはヘッドセットに叫んだ。護衛車両は直ちに反転し、来た道を戻り始める。

 自走爆弾に使われているスラリー爆薬は俗名でデイジーカッターと呼ばれている。その爆轟が到達エリアにあるすべてのものを薙ぎ払うことから、この名が取られた。あたかも雑草を刈り取るかに見える、そのためだ。

 正面に進入路が見えた。複数のガウルがスクラムを組んで瓦解した大穴を塞ごうとしている。無人のタンクローリーは減速することなく突進した。キャブから真っすぐ延長信管が伸びている。タンクローリーの自重があっけなくガウルの陣形を突破した。巨大な車輪がガウルを踏み潰した。信管が接触した瞬間、タンクに満載したゲル状の水と硝酸塩混合物が反応する。

 発火。

 ゲル状の薬剤にはアルミニウム粉末、中空ガラスビーズと微細な空気泡が混合され、効果的に猛度を上げる仕組みになっている。

 気体の急速な熱膨張速度が音速を超えると一平方センチ辺り七十三キロの衝撃波が発生した。

 陽が昇るような光だった。


 土煙に視界が効かなくなった。爆弾の威力は想定外で、正直ヘンリーさえ面食らった。

「すっげーな」と、手下。

 ヘンリーは小さく咳払いした。

「意外に………いや、案外か?」

 ヘンリーは周囲が明らかになるのを待った。剥き出しになったクリーム色の内壁が見える。ヘンリーはヘッドセットに呟いた。

「よし。前進」

 十二台の車両が進入路を潜る。散らばった瓦礫を避け放射状に散開した。内部は暗く、不明の出所からの光線が届いている。巨大な空間はカーブした壁と、それを支える無数の支柱により形成されていた。流れるような飴状の流線形。近付いてみると表面に細かい有機物が纏わりついていた。

 まさしくエイリアンの根城、って感じだな。

 視界の一番奥に明かりが見える。

 どうやら次の仕切りの間口らしい。ガウルが続々と陣を組み、大慌てで穴を塞ごうとしている。

「突入するぞ。全車、発砲用意」と、ヘンリー。

 各車から焼夷徹甲弾、ナパーム火炎放射が放たれた。目標は木っ端みじんに粉砕され、甲虫の焼ける、いがらっぽい燃焼ガスが発生した。

「いいか、目標はヒト型だ。女のガウルを生け捕りにしろ」

 そうヘッドセットに伝えたところで手下が言った。

「ボス、あの音………」

 言われてヘンリーも聞き耳を立てる。

 何だ? 豆粒が擦れるような音色? 

 ショキショキショキ………。

 黒焦げになったガウルの屍の奥から第二、第三の陣形が湧いて出て来る。

「もう一度だ。発砲!」

 辺りは火の海となった。

 ショキショキショキ………。

 焼け焦げた端から止めどなく溢れてくるガウルの群れ。黒い塊が次から次へと湧き出てきて、大穴があっという間に塞がれて行く。

 力の拮抗が崩れ始めている。俄かに車両が後ずさりした。ここに来て初めてヘンリーの表情が陰った。

 こいつは想定外だな。



 ネルラたちは居城近くに車を停め、市街戦さながらの瓦礫に近付いた。入口から黒煙が立ち上っている。崩れた壁に身を隠し中を伺う。

「おいおい、ヘンリーのおっさん、やりすぎだぞ」

 眉間に皺を寄せ、ネルラが呟く。パウラが後ろからせっついた。

「待ってる場合じゃないわ」

「わかってるよ」

 とは言ったものの、どう考えても生きて戻れる気がしない。ネルラとキムは顔を見合わせた。

 最前線はモータープールに似た緩いスロープの先にあった。奥を見通すと武装車両が並んでいる。押せ押せで火器を放ち、辺りは火の海だ。熱気に煽られ、顔がべらぼうに熱い。

 三人は壁伝いに進んだ。

「目が開けられないんですけど」と、キム。

「黙って」と、パウラ。

 ネルラは戦況を分析した。ヘンリーの武装車両には黒いウロコ状の板が重ねてあった。なるほど。ガウルの外殻をシールドにしたわけか。これでどうにか鉤爪の直撃はかわせたわけだ。シールドの隙間から二つの射出口が覗いている。三十ミリのガトリング砲とナパーム火炎放射器のノズルである。

 耳をつんざく徹甲弾の発射音。ナパーム噴射剤の紅蓮の炎。

 攻撃を仕掛けているのは人間の側で一見優勢かと思われた。が、打ち砕かれ、焼き払われてもガウルの大群が後から後から押し寄せて来る。隙間をびっしり埋め尽くし不快なさざめきを立ている。どことなく東アジアのスイーツ、粒餡のようにも見えてくる。蠢く壁面が軟体動物を思わせた。

「臭い………」と、キムが口元を覆う。

「………どうなんです、ネルラさん? 行くんですか? 行かないんですか?」険しい表情でキムがたずねる。ネルラは冷静に返した。

「今がチャンス、かな?」

 何故という表情のキム。ネルラは答えた。

「押してるように見えるけど、ヘンリー・チャンの攻撃は徹甲弾にナパーム。つまり砲撃ありきなわけよ。と、なるとだ………」

「車から降りれない?」と、キム。

 ネルラはうなずいた。

「だよな。この分じゃ、しばらく足止めだろう。女王探しは無理ってこと。ツウことは、ここは小回りの利く俺たちの方に分がある。そうだろ?」

 ヘンリーが足止めされてる隙に一番の目的を叩く。

 女王の暗殺。

 躊躇は禁物である。

 ネルラは当事者のことを思い出した。

「ああ………ええっと?」

 ネルラは背後を見た。パウラは黙っていた。腹は据わっているようだ。

「やりましょう」



 パウラは居城の導線を知り尽くしていた。

 城内はメインルートを軸に作業道、搬入経路が複雑に絡み合ったフラクタル構造だった。女王の広間は最上階にある。上ったり下ったり。何処をどう通ったか正直思い出せない。あたかも達成されない出来事の寓意。またしてもカフカの『城』が彷彿される。

「曲がり角にご注意」

 ネルラが呟いた矢先、戦闘ガウルに出くわした。

「ひぃっ!」キムがおかしな悲鳴を上げ、自動拳銃を構える。

「待って!」

パウラは一声叫ぶと第一王女の生首を突き出した。染み出した血痕でうっすら表情が見て取れる。戦闘ガウルはキムに鉤爪を振り上げたが、そこで止まった。怪物は掲げた袋をじっと見、それから挙動がわからなくなった。その場で足踏みを始める。

「効果覿面………」おっかなびっくり、キムが銃口を下げた。

 生首の知覚繊毛が最後の残滓となって使役ガウルを制御していた。パウラが言った。

「撃っちゃだめ。殺すと逆に位置がバレるから」

 ネルラは眉を吊り上げた。

「鬼の目にも涙、かと思いきや」

 女王の広間に進む間、三度ガウルに阻まれた。が、いずれも生首で難を逃れる。控えめに言ってこれは修羅の所業だ。あの世ですんなり天国の門を通れるなんて、とてもじゃないが期待出来ない。

 階を上るにつれ、パウラは徐々に神経質になった。石段を上り切ったところでパウラは二人を手招きした。

「この上が広間」

「やりぃ」と、ネルラ。

「喜んでる場合じゃない。母はとっくに私に気付いてる。あなたたちもね」

 パウラは思案した。

「でも母は人間にあまり詳しくないから、恐らくだけど………何人いるかまではわからない」

 ネルラの表情が俄かに変わった。

「なるほど。じゃ、わざわざ雁首揃えて行くこともねえか。………キムさんよ。あんた、射撃の腕はどれほどだ?」

 キムは真面目な顔でアサルトライフルを掲げた。

「これでも元警邏歩哨っすよ」

「だよな」



 ネルラとパウラ、二人は広間の正面から堂々と謁見した。ネルラは後ろ手に扉を閉めた。

 モザイク窓が半円形の広間を照らしている。高い吹き抜け天井が尖った先端に向かい、円錐状に閉じている。内側にはキャットウォーク(高所用足場)があり、それが螺旋を描くよう続いている。ある意味、反転した奈落のようだ。

「あらあら、放蕩娘のご帰還かしら」

 張りのある女の声がした。

 長楕円形の雛壇に現れたのはアルセアである。人型の支配的カーストであり、群れの女王。ネルラが想像していたよりずっと若く、そして神々しく見えた。

 こいつが親玉。

 アルセアのぴったり密着したスーツは、敵を迎え討つための戦闘装備であろう。噂によると、この生地がケブラー繊維の防弾力をしのぐと言う。女王が女王たる一点の曇りもない出で立ちは意外にも、外連味(けれんみ)たっぷりであった。

 背後に隠れたパウラは意を決し、広間中央に進み出た。

「ただいま。お母様」

 アルセアは娘を吟味した。

「騒々しいからやって来るんじゃないかって、思ってたわ。思念をガードしても無駄よ。匂いでわかるから。反抗的で陰険な、女王の血統にあるまじき性質。そうよね?」

 パウラは不貞腐れて鼻を鳴らした。

「随分な言い草。実の娘に向かって」

 アルセアは薄笑いを浮かべ頭を振った。

「あら、そうだった? まあ、いい。………案外早かったのね。門番たちに引っ掛かからなかったのは驚きだけど。どんな手を使ったの?」

 パウラはアルセアの単純な質問に口ごもった。ネルラが肘で突く。

「………ほら」

「何? ………」

「………言っちまえよ」

 揉める二人を横目に見、アルセアは不機嫌に一喝した。

「うるさいぞ、そこの猿」

 ネルラに嫌悪が注がれる。まるでウジ虫でも見る目付きだ。

「何者だ、お前? 何故ここにいる?」

 アルセアはしげしげと観察した。

「お前がその………パウラのお相手、なのか?」

 ネルラは引き攣った笑みを浮かべた。うやうやしく頭を垂れ、そして洒落てみた。

「お義母様って呼んでも?」

「やめておけ」

 アルセアの平板な声色。

 ネルラはパウラに目配せした。パウラは震える声で告げた。

「彼とは………関係したわ」

「関係?」アルセアは聞き返した。

「つまり………」両方の指を突っ立て、ベッドインのジェスチャー。

「寝たの」

アルセアは興味なさそうに吐き捨てた。

「それがどうしたの? 所詮は異種間交雑に過ぎない。ガウル女王の血統に影響は出ないわ」

 アルセアは口ごもり、二人を交互に見た。

「感想なんて、聞かない………」

 パウラが即答した。

「良かったわよ。とーっても」

 アルセアは床を強く踏み鳴らした。

「聞いてない!」

 パウラはぺろりと舌を出した。三人に気詰まりな沈黙が流れる。

 アルセアはため息を吐くと、憐れみのこもった眼差しで第三王女を見詰めた。

「あなたはそんなことのために、私を裏切るのね?」

 パウラは首を傾げた。

「そんなこと? ………ま、そうかもね。………私、お母様には付いていけないし、王家についても同じ。未練なんてないわ」

 言い終わると、パウラは血の滴る二つの包みを雛壇へ投げた。二度ゴロリと転げ、包みがほどける。中から二つの生首が飛び出した。姉君たちの苦悶の表情がアルセアを見上げた。

「あっ!」

 アルセアの狼狽。思わず表情が崩れる。

「一体………何をしたの?」

 パウラは小声で呟いた。

「………なるようになったの。お母様が、悪いわ」

「な………」

 アルセアは激昂の余り二の句が継げなかった。

 そうか、なるように………。アルセアは頭の中でその言葉を反芻した。かりそめにも発現した家族という括りが、血の気とともに遠のいていく。

 答えは出ていた。迷ったのは理屈の通らない執着のせい。ただ踏ん切りがつかなかっただけである。アルセアは結論付けた。

 アルセアは知覚繊毛を逆立てたかと思うと、いきなりパウラの首筋を狙った。ネルラはパウラを引き、反射的に屈んだ。

「危ねっ!」

 切っ先を寸前でかわす。アルセアの顔に表情はない。まるで陶器人形のようである。繊毛がスイングし二度目の照準を定める。ネルラはライフルを構えた。

アルセアが言った。

「どんな約束をしたか知らないけど………私は認めない」

 ネルラは皮肉に答えた。

「藁にもすがる身の上でして」

「じゃあ、すがって、死ぬがいい!」

 双方が戦闘態勢に入った時、天井から弾幕が降り注いだ。

 赤いエナメルヘッドのNATO弾が知覚繊毛を粉砕する。咄嗟にアルセアが退いた。

「キム!」

 キャットウォークから三点バーストの咆哮。狙い撃ちしたのはキムである。ネルラは静かに口笛を吹いた。さすがは元警邏歩哨。看板に偽りなしだ。

「不意打ちか。この卑怯者が!」

 アルセアは一声叫ぶと、一閃、思念を放った。

 真っ平らだった床面から突然、翅のような板が飛び出した。これは即席に応用した障壁であろう。足元をすくわれる寸前でネルラは身をかわした。頭上からアサルトライフルの銃弾が届く。アルセアは重なる障壁の背後に隠れた。

 油断なさるな、女王様。

 人類の弾丸が自分たちの硬化障壁を貫けるはずはない。そう高を括ってのことだろう。キムの放った弾丸は三つの壁を紙のように貫いた。アルセアの前頭骨を粉砕すべく、時間降塵濃縮塗装弾は直進した。

「ハニー、今行く!」

 障壁の影から黒いシルエットが躍り出た。浅黒いエキゾチックな美男子が十二人。生殖雄は我が身を投げ打って銃弾の前に躍り出た。身体を重ね、代わる代わるに手を伸ばして弾丸を掴もうとする。弾は肉体を貫通して顔面を粉砕した。苦悶の悲鳴を上げつつも生殖雄はアルセアの盾となった。十二人の折り重なった身体が弾に残る僅かな摩擦抵抗を捉え、弾道を逸らしたのだ。

「すっげえ」と、ネルラ。

「お父様………」

 捨て身の父の行動がパウラの気持ちを揺さぶった。だが散り散りになった父親の身体は、見る間に復元した。その様子はまるでアメーバのようである。元通りになった腕を曲げ伸ばしし、生殖雄は納得の笑みを浮かべた。

「よし。大丈夫」と、生殖雄。

 パウラの顔色が変わった。

「………気持ち悪い」

 アルセアが障壁の影から指図した。

「アンヘル、ヴィクトル、オリアル………やっておしまい!」

 ネルラは乾いた声で笑った。

「女帝っぽくなってきたぜ!」

 ネルラはアサルトライフルを構え、横っ走りにアルセアを狙った。生殖雄は自ら身体分裂を果たすと二十四の盾となってアルセアを守った。キャットウォークのキムも待ってはいない。上からの導線でライフルで狙い撃ちする。

「小賢しい!」

 アルセアが次の思念を送ると、壁から十数個の銀の殺人独楽が現れた。練習を積んだ対人兵器の群れ。危険な金属針発射装置である。パウラが叫んだ。

「気を付けて!」

 言い終わらぬうちに、独楽から無数の針が飛び出した。

「うわっ!」

 慌てて頭を下げるキム。壁に針が突き刺さった。

「油断すンな、キム!」ネルラは叫びながら、襲ってくる生殖雄をサブマシンガンで粉砕した。パウラも自動拳銃で応戦する。並んだ生殖雄の頭部が次々に吹っ飛んだ。

 金属針が雨あられと降り注ぎ、ネルラ、キム、パウラの三人はあっという間に擦り傷だらけになった。キムが浮かんだ独楽をクレー射撃の要領で撃ち落としている。ネルラはアルセアに近付こうとライフルとサブマシンガンの二丁拳銃で進んだ。

 たちまち生殖雄がぐにゃぐにゃと押し寄せ、砕け散っては復元した。

「お前の父ちゃん、化け物か!」

 障壁の背後でネルラが叫ぶ。

 銃撃と金属針の絶え間ない攻防が土煙を巻き上げる。

 ネルラは部屋の様子に気が付いた。破壊し尽くされた室内は俄かに霞んで見えた。壊れた壁と床が微細な灰塵となり充満している。無論、時間降塵濃縮塗装弾の破片も紛れていて、概ね二百発近くを打ち尽くした。キムの弾数を入れれば四百になろうか。いつ前進現象が始まってもおかしくない。

 こいつは厄介だな。

 ネルラは、はたと考えた。

 待てよ? 

 時間降塵と言えども塵は塵。室内の埃と相まって粉塵が充満すると、何か問題があるんじゃなかったか? 

 何だっけ? 

 火の元注意? 

 若い頃、塗装ギルドの親方に仕込まれた。空気中に微細粉末が舞っている状態で発火が起きると、酸化反応が広がって粉塵爆発が起きる。

 それだ。

 ネルラは上に向かって怒鳴った。

「キムさんよ!」

「はい!」

「弾がギリだな。そっちは?」

「こっちもっす!」

 ネルラは言葉を選び、叫んだ。

「いいか、周り。見てみろ!」

「視界が悪いっす!」

「そうだ。そう言うこった!」

「はあ?」

 キムは首を捻った。何言ってンだ、ネルラさん? 

 そこでネルラが念押しする。

「霞んでンだろ!」

「霞………?」

「そうだ。粉だ。粉塵だ」

 霞? 粉塵? キムは、はっとして警邏歩哨の基礎訓練を思い出した。粉塵濃度の安全管理………そうか、わかったぞ。

「わかりましたよ、ネルラさん!」

 キムがキャットウォークから腕を見せ、OKサインを出している。パウラがたずねた。

「何のことよ?」

「任せとけって。………行くぞ、キム!」

 ネルラはおもむろにポケットからライターを取り出した。銀色のジッポー。長旅の一番の相棒だ。蓋を開け、フリント(火打石)を顕わにした。そしてキムの潜んだキャットウォーク目掛けて放り投げる。

「行ったぞ、キム!」

 キムは素早く狙いを付け、放物線の落下途中をヒットした。見事弾丸はライターを撃ち抜き、フリントを弾いた。

 ネルラはパウラを床にねじ伏せる。キムはキャットウォークを転がった。

 浮遊する粉塵が熱源の作用で乾留、気化する。可燃性ガスと空気の混合、燃焼。粉塵燃焼により放出される熱量により、さらに浮遊する残留物が気化、燃焼する。その循環が漸次的に繰り返され、反応速度が加速する。

 気圧が下がり、笛に似た甲高い音が立った。

 耳をつんざく爆轟。

 モザイク窓が大破した。即席の硬化障壁も、殺人独楽も。全てが粉砕され爆炎に呑まれた。ネルラの後ろ首を熱い舌先が舐め上げる。

 タンパク質が焦げる不快な臭い。

 生殖雄は直撃を防ごうと、スクラムを組んでアルセアに被さった。高温の炎に巻き込まれる。苦悶の悲鳴が上がり、炭化していく生殖雄。燃えさしとなった肉体が、アルセアを熱から守った。

 突風が辺りをさらった後、耳鳴りだけが残った。


「ネルラさーん………」

 キャットウォークからキムの苦し気な息遣い。

「無事か、キム!」ネルラは真っ黒になって床の上を這いずった。パウラも煤だらけの顔を上げる。

「………やられちゃいましたあ」

 キムの右足に尖った破片が刺さっていた。キムは震える手でライフルスリングを外し、腿を縛り上げ止血する。

「動けるか?」

「どうにか。助太刀は………無理そうっす」

 ネルラは即断した。やつには生き死の義理がある。

「わかった。………じゃ、お前はここまでだ。退場!」

キムは驚いて聞き返した。

「ネルラさん、どうすンです?」

 ネルラは鼻で笑った。

「任せとけ!」

 ケツは俺たちで拭く。ネルラはパウラと目配せした。

 瓦礫の中から、身動きする物音がした。振り返るネルラとパウラ。残骸を振り払い、アルセアが立ち上がる。身体の周囲にこびりついた灰が霧散した。それは生殖雄たちの成れの果てだった。手の中に残る残滓を、アルセアは固く握りしめた。

 荒い呼吸が聞こえる。

「パウラ、出て来なさい!」

 彼女の語気は滾(たぎ)っていた。

 アルセアの知覚繊毛が頭頂から背中に掛け、ヤマアラシのように伸びた。シルエットが変わるほどの勢いである。まるで怪物。パウラさえ見たことのない、母の知らない姿だ。

「お母様………」

 瓦礫の背後からパウラが顔を出した。アルセアはじろりと視線を捉える。鉄のような眼差しに身がすくんだ。殺気立ったアルセアは唸った。

「姉を殺し………父を殺し………」

 ゆっくりと知覚繊毛が逆立つ。

「この母まで手に掛けるか?」

 パウラは叫んだ。

「自分だって、そうじゃない!」

 アルセアは小さくうなずいた。

「ヒトの手を借りてでも、生き残りたい?」

「当たり前よ」

 どんな手を使ったって生き残る。

 生き残るのは、この私。

 パウラはアルセアの足元を指差した。

「お母様だって、お父様を使いものにしたじゃない」

 アルセアは薄く目を伏せた。

「私から生まれたものは皆私に従属しているの。お父様もあなたも、この群れだって。全てが、そう」

 アルセアはきっぱり言い放った。

「だから従うべきは、あなたの方」

「私はお母様と違う!」

 パウラは自動拳銃を構え、最後の弾丸をアルセアに浴びせた。アルセアは易々と身を翻した。

「………そうなのね」と、アルセア。「私を殺して、あなたが後追いすれば一家心中よ。でも、そうは思ってない。でしょう?」

「………」

「考えはわかるわ。私が見逃したとしても………あなたは結局、納得しない」

 そう言われてパウラは口をつぐんだ。

 母との対立は生存本能に従ってのことではなかったか。パウラは気付いた。許されたから、認められたから。果たして自分は元の鞘に収まるだろうか? 否。焚き付けられた衝動は既に暴れ馬の如く抑えが効かなくなっている。

 母を超えること。

 結局それが本音だった。憎しみでなく反抗心でもない。純粋な闘争である。

 これは、母娘(おやこ)の宿命なのだ。

 ネルラは気配を消して、瓦礫の影からサブマシンガンで狙った。

 貰った。

 トリガーを引き絞る瞬間、目にも見止まらぬスピードで知覚繊毛が飛んだ。構えた銃を貫いた。ネルラが慌てて手首を引っ込めると、遊底が弾かれ銃床がバラバラになった。戻りしなの鋭いうねりがネルラの頬を切った。

「痛っ!」

「うるさいぞ、猿!」

 アルセアは一喝した。

 知覚繊毛に引っ掛かったサブマシンガンを、粉々に捻り潰しながらアルセアは言った。

「お前たちの弾丸。中々考えたものね。………速度や質量を変えずに貫通力だけ高めて貫く。でも銃がなくっちゃ、どうにもならない。そうでしょ?」

 おっしゃる通り。

 ネルラは掌に冷や汗を掻いた。苦笑いを浮かべたまま、急いで次の手を考える。

 アルセアは突然走り出した。二人に向かい、ヤマアラシのような知覚繊毛を振りかざす。ネルラはパウラの手を引き、キャットウォークを駆け上がった。

「ヤバい、ヤバい、ヤバい!」と、ネルラ。

「何とかしてよ!」と、パウラ。

 丸腰になった二人を追い立てるよう、銀色の棘が襲う。それ自体、意思を持つ生き物のようである。壁や床が削がされ、触れた先端に火花が散る。アルセアの目は猛禽の、捕食動物のそれだった。

「ハハハッ。見えるわ、全部! 何もかも! さあ、どうする? やり返してみなさいよ!」

 背後を取ったアルセアはネルラの背中に、肩に、脛に知覚繊毛を打ち付けた。その切れ味は鋭く、焼き火箸を差し込むような痛みだ。猫がネズミを玩具にするように、ネルラはなぶりものにされた。

「やめろ! 痛ってえよぉ!」

アルセアは二人をキャットウォークの中腹まで追い詰めた。

 どうだ? 

 苦しいか? 

 恐怖の連続だろう? 

 実の娘を手に掛ける。案外、どうと言うこともないな。

 アルセアは意外なほど穏やかな自分の胸中に驚いた。パウラがそんな娘だから? ウム。一家惨殺を目論む張本人ならば当然。しかしその軽やかなまでの大胆さ、無謀さにも惹かれている。死を望みながら同時に、娘にもっと歯向かってこいと期待している。そんな自分がいた。この矛盾は何だ? 気持ちの着地点が見付からない。

「そろそろ、終わりにしましょう」

 アルセアのヤマアラシのような知覚繊毛が身構えると、一斉に二人に襲い掛かった。

 ヒットする瞬間、銀色の繊毛は束のまま真ん中から千切れた。

「うぐっ!」

 予想外の痛みに悲鳴が上がった。知覚繊毛の硬さはガウルの外殻に匹敵する。丸腰の人間に反撃など出来ようはずがない。

 アルセアは二人の手を見た。

 握られていたのは荒削りな棒状のもの。手製の打(うち)刀(がたな)である。渡りで五十四、五センチ。古い単位なら一尺八寸となる。白鞘から抜き出した鍔のない刀身には赤い塗装が施されていた。時間降塵濃縮塗装の長物である。

 ネルラはにやりと笑った。

「奥の手、ってやつだ」

「おのれっ!」

 たちまちアルセアの知覚繊毛は復元した。数十の蛇のように襲い掛かる繊毛。二人は降り注ぐ切っ先を片っ端から切り落とした。痛みと衝撃がアルセアの攻撃を鈍らせる。ついに一同はキャットウォークを上り詰め、天蓋の真下に辿り着いた。

「掛かって来いや、女王様!」

 ネルラは身軽にキャットウォークの手摺に飛び乗った。アルセアは足元をすくおうと、知覚繊毛を振り回す。

「捕まえてみな!」

 ネルラは手摺の上を走った。アルセアの知覚繊毛が後を追う。右足に繊毛が巻き付いた瞬間、ネルラの身体がひらりと宙に舞った。ネルラの右手には鳶職人必携の鉤縄が握られていた。縄は長く伸び天蓋の付け根に絡んでいる。アルセアは揺れるネルラに引っ張られ、通路端まで引きずられた。

「お母様、こっちよ!」

 パウラの呼び声がした。思わず振り向いたアルセア。目の前でパウラの知覚繊毛が光っている。鋭利な先端がアルセアの眼球に突き刺さった。

「ぎゃあっ!」

 アルセアはバランスを失い、ネルラにぶら下がったまま手摺を越えた。二十メートル近い高見で体重がズシンと右足首に掛かる。知覚繊毛はそれ以上伸びて来ない。再生限界に達したか? 

「チャンスだ!」

 ネルラの合図にアルセアが動いた。

「させるか!」

 両目を潰されたアルセアは自分の知覚繊毛を掴み、よじ登って来た。パウラが手摺から乗り出した。赤い打刀を振り上げる。

「お母様!」

「パウラ………」

「これで、お終い」

 パウラは力任せに振り下ろした。掴みかかったアルセアの前腕ごと、知覚繊毛を切断する。

 絶叫と共にアルセアは吹き抜けを落ちていった。二度、三度と宙を舞い、驚愕の表情で光のない両眼を見開く。

 間髪入れず、ネルラはアルセアに向かって刀を投げた。刀身は慣性力に押されて手裏剣のように回転すると、空中でアルセアを捉えた。肩口の心臓へ繋がるガウルの急所を、見事貫いた。

 雛壇に刺し止められたアルセアの姿は、採集標本の昆虫のようであった。



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