第4話 俺があいつらを幸せにしてやる

「幸せに、って……」

「それで気味悪がって逆ギレしてきたのは向こうのほう。『何を企んでやがる!』ってすごい剣幕でさ。まあ、彼には意味が分からなかったんだろうし、僕でも彼らにそんなことを言われたら絶対何か企んでるって思うから理解はするけど。ちょっと失敗だった」

「いやいやちょっと待てよ。なんでお前がそんなこと言ったんだよ」

「いじめってさ、意味があってすることじゃないよね」


 いきなり理はそんなことを言った。

 虚を突かれて「いや、まあ、そうだな」とたじろぐ俺に、「でしょ?」と続ける。


「相手を本当に嫌ってるとか、憎んでるとか、そういうケースってあまりないと思うんだ。ターゲットを選ぶときは気に食わないとか反応が嗜虐心を満たすとか、それなりの理由はあるだろうけど。だからってなんでそんなことをするのかっていうと、鬱憤晴らしとか、暇つぶしとか、なんとなくとか、自分の地位を上げるためとか、わりとくだらない理由が多いよね」

「まあな」

「つまり、必然性がない」


 その言葉はいじめたこともいじめられたこともない俺にすら鋭く胸に届いた。

 いじめの理不尽さがすべてその言葉に詰め込まれているように思う。

 黙り込んだ俺をまっすぐに見て、理は続けた。


「だからさ、幸せになって満たされれば、いじめなんかやる気なくすんじゃないかなって思ったんだ。やりたい事や目標がある人は、無意味なことに割く時間を惜しいと思うでしょう。幸せな現状を守りたくなったとき、いじめを続けることのリスクに初めて気づくかもしれない」


 ――確かに。

 満たされているやつはきちんと楽しいことを楽しめる土壌があるから、生産性のあることを求めるし、いじめなんか魅力的な遊びにはならないだろう。

 むしろネットに晒されて一生残るデジタルタトゥーが刻まれることを恐れるのではないか。

 最初からそんなことを考えないやつは、現状がどうなってもいいと思っているのだろう。だから今を失いたくない、大事にしたいと思って初めてそんなことを考えるかもしれない。


「いじめられながらそんな発想に辿り着けるのがすごいな」

「すごくないよ。思いついただけで、結局成果はあげられなかったんだから。焦ったのが敗因だった」

「まあ、これでいける! って思えばすぐ行動に移したくはなるよな」


 辛い思いをしていればこそ、早くそこから逃れたいのだからなおさらだろう。


「そうなんだよね。それで頭を叩くのが一番早いと思って、最初からボスの加藤くんをターゲットにしたんだけど、何が好きなのか、どういうものなら興味を持てるのか、全然情報が集められなくてさ。それで直接聞いた方が早いと思ったんだ」

「まあ、いじめてたやつにそんなこと言われたら警戒するだろうし、まともに答える奴はいないだろうな」


 俺がそう言うと、理は「やっぱり?」と顎に指を当ててうーんと唸った。


「今度は失敗しないように、何があれば幸せになるのか、他に夢中になれるものはないのか、生活とか身の回りの人のことを調べてみようと思って」

「それであちこち出歩いてたのか」

「おかげで大体の作戦は立てられた。だからさ、僕の代わりに彼らを幸せにしてくれないかな」


 それが頼みか。

 これはなかなかに背負うものが重い。

 まさに他人にしかできないことであり、かつ、その成否が人の人生を大きく左右するのだ。

 いや、理だけではない。その先にいじめられるかもしれない人たちや、周囲にもその影響は及ぶだろう。

 成功すればこれは大きい。

 では失敗した時のデメリットはと考えると、理が企んでいたことが露見すれば、もっと悪い状態になる可能性が高い。

 しかもボス加藤に直球でアタックしているのだから、『理』が行動を開始すればその意図はすぐにわかるだろう。

 ただ、それよりももっと、実行にあたって大きな大きな問題がある。


「おまえはそれでいいのか?」


 もしも俺だったら、絶対に嫌だ。

 思いついたとしても、一瞬で頭から掻き消すだろう。

 他人がそれをするならいいかという問題でもない。誰かがそんなことをしようとしていたら、俺ならすぐに止める。

 ふざけるな。そんなことをしてくれるな。何故俺が幸せでなくてそいつらが幸せになる? そう尋ねるだろう。


「うん。いじめなんてばからしいって彼らがやめさえすれば、僕も助かるし、他の人にターゲットが移ることもない。みんな幸せになれるから」


 そうあっさりと答えたものの、すぐに深く息を吐き出した。


「っていうのは、頭で理解してるだけ。やっぱり、なんで人を苦しめるような奴を幸せにしてやらなきゃならないんだって、腹が立つよ。地獄に落ちればいいのにって心で呪ってるのに、正反対の行動をとるなんてやっぱり無理。それでやぶれかぶれにもなった。だから一ノ瀬さんにお願いしたいんだよ」

「俺を止めたくならないか?」

「ならない。もう何度も考え尽くした最適解がこれだから。復讐もざまあも、結局僕は幸せになれない。やり返されたらどうしようって怯えながら一生過ごすなんて嫌だから」


 確かに物語ならめでたしめでたしでおしまいだが、どちらの人生も続いていくのだ。

 都合のいいところで「これにて一件落着」とはできない。

 理がやり返されて、またやり返して、そのうち結婚相手や子どもまで巻き込むかもしれない。


「いつまでも過去の影に怯えて、自分の一生を侵食されるなんて絶対に嫌だ。それに、他人の不幸を喜ぶあいつらと同じになりたくない。だから、自分にはできないけど、やらなきゃいけないことだってわかってる。僕にとっては他に方法はない」


 俺なら我慢できない。そう思ったのは、俺が当事者ではなくただの想像を元にして考えたからだ。

 当事者である理自身がそう決断したということは、その悔しさを上回るほどに辛い思いをしてきたということだろう。

 そして目先のことだけでなく自分の一生のことまで考えているのは、理自身が冷静な奴だからというだけではなく、それこそずっとずっと考えてきたからこそ、そこまで考えが及んだのだろう。

 理はずっと向き合い続けてきたのだ。逃げずに戦っていたのだ。


 それがわかって、道は決まった。

 出来る立場にありながら、それに応えないほど腐った人間ではない。


「わかった。正直俺も、そんな奴らを幸せにしてやるなんてのは腹が立つが、将来有望な若人たちのためと思えば、まあ割り切れる。拳で黙らせてきた俺がそんな頭脳的な作戦で役に立てるかはわからんから、そこはおまえの指示にかかってるぞ」

「ありがとう、一ノ瀬さん。一人じゃ無理なことだったから、本当に嬉しい」

「だけどよ、ビルの屋上で揉めたのがボスだってんなら、警察に事情を話して逮捕させたほうが手っ取り早いんじゃないのか? ボスがいなくなりゃいじめもなくなるかもしれないだろ」

「加藤君の故意だと証明するのは難しいと思うんだよね。屋上に防犯カメラはなかったみたいだし、お互いに証言だけの戦いになる。そうなったら、ビルの三階から落とすことを殺意と認定されるかな? 逆にいじめられてた僕が相手に罪をかぶせるためにわざと落ちたんだって証言されるだろうし、そうなったら僕の方が弱いと思う」

「殺意がなくとも傷害にはあたるだろ」

「それじゃ大した罪にならない。未成年だし、すぐ外に出て来られたらそれこそ僕が復讐されるよ」


 確かに。相変わらず理は感情的にならず、よく考えている。


「まあ、わかった。それなら、何でおまえがいじめられるようになったのか、その経緯を聞いといてもいいか? 協力するにも背景がわかってないとな」

「うん。つまらない話だけどね」


 そう言って理が語り出したことは、まあ、よくあることではあったのだろう。

 だが理もなかなかにパンチが効いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る