第15話

15



 仰向けになったアルセアを二人がじっと見下ろす。死に至る容態である。純白の装束は既に血まみれで、肩に長い打刀が刺さっている。

 ネルラは眉を顰め、パウラに耳打ちした。

「まだ、息があるぜ」

 アルセアが身じろぎした。

「そこに………いるの、パウラ?」

 パウラはしばらくの間、無言であった。そして思い立ったように告げる。

「お母様、私、勝ったわ」

 アルセアは薄笑いを浮かべた。

「そうね。どう? ………嬉しい?」

 パウラは口ごもった。

「嬉しい、って………」

 そこでアルセアは咳き込み、吐血した。臨終が迫っている。喘ぐように息を継ぎ、アルセアは続けた。

「………聞きなさい、パウラ。私はここで死ぬ。死ぬけど………あなたにはこれから、あることが起こるの」

「何?」

「ガウルの生物学的血縁として示唆が与えられるわ。歴代女王の記憶よ。………私が母から受け継いだように、あなたにも繋がる」

 パウラの表情が曇った。

「それってどうなるの? 私、どうにかなっちゃう?」

 アルセアは笑った。

「心配しないで。普段の共感覚と変わりない。ただ膨大な経験が擦り込まれるのよ。あなたはずっとあなたのまま。でもそれを判断するのも、あなたってこと」

「待ってよ………」

 アルセアは口をすぼめて娘を制した。

「シーッ。………始まるわ」



 記憶の伝播は、潮騒が忍び寄るよう到達した。例えるなら数十人の夢を一時に見るような。そんな感覚。

 視界が重なり音や匂いもする。一人一人の記憶。女王たちの体感。その生涯の全てがそこにあった。

 天変地異。社会の争乱。

 深宇宙で繰り広げられる、茫漠たる星屑の営み。


 始まりが断片的なのは、生命サイクルが脆弱だったせいだろう。延命を果たしたところから、記憶はゆっくり流れ出した。


 アルセアの記憶。


(予感は、野を馳せる疾風のよう)


 己が存在は群れのため。戦いに勝ち抜くこと。

 全てにおいて、何よりの優先事項。

 娘が生まれた喜びも。

 未成熟だった二人への落胆も。

 頼みの綱の第三王女が、跳ねっ返りのへそ曲がりであったという事実さえ。

 冷静に受け止めた母親。


(戸惑いは、まだ見ぬ草木の幻)


 すれ違いが確執に変わる。

 互いの死を望むのが本望? 

 意外だったろうか? 

 どうなのか? 

 それぞれの胸中を探れば自ずと答えは見えたはず。

 それは最初から決まっていたことなのだから。

 選ばれ、定められた道筋。


(幻滅は、沁みとおる一滴の雫)


 反発は、抑圧された深層心理の表出。

 娘は群れの先導者となるため、成長の階段を上った。

 越えるべき母と言う段を。

 母娘(おやこ)は、争っていなかった。

 ただ、同じ方向を見ていただけ。


(雁(かり)の渡りを見送るのは、誰?)



 アルセアはパウラに向かい、満面の笑みを浮かべた。

「皮肉なものね。今更あなたのこと、解るだなんて。………タイミング悪いわ」

 娘の目頭は、微かな湿り気に光っていた。

 声が震える。

「お母さん………ご免なさい」

 アルセアは触れることの出来ない、切り株となった二つの腕を伸ばすと、我が子を求めた。

「あなたのことが、とても………誇らしい」


 そしてアルセアは逝った。七十二代新生ガウル女王の最期であった。



 大広間に吹き込む旋毛風(つむじかぜ)が、土埃を舞い上げる。パウラは顔をしかめ、終始表情を変えない。ネルラは咳払いした。

「大丈夫?」

「ええ。平気」

 パウラは手に持った打刀を払うと刀身を白鞘に戻した。

 

 ネルラには母娘に交わされた最後の共感を知る由もなかった。まして脳内に閃いた新たな人格など、気付こうはずもない。

 

 ネルラは大破したモザイク窓から遠い地平を眺めた。赤黒い巨大な砂煙に稲光が瞬く。

 遠鳴りが近い。ネルラが言った。

「まずいな。嵐が来るぜ」



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