第14話 スタンピード

 いつもと変わらない朝だった。歯を磨きながら見下ろす窓の下では朝日を照り返しながら小川が流れていき、町はゆっくりと目覚めていく。空に流れる雲は細く長く、きっとこのあと曇るんじゃないだろうかと思わせる様相だった。


 予想通り、午後になって青空よりも雲の敷地面積が多くなってきた頃、カンカンとけたたましく鐘を叩く甲高い音が町に鳴り響いた。


「全員手を止めろ。ジレッタ、火を消してくれ」


 親方の指示にピタリと仕事の手が止まり、炉から飛び出していた火の粉が鳴りを潜める。皆の間に緊張が走る。自然と弟子達全員で集まっていくのは不安の表れか……其処には漏れなく僕も居た。


 連続した鐘の音はこの王都エフェメラルへの危機を表す。即ち、敵の襲撃だ。


「お父さん!」


 工房にナーシェさんが駆け込んできた。親方の元に駆け寄った彼女は外で何があったか、早速情報を仕入れてきたようだ。話を聞き、腕を組んだ親方が暫く考え込み、そして僕達の元へやってきた。開かれた口から聞かされたのは、『モンスターの集団による暴走』だった。


「スタンピードが発生したらしい。誰かがモンスターの巣を突いたようだ……」

「となると、討伐隊が編成されるのですか?」


 兄弟子の質問に親方が頷く。


「冒険者か王国軍か、或いはその混成軍か。どちらにしても……侘助、お前は確実に招集命令が下るはずだ」

「でしょうね……」


 これまでは職安が僕を守ってくれていたが、その庇護下を抜けた今、国は僕を使いたくてしょうがないはずだ。貴族達にはジレッタに負かされた恨みもあるだろう。

 決して【翡翠の爪工房】が僕を守っていない訳ではない。彼等は異界人エクステンダーである僕にも気軽に接してくれるし、とても親切だ。しかしそれでも国相手に楯突くようなことは出来ない。彼等は違う形で僕を守ってくれている。技術という形でだ。


「お前に教えた技術があれば、失敗するようなことはない。スキルを遺憾なく発揮して驚かせて来い」

「分かりました!」

「侘助さん、出張鍛冶師は戦うのが目的ではないです。直すのが仕事です。危なくなったら、逃げてくださいね!」

「勿論です。僕は戦うの怖いので……」


 震えるふりをすると兄弟子達が笑ってくれた。お陰で緊迫した空気が少し緩まった。どんなモンスターがどれだけの数で襲ってきたかは分からないが、この国には多くの強者が住んでいる。心配することはきっとないはずだ。




 暫くして我らが工房に数名の兵士が尋ねてきた。その中には申し訳なさそうな顔をしたヒルダさんが居た。


「侘助殿……」

「お久しぶりです、ヒルダさん」

「このような事態になって、本当に申し訳なく思う。しかし、貴方の力を借りずにこの難局を越えることはできないと国からの命令が下ってしまった」


 そう言うヒルダさんの顔は本当に申し訳なさそうな、今にも膝を折ってしまいそうな悲痛な色に包まれていた。


「ヒルダさん、そんな顔しないでくださいよ。僕はこうして役立てる為に今まで授業を受け、ヒルダさんに剣術を習い、ヴァンダーさんや此方のボローラさんに鍛冶を習ったんです。余裕ですよ、これくらい」

「すまない、侘助殿……しかし私も、貴方が居てくれたらとても心強い。招集に応じてもらえるだろうか?」

「勿論。準備は出来てます。さぁ、行きましょう!」


 ヒルダさんは力強く頷いてくれる。僕は着替えと鍛冶道具を詰めたバッグを担ぎ、そして何かあった時の為に緋心を持ち、工房の外へ出た。


「親方、暫く休職します。戻ったらまた色々と教えてください」

「あぁ、気を付けてな。皆、お前の帰りを待っているぞ!」


 兄弟子達も口々に『行ってらっしゃい!』『頑張ってこい!』『待ってるからな!』と応援してくれる。本当に此処で働けて良かったと心から思う。


「行ってきます!」

「皆、ちゃんと自分達で火付けしなね」

「……ん?」


 ふと隣を見るとジレッタが工房に向かって手を振っていた。まるで自分も行きますみたいな顔をして。その様子に工房の皆も首を傾げていた。


「ジレッタ? お前は呼ばれてないよ?」

「呼ばれてなくてもついていくのが私だよ。さぁ、行くとしよう」

「いやいやいや」

「いやいやいやいや」


 出張鍛冶師は鍛冶師が出張するから出張鍛冶師なのだ。巷では凄腕の魔法使いだとしても冒険者登録もしていないジレッタに召集の命令は下らない。戦争でもあるまいし、国も魔竜を恐れてこんなつまらないスタンピード如きに魔竜を召喚するなんて馬鹿な真似はしないはずだ。


「ジレッタは工房の皆を助けてやってくれないか?」

「助けたい気持ちはなくもないがそれは出来ない」

「なんで」

「私はお前から一定以上離れたら死ぬ」


 その言葉に空気が凍り付いた。少しして鍛冶側からは口笛を鳴らし始めるが、兵士側は強張った表情のまま、沈黙が続いた。


「やるじゃねぇか侘助ー!」

「最初からおかしいとは思っていたが、そういうことか!」

「守ってやれよー!」


 兄弟子達は楽しそうに歓声を上げる。


「ジレッタ殿、それは契約上の理由ですか?」

「そうだよ。まったく面倒極まりない。王城内程度なら問題ないけど、町の外はギリかな。侘助がモンスターに攫われたとなると確実にやばいことになるね」

「お前、そういうことはもっと早く言えよ……!」

「適当に暮らす程度なら言う必要ないと思ってたんだよ。聞いたら心配しちゃうだろう?」


 ジレッタの心遣いはとても助かるが、この状況で言い出すのは悪手だった。主に鍛冶工房側の勘違いが酷くえぐい。ナーシェさんを含めた何人かは青褪めてるぞ。


「まぁそういうことだ。本なら持ってきている。すぐに出発しよう」

「お前なぁ……まぁ、そういう理由ならしゃあないか……」

「すまない、ジレッタ殿、侘助殿。陣地の安全は兵達が絶対に守る。装備の修復作業は任せるぞ」

「えぇ、新品同様に直します。行きましょう」


 とんでもない事実が発表され、とんでもない勘違いを生み出したが、無事(?)に僕達は工房を後にすることができた。向かうは王都の外だ。初めて出るが、その初めてがこんな形になるとは思っていなかった。


 何が起きるか分からないが、僕は僕の出来ることをするだけだ。きっちりしっかり仕事をして、怪我無く元気に帰るとしよう。

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