第7話 やり場のない感情

「では私はこれで。一応明日は起こしに行きますから」


 風呂を出た後、宿舎へ戻ってきた。部屋の前で一瞬仕事モードになった吉田さんと別れ、1人ベッドに沈む。やっと今日という1日が終わったのだと、漸く実感できた。


「濃かったなぁ……」


 思い出すのも一苦労な、大変な1日だった。起きたのが何時間前かもはっきりとしない。これが時差ボケか……。多分違う気がする。


 とりあえず明日からは職業訓練という名の勉強会が始まる。この世界の法律や常識、これまでの歴史、これからやるべきこと。それとモンスターと戦う為の戦闘訓練……。


「はぁぁ……楽しそうなことも沢山あるけれど、辛そうなことも同じだけありそうだな……そう思うとこっちもあっちも大差なさそうだな」


 そういうものだと思えば頑張れそうだった。ふと視線を動かすとジレッタが机の上に座ってジーっと僕を見ていた。


「なんだよ」

「君について考えていた。侘助という名は風情があるな、と。名付けたのは誰なんだい?」

「爺ちゃんだよ。……そういえば、爺ちゃんも鍛冶仕事をしていたっけ」

「ほう。祖父の血かな」


 祖父は不思議な人だった。若い頃から長年、大工をしていたのだがある日突然仕事を辞めて山を買った。其処で自ら小屋を建てて急に鍛冶を始めたのだ。といっても刀とかそんな物騒な物は作らなかった。畑道具とか、鍋とか、刃物だとしても包丁とかそんなもんだ。


「また何でそんなことに?」

「僕も不思議に思って爺ちゃんに聞いたことがある。そしたらなんて言ったと思う?」


 首を傾げるジレッタに、僕は祖父がよくやっていた手癖を真似する。腕を組んで体を斜めに構えて顎をくい、と上げてこう言うのだ。


「『その方が格好良いだろう?』ってさ」

「ハハッ、粋な人だ。是非会ってみたいものだ」

「それは……無理な話だよ」


 祖父はある日、山に生活に使う薪を作りに行ったまま帰ってこなかった。足を滑らせたのか、動物に襲われたのか、何日も捜索したけれど、結局見つからないままだった。やり場のない悲しみに、何日も泣いていたっけ……。


 もう、日本に戻れたとしても、戻れなかったとしても、祖父に会うことはできない。


「そうか……残念なことだ」

「そうだね。まぁ、仕方ないよ。ほら、明日は早いしもう寝な」

「あぁ。……おやすみ、侘助。また明日」

「うん、おやすみ」


 就寝前の挨拶をするとジレッタは本の中に戻った。ベッドは一つだし、其処で寝てくれた方が有難いが、微妙な気持ちだ。1000年も縛られていた場所で寝るのはどんな気持ちなんだろう。床よりはましなのかもしれないが。


 しかし明日は忙しい。主にジレッタが。ジレッタには王の前で味方宣言をしてもらわないといけない。その場に僕が立ち合うかどうかは分からないが、吉田さんが上手くやってくれるはずだ。


「……ん?」


 これからの事への期待と不安を胸に秘め、寝返りを打つと玄関へ続くドアの横の柱に目がいった。その柱には妙な感覚を開けて傷がついていた。低い所、真ん中、高い所。其処へ一本線が、まるでバーコードのように描かれていた。


「なんだろう?」


 ベッドから立ち上がって柱の元へ向かい、確認してみる。其処には一本線の傷だけじゃなく、小さく何か文字が書かれていた。日本語だ。


「上島雄吾、2003年8月21日生まれ。木下菖蒲、1999年7月7日。榛充樹、1987年12月31日。……あぁ、この部屋に来た人達か」


 線の位置が微妙に違うのは、きっと背の高さだ。その線の傍に名前と生年月日が書かれている。この部屋を利用し、生きた証を此処に刻んでいるのだ。僕と同じように不安や期待を込めて、きっと書いたのだろう。その一つ一つを長め、指でなぞる。


「……よし」


 踵を返し、踵を柱に付けて真正面を見る。たまたまワイシャツの胸ポケットに挿したままだったボールペンを使って頭の天辺から平行に、大体の位置を測って柱に軽く傷を入れた。


「上田さんと木下さんの方が大きいな……」


 歴代の住人第3位の身長のようだ。ボールペンのキャップで、先程付けた傷の延長線を引ききり、蓋を開けて名前を書いた。ほぼほぼ削ったような、刻んだような感覚だが。


「三千院侘助、1995年1月11日。……と」


 少し離れて柱を見ると、何だか自分もこの部屋に迎えられたような気がした。受け入れられたような、そんな安心感が僕の中の不安を少し薄くしてくれる。


「明日から頑張ろう。この人達も頑張ったんだ。僕だってやれるはずだ」


 やる気とは裏腹に眠気が込み上げてくる。逆に言えばやる気があるからこそ、体が早く休みたいと主張しているとも言える。僕はその衝動に応え、早々にベッドに潜った。明日の僕はきっと誰よりも無敵だ。やる気だけは、この世界の誰よりもあるに違いないのだから。



  □   □   □   □



 翌朝。起こしに来た吉田さんから、僕は職業訓練に。ジレッタは王と謁見という流れになったと伝えられた。


「まだ来て日の浅い三千院さんには何よりもまず、この世界に慣れることが第一優先と言い切ってきました。その為の職業訓練ですから」

「助かります。ジレッタのこと、よろしくお願いします」

「えぇ、何の心配もせずにお勉強してきてください」


 吉田さんに案内され、向かった場所は昨日の職安の隣だ。此処が教室になっており、午前中は座学をする。法律と歴史を学ぶらしい。と言っても難しいことは何もなく、日本での倫理観があれば多少の違いを学ぶだけで何も問題ない。無闇矢鱈に人を殺しちゃいけませんということと、窃盗は駄目ですということさえ守れていれば最低限、捕まるようなことはない。


 歴史に関してはシンプルに面白かった。何ならずっと歴史でお願いしますって感じだ。やっている内にジレッタのことが頭から追い出されるくらい面白い授業だった。


 この世界には三柱の女神が存在するという。っていうと完全に神話の始まりだが、これは実話なのだとか。人という種を生んだ大地の女神と、太陽や月といった星々を生み出した星の女神と、魔法という概念を生んだ時空の女神の三柱だ。この女神達のお陰で世界は作られ、今も尚続いているそうだ。


 そんな世界だが、やはり人には欲というものがある。欲は良い方向にも悪い方向にも働くが、悪い方向に働いた結果、ありがちな話だが魔王と呼ばれる者が誕生してしまった。これは魔物の王ではなく、魔法の王という意味合いでの魔王だそうだ。魔物……モンスターは魔素が影響を与えて生まれる存在だ。厳密に言えばそれ以外にも存在するという話をしていたが……それはまだまだ先の話だろう。


 とりあえずこの魔王とかいう奴は時空の女神を信奉し、魔法の道を極めんと歩み続けた。時空の女神のお膝元まで進もうと昼夜問わず研究を続けた結果……時空の壁を突破する方法を見つけてしまった。


 その後、魔王がどうなったかは分からない。女神に会えたのか、会えなかったのか。そんな事は僕にはどうでもいい。だが、時空の壁を突破できるという手段があることは、日本に帰ることも出来るという話になってくる。


「まぁ、それを真似して失敗したのがニシムラなんですけれどね」

「ニシムラとは? 日本人ですか?」

「えぇ。100年前に現れた渡界者エクステンダーです」


 100年程前、ニシムラという名の魔導士が存在した。彼は不幸にも異世界に飛ばされた。世界を渡る者にはそれぞれに特殊な力が身に付くと言われており、彼に宿ったのは【無限の魔力】という世界最強のスキルだった。だが彼はその力を戦いには使わなかった。その力と、得た知識を使って元の世界に帰る為、その生涯を研究に費やす。


 そして完成した返還魔法陣は、失敗作だった。


 無限の魔力の仕組みを組み込んだ魔法陣は完璧に思われていたが予期しない失敗によって効果は反転。返還の力は召喚の力へなってしまい、空気中の魔素を吸収し、魔力が満ちて魔法陣が発動する度に人を1人、この世界へと連れ去っていた。


 ニシムラの魔法暴走事件は結局解決できていない。魔法陣自体の発見は既にされていて、しかし解体の際に何が起きるか不明ということで保全と観察、研究が続けられている。


 歴史の授業の講師は、そう言って小さく溜息を吐いた。


 夢を見て欲を掻いた結果がこれだ。僕の希望はあっさりと打ち砕かれ、現実へと引き戻されたのだ。


 つまるところ、僕達日本人はこのニシムラという人物が失敗した所為でこうしてこの世界へ拉致されているということだ。そう思うとやり場のない怒りが込み上げてくる。


 帰りたいという気持ちは分かる。分かるが、何故そんな最悪の形で失敗してしまったのか……ニシムラも予期しない失敗だったのだとは頭では理解できるのだが、やはり怒りの感情は湧いてしまう。世界にも、ニシムラにもぶつけられず、自分の中でも消化しきれない感情を長い溜息でなんとか吐き出す。


 吐き出しきれない感情を心の底に積み上げ、僕は授業の続きを頭に入れた。

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