第29話 ベルハイム・ベルブライバー

「イングリッタ! 居るか!?」


 菖蒲さんの声が反響して返ってくる。暫く様子を見ていると”ジャリ”という靴が小石を踏む音が聞こえた。


 その音はゆっくりと連続する。段々と大きくなる音と共に赤い頭が見えた。血塗れかと思って一瞬、息を飲んだがよく見ればそれは髪が赤いだけだった。


「やぁ、遅かったじゃ……」

「イングリッダ!!」


 聞いたこともない声がイングリッダさんの声に被さった。何事かと思ったが、それはこれまで一度も口を開かなかったデンゼルさんだった。


 墓穴から這い出てきたイングリッダさんを抱き締める姿は、まるで一枚の絵画のようだった。


「言ってなかったか? 2人は付き合ってるんだ」

「あぁ……なるほど。言ってくれれば良かったのに」

「君の性格だ。言えば気負うだろう?」


 まぁ確かにそうだ。そうだけれども。言ってもらえてたらもっともっと早く救出出来たのに。


「私達はイングリッダの事を信用している。だから心配していなかった。が、まぁ、再会は喜ばしいものだ。君にはそういう人は居るのかい?」

「ん……ジレッタがそうですかね。この世界に来て、こんなに一緒に居る人も居ないですし」


 人ではないが。


「契約の関係で一定以上の距離を離れたらジレッタは死にます。だから信頼し、寄り添って生きて……最終的にその契約を破棄したいと思っています」

「契約を破棄した後は……どうするんだい?」


 言われて考える。そうだな……ニシムラを探して旅をするかもしれないのだし、全部終わった後は当てのない旅も良いかもしれない。鍛冶をしながら2人で。


「やりたいことはいっぱいありますよ。何でも出来る世界ですし、やれることは全部やろうかなって」

「それは良い。とても良いことだよ」




 イングリッダさんとデンゼルさんが落ち着くまで少し待った後に、自己紹介をした。僕が鍛冶師であることに大層驚いていたが、巷に流れる噂を思い出したようで納得した顔をしていた。


「私はイングリッダ。【三叉の覇刃トライ・エッジ】の便利屋担当ってところかな。斥候、鍵開け、罠外し、その他諸々何でもござれって感じ」

「貴重な役職だ。何か力になれることがあったら言ってください」

「あぁ、勿論。稀代の凄腕鍛冶師のお世話をさせてもらえるなんて光栄だよ」

「そんな大層なもんじゃないですよ」


 とは言うがそれを鵜呑みにしてくれる人は此処には居なかった。


「じゃあ後は帰るだけ?」

「いや、それがまだ用事あるんだ」


 菖蒲さんが僕を見る。イングリッダさんが首を傾げるので、僕は僕で此処に用事あることを話した。この墓地に埋葬された魔王の側近と呼ばれたベルハイムからニシムラの情報を引き出すのが第二の目的だ。


「此処まで来た感じだと1人でも行って帰ってこれそうではあるんですけど、何があるか不安なので付いてきてほしいんですけど、駄目ですかね?」

「私はついていくぞ。ベルハイムにこっぴどくやられたし、奴が一泡吹かされてるところを見ないと帰るに帰れない」

「それは私もだけど、ぶっちゃけだいぶ疲れてるし……デンゼルと離れたところで見てるよ。ね、デンゼル」


 イングリッダさんを支えるデンゼルさんが頷く。


「ジレッタ、頼むぞ。お前の権能で皆を守りながらベルハイムを行動不能にしなきゃいけないんだから」

「問題ないよ。私と侘助の力が合わされば鉄魔法なんて完封出来るから」


 なんて容易く言うが、実際それが出来るだけの力を持っているのが溶鉱の魔竜様だ。魔竜の鍛冶師と勝手に呼ばれているが、それに見合うだけの働きはしないと僕を尋ねてきてくれた菖蒲さん達に申し訳が立たない。


 戦うのは嫌いだが、時には戦わないといけない。それがジレッタを助ける情報の為なら持てる全力で挑み、打ち勝つしかない。


「やるなら全力だ、ジレッタ。その方が格好良いからな」

「勿論だとも。中途半端なのは気持ち良くないからね」


 組んだ腕を時、3人に振り返る。


「よし、案内しよう。墓地の中心、ベルハイムの墓はこっちだ」



  □   □   □   □



 隠し部屋から離れるにつれてオリハルコンゴーレムの姿が多くなってきた。それも鍛冶工房から入ってきた時よりも、もっと多くの姿が見えている。それは確実にベルハイムの墓に近付いている証拠でもあった。


 僕達の姿を見つけるなり近寄ってくる墓守達。しかしそれは何の障害にもならなかった。今の僕はジレッタの加護を割と全力に近いレベルで注入されている。ドーピング鍛冶師の前に金属の塊がやってきたところで、素材でしかなかった。


 小分けにされたオリハルコンはジレッタが手早く回収していく。何なら切り飛ばした物をジレッタの方に飛ばすように工夫すら出来るようになってきた。全自動オリハルコン裁断回収システムが構築されていた。全部手動だが。


 そうしてやってきた墓地の中心。円形に成形された石畳の中心にあるのは大きな墓標だった。この村一番の魔法使いである彼に、一切の不安なく永眠を……なんて思いが込められていたのかもしれない。


 だがそんな墓標も、今の彼にとっては椅子でしかなかった。


「……うん? 誰?」


 墓標の上に腰を下ろし、足を組んで本を読んでいた黒い長髪に片眼鏡を付けた痩身の男が顔を上げた。白い顔は病的で、一目で生者でないことが分かる。ゆったりとした、髪色とは対称的な白いローブを揺らしながらふわりと地面に降り立ったベルハイムは、ぱたんと本を閉じた。


 その隙だらけの様子は、しかし強者の余裕でしかなかった。何度も言うがこの世界における魔王とは魔法の王であって魔物の王ではない。本人の人間性によるが、偏に悪の存在ではないのだ。


 だが一切の戦闘行為がなかったかと言えば、それはあり得ない。この世界で生きていれば形はどうあれ戦いからは逃れられない。ニシムラと共にいたベルハイムが、どんな生き方をしてきたか知らないが、それなりの戦闘経験はあって当然だと思いながら、僕はこの場に立っていた。


「こんにちは、ベルハイム。僕は三千院侘助。渡界者エクステンダーです」

「やぁ。僕はベルハイム・ベルブライバー。渡界者……あぁ、ニシムラと同じなんだね」

「えぇ。そして今は鍛冶師をしています。貴方と同じ、金属を扱う者です」

「へぇ~……いいね。楽しい?」


 柔和な笑みを浮かべるベルハイム。質問とその笑みが、彼が歴戦の猛者であることや、死後もこの世に留まるアンデッドであることも忘れさせてしまった。


 僕は満面の笑みで、心からの回答をした。


「めちゃくちゃ楽しいです! 毎日が楽し過ぎて、正直、1日がもっと長ければいいのにっていつも思ってます!」

「そうか……そうか、それはとても良いね。素晴らしいよ。もっと君と話したいな」


 かくして話し合いという路線は成功した。確信があった訳ではないが、彼と彼の仲間との共通点を持つ僕は成功するんじゃないかという期待があった。


 雑談が始まり、菖蒲さん達は安心したのか離れた場所に腰を下ろした。どういう訳かオリハルコンゴーレム達は周りをウロウロするだけで僕達を襲う気はないようだ。多分、ベルハイムが気を遣ってくれたんだと思う。


 それからベルハイムと色んなことを話した。幼少期の頃のことや、それこそ魔王と一緒に旅したことも。世界に隠された様々な物を探して旅する話は、とても興味をそそられた。つい先程も菖蒲さんの話を聞いて心が揺さぶられていたから尚更だった。


 どれくらい時間が経ったか、気付けば視界の端で菖蒲さん達が野営の準備を始めていた。もうゴーレムが襲ってこないと分かり、僕達が話し込んでいるのも分かってるから勝手に色々進めちゃっていた。組んだ薪にも火が付き、いよいよ料理まで始めるんじゃないかと思うと、途端に自分の空腹具合を思い出してしまった。そういえば今日は何も食べていなかった。


「おーい、一旦食事にしよう!」


 菖蒲さんの提案はとても素晴らしかった。渡りに船だ。


「ベルハイム、良かったら一緒に食事はどう?」

「うーん……リッチーになってから食事なんて考えもしなかったな。アンデッドモンスターも食事するのかな。気になるね。行こう」


 アンデッドになると食欲というものが無くなってしまうようだが、研究意欲が彼を墓標から降ろした。


 焚火に向かうとデンゼルさんがリュックから食材を取り出しているところだった。それを見たベルハイムがおもむろに手を伸ばす。何かを掴むような手の形をすると、何処からか粒子が流れ込み、やがて鉄へと変化した。流動するそれは形を変え、なんとフライパンへと成形された。


「これを使うと良い」


 受け取ったデンゼルさんは驚いた表情でペコリと会釈をする。ダンジョンの支配者であり魔王の側近からフライパンを貰うなんて経験はもう一生なさそうだ。


 しかしこれが鉄魔法か……凄いな。世界で唯一、ベルハイムだけが使える魔法。できればもっと見たい。


「興味津々、って顔だね」

「鍛冶師だから……って訳でもないけれど、単純に凄いなって」

「君の【鍛冶一如】だっけ? そのスキルも凄いと思うけどな。僕と君が戦っても、勝てる未来が見えないよ」


 金槌で叩けば望む形に変化させられる鍛冶一如は鉄魔法唯一の弱点と言ってもいいだろう。其処に魔竜の権能も合わされば、どう足掻いても負けるヴィジョンは浮かばない。


「元々、そういう理由で来たからね……でも本当は戦うのは好きじゃないんだ」

「それは話してて思ったよ。そしてそれは僕も一緒だ。僕達はそういう人間だ。だから、渡せる物もある。こっちへ来て」


 ベルハイムが少し離れた場所へ行く。下ろした腰を再び上げてそれについていく。草を踏む音と、フライパンに乗せられた肉の焼ける音が聞こえる。僕の前で立ち止まったベルハイムが懐から取り出したのは一冊の本だった。


 差し出されたそれを受け取る。何だろうと思い、表紙に目を落として、僕は思わず本を取り落とすところだった。


 その手作りの本の表紙に書かれたタイトルは【術式:鉄魔法】。


「君になら、死後まで続いた僕の研究の成果を託せるんじゃないかなって思ったんだけど、どうかな?」

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