第63話 凶報
八郎と重季、王昇、咲、そして主だった面々が集まり、連日連夜に及び議論を戦わす。
そうして定まったのが次の如き新生大宰府の概要であった。
まず政庁。あらゆる物事の中心となる機関である。
旧大宰府の役所と名称は同一だが、八郎を首座として活発な合議で運営を行うことが新味であった。権師や大弐、少弐、監、典といった地位によって発言力が異なる従来の合議とは違う。皆が等しき立場で自由に議論を戦わせるのだ。
議に参加する面々には政財および軍事に明るい者を集め、合議の陥りがちな遅滞の弊害を極力避けて、迅速に決定を下すことを旨とする。
大宰府を奪取したとはいえ、今はまだ倒すべき敵の多々存在する戦時と言える。これから進めるべき鎮西全体の制覇を考えれば即決は必須であろう。
次に大蔵司。
銭に関わる物事を扱う役所であるが、単に租税の徴収、銭や金銀の出納,管理を行う訳ではない。博多の商人衆と連携し、商いが円滑かつ公正に行われるように、また、物品の流通が滞り無きよう取り計らう機関である。
代償として利益に応じた税を徴収する。これは他でもない咲の発案であった。
「古き大宰府のように異国との商いを独占しようと企むのではなく、逆に商人衆の自由に任せ、そのうえ様々な便宜を図るとなれば、博多の衆は歓喜致しましょう。街道や港の整備も行うのです。そのためには銭が必要になります。また、商人たちの権利を守るために軍を動かすこともありましょう。その資金も
というのが咲の言である。
これに重季が疑問を呈した。
「農地に課す租税ならともかく、商人から税を取るなど聞いたことがありませぬ。商人である咲殿ご自身が、そのようなことを仰って宜しいのか」
この時代、商人に税を課す制度は確立していない。鍛冶などの手工業に従事する者に対しても同様である。
それが始まるのはずっと後の室町期、運上金や冥加金といった名称で一般化するのは安土桃山期からである。
重季の抱いた疑問、懸念は当然と言えるだろう。
だが、当の咲本人は一向に動ぜず,
「わたくしが商人だから言うのです。たとえ税を払っても、それによって自らの商いの権利が保護され、なおかつ便宜を図ってくださるとなれば、それは今までよりも大きな利益が約束されたと同じこと。商人は利に繋がることには投資を惜しみません」
理路整然と述べるのであった。
「成程、仰ることはごもっとも。しかし我々武家は銭のことには疎い。誰にその責を担わせればよろしいのか。何処にそのような者が居ろうか。どうやって探せばよいのか」
「目の前に居るではありませぬか」
口を挟んだのは王昇である。咲のことを指しているらしい。
「我が妻ながら、博多の商人衆にもこの上なく顔が利き、売掛の回収、銭の管理は天下一品でございます。また、先々を見据えた銭の使い道にも明るい。このような適任者が他にありましょうか」
この言葉には重季を始め皆が驚愕した。
商売において自らの片腕ともいえる妻を手放し、手薄な新大宰府の政を援けさせようというのである。
「しかし、それでは王昇殿の商いに支障が出るのでは」
重季の問いに王昇は余裕の表情で答えた。
「確かにその通り。咲が居らねば我が家の商いは当初は混乱するでしょうな。だが、いずれは咲に代わる若い者を育てねばなりません。店の若い者や手前共の息子、娘たちにも商いを学ばせるのに、むしろ良い機会でございます。新しき大宰府の政が落ち着くまで、期限付きで妻をお貸ししましょう」
その言を聞き、咲自身もにっこりと微笑む。
これで困難な大蔵司の責任者は決した。
次いでは軍事司であるが、この人選は簡単であった。衆目の見るところ重季以外に人はいなかったからだ。
軍団の長たる八郎を任ずることも考えられるが、多くの荒くれ武者を細かいところにも気を回しながら纏めていくには、重季の方が遥かに
また、八郎には政庁の首座としての他にも果たすべき役割がある。
「最後は司法所ですが、この長官は是非とも八郎様ご自身に務めて頂きたい」
王昇がめずらしく語気を強めた。そういうことである。
これに八郎は仰天する。
「俺がか!? 司法のことなど何も知らんぞ」
「だからこそでございます。これから学んで頂きたい」
「学ぶと言っても、どうしたものか」
「宜しいか。武家の
「ううむ」
「民のための世を目指すなら、司法所は武家だけではなく、百姓町民の訴えも受け付けるべきですな。もちろん八郎様が全ての訴訟に関わる訳ではない。子細な訴え事は配下に任せ、その報告によって統括するのです。そして庶民の生活や悩みを知る」
「ううむ、ますます難しそうだな」
「心配する必要はございません。型にはまった律令ではなく、地に足の着いた世の道理を根本に置き、それに従って決を下されればよろしい。込み入った大きな訴訟であれば、中央機関たる政庁に持ち帰り、合議の上で判断すれば良いではないですか」
「まあ、そういうことならば……」
このようにして新たな政の体制が定まったのである。
合議の首座はともかく、司法所の長に奉られたのは八郎にとって頭痛の種であった。
一体全体、元服を終えて間もない俺に訴訟の決を下すなどという役目が務まるのか。王昇殿は道理道理というが、この世には人の数だけ異なった道理が存在するのではないか。
ましてや訴訟の席といえば、双方の欲と欲が衝突する修羅の場であろう。
押しに負けて引き受けてはみたものの、これはまた予想もせぬことになったものだ……
ええい、考えても仕方がない。物事は全て、なるようになる!
八郎は最後は持ち前の自然体で開き直ることにした。
組織の形が整うや実際の運営が始まる。
政庁でまず議されたのは受領層の廃止、荘園の撤廃であった。
これは最大の難事である。守や介として任地に赴いている者は廃止に
荘園も同様だ。その多くは国税を逃れるために摂関家など高位の公卿に名目上寄進されており、今までは何もせずとも名義料として利益が転がり込んできたものが泡と消えるのだ。
慌てた朝廷が急ぎ討伐軍を組織して送り込んでくることも十分に考えられた。
だが、その危険を冒しても是非やり遂げねばならぬ大仕事である。
八郎は躊躇する面々に向かって言い切った。
「受領など、重い国税の上に更に自らの取り分を欲深く民から搾取するばかり。そんな輩には即刻退去の勧告を送りつけ、従わぬならば兵を用いて京に追い返してしまえ」
そして更に語気を強める。
「荘官などという輩も、これからの鎮西には不要だ!」
合議に集った者の多くは、この言に甚だ困惑する。
当時の武家の殆どは開墾領主だったからである。そしてまた、自分たちが開墾した農地を京の有力な公卿らに寄進することによって重い国税を逃れ、だがその代わりに名義料として収穫のかなりの部分を献上していた。
すなわち彼らの多くが、まさに八郎の言う荘官そのものであった。自分たちが不要の者と見なされたと誤解したのだ。
大きな騒めきが起る。しかし、八郎の次に言うところは彼らの懸念とは全く逆を目指すものであった。
「自ら開墾した土地が己の物になるのは当然の
一同の顔を見回し、声高らかに言い放つ。
「寄進の約定など破棄してしまえ! さすれば皆も民に重い負担を課す必要もなく、村々は潤うであろう。これは我らの国創りのためには必須の大きな一歩である。是非とも成し遂げねばならぬ」
諸侯の騒めきはますます大きなものとなった。
そのうちの一人が立ち上がり、血相を変えて八郎に問うた。
「それは朝廷に対する明らかな反逆ですぞ!」
「おう、いかにもその通り。だが、大宰府を陥れたことで既に我らは反逆者じゃ。今さらどうということもない。むしろ重要なのは鎮西の皆のため、皆が喜んで支えてくれる国創りであろう」
「ううむ…… しかし、そんなことをすれば京が黙ってはおりますまい。急遽討伐軍を派遣してきたら如何なさるおつもりか」
「ふん、大事なことを忘れておられるようだな。軍が鎮西に至るには海を渡らねばならぬ。そして我らの中核は松浦党じゃ」
「あっ!」
「しかも松浦党に対抗し得る瀬戸内の水軍は既に叩いてある。半壊じゃ。当分は我らに対すること叶うまい。あえて他のもっと小勢の水軍を束にして引っ張り出しても、大軍が海を渡ることなど決して許さぬ。海の藻屑としてやるだけじゃ」
八郎に敢えて反論を唱えた武士は、ついに返す言葉を失った。
「そういうことだ。これからは京に重い租税を納めることは不要。名ばかりの
と、八郎は議を締めくくった。
このようにして新しい政は大きな一歩を踏み出したのである。
政だけではない。
同時に八郎たちは北部九州一帯に次々と部隊を送らなければならなかった。唐津の戦いで敗れた敵軍の将や武士の領地を接収するためである。
敗死した武士の領地は没収して取りあえずは大宰府の直轄地とし、後々は恩賞として然るべき者に与える。領主が生き残っている土地に関しては、まず降伏を勧告し、素直に従えば一部を没収などで済ませるが、敢えて反抗する者はやむを得ず討つ。
そんな毎日の中、重季と八郎が兵を率いて向かったのは筑前にある原田種雄の領土であった。
種雄は筑前に三千町歩あまりの領土を持つ大豪族である。
一族の種平は唐津において真っ先に敗死したが、原田氏の嫡流であり嘗ては大宰府大監であった種雄は、見事な退却を披露して全軍の惨敗にもかかわらず生き残り、その隊もまた無傷で残っている。
唐津に率いてきた兵だけでも五百、領地の兵を全て招集すれば一千はゆうに超え二千に迫るであろう、無視できない勢力であった。
八郎は唐津での戦い以来、この種雄を仲間として嘱望していた。武略に優れているだけではなく、大蔵氏の
むやみに争おうというのではない。種雄を説得し、それが成らねば戦い降して、是非とも味方にしようというのである。ならばやはり八郎自らが出向かねばなるまい。
ところが案に反し種雄の領地も館も、もぬけの空であった。
もちろん領民は残っているが、種雄自身も、郎党や従者も全て領地を去った後だったのである。
「これは一体どいうことだ。何故ゆえ、そして何処に消えたというのだ!」
八郎の疑問に重季が答える。
「我らが来ることを知って急遽姿をくらましたのでしょうな」
「領地を捨ててどこへ行く。何をする」
「それは分かりませぬ。ただ、兵糧も武具も全てが持ち出されているところからして、どこぞに潜み、時機を見て我らと一戦交えるつもりでは。それも、自軍だけではなく、何か他の勢力と語らって……」
重季の推測は当たっていた。
大宰府の占拠から半年あまり、政も軌道に乗り始めて民心も安定を見せ、北部九州の制圧もようやく終わりかけた頃、種雄が中九州の大豪族・菊池一族と合し、兵を挙げたという報告が届いたのである。
それは年が明けた仁平二年、正月のことであった。
凶報は続く。
唐津に残っていた義親が、戦後処理の激務のため倒れたというのだ。
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