第62話 政(まつりごと)の始まり(後編)
いったん仕事にかかるや、咲の手際の良さは驚嘆すべきものであった。
次々と訪れる博多の商人を右から左へと
過大な申請をする者もいない。その人脈の広大さに加えて、宋人・和人を問わず相当の畏敬と信頼を集めているのであろう。
王昇が安心して仕事を任せられるのも
また、咲の采配によって僅か数日の後には財物の返還は終わったのだが、そのすぐ後に博多の商人一同から多額の謝礼が届いたのである。
これには八郎も重季も驚いた。
「我らは謝礼欲しさに動いた訳ではない。これは博多の衆に返還して街の復興の資金として用い、一部は王昇殿と咲殿が此度の労の報酬として受け取るべきものだ」
と、八郎が謝絶せんとするのを、
「いいえ、綱首たる王昇とその妻であるわたくしが財物の返還に働くのは当然でございます。この謝礼は博多の商人の心尽くし。是非とも快く受け取り、今後の軍資金の足しになさいませ」
凛とした咲の返答であった。
軍を動かすには資金が要る。ましてや鎮西制覇となれば、その額は多大なものとなろう。
咲の強い申し出を拒むこともならず、八郎は有難く受け取ることにした。
王昇に任せた公家や官人の詮議の方も順調であった。大典、少典といった役職を持つ者から始め、功罪に応じて次々とその処遇、処罰を決めていく。
大典は正七位上相当、少典は正八位上相当の文官である。
京の都であれば
王昇はそれらの者共を容赦なく追放に処した。
また、官職や官位を持たざる下吏に対しても、その対処は適切かつ迅速であった。
清廉に勤めを果たしてきた者は以前と変わらぬ役職、地位に遇し、能力によっては昇進させる。逆に、怠惰を貪っていた者、民に
さすがは博多の大商人。常々から情報の収集は
重季はその手腕に舌を巻く。
「さすがは王昇殿。我らではとてもこの様にはいきませぬな」
「お褒めに与り光栄でございます。だが……」
王昇はその表情を曇らせる。
「残すべき官吏の選別は致しましても、それだけでは不足でございます」
「と仰ると?」
「武家のお力で民のための国を創るとなれば、今までの朝廷の政をなぞっていては駄目でございましょう。それは公家衆が、自分たちに都合の良い世の秩序を維持するために作り上げたやり方でございますから、今の世の実情には合いませぬ。古びて欠けてしまった器に新しい酒を注ぐようなものでございます」
二人のやり取りを聞いていた八郎が大声を上げた。
「それだ!」
閃くところがあったらしい。
「これまでの大宰府の役所をそのまま流用しては夢の国創りなどできぬ。新しい国には新しい政の機関が必要なのだ! それらの機関で働くべき新たな人材も」
「その通りでございます」
王昇は口元を綻ばせて応じた。
いっぽう重季はいまだ理解が及ばない。
無理もない。朝廷の定めた古くからの役所に代わる新しき機関を設けようなどとは、この時代の常識人の発想を遥かに超えている。
若く柔軟な頭脳を備え、権威権力に挑む気概に満ちた八郎、商いを通じて異国の事情に精通した王昇らにして初めて考え得ることである。
「と言いますと?」
漠然と説明を求めた。これに対して八郎は逆に問い返す。
「
「それはやはり、律令というものが実情に合わず、京の公家衆も政らしい政もせず、受領や荘官は税を搾り取ることに躍起になるばかり、そんな折に坂東において将門公が彼らに痛撃を喰らわせたからでありましょう」
重季の答えに八郎は小さく頷く。
そしてまた問うた。
「その通りだ。そこまでは我らのやっていることと一緒だな。では、その将門公の坂東独立国の夢が破れたのは何故か」
「独立国の宣言に加え、早々に
この答えに、八郎は今度は
「重季にしてそう思うか。それが間違いなのだ。根本の原因は他にある。大宰府を奪取した日、俺が軍勢を前に言ったことを思い出してみよ」
「おお、そういえば、彼らは自分の利のみを考え民草のことを顧みなかったと仰いましたな。故に失敗したと」
重季の言に八郎は再び頷き、続けた。
「民を第一に思いやるのは勿論だが、そのためにはまず民のことを中心に考える役所と官吏が要る。それを将門公らは疎かにした。身内や仲間を
「それが悪いのでございますか? 共に力を合わせて戦ってくれた者たちに恩賞を与え、それなりの地位に就けるのは当然では」
「恩賞を与えるのは当たり前だ。地位を与えるのも良かろう。だが『守』も『介』も律令に定める官職ではないか。これでは京の公家共の旧態依然たるやり方に倣っただけだ。新たに国を創ろうという者が古き権威の猿真似に終始してどうする! 最初は反乱に拍手喝采した民衆も、これにはさぞ落胆したであろう。ましてや新皇などと名乗るとは言語道断。帝を頂点に仰ぎ、公卿が好き勝手し、受領や荘官がのさばる今までの体制と何も変わらぬではないか!」
堰を切ったような激しい論陣であった。その言葉は重季の頭脳と心に鉄槌の如く衝撃を与えた。
そうか! 我らはただ鎮西を制圧しようとしているのではない。古き秩序を破壊し、新しき秩序をうち立てようとしているのだ。ならば当然に、それに相応しき機関と方法があるはずだ。
なぜ古き役所をそのまま残し、自分らの指示で運用すればそれで良しなどと安易に考えていたのか。
重季は己が旧弊な常識を捨てきれていないことを恥じた。
同時に唖然とする。
この若君は、いつの間にこのように古きを深く洞察し、そこから新しきを思い描くようになられたのか。
平時でも戦場でも、何かを経験する度に大きくなられる。
それはまるで大樹の若木が、ある時は燦々とした日光を浴び、ある時は嵐に耐えながら天高くまで伸びていくのを見るような。あるいは鳳凰の雛が苦難を物ともせず逞しく育ち、ついに大きく羽を広げて飛翔を始めたのを見るような。
総身が震えた。
恐れや不快ではない。八郎の展望の大きさと新しさ、それがもたらす新しき世の可能性に血が沸き立つ気がしたのである。
あらためて惚れ惚れと八郎の顔を見つめ、重季は確信する。
この若君ならやれる。鎮西を制覇するのは勿論、新しき国の未来は明るい。前途は洋々と開けている。
重季の思いに応えるように、八郎は更に言う。
「つまり将門公らは、新たな政治の機構を築き上げることにも、そこで働くに相応しい有望な人材を登用することにも全く思い至らなかったのだ。頓挫したのは必然だ。我らはその
自らが発した「酒」という言葉に八郎は我に返る。そして苦笑し、付け加えた。
「俺は酒は飲まぬがな」
王昇もまた、八郎の言に満足する。
「重々お分かりのようで。ならば公家衆と官人の詮議を進めながら、それら新しき役所の件も話し合い、煮詰めましょうぞ」
ここで重季が再び問うた。唯一の懸念である。
「人材はどうなさるので」
たとえ組織の形は整っても、そこで手腕を振るうべき者が居らねば、中身のないただの器に等しい。それらの才ある人々をどうやって集めるか。
しかし、王昇は自信満々、胸を張って答えた。
「博多の街を舐めてもらっては困ります。銭のことに明るい商家の二男や三男坊、古来からの唐土、
その力強い言葉に重季も一層意を強くし、自らを奮い立たせる。
こうして新しい政治の機構創りが始まった。
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