鎮西制覇
第64話 義親のもとへ
鎮西にはめずらしく、その年の正月は雪であった。
大宰府政庁の内庭にも、街の道筋や家々の屋根にも、近隣の野原や田畑にも半尺あまりの雪が降り積もり、白一色の景色である。
八郎は諸侯や商人たちの年賀の挨拶を受けるのも早々に切り上げ、後は重季に任せて自室に引き籠ることにした。
元々が形式張った儀礼を嫌う気性である。大宰府を奪取し、鎮西の北部を統べる軍の総帥になったからといってそれは変わらない。
(馬鹿馬鹿しい。次から次に同じような年賀の挨拶ばかり)
慣れぬ応対にすっかり気疲れし、自室に戻ったところ、そこではもう時葉、弁慶、紀八、手取與次らが料理を前に年賀の宴を始めていた。
「おお、御大将のお帰りばい!」
これは紀八である。既に酒が入っている。
「何だ、これは?」
八郎が問うと、
「正月は大将を中心に祝うのが当然じゃ。だから皆でまかり越したのだ。どうだ、嬉しかろう」
今度は時葉である。全く悪びれるところがない。
驚いたことに白縫姫と侍女たちまでがいる。
さして広くもない部屋に十数名、あちこちには火桶が置かれ、座る場所もない。弁慶の隣に僅かな隙間を見つけ腰を下ろしたところにまた時葉の声が飛んだ。
「八郎、遠慮などせずに私の隣に来い。来客の相手で疲れたであろう。癒してやる」
「時葉、お前、酔っているな。顔が赤いぞ」
「ああ、酔ったがどうした。正月じゃ。このめでたい日に酒ぐらい飲まずにどうするか」
呆れた言い草である。手に負えそうにない。
隣を見ると弁慶もまた、黙々と盃を口に運んでいる。ぐいと一杯あおるや、瓶子から新たに酒を注いでもう一杯、更にもう一杯。巌のような巨躯が背筋を立てて、無言のまま立て続けに盃を干すその姿は、まるでいつ終わるとも知れぬ仁王の酒盛のよう。
「ささ、御大将も飲みなっせ」
手取與次が瓶子を右手に、盃を左手に酒を進めてくるが、
「いや、俺は酒は嗜まぬ」
と断ろうとすると、
「悲しかぁ。可愛か郎党の勧める酒ば飲めんとは」
「いつお前が俺の郎党になったのだ。義親爺の配下であろうに」
「確かにその通り。ばってん義親様は御大将の爺様じゃなかですか。とういうことは、義親様の配下なら、それはつまり八郎様の郎党と同じばい」
酔っぱらっているくせに、それらしい理屈を並べるのである。八郎は仕方なく盃を受け取り、そこに注がれた酒を飲むふりをしてやり過ごすことにした。
見ると、白縫姫の侍女たちも顔が赤い。雰囲気に流され、したたかに飲んでしまったのであろう。
侍女の筆頭、八代と呼ばれる女人が不意に立ち上がり、謡い踊り始めた。皆の座る隙間を縫って舞うのだが、この足元が甚だ危なっかしい。これに紀八や與次が拍子を合わせて手を叩き、掛け声をかけ、あるいは褒めそやす。ちょっとした騒ぎとなった。
さすがに姫だけは
どうやら目を開けたまま眠っているようだ。飲んでも顔色が変わらぬ
「ふう……」
八郎は嘆息する。そして諦めた。
(唐津の戦い以来,よく働いてくれたからな。今日ばかりは良しとするか)
そのままおよそ半刻が過ぎる。そこに第一の凶報が入ったのである。
廊下を慌てて走り来る足音が迫る。音の主の若党が部屋の前で跪き、大声で告げた。
「大事出来でございます! すぐに本殿にお越しくださるよう重季様が仰せです」
すっかり出来上がった皆を部屋に残し、八郎だけが笑い声や嬌声を背に本殿に戻る。
年賀の客は既に引き払っている。大事出来と聞いた重季の判断で年賀の儀を即座に終わらせたのであろう。閑散とし、冷たい風の吹き込む広間の中央に、重季と須藤助明が絵図を前に座っていた。二人の顔は深刻である。
「大事とは穏やかでないな。いったい何が起こったのだ」
重季が眉根に皺を寄せたまま答える。
「原田種雄でございます」
「原田がどうした」
「須田殿が放っていた物見の報告によれば、肥後を発った軍勢が北上しつつあるとのこと。既に数は四千を超え、ますます勢は膨らむ模様。終いには七千や八千にも達するでありましょう。主力はその旗印からして原田の軍勢と、そして菊池氏」
「迂闊でございました」
助明が頭を下げて謝罪する。軍事司の副官となっており、重季の命で原田一族の動向を探っていたのである。
「原田領から消えた軍勢がどこに向かったのか、調べさせてはおったのですが、一向に行方が掴めなかったのです。おそらくは目立たぬように小さな集団に分かれて別々の道を南へ向かい、肥後の隈府近辺を中心に、随所に潜んでいたのかと」
肥後北部に位置する隈府は菊池一族の本拠地である。
菊池氏こそは中九州の雄、並ぶ者なき大豪族と言ってよい。その勢力は肥後一円ばかりか、筑後や豊後の一部にも及ぶ。
この時代より百数十年前、女真族の一派を中心にした集団が壱岐・対馬を襲い、更に九州沿岸に侵攻した。いわゆる「刀伊の入寇」である。
その際に奮戦した大宰府官で、その戦功によって太宰少弐となった藤原政則を祖とし、肥後に土着、土地の名を取って苗字としたのが菊池氏である。したがって大宰府との縁は長く、深い。
加えて政則は、原田氏の祖のひとりであり太宰少監を務めた大蔵
原田氏単独では今の八郎の軍には抗し難い。そこで、古くからの縁を頼って種雄は肥後に逃れ、菊池氏と相語らったと思われた。
菊池一族の現在の当主は経直。若くして鳥羽帝の武者所に出仕し、京の朝廷との繋がりも強い。帝から並び鷹の羽紋を拝領し、それを一族の家紋として定めたほどである。
更に、肥後だけではなく肥前にも勢を伸ばさんとし、義親とは予てから反目する仲であった。
齢四十一、今なお壮年の覇気溢れる頃だ。そんな折、大宰府が陥落し、筑前から逃れ来た当代の大宰府大監・原田種雄が助力を求めたのであるから、一にも二もなく合意に至ったであろう。
そしてこの決起である。助明の言う通り迂闊であった。
種雄が肥後の菊池氏を頼ることは十分以上に予想できたはずだ。筑前から肥後への道々を封鎖するなり、何故ゆえ両者の連携を遮る策を打ってこなかったか。
しかし今さら繰り言を述べても仕方がない。八郎は助明の失態には触れず、
「正月早々に戦とは、忙しいことだな」
と笑ってみせた。そして、
「だが、相手から挑んでくるとなれば、正月も何もあるまい。戦い、打ち破るだけだ。すぐに兵を招集せよ」
八郎の命に従い、降りしきる雪の中、四方に使者が飛ぶ。
正月とあって、武者の大半は領地に帰してある。大宰府に残る軍勢は僅か千足らず。残りの兵が集結するには早くとも一両日はかかる。
重季が絵図面を指差しながら説明する。
「筑後と肥後の間には山があります。そこを越えるには時がかかるはず。とすれば、おそらく決戦の地はここ、筑後川河畔になりましょう」
八郎は大きく頷いた。
ここのところ合議だ訴訟だとかに振り回されて気疲れしておったが、ここにきて望まぬ形とはいえ戦とは。
戦いと聞くだけで鬱の気が吹っ飛ぶようだ。不思議なものだな。やはり俺の第一の居場所は戦場とみえる。
よし、鬱憤晴らしにも存分に暴れてみせようぞ。
翌日には近隣から武者が集い始める。だが、雪のせいか、その数はまだ決して多くはない。大宰府に駐屯する兵と合わせても二千には届かぬ程度である。
遅々とした進行に重季は苛立ち、しきりに親指の爪を噛む。重季がこのような姿を見せるのは極めて稀な事だ。
これを常とは逆に八郎が
「敵はこの寒風吹きすさぶ中、雪道を侵して山を越えて来るのだ。さぞ難儀しようぞ。決戦の地に着く頃には身体は凍え、疲労は極限に達しているだろう」
軽く微笑み、続ける。
「逆に我らはここ大宰府で暖を取り、美味いものを食い、十分に休養を取ってから出陣するのだ。これこそ兵書に言う『逸を以て労を待つ』ではないか。敵自らそのように我らの有利を整えてくれるとは有難いことだな。兵の慰安に多少の酒など届けてやるがよい。身体が温まるようにな」
この言葉と落ち着きぶりに、重季も常の自分を取り戻し安堵する。
すぐさま酒が大宰府の街に届けられ、兵たちが宿営する家々に届けられた。
あちこちから、これから始まる戦での己が武勇を誓う勇ましくも陽気な声が響き始める。
唐津からの急報が届いたのは、まさにそんな夕刻であった。
「義親様御不例! 昨夜の夕食の際、突然に御倒れになりました!」
馬を乗り継いで急ぎ駆けつけたに違いない。寒気の中で身体から湯気を立てる若い伝令が息を切らし、切迫した面持ちで告げた。
八郎だけではない。脇に控える重季もこれを聞いて驚愕する。
よりによってこの急場に義親様が御倒れになるとは、なんたる時になんたる凶報か。
そう考える重季を尻目に、報を聞くなり八郎はすぐさま、詳細を確かめようともせず無言で立ち上がった。
原田そして菊池、両氏の決起を聞いても泰然としていたその形相が一変している。速足で政庁本殿を出て行こうとする、その背に向かって重季は叫ぶように問うた。
「どこに行かれるのです!」
「唐津に決まっておる。義親爺の容態をこの目で確かめねば!」
「原田種雄と菊池一族の方はどうなさいます。こちらも急を要する一大事ですぞ」
「月影ならば明日の朝には戻れる距離じゃ。軍の編成は重季、お主に任せる。俺が帰って来るまでに出陣の用意を整えておいてくれ」
八郎の様子に重季は嘆息する。こうなれば何を言っても無駄と思われた。
「わかりました。仰せの通りに致しましょう。ただし、お一人では危険なので、護衛を連れて行かれますように」
「無用じゃ。月影の速さに付いて来れはせぬ。却って足手まといになり時がかかる」
「だが、それでは御身の安全が」
「俺の武勇を信じよ。曲者など一太刀で斬り捨ててくれる」
「しかし……」
重季が尚も諫めようとするのを制し、八郎は今度は落ち着いた声でゆっくりと言った。
「許せ。義親爺は俺の恩人じゃ。勘当され鎮西に流れて来た俺を受け入れ、慈しみ、何のために戦うのか、何のために生きるのかということを教えてくれたのだ。倒れたというのを放って置く訳にはいかぬ。重季よ、お主が倒れたとしても、俺は同じようにするだろう。ここは黙って行かせてくれ」
との言葉を残し、八郎は太刀を取るや厩めがけてもう駆け出している。
残された重季はがっくりと肩を落とし、うな垂れた。
甲冑もつけずに平服のまま八郎は月影に跨る。
携えるは長刀のみ。方天戟さえも持ってはいない。戦場ならいざ知らず、唐津までの長い距離を走り抜けるには長大な武器の重さは馬の負担となろう。今は一刻も早く唐津に着かねばならぬ。
ひたすらに義親の容態を案じ、降りしきる雪の中、八郎は月影を西へと疾駆させた。
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