第65話 義親、大喝す

 唐津の館に到着したのは夜半であった。

 大宰府から十七里の距離を月影は休息も取らず、僅か二刻で駆け抜けたのだ。おそるべき速度と持久力である。

 館の正面に土埃を上げて月影を乗りつけたが、この時刻にはもう門は閉まっている。大声を上げて開門させ月影を預けるや、寸時も惜しいとばかりに館に駆け込んだ。


「八郎じゃ! 入るぞ」


 玄関口で来訪を告げ、急ぎ足で館の最も奥に位置する義親の居室へと向かう。

 それを押し止める者がいた。義親の近臣である。


「お待ちください」


 廊下に立ちはだかり、先へは行かせまいとする。八郎は苛立った


「邪魔するな! 義親爺が倒れたと聞き、大宰府から急ぎ駆けつけて来たのじゃ」

「その義親様の仰せでございます。まずはこちらへ」


 と、別室へと通される。


「少しの間、お待ちになりますように」


 温かい茶が出た。身体は冷え切っていたが、飲もうともせずに考える。

 義親爺の命とはどういうことか。あらかじめ俺が来るであろうと予想し、こうこうせよと近臣に言いつけておいたのか。それとも俺の声を聞き、ここで待たせるように急ぎ命じたということか。

 いずれにせよ、なぜ俺を待たせる。

 もしかして、待たせている間に俺と会う準備を整えようというつもりなのか。床に伏せていたのが起き上がり、衣服や様子を整えようと。

 常ならば、義親爺はそんな体裁を気にするような男ではない。だとすれば目的はただひとつ、俺を心配させまいということだ。

 それほどに義親爺の容態は深刻なのか。

 気を巡らせていると先程の近臣が再び姿を見せた。


「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」


 導かれ、義親の居室に入る。八郎の心配は当たっていた。

 寝具の上に胡坐をかいたその姿は、頬がこけ眼窩は窪み、巌のようであった身体が一回り、いや、二回りも瘦せ細り、一気に老け込んだかのようであった。

 八郎は息を呑む。あの頑健であった義親爺がこれ程に衰弱するとは。

 松浦党の主だった者の殆どを八郎に付けて大宰府へ送り込み、およそ一人で唐津の大戦の後始末を差配した、その激務のほどが思われた。

 しかも瀬戸内水軍との海戦、大宰府軍との大戦に続いての仕事である。

 焼き払われた街を復興させ、荒らされた田畑を元の姿に戻す、また、戦いにて身内を失った者、収穫が叶わぬ者にはそれなりの手当を施すなど、次から次へと気力と体力を酷使する仕事の連続は常人の耐え得るところではない。

 義親なればこそ老齢にもかかわらず、余人の援けもなしに半年あまりもの間、過酷な任を果たし得たのだ。


(こうなることは十分に予想できたはずだ。それを敢えてこの人は……)


 部屋の中には義親の世話をする役とおぼしき女が二名と、先程の近臣、そして舜天丸と傅役。

 壇ノ浦での船戦以来、質として唐津に留められていたのだが、この二人に対する義親の扱いは、まるで賓客に対するかのようであった。二人もまた、それに応えるが如く義親に対する感謝と信頼を深め、慕うようになっていたのである。

 舜天丸の顔には心配の色が濃い。そのことからも義親の具合が芳しくないことが察せられる。


 八郎のために設けられた座は一間ほどの手前にあり、鹿の皮を敷いてあったが、構わず進んで、義親から三尺ほどの間近に腰を下ろした。

 板床の冷たさが感じられたが、知ったことではない。

 近臣が慌てて敷皮を引き摺ってきて勧めた。

 それには構わず義親を凝視する。

 病人らしくもなく無精髭が伸びていないのは、八郎の来訪を知って慌てて剃らせたか。にもかかわらず血色が良く見えるのは、頬にうっすらと紅を塗らせているのである。実は顔色が優れぬのを隠すためであろう。

 左右から介護の侍女に支えられているのが痛々しい。


「久しいな」


 まず声を発したのは義親であった。八郎が軍を率いて大宰府に向かって以来、文で連絡を取り合ってはいたが、互いに多忙に追われ、顔を合わせるのは半年ぶりだ。

 やつれ果てながらも、義親の表情は長く会わなかった孫に対する慈愛と嬉しさに溢れていた。だが、その声にはいつもの覇気がない。腹に響くような重々しさがない。


「倒れたと聞いたので急ぎ駆けつけたが、思いのほか元気そうではないか」


 嘘である。八郎が見ても義親の衰弱は明白であったが、それを言えば病人はますます気力を失うであろう、そう思い、努めて快活な軽い調子で安心を装ったのだ。

 義親にはそんなありきたりの世辞は通じない。渋い顔で、


「師走の内に面倒は終えてしまいたかったからな。少し根を詰めて働き、やっと全てを終わらせて、晦日には久しぶりに大酒したらこのざまよ。全く、年は取りとうないわい」


 これだけを言うのにも幾度も息を継ぎ、いかにも辛そうである。肩が下がり、背筋は丸まっている。

 侍女が勧める薬湯を口に含み、


「苦いのう」


 と顔をしかめた。そして言う。


「大宰府の方はどうだ。なかなか手厳しくやっておるようではないか」


 久方ぶりに会った早々からこれである。自らはやつれ果てながらも、まずは愛しい孫の首尾が気に掛かるとみえる。

 十全の信頼を置いているとはいえ、戦とは違い政は初めての経験である。文での報告は読んでいるはずだが、やはり八郎の口からじかに聞きたいらしい。

 八郎はこれに対し、


「心配ない。余計な気を回さずに、爺様は今は養生に努めてくれ」


 と話を逸らそうとするが、義親は尚も続ける。


「受領をことごとく追放したというではないか。荘園の寄進も破棄させたとか。思い切ったことをしでかしたものじゃな」

「それは文で伝えた通りだ。爺様も承知のはず」

「ああ、承知した。だが、表立って守や介を追放し、京に年貢を治めぬとなれば、さすがの公家共も悠長にはしておられまい。自らの暮らしに関わるでのう。あらためて思えば別のやり方もあったはず。もっと穏便に、例えば徴税権だけを認めさせ、租税の一部は奴らに渡し、以前の通りに京に送らせるとか。さすれば朝廷も我らの鎮西支配を黙認するであろう」


 義親の意外な言に八郎は当惑する。


(なぜ既に終わったことを今さら持ち出すのだ。もしかして、病のせいで気が弱ったか)


 侍女のひとりが心配げに口を挟んだ。


「頭領、こんな時にそのような込み入ったお話は、御身体に障りましょう」


 義親はそれには答えず八郎の顔をじっと見据えた。

 無言で返答を待つ、その目は鋭い。相手の真意を試し、探る、義親らしい皮肉な視線であった。口角もまた悪戯気に上がっている。

 この眼光と表情が八郎に義親の意図を悟らせた。


(そういうことか。全く喰えぬ爺様だ。まだまだ気力までも失ってはおらぬ。この毒気が続く限り大丈夫じゃ)


 少しく安堵し、病人に対して敢えて逆に問うた。


「爺様は鎮西を、奥州藤原氏の治める蝦夷えぞのようにしたいのか?」

「ほう、面白いことを言う。どういう意味じゃ。蝦夷がどうだというのだ」


 義親は僅かながら身を乗り出した。八郎の言葉に興味を惹かれ、精気を取り戻してきたかのようであった。化粧でも隠しきれなかった血色の悪さが心なしか薄れ、顔全体にほのかな赤みが射す。


「奥州藤原氏は、清衡から今の基衡の二代に渡って陸奥と奥羽に広大な領地を有し、朝廷に願って押領使の役職を得、その代わり、租税に加えて黄金や毛皮、馬などの財や産物を献上していると聞く」

「その通りじゃ。おかげで彼らの本拠たる平泉は京の都にも迫る繁栄を見せているというぞ。煌びやかな仏塔、邸が建ち並び、民は安寧を享受しているそうな」

「そんなものが爺様の理想か。断じて違うはずだ!」


 八郎は笑顔で語気を強めた。


「奥州がどれほど繫栄していようと、民の誇りはどうなる。京の公家共は彼らを俘囚、北狄とさげすみ、奥州の民もまた自らを卑下しているというではないか。本来、蝦夷も鎮西も京の風下に立つものではない。京の公家共の言うままに租税を送り、苦役を務める処世など以ての外。我らは決して奴らの顔色を窺う属国の地位に甘んじてはならんのだ」


 この言に義親は目を細め、口元は嬉しげに綻んだ。そして小さく呟く。


と言うか……」

「おう、確かに言うた。『我ら』じゃ。俺と仲間、松浦党の皆々、鎮西の武士や商人、百姓も一切合切含んだ我らが鎮西を誇りある独立国とし、朝廷の呪縛から離れるのだ。そのためには、受領や荘官などというものの存在をどうして放って置けようか」

「京から追討軍が急ぎ送られてきたら、なんとする」

「戦って打ち破るだけじゃ。爺様の育てた松浦党に及ぶ水軍など、この日ノ本にあるものか。しかも、今は俺や仲間もその一味じゃ。敵に一歩も鎮西の地を踏ませはせぬ。ことごとく敵船は沈め兵は屠り、海峡と玄界灘の魚の住処すみかと餌にしてくれるわ」

「わっはっは!」


 義親はついに、のけぞるばかりに胸を突き出して精悍に哄笑した。


 奥州は源氏にとって因縁の土地である。義親の祖父・頼義と父・義家は、嘗ての地に河内源氏の基盤を築かんとして安倍氏を相手に前九年の役を戦い、義家に至ってはその後、陸奥守として清原家の内紛に介入し、後三年の役に勝利した。

 ところが、それ程の労苦にもかかわらず、陸奥そして奥羽の覇権は清原家の養子から藤原に復姓した清衡のものとなったのである。

 そして今、その後を継ぐ基衡は北方の王者として、京の朝廷も容易に手出しの叶わぬ富強を誇っているという。

 だが、八郎はそれさえも京の顔色を窺う「属国」に過ぎぬと言い放った。

 因縁深き奥州、名にしおう藤原家の王国を属国扱いとは小気味良し。


 そしてまた、鎮西に奥州をも凌駕する独立国をうち立て、何百年ものあいだ中央にこうべを垂れてきた皆に誇りを取り戻させんとする、それこそは義親の見果てぬ夢である。

 目の前に座す孫は、まさにその夢を現実のものとする気概と力に満ち、既にその途上にあるではないか。

 義親は確信した。やはり八郎こそが我が夢を継ぐ者だ。

 ならば己もまだまだ病に倒れたり、老け込んでいる訳にはいかぬ。こ奴の年若ゆえの未熟さを援け、どこまで大きく羽ばたき飛翔するか、存分に見せてもらおうではないか。


「さすがは我が孫。鎮西を束ねんとする者にふさわしい、見事な覚悟ぞ」


 壮大な夢と希望が衰えた老体を駆り立てたか、声に張りが戻り、曲がっていた背筋が真っ直ぐに立っている。八郎を除く場の全ての者が刮目した。その姿は俄かに気力が漲り、常の義親に漂う威風を取り戻しつつあった。


「よし!」


 大声と共に八郎を睨みつけ、叱咤する。


「ならばお前は、こんな所で何をしておる。もう聞くべきことは聞いた。早々に大宰府に戻れ。やるべきことがある筈じゃ」

「いや、せめて今晩だけは唐津にて爺様の様子を見届けようと……」

「馬鹿者!」


 大喝である。

 つい先程まで床に伏せっていた者が放ったとは考えられぬその声は、灯火の炎を揺らめかせたばかりか、部屋の調度や柱をびりびりと震わせ、広い館の隅々にまで響き渡ったかと思われた。


「原田と菊池の軍が迫っておるというに、軍を率いるべき大将が、こんな所で何をしておるか。武士が大事に臨んだ時は妻子や親兄弟も全て忘るべきものぞ!」


 この言葉はまさしく八郎の意表を突いた。


「原田と菊池のこと、知っておったのか!」

「当り前じゃ。床に就いておっても、各所に放った諜者からの報せは次々に届く。原田一族が筑前を去り、肥後の菊池に合力を求めることなど予想の内じゃ。隈府近辺に手の者を潜ませ、奴らの動向は逐一掴んでおったのよ」

「ううむ」

「お前も重季も、まだまだ甘いのう。おちおち病になることも、死ぬことも叶わぬわい」


 八郎は苦笑する。

 これが昨日倒れたばかりの病人の言うことか。いや、甦った気力が病までも吹き飛ばしたか。だとしたら、俺が唐津まで駆けつけた甲斐があったというものだ。


「とんだ爺様だ。不例と聞いて飛んできた孫に対する言い草とも思えぬな」


 太刀を握り立ち上がった。


「その様子では、当分は殺しても死にそうにないな」

「おう、その通りじゃ。まだまだ頼りない孫がおるでのう。それに、もう一人、幼い孫ができたからな」


 と、義親は舜天丸に視線を送り相好を崩す。実の孫を見るに等しい、この上なく優しい笑顔であった。


「では仰せの通り、俺は行く。舜天丸、くれぐれも爺様を頼んだぞ」


 常のように「殿」を付けず、八郎はあえて呼び捨てにした。

 そうか、舜天丸は俺の弟か。ならば、弟に対して何々殿などと敬称するべきではないと考えたからである。


「はい! 心得ました。八郎兄者には御武運を祈っております」


 舜天丸はきっぱりと答えた。「兄者」と。

 横に控える傅役も深々と頭を下げる。

 寝所を出ようとする八郎の背後で義親の小さな声がした。


「嬉しかったぞ。ありがとうよ」


 月影が待つ厩に向かいながら八郎の心は晴れやかであった。

 これで後顧の憂いは失せた。後は目前の戦に全力を尽くすだけである。原田や菊池など何するものぞ。

 心の奥底からふつふつと闘志が湧き上がってくるのを感じる。外は今だ雪が降り続いていたが、全く寒さを感じない。

 八郎の顔を見るや月影が一声大きく嘶いた。

 それは主の闘気を愛馬が敏感にも感じ取ったかのようであった。

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異聞・鎮西八郎為朝伝 Evelyn @20011215

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