第8話 純心の歪み

 りんごにとっては、今のお兄ちゃんは甘えさせてくれる人かな。というのも、りんごの望みは大体叶えてくれるから。


 ちょっと前までのお兄ちゃんは、全然違ったんだけどね。ずっとひとりで部屋に居て、話しかける機会が珍しいくらい。だから、甘やかしてもらうなんて、あり得ないとしか言えなかったんだ。


 でも、別に不満があった訳じゃないかな。そもそも、最初の段階から交流していなかったし。そんな人も居るってくらいが、りんごの正直な感覚だったよ。


 ただ、りんごの中に理想のお兄ちゃんが居て、そんな人に甘やかされたいって思う時もあったよ。でも、実際のお兄ちゃんでは、叶わない夢だと思っていたんだ。


 その考えが変わっていくきっかけは、お兄ちゃんが階段から落ちて記憶喪失になったこと。


 目覚めたって連絡されて、一応玄関で待ってたんだよね。どうせ、無視されるだろうけれどって。でも、そうはならなかったんだ。


 お兄ちゃんは、お姉ちゃんの言葉に普通に返事をしていた。その時は、まあそんなこともあるかなって。でも、すぐに考えは変わったんだ。


 その理由は、心配したお姉ちゃんに対して、ありがとうって言っていたこと。それは初めて聞いた言葉で、もしかしたらって思っちゃった。記憶喪失になったお兄ちゃんは、りんごを甘やかしてくれるかもって。


 だから、勇気を出して話しかけてみたら、りんごと思い出を作ってくれるって返してくれた。その言葉を聞いて、今のお兄ちゃんのことは、とても大好きになれそうだって思ったんだ。


 どんな思い出を作ろうか、いっぱい考えたよ。遊んだり、手料理を食べてもらったり、抱きしめてもらったり、なでてもらったりしたい。


 だから、一歩一歩進めていこうって、そう思ったんだ。


 それで、距離を詰めていこうかなって思っている時に、家政婦の百合子さんを家族での食事に誘っていたんだよね。


 ちょうどいいかなって思った。お兄ちゃんが完全に変わったことはすぐに分かるし、まず動いてみようって。


 ただ、自分から動く前に、百合子さんから協力するって言われたんだよね。料理を教えてくれるって。そのやり取りを聞いていたお兄ちゃんには、楽しみにしているって言われたんだ。


 それが、とても嬉しかった。りんごが作る料理を、美味しいって食べてもらえる未来が想像できた。だから、すぐには食べさせないんだけどね。ちゃんと、喜んでもらいたいから。ただ料理を作っただけで、我慢して食べてほしくないから。


 だから、百合子さんの暇な時間を探して教わっていく予定なんだ。お兄ちゃんには早く食べてもらいたいけど、百合子さんに無理をさせるのもダメだからね。


 りんごにとっては、百合子さんも大切な家族だから。もちろん、血は繋がっていないんだけどね。それでも、料理を用意してくれて、掃除もしてくれて、りんごのワガママにも付き合ってくれる。こんな人、他には居ないよ。


 きっと、今のりんごはとっても幸せ者。そう思うんだ。優しいお母さんとお姉ちゃんが居て、支えてくれる百合子さんが居て、甘やかしてくれそうなお兄ちゃんも居る。それってとっても素敵だよね。


 だから、りんごも頑張っていきたいんだ。暖かいみんなに、ふさわしい自分になりたいから。そんな決意をしたけれど、すぐに壊されそうになっちゃう。次の日のお兄ちゃんがきっかけで。


 流れとしては、お兄ちゃんがりんごの部屋に遊びに来たことから始まったんだ。急なことでビックリしたけれど、とっても嬉しかった。お兄ちゃんは、本気でりんごと仲良くしてくれるつもりなんだって。


 実際、りんごの迷惑じゃないかなんて考えてくれるんだもん。これまでのお兄ちゃんじゃ、あり得なかったよね。これも、変わったところの1つだと思うな。


 それだけじゃなくて、気軽に部屋に入ってくれるのも大事なこと。普通の男の人は、女の人を警戒するものって、りんごでも知っていることだから。部屋で2人きりになったら、襲われちゃうかもしれないからって。


 でも、お兄ちゃんは違った。記憶喪失だから、常識を失っているだけかもしれないけれど。ただ、大好きって言ってくれるから。りんごのことを信頼してくれているのは本当だと思うんだ。


 大好きって言葉を聞くと、頭がビリビリしちゃう。それに、ポワポワする感じの幸せもやってくる。お兄ちゃんの言葉だけで、りんごはおかしくなっちゃいそうなんだ。


 こんなの知っちゃったら、もう戻れない。それだけは強く理解できて、怖くなっちゃう部分もあったよ。でも、本気で幸せだったから。お兄ちゃんのそばに居るだけで満足できるはずだよ。離れちゃったら、おかしくなっちゃうかもしれないけどね。


 だって、お兄ちゃんの前じゃなかったら、すぐにでもベッドに潜り込みたかったくらいだったから。お兄ちゃんの言葉を繰り返すだけで、どんどん幸せになっちゃうくらいに。


 でも、それだけじゃ終わらなかったんだ。抱っこしてほしいって言ったら、抱きしめてくれた。もう、りんごは震えちゃいそうだったけど、頑張って我慢していたんだ。


 とても幸せだってお兄ちゃんには言ったけど、そんな程度じゃなかったよ。頭の中が真っ白になって、何かが弾けたような感覚があったんだ。


 そんなりんごに対して、お兄ちゃんは何でも聞くなんて言っちゃう。りんごじゃなかったら、きっとキスくらいはしていたと思うよ。もしかしたら、もっと先まで。


 りんごだって、ただの子どもじゃないんだよ。そう言ったらどんな反応をするのか、すごく気になったんだ。だけど、遠ざけられちゃうことが怖くて言えなかったけれど。


 お兄ちゃんが大好きだって気持ちがあふれてきて、変な気分になっちゃう部分もあったよ。けど、お兄ちゃんはりんごを信頼しているって言ってくれる。その期待を裏切りたくなくて、おかしな感情を必死に我慢していたんだ。


 もう、本音ではお兄ちゃんにキスして、キスして、もっとキスしてしまいたかった。そうすれば、今より幸せになれる気がしたから。


 頑張って我慢しているのに、お兄ちゃんはりんごを可愛いなんて言っちゃう。本当に我慢が効かなくなりそうで、困っちゃった。


 でも、いきなりキスなんてしちゃえば、流石にお兄ちゃんでも嫌われちゃうはず。それが怖かったから、耐えていただけなんだ。嫌われないって確信しちゃったら、考えたこと全部しちゃったかもしれないよ。


 りんごを口説いてるのって言葉は、警告のつもりもあった。きっと、うんって言われたら我慢ができなかったからね。お兄ちゃんが大好きだって気持ちは、もう抑えられそうになかったから。


 だから、妹だって釘を差されたのは、悪くなかったと思う。ちょっとだけ、頭が冷えたからね。


 でも、お兄ちゃんは平気で頭をなでてくれるし、りんごと仲良くできたら幸せだって言っちゃうし、すごすぎた。


 りんごの想像していた理想なんて軽く超えちゃって、もう、他の男の人じゃ満足できないって、強く理解できちゃったんだ。


 きっと、お兄ちゃんが今の態度のままなら、女の人はみんなおかしくなっちゃうよ。お母さんも、お姉ちゃんも、百合子さんも。


 もしお兄ちゃんが他の誰かに奪われたらって想像すると、心が震えるんだ。だから、ずっとりんごと一緒に居てくれなきゃダメなんだからね。


 お兄ちゃんが居ない人生だと、りんごはおかしくなっちゃうからね。覚悟していてよね。

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