第58話 繋がりの味

 私は今、陸上部の部長として活動している。とはいえ、私と部員では、色々な意味で違う。全国大会に出場できるレベルの私と、大会なんて記念である部員では。


 一応、誰もが真剣に部活に取り組んでいる。だから、悪く思うことはない。それでも、明らかに私と他の人達では姿勢が違う。


 言ってしまえば、私1人だけが浮いていると言っても良い。それでも部長に選ばれたのは、私の実績がケタ違いだから。


 ただ、みんなに悪意がある訳じゃない。学校にも。私に必要なトレーニング道具のために予算を出してくれたり、私の邪魔をしないようにしてくれたり。ちゃんと応援はしてくれている。


 それでも、周りの誰もが私の取り扱いに困っているようだった。顧問は、私を放置している。部員は、遠巻きに見ている。


 ちゃんと分かっている。それも、気を使っているからなのだと。


 顧問は、ちゃんとスポーツについて体系的に学んだ訳じゃない。だから、下手な指示をして私に迷惑をかけないように、わきまえてくれている。


 部員は、私の邪魔にだけはならないように、私の使うレーンを常に空けている。大会に出る時は応援してくれるし、必要な指示には従ってくれる。


 みんな、良い人ではあるんだ。私が真剣なのを分かって、ついて行けないのを分かって、だから、お互いに線を引いただけ。


 それでも、抑えきれない寂しさがある。分かっている。贅沢だって。もっと本気になるのなら、強豪校を選べば良かっただけだって。


 里緒奈や遥みたいな友達と離れてでも、もっと活躍できる高校を選べば、今みたいな苦しみは味わわなくて良かった。


 だから、私が悪いのは確か。子供だったのは確か。それでも、感情は抑えきれない。時々、涙がこぼれそうになる瞬間だってあった。


 そんな時に現れたのが、赤坂君。入部の話になった時は、ただの遊びなんだと思っていた。私を遠巻きに見る1人になるんだと思っていた。


 少しだけ希望が芽生えたのは、赤坂君が頑張る誰かを応援したいって言っていたことがきっかけ。私は、とても努力している。自分で言うのはどうかと思うけれど。


 でも、私のそばで支えてくれる誰かが現れたんじゃないかって。そう思うことは止められなかった。


 実際には、入部してしばらくは、同級生の明陽さんを支えていたみたいだった。走るのが楽しそうな明陽さんは、私の持っていないものを、たくさん持っている。


 最後に走るのを楽しいと思ったのはいつだったのか、思い出せないくらいだったから。ただ、勝つためだけに走り続けていた。いつかオリンピック選手になることを目指して。


 そんな日々に、意味はあるのかと思う瞬間もあった。本当に、今の環境でたどり着けるのかと。そもそも、たどり着いたところで何を得るのかと。


 言ってしまえば、私は迷子になっていた。道が見えなくなって、それでもまっすぐに進み続けていただけ。


 何のために走るのかなんて、とっくに分からなくなっていた。勝つ以外に何も知らないから、勝利を目指していただけで。


 きっと、ひとりぼっちだったから。私と同じ道には、誰も居ない。他の道で、みんなが楽しそうにしている。それを横目で見ているだけ。


 だから、明陽さんには嫉妬していたんだと思う。陸上を楽しむ心も、そばで支えてくれる人も、何もかもを持っているように見えたから。


 でも、どうすれば良いのかなんて、分からなかった。自分の感情を制御する方法は、少しは分かっていたけれど。


 心を冷やして、ただ体を動かす。そうすれば、結果を残すことができていたから。いつものように、心に蓋をしていた。


 そんな心を開いてくれたのは、赤坂君。彼は、私にタオルを渡す時に、手を握ってくれた。誰かの暖かさなんて、とても久しぶりに感じて、頭がいっぱいになりそうだった。


 きっと、変な顔をしていたんだと思う。実際、返事の時には、どもってしまったし。


 ただ、頑張ってくださいと言われたことは、私に力をくれたと思う。いま思えば、部活の中で直接応援されたのなんて、初めてだったのかもしれない。


 流石に、大会の時には応援してくれた。だけど、普段のみんなは、私を遠くで見ていただけだったから。私とみんなのメニューは、全然違う。きっと、巻き込まれたくない心もあったんだろうな。


 だって、とてもしんどくて、苦しくて、弱音を言いたくなるくらいのメニューだったから。自分で決めておいて、何をと思うかもしれないけれど。


 私は、ただ走ることしか知らなかった。きっと、みんなで楽しく走ることを知っていれば、今みたいにはならなかったと思う。


 でも、仕方のないことだ。私だけが速くて、他の人は違ったから。同じ目線になることなんて、お互いにできない。


 だからこそ、赤坂君の応援は心に響いた。乾いた心に、水を与えてくれたんだと思う。


 それから、彼は私のサポートを申し出てくれた。頑張っている私を支えたいと。いつか、夢見たみたいに。少しだけ、現実かどうかを疑ったと思う。でも、本当のことだった。


 私の感じた喜びは、きっと他の誰にも分からないだろうな。私の孤独も分からないのと同じで。


 特に嬉しかったのは、遠慮なんてするなって言われたこと。私の本気の邪魔になるからって。つまり、私と同じ目線に立ってくれようとしていたから。


 私が求めていたものは、同じ道を歩いてくれる人。それは知っていたけれど。同じ道っていうのは、記録を目指す道じゃなかった。


 ハッキリと理解した私の本心は、言ってしまえばくだらないものだった。私を分かってほしい。それだけだったのかもしれない。


 ただ、とばり君は同じ未来を見て、同じ先を向いて、同じ道を歩いてくれる。そう感じた。私の求めていた、私の努力を支えてくれる道を。


 その感情があれば、どこまでも走っていけるような気がした。だから、練習にも力が入る。それで、トレーニング道具が必要になる。


 とばり君は、私の指示に従って、道具を運んでくれた。本人からすれば、とても重いだろうに。その姿を見て、興奮が抑えきれなかった。


 この人は、私を認めてくれる。支えてくれる。きっと、これから先も。その感情が理解できた時、私は今まで味わったことのないくらいの快感を得ながら走っていた。


 きっと、大会で勝ったとしても、デッドヒートを繰り広げたとしても、同じ喜びは手に入れられない。


 赤坂君は、私を変えてしまったんだ。それが理解できたけど、まるで戻りたくなかった。


 それから先は、赤坂君にサポートしながらトレーニングする。そのすべての時間で、ゾクゾクした感覚を抑えきれないでいた。


 赤坂君の視線が嬉しい。触れ合うことが嬉しい。吐息を感じて嬉しい。彼の何もかもが私に喜びをくれて、きっと他の何をしても、これは超えられないんだろうなと頭の隅で感じた。


 それから先の練習は、自分の感情との戦いだった。ふと気を抜けば、おかしくなってしまいそうな時間で。


 なのに、終わってしまうと、とてつもない名残惜しさがあったんだ。


 その時に気づいた。私の走る理由は、もう変わってしまったんだって。もう、赤坂君が居ないと走る意味がないんだって。


 だから、絶対に離れたりしない。どんな障害が待っていたとしても、必ず乗り越えてみせるから。私の全てをかけて、ね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る