第7話 反対側にある正義
「大学二年生のハルナです。二十歳になったばかりですけど、お酒は飲めません。おいしさがわからなくって」
「ミサキです。二十四歳、WEBデザイナーをしてます。ええと……、よろしくお願いします」
年下好きの肉食系女子が連れて来られるものだと思っていたのに、意外だった。
どういう人選だったのかはわからないが、由美さんなりの意図があるのか、それとも年上の男に懲りたとか何か理由がある人たちなのか。
そう思ってしまうくらい、どちらも落ち着いた雰囲気で、しいていうならハルナはおっとり、ミサキは物静か、という印象だった。
それが男子高校生にはますます大人っぽく見えたことだろう。
杉本はわかりやすすぎるくらいに浮かれていたが、必死にそれを押し隠し、『大人っぽい俺』を演じている。
見ていてわかりやすいほどわかるから傍観者は楽しい。
原田は『あくまで杉本の付き合いで来た』と主張するかのようにそっけない態度だが、終始あらぬ方に目をやっているのを見ると、こういう場や女性に慣れていないのだろう。
女性陣もそれはわかっているようだ。
それらを微笑ましそうに見られていることに、原田と杉本はまだ気が付いていない。
「今日は年齢に関係なく、みんなで楽しくお喋りをして、おいしいご飯をお腹いっぱい食べましょう」
由美さんには『白崎理』に頼まれたことは伏せてもらうようお願いした。
余計なことをしたとわかれば友情にひびが入ってしまうからと伝えると、「男の友情は私にはよくわからないから、下手なことは言わないように気を付けるわ」と請け負ってくれた。
由美さんが連れてきてくれたのはおしゃれなカフェレストランで、外観も内装も凝っているが、それほど敷居は高くない。
高校生カップルが「今度一緒に行こうね」と気合を入れて約束して来るくらいの感じか。
高校生組が肩ひじ張らず居心地がいいように、かつ大人組も楽しめるようにと店を選んでくれたのだろう。
メニューを開くと、パスタやピザなど高校生にも馴染みがあるものが多く、原田や杉本も選ぶのに苦労はしなかったはずだ。
ファミレスからそう遠く離れていない値段だが、運ばれて来た食事は盛り付けからシャレているし、味も旨い。
杉本も場を読もうとしているのかまだ控えめで、和やかな会話が交差していたが、気づけば杉本はミサキにばかり話しかけるようになっていた。
どうやらターゲットを見定めたらしい。
しかし当のミサキはうつむきがちに髪をいじっており、戸惑い顔で、杉本もやや攻めあぐねている。
「ミサキさんって、もしかして男が苦手だったりする?」
「……うーん、そう、ね。ちょっと、そうかも」
「大丈夫。俺は嫌がることはしないから。今日は日頃の仕事の鬱憤とかを晴らして、楽しく喋ろうよ」
教室では何を言ったら理が嫌がるかしか考えていないだろうに、真逆の脳がどれだけ働くのか見ものだ。
「ありがとう。杉本くん、優しいね」
「ゆうきって呼んでよ。俺、年下だしさ。遠慮しなくていいから」
いつもより意識してゆっくりとした喋りにしているのだろうが、最初から敬語ではない時点で、自分のフィールドを展開し、自分のやり方で話を進める気満々だとわかる。
しかし普段の杉本を知る由もないミサキは素直に「うん」と笑みを浮かべた。
それで杉本も内気な女性にうまく入り込めたという自信がついたのだろう。さらにぐいぐいと話しかけていく。
ミサキは時折相槌を打つだけで、少しはにかんだ顔は見せるものの、杉本が笑わせにかかっても大笑いするようなことはない。
そのうち明らかにミサキの顔は曇っていった。
「――杉本くんは、クラスでも目立ちそうだね」
「ああ、まあ、そうかな。俺ってすぐ調子乗っちゃうからさ。みんながほっといてくんないっつうか」
「そっか。私とは別世界の人間だなー」
「そんなことないよ! だって俺たち、今楽しく話してるし」
安心させるように言っているつもりなのだろうが、他人と自分の主観をごっちゃにして語る辺りにミサキも感じるところがあったのかもしれない。
さらに一歩引いたように遠慮深げな笑みを浮かべた。
「そうだね。先入観をもっちゃいけないよね。カースト上位の人だって、いい人はいるもんね」
「はは、そうだよ。俺はただ楽しく学校生活を送りたいだけだし」
動揺が見える杉本の言葉に、ミサキはどこか寂しそうに笑った。
「そうだよね。私も楽しく過ごしたかったなあ。杉本くんは優しいから、きっとカースト下位の子たちにも気を配ったりしてくれるんだろうね。自分から話しかけてあげたりとかしてそう」
「俺は誰とでも仲良くするタイプだから」
こいつは『理』がいることを忘れているのか。
それとも理が「嘘つくなよ」なんて言うわけもないと思っているのか。
しかしミサキはどう受け取ったのか、テーブルに目を落とした。
「そっか。私ね、高校時代にあんまりいい思い出がないの。目立たなくて、カースト下位だったから、なんていうか、うん……」
「ええー? こんなにキレイなのに?」
「女子はお化粧でいくらでも変わるから」
「いやいや、ミサキさんはすっぴんでもキレイだって。俺、そういうのわかるし」
杉本には会話がすれ違っていることもわからないだろうし、ミサキの気持ちを汲み取ることもできないだろう。
肯定の言葉は『キレイ』だけで、そこに杉本の価値観が現れている。
そして、キレイじゃないから、何か理由があるから下位になるのだと言っているのと同じで、それは下位にいたと語るミサキを貶めることだとは気づいていない。
ミサキがカーストというものに苦しめられてきただろうことは十分に察せられるのだから、返すべきはカーストそのものへの否定である。
だが上位に君臨している杉本はカーストが誰かを傷つけるものだなんて意識がまるでない。
そんな杉本にミサキを掬い上げることはできない。
「ふふっ、ありがと。私の高校生の時のクラスにも、杉本くんみたいな明るくて優しい子がいてくれたらよかったのに。そうしたらいじめなんて起きなかったんだろうなあ」
その言葉に、杉本がわかりやすく固まった。
「あ……、ごめんね、いきなりこんな暗い話。なんでもないの、忘れて」
「いや、その……。ミサキさんがいじめられてたなんて、嘘ですよね?」
まるでそれが恥ずかしいことでもあるかのように引きつった愛想笑いを浮かべる杉本に、ミサキは静かな笑みを返した。
「本当だよ。いまだにトラウマなんだよね。だから会社に似たタイプの人がいて、怖くて、怯えて、顔合わせるの、辛くなっちゃって。それで、今は独立目指して頑張ってるんだ」
杉本の口が、何かを言おうとして言葉にならずに閉じられる。
ミサキはなんとか明るくしようとするように声のトーンを上げ、慌てながら続けた。
「大人になるとさ、いじめっこもいじめられっこも社会の中にいっしょくたで、過去なんてわからなくなる人もいるんだ。だけど私は、見た目はお化粧で変えられても、中身まではダメだった。ずっと臆病なまんまで……」
杉本は話を誤魔化そうとするかのように一瞬笑った顔を作ったが、息を吸い込んだところでそれは消えた。
ミサキの目に涙が浮いているのを見たからだろう。
「どうしてそのままの私じゃダメだったんだろうね。どうして静かに過ごしたいのがダメなんだろう。ノリってなんだろう。静かな人のノリには絶対に合わせてくれないのに、どうしてはしゃぎたい人のノリにだけあわせないと『迷惑』なんだろうね」
うるさい方がよほど迷惑なのに。俺だったらそう続けていたが、ミサキははぐらかすように笑って口を閉じた。
違う会話をしていたはずの原田と由美さん、ハルナも黙ってミサキの話を聞いていて、場はしんと静まった。
そこにぽつりと由美さんが口を開く。
「自分が直接関わりなくても、同じクラスでそういうのがあると、本当もうそれだけでもしんどいのよね。傍観も罪だって言われるけど、じゃあ何ができるっていうの? って思ったわ。現実はそんなに簡単じゃない。先生に告げ口したのがバレたら今度は自分がターゲットにされるかもしれない。だけどただ見ているのも辛い」
ハルナもうんうんと頷いた。
「自分が被害にあっていなくても、何もできない自分をひたすら責めて、辛くて、なんでこんな目に遭わせるんだっていじめてる側を恨んでました。空気を悪くしてんのはあんたたちでしょ! って。本当に迷惑でしかなかったなあ」
杉本は乾いた笑いを貼り付けたまま、固まっている。
原田は聞いているのかいないのか、頬杖をつき窓の方を向いているから俺にはその顔は見えない。
「それなのに、いじめてる側って相手が悪いと思ってるのよね。そんなわけないのに。そういうところ、学校って、特殊な空間だと思うわ。その中にいる時はそれが絶対で、その価値観だけがすべてだって思いこんでしまう。だからダメな人間だ。だからスゴイ人間だ、って。社会に出たらひっくり返ることもあるのに」
「そうですよ! ミサキさんなんて、この若さで独立ですよ?! すごくないですか!? 社長なんですから! 本当に学生の時の学生からの評価なんて、まっったくあてにならないのに、何を勝手に格付けしてるの? って思います」
いじめをしてたことで社会に出てから得することなんて一つもないのに。
ハルナはそう呟き、頬を膨らませた。
おっとりして見えたが、わりとはっきり言うタイプらしい。
「それをバネにして大学デビューとか華々しく転身できる人もいるけど、それがまるで呪いのようにいつまでも付いて回ることもあるわよね……。そしてどんなに栄華を手にしたとしても、傷が治るわけじゃない。忘れたくても忘れることもできない。いじめを受けた側だけが、いつまでも、ずっと『頑張り』続けなければならないのよ」
由美さんは涙ぐむミサキと目を合わせて、小さく息を吐き出した。
「どうして一部の人が楽しく生きるための犠牲にならなきゃいけないのかしらね。ほっといてくれたらいいのに」
「そうですね……。私、あの人たちのことだけは一生忘れません。どんなに幸せになっても、きっとずっと呪い続けると思います。あの人たちだけは一生幸せにならないでほしい。そうやって人を呪う限り、私もまた呪われ続けていくんです。――いつか、きれいさっぱり忘れられる日がくればいいのにな」
静かで、遠い笑みだった。
その後、由美さんが少しずつ明るい話題に持って行ってくれたが、杉本の笑いは空回り続けていた。
もう杉本はミサキのほうを見ない。
杉本と原田に先ほどの会話がどれだけ理解できたのかはわからない。
もしかしたら、ずっと何を言ってるのかわからないままだったかもしれない。
いじめられる側、傍観者側の思いなんて、まともに聞いたこともなければその心中を考えたこともないだろう。
いじめる側にしかいたことのない人間は、同じ正義を持った奴らの話しか知らない。
別の正義があるなんて、考えもしないだろう。
だから「いじめられてたなんて、嘘ですよね?」だなんて言葉が出てくるのだ。
いじめられるような奴が悪い。そんな思いがあるから。
『キレイなミサキがそんなはずない』だなんて、どんな思考だよ。
今日のことで杉本と原田が考えを改めてくれればいいが、まあそうはならないだろう。
初めて会った他人よりも、毎日同じ教室で顔を合わせる『仲間』に正義を合わせるほうが生きやすいから。
異なる価値観を知ったところで、それを受け入れることは蛇の道だ。
今まで自分がしてきたことを否定することにもなるわけで、そんなことはプライドの高いいじめる側の人間にはできないだろう。
ただ、井の中の蛙の価値観でゴリゴリに固められていた杉本と原田がその外の世界を覗くには良い機会であったのは間違いない。
まさか由美さんもそんなことを期待してこのメンバーを選んだわけでもないだろうが。
いや。もしかして由美さんは、ミサキのトラウマを払拭するためにこの合コンに参加させたのだろうか。
過去に自分が傍観者であったことを悔いていて、今できることをと考えたのかもしれない。
由美さんは原田を真面目に働く好青年と評価しているようだったから、その友達もいい奴だろうと見込んだのか。
まずは年下で害のなさそうな男と会わせて、男がみんな悪い奴ではない、真面目でいい奴もいると見せたかったのかもしれない。
まさか選んだ奴こそが、卒業して社会に出てもなお人生の足を引っ張る黒い記憶を上塗りするような存在だとは思わずに。
しかし目論見が外れたのは由美さんだけではない。杉本も、俺と理もだ。
今後杉本がミサキと連絡を取り合うことはないだろう。
いじめられる側の人間を見下しているのはありありとわかったし、仮にミサキに本気で惚れていたとしても、自分が忌むべき相手であるとわかっていて近づくなんてできるわけもない。
杉本を加藤一派から引き離す作戦は見直さなければならない。
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