第3話 交流の始まり
高校に通うまでは、まだ時間がある。ということで、家族や百合子さんと仲を深めていきたい。まずは、百合子さんが良いだろうか。色々と世話を焼いてもらうだろうし。
すでに、食事の用意と掃除と俺を朝起こしてくれることは確認している。仕事とはいえ、とても大変そうだ。それに、関わる機会も多い。であるので、最初にちょうどいいはずだ。
もちろん、他の家族とも仲良くしていきたいのだが。それでも、順番をつけるとしたら百合子さんが先かな。もし仕事を辞められてしまえば、それでお別れなのだし。
ということで、百合子さんに話しかけていくことにした。彼女は泊まり込みなので、本気で家族みたいに思えてしまう。
「おはよう、百合子さん。今日もありがとう。また、美味しいご飯を食べさせてくれ」
「もちろんでございます。それが仕事ですので」
「それなら、母さんに頼んでずっと雇っておいてもらわないとな」
「とばり様、私にそれほどの価値はありませんよ。お控えください」
「そうは思わないな。俺は、何度でも、いつまでも、百合子さんのご飯が食べたいぞ」
間違いなく、本心だ。初めて食べた料理だからかもしれないが、とても感動したんだ。それに、百合子さんは俺に合わせてくれているのを感じるからな。
彼女は仕事だからだとは言うが、それだけでこなせる職務じゃないと思う。だって、1人で百合子さんを含めて5人が住む家の掃除をやっているのだから。俺は経験がないが、絶対に大変だ。
だから、ちゃんと感謝しているんだよな。この人になら、俺の人生の多くをあずけられると思う。その程度には信頼している。
「ありがとうございます、とばり様。ですが、様々な料理を食べる経験も必要でしょう」
「そうかもしれない。だが、それでも百合子さんの料理が中心であってほしい」
実際、高級な料理屋で知らない人の料理を食べるより、ある程度関わっている百合子さんの料理を食べる方が幸せそうだ。
その気持ちを伝えていけば、きっと彼女も喜んでくれると信じたい。まあ、俺の好意にどれほどの価値があるのかが問題だが。
「そ、それは嬉しいです……。とばり様が求めてくださるのは、幸せを感じます」
「だったら、ずっと一緒に居てほしい。そうしたら、俺だって幸せになれるんだ」
心からの言葉だ。出会ってすぐに何をと言われるかもしれないが、きっと未来でも変わらない想いのはず。
だって、俺の求めを幸せと感じてくれる相手なんだ。それに、母が信頼する人だからな。そうじゃなきゃ、俺を任せたりしないだろう。
母が俺を愛してくれているのは、とても良く分かる。それは、絶対に間違えていない。だからこそ、できる範囲で親孝行をしていきたい。
ガチ恋チキンレースという目標こそあるものの、家族たちが不幸になりそうならやめる程度の話だ。だから、目の前にいる百合子さんにだって、幸福を感じてほしい。
俺が求めることで幸せになれるのなら、いくらでも求める。
理由なんて簡単な話だ。前世での家族たちと、今の俺の家族たちは何もかもが違う。だから、初日の考えには反省しているくらいだ。
俺は人間というものを知らなさすぎた。誰かに暖かく受け入れられることが幸せだってことすら、分からなかったんだから。
だからこそ、これから家族たちと交流していく中で、もっと仲良くしていきたいんだ。受け取った幸福を返したいんだ。
今の百合子さんは無表情だが、きっと喜んでくれている。だから、もっと言葉を重ねていきたい。
「なぜ、それほどまでに私を……?」
「理由なんて、相手が大切だからという以外に必要か?」
実際のところ、彼女が大切だというのは本当だ。だが、理由に関してはよく分からない。俺の本心が何なのかも、何を理由にすれば喜んでもらえるのかも。
それでも、何も言葉にせず黙っているより、好意を伝えたほうが良いはずだ。そう思っている。
「嬉しいです。ですが、記憶喪失のあなたとは、出会ったばかりではないですか」
「あるいは、刷り込みみたいなものかもな。でも、それだって大切な感情だろう」
「とばり様は、これから多くの出会いを重ねて、いずれ私なんて忘れてしまうでしょう。でも、それまでの期間なら、お受けいたします」
ちょっとだけ、百合子さんの言葉には腹が立った。もっと素晴らしい人に出会えば、いま大切に感じている人を忘れるなどと。
だが、実際に俺は世間知らずだからな。前世では、病院の景色しか知らなかったのだから。それを考えれば、安易に否定もできない。どうするのが、正解なのだろう。
「もし百合子さんの言葉が本当なのだとしても、できる限りの期間、あなたを大事にする。少なくとも今の俺は、これから先もずっと一緒に居たいんだ」
「ありがとうございます。いつかあなたと離れる日が来ても、一生の思い出にいたします」
ああ、百合子さんの感覚が少し分かったかもしれない。一生の思い出なんて言われても、少し大げさだと感じてしまう。
それなら、俺が彼女をずっと大切にするという言葉も、同じように思われているのかもな。だとすると、行動で信じさせていくのが正着か。
とはいえ、いきなりできる行動は少ない。というか、彼女の仕事に感謝するくらいしかできないよな。
「百合子さんには、本当に感謝しているんだ。だって、掃除も料理もやってくれて、それでも文句も言わないんだからな」
「仕事ですから、当然のことでございます」
「そんなことはない。手抜きをする人間なんていくらでもいるし、相手にきつく当たる人間だって珍しくない」
前世の医者や看護婦は、俺の目の前で、こんな仕事は面倒だという態度を隠さなかったからな。だから、百合子さんの行動の価値は分かり切っているんだ。
いくら前世で大した経験を積めなかったからといって、人間の汚いところはそれなりに見ている。俺を入院させたまま一度も見舞いに来なかった家族とか。他には医者の見ていないところで俺に嫌がらせをする隣の患者とか。
そんな人達に比べれば、家族も百合子さんも天使に思えてしまう。尊敬しているのは本心だし、大切だと思う心も本音だ。
「とばり様は、お優しい方です……」
「そんなことはないぞ。嫌いな人間になら、雑な態度を取るだろうからな」
「いえ。大切だと思っている人間であっても、雑に扱うこともあるのが人間ですから」
それは、有り得る話だと思う。実際に大切に思われた経験がある訳では無い。だが、前世の家族が愛する人を大事にできる人間かと聞かれれば、怪しいと答えるだろう。
だからこそ、百合子さんや家族のような人たちは大切にしていきたい。これから先も、同じように優しい人と出会えるとは限らないのだから。
まずは、百合子さんのご飯を美味しく食べるところからだな。
「じゃあ、今日のご飯をお願いできるか? 昨日から、ずっと楽しみにしていたんだ」
「ありがたき幸せでございます。すぐに用意いたしますね」
そう言って、百合子さんはキッチンへと移動していった。それから時間もかからず、家族での食事になった。そして、ちゃんとした料理が出てきた。
つまり、前日からも準備してくれていたのだろう。あるいは、俺が起きる前から。どちらにせよ、素晴らしい仕事だ。
百合子さんに感謝しつつ、俺はご飯を食べていくのだった。
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