第5話 封印されし魔竜

 それから暫くの間、吉田さんと今後の予定の話をした。


 早速明日から職業訓練が始まるそうだ。普通はもっとこう、一先ずは落ち着く為に3日程は自由に過ごすとか休憩を挟むものだと思っていたが、色々と試行錯誤した結果、即訓練という流れになったらしい。


 これから職安で職業訓練を受ける間過ごす為の自室は王城内の敷地に作られた宿舎の一室が割り振られる。

 予定表をざっと説明された後に職安を出て其処へ案内されたが、綺麗なワンルームだった。

 風呂は大衆浴場のようなものがあるので其処へ行くしかないようだが、トイレまであってちょっと感動した。見た目は洋式の水洗トイレだが仕組みは魔道具だから違うそうだがあんまり詳しい説明はなかった。


 食事は1日3回。朝昼晩と用意してくれるのを大食堂で兵士の皆さんと一緒になって食べる。朝早いらしいが起きれるか不安だ……今の所抱えてる不安はそれくらいだな。


 あぁ、それともう一つあった。


「こんな感じのスケジュールで生活しますので、よろしくお願いしますね」

「分かりました。……そうだ。さっきお話に出てた図書館って何処です?」

「図書館はこっちですね」


 利用出来る王城の施設紹介の話があった。先程ちらっと話した大食堂とか、そういう話の中に出たのが王城内に建てられているという図書館だ。


「此方が王城内迷宮図書館です」


 開かれた扉の向こうには無限に思える程に広い空間と、それを埋め尽くし、溢れんばかりの本が棚に詰め込まれていた。


 名前の通り、此処は迷宮……ダンジョンらしい。


 ダンジョンというのは魔素と呼ばれるこの世界特有の物質が溜まり、淀み、変異して無機物に影響を与えて出来上がるものだそうだ。

 ちなみに有機物に影響を与えるとモンスターになるそうだ。


 ダンジョンと言えばゲームなんかにも登場する宝箱とか罠とかモンスターとかが溢れてて最下層にはボスが存在する危険地帯だが、此処は人工的作り出したダンジョンという話だ。

 正確には『ダンジョンの仕組みに似せて空間を操作した疑似ダンジョン』とのこと。

 だから危険はないらしい。モンスターも出ない。しかしその代わり宝箱も出てこない。ただ、ダンジョンという空間を操作する状態を利用して城内の一室という限られた空間に広大な敷地を築くことが出来たのだ。


「広いですね……」

「どんな図書館よりも広いですよ。ドーム何個分かも分からないです」

「あのドーム換算も意味分からないですけど、此処の方がもっと意味が分からないです」


 皆が平等に理解できるものを単位とするのが教育なのにいきなり見た事も行った事もないドームで表記されても実際、まったく理解できないのが日本への未練を薄くさせる原因の一つでもある。


「とりあえずウロウロしてみます」

「じゃあ此処で待ってますよ。終わったら戻ってきてください。あ、それとあまり奥に行き過ぎると戻ってこれなくなる可能性もあるので注意してくださいね」

「……わかりました」


 危険はないと言っていたからシンプルに迷子の可能性があるのだろう。確かに、奥を見ても行き止まりが見えない。……ちょっと怖くなってきたな。


 しかし此処に来て引き返す理由もまた、無かった。近場で良いから軽く見てみることにしよう。


 僕は棚の間を行ったり来たりしながら、適当に本を摘まむ。

 中に書かれているのは日本語ではないが、文字として読めたし理解もできた。言語野を弄られているとは言われていたし、聞こえる言葉も理解出来ていたが、目で見ても理解出来るようで安心した。此処に来て語学履修は流石にきつい。


 僕がわざわざ図書館に来た理由はこれだ。

 言われたことをそのまま信じ込める程、自分の心に自信がなかったのだ。耳と口に関してはヒルダさんと話せたので安心している。

 なので最後は目から得る情報が正しいのか、という検証だった。


 その検証を確かなものにする為に色んな棚の本を抜いては開き、閉じて戻す作業を繰り返していった。


「ふぅー…………何処だ、此処は」


 そんな調子でウロウロしてたら前から来たのか後ろから来たのか分からなくなってしまった。

 どうにも見当がつかない。隣の棚は古い物が多いようで、これまで見てきた棚のような棚番号が記載された札も見当たらない。


「どうしたもんかな……」


 危険はない。そう思っているからこそ危機感がなかった。何だかんだ言って助かるんじゃないかって、人生を雑に考えていた。

 だから、手にした本の背表紙も、表紙も、擦り切れていて何も分からないことに気付かなかった。ただ、古い本だなと、それしか思っていなかった。

 此処に来てまだ危機感がなかった僕はその本が気になってしまった。これまで生きてきた中で、本が安全ではないという作品は多々あったのにも関わらず、気になってしまった。


 破かないようにゆっくりと、表紙を捲った。


 其処には文章は何もなく、ただ青いインクで描かれた魔法陣が描かれていた。


「何だこれ……えっ?」


 魔法陣が急に光り始める。転移の時の記憶が蘇り、咄嗟に捨てようとしたが、体が動かない。


 クソ、なんで魔法陣が光ったらいつも体が動かなくなるんだ!


「誰、か……吉田さん……!」


 喉も誰かに絞められたかのように声が出ない。その間も魔法陣は煌々と輝きを増していき、ついには……ボゥ、と音をあげて魔法陣と同じ青い火が灯った。


「……っ!」


 やばい! と声を上げているのに声が出ない。此処は図書館だ。火気厳禁だ。どうしたらいい?

 手が離れない。ガスコンロみたい。消火も出来ない。


 そうして慌てた頭に――声が流れ込んできた。


『私を呼び出したのはお前か?』


 目だけを動かして周囲を見るが、やはり誰も居ない。助けてくれる人も、声の主も居ない。どうしたらいいのか見当もつかない。


『なんだかごちゃごちゃ考えているね……頭が痛くなるから理由だけ考えてくれるか?』


 声の主は僕の思考を読んでいるらしい。誰も呼んでないです誰も呼んでないです誰も呼んでないです!


「はい……?」


 静かに、だが確かにキレた女の声が頭の中ではなく鼓膜に響く。

 それと同時に発火していた魔法陣が激しく燃え上がる。しかし不思議と焼けるような熱気はなく、だがそれでも炎は天井まで噴き上がった。

 その炎の中に何かの姿が見える。それは竜のようにも、人のようにも見えた。大きな羽と長い尾。頭であろう部分からは角がいくつも生えていた。


 炎は竜巻のようにうねり、やがてそれは引き絞られるように収束していったかと思うと、一気に膨らんで破裂する。


 爆発音と共にそれは現れた。


 足まで届く青黒い髪。鱗と体毛と入れ墨のような紋様に覆われつつも女性的な体。真一文字に結ばれた口。

 開かれた双眸は切れ長で、炎の中にありながら全てを凍てつかせるような冷たさがある。

 薄い唇が開き、其処から発せられた声もまた冷たく、彼女が炎の中から現れたとは思えない程に、今もまだ燃えカスのような蒼炎が舞い散る中で、しかし容姿から得る感想は『冷たそう』の一言に尽きた。


「まったく、1000年の眠りから目覚めて見れば用無し? ありえないね、このたわけ者が」

「初手から口悪いな……あ、喋れるようになってる」

「何、悪口? 燃やされたい?」

「滅相もないです。やめてください。図書館ですよ此処」


 炎の中から現れた竜だか悪魔だか分からん姿をした女性は首を傾げ、周囲を見る。


「あっれぇ……おかしいな。私の城は何処行ったんだ?」

「城っちゃあ城ですけど」

「何処なの? 此処」

「フラジャイル王国の王都エフェメラルの中心にそびえ立つ王城ホワイトヴェイン内にある王立迷宮図書館です」

「なっげぇわ名前」


 それに関しては完全に同意だ。この炎の中から現れた竜だか悪魔だか分からん姿をした女性は日本人的な感覚の持ち主かもしれない。それにしては肌の露出が天真爛漫過ぎるが。

 大事な部分は鱗だか体毛だかで覆われているとはいえ、ぶっちゃけ丸出しと言っても過言ではない。

 ただ、まぁ、急所だしなぁ……という反応しか出来ないくらいに僕は、冷静でありつつも混乱していた。


「えーっと……どちら様でしょう?」

「名を名乗れば契約完了だが、良い?」

「すみません、書面でください」

「我儘だなぁ」


 自己紹介で謎の契約を結ばされたらたまったもんじゃない。

 悪魔だか竜だか分からん女性は溜息一つ、そして咳払いも一つ。尊大さを最大限に引き出す為に腕を組み、足を肩幅に広げて女性は高らかに名乗った。


「我が名はジレッタ! 鉄の山に生まれし人智竜ゼンディールと冥界の炎から生まれし冥炎の悪魔フレンヴィアの間に生まれし魔竜である!」

「おぉ……」


 心做しかジレッタさんの背後が陽炎のように揺らめいているようにも見える。熱気は感じないから何か魔力的なものなのかもしれない。

 その陽炎がとても神々しく見えたのだが、彼女はとてもじゃないが神的な存在ではない。悪魔と竜のハーフだし、どう考えても人類の敵側の存在だった。

 なのに彼女からは一切の敵意は感じなかった。


「で、お前の名は?」

「三千院侘助と申します。異世界である日本から拉致されてきました」

「ほーう。何か重そうな身の上だね」

「ジレッタさんも中々ハードな過去がありそうですね」

「まぁ中々にね。あぁ、契約者だしジレッタでいいよ」

「え、待って、契約してない……」


 抗議の声は届かない。何処吹く風と言わんばかりに無視したジレッタは空中に、まるで其処に椅子があるかのように腰を掛けた。

 浮きながらの空気椅子。人類には真似出来ない妙技だ。


「それで契約した訳だけれど」

「してねーよ!?」

「何かやりたいことってあるの?」

「やりたいこと……鍛冶?」

「あー、何か鍛冶師っぽい名前してるよね」


 何だ、侘助って名前はどの世界でも鍛冶師寄りの名前なのか?


「まぁ鍛冶ってことなら私と契約出来たのは僥倖だよ。なにせ鉄なんて一瞬で発熱させるだけの力があるからね。金属は私の支配下なのさ」

「ということは何処でも鍛冶仕事が出来る?」

「道具は必要だけれどね。そのくらいの用意は自分でしなさい」


 僕が此処に来た理由は術式を学ぶ為だった。術式を使う理由は鍛冶や生活の為だ。だがジレッタが居れば火に困らない。

 勿論、自分でも使えるようになれば便利は便利だが、僕が思うこれからの生活の大きな問題をジレッタという存在が解決してくれる。


「僕はこの世界で鍛冶を生業に生活しようと思ってる」

「それはさっき聞いた」

「うん。それで、色んな所に行くかもしれないし、行った先で戦うこともあるかもしれない。その時、ジレッタは僕の力になってくれるのかな?」

「敵を前に契約者を死なすなど魔竜の誇りに欠けるからね。戦力にしてくれていいし、自分の力にしてくれてもいい。便利に使いなよ」

「自分の力というのは……?」


 てっきりジレッタ本人が一騎当千の大立ち回りで戦場を火の海にするような光景を想像していたのだが……。


 話を聞くと、どうやらそういうことも余裕で出来るそうだが、ジレッタの力を僕自身も使用可能になるそうだ。

 ジレッタが指先に灯した揺らめく炎が人型になり、その炎に追加の火が足され、より大きな炎となる。

 棒状の炎を振り回す炎人間は火の粉を散らしながら切った張ったの主人公ムーブを披露してジレッタに掻き消された。


「火に薪をくべればより大きな炎となるよね。私の力を侘助に注げば、侘助の力はより大きく、強くなる。ということよ」

「でも僕、鍛冶以外の能力なんてないよ」

「身体能力も能力だよ。スキルだけが力じゃない」


 なるほど、ついついファンタジー方面で考えていたがそういう使い方も出来るのか。これから練習するであろう剣術や体の動かし方もジレッタの力があればまた変わった動きになるということか。

 この力があれば強そうなオーラを纏うあのヒルダさんと互角以上に戦えるかもしれない。ズルのような気もするが……。ていうかそれでもファンタジーだ。


「言ったでしょ。スキルだけが力じゃないって。私と契約出来たのも、君の力だよ」

「そういうもんかな」

「そういうもん。それに人智竜の知識もある。教えてあげるよ、世界の真理」

「……ッ」


 息を飲むとは正にこのことだ。甘い誘いは悪魔のそれだ。しかし来て初日に世界の心理は……流石にちょっと重い。


「とりあえず、また今度ってことで」

「そ。まぁ諸々受け入れて自由自在に使いこなしてみなさいな」


 実感はないが、魔竜との契約がなされてしまった。出来れば書面での契約をしたかったのだが、異世界ともなれば口頭の契約が主流なのかもしれない。


 一旦全部受け入れて、今後のことを考えるとしよう。


 しかしそれは裏を返せば何も考えたくないということでもあった。どうしよう。

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