第5話 首謀者は特等席で観察しよう
俺は毎朝朗らかに「おはよう」と挨拶をして教室に入るが、初日のうっかりお返事以来、答える声は一つもない。
そして音楽の授業を皮切りに、加藤一派は弁当を捨てる、足をひっかける、ノートを破くなどちらほらと行動に出始めた。
だから弁当は白米百パーセントのおにぎり二個をダミーとしてカバンに入れておき、おかず入りの本命を担任の高田に「間違えて食べちゃう人がいるみたいなんで、預かってもらえます?」と笑顔でお願いして毎朝職員室の机の上に置いてくるようにした。
骨折した腕で苦労しながら俺が握った不格好なおにぎりくんが犠牲になるわけだが、食べ物を粗末にするやつはもったいないオバケに任せるとしよう。
足をひっかけられるのは躱せばいいのだが、さりげなく受け身をとりつつ転んでおく。
ノートは破られてもさほど困りはしない。書けるところに書けばいいし、前に書いたノートなんざ俺は振り返らない。
授業に参加しているふりができればそれでいいし、理も授業を聞けるだけで勉強になるし、遅れは後で取り返すから大丈夫だと言う。
ここでいちいちやり返したり、文句を言うのは得策ではない。
奴らは構って欲しいのだから喜ぶだけだ。
無意味だとバレてしまってもいけない。
やられたふりをしておけば、満足するのだから楽だ。
しかし、思った以上に理はタフだ。
それも俺とは方向性が違うと思っていたが、割り切りがいいところなんかは似ている。
だから俺たちの相性は悪くなく、俺がすることに理が文句を言うこともなかった。
そんな毎日が繰り返されているのだから、さすがの高田や他の教師もいじめがあることには気づいているはずだが、目に見えてリアクションは起こさない。
担任である高田は「何か困ったことがあったら先生に言えよ」と気づかわしげに言うものの、それだけ。
俺は精一杯『健気な白崎理』の顔をして「はい……」とあいまいに微笑んで返すようにしているが、そんなことくらいで校内で自浄作用が働くかといえば、まあこいつらに期待はできないだろう。
こんな様子を見ていたら、理が自らあんな作戦を決行したのもわかる。
そうしてただひたすら面倒でうざったくはあるが無意味な攻撃を受け続ける日々を過ごしていたが、その週の終わり、金曜日のことだった。
「おい白崎。ちょっと顔かせ」
朝のホームルーム前に席まで来てそう凄んだのは原田だった。
「何の用?」
「あ? うるせえよ。いいから来いや」
なんでおまえに従わなきゃいけないんだよ。
そのまま粘ってやろうかとも思ったが、教室中の生徒が怯えるようにこちらを見ているのに気が付いて、大人しく立ち上がった。
原田について教室を出ると、何故か杉本も後から何気ないようについてくる。
黙って歩いて行った先は南棟の空き教室だった。
ドアを開けると俺の背中をドンと押して中に押し込み、後から二人も入り、ガチャリと鍵を閉める。
口火を切ったのは原田だった。
「いやに飄々としてやがるが、おまえ、本当に記憶ないんだろうな」
「『ない』ことの証明は悪魔の証明っていうらしいね」
「こうるせえのは相変わらずだな」
そう。こういうところもわりと似ているのだ。
いじめられるきっかけになったのも、理がクラスで生徒たちの前で堂々と反論したからだし。
違うのは口調と態度だが、記憶喪失のせいだと解釈されたのか、理の真似が上達したのか、戸惑われたのは最初だけで今は気にする者もいない。
「まあいい。おまえ、土曜の昼十二時に駅前の時計広場に来い」
「土曜って、明日の?」
「そうだよ」
「なんで?」
「来いって言ってんだから来いよ!」
「まあまあ、白崎くんは俺たちがお友達だったことも忘れちゃってるんだからさ。無理もないよ」
杉本がにやにやと間に割って入るが、二人とも最初から騙すつもりも説得するつもりもなさそうだ。
強制的に来い。ただその一択。
「目的は?」
「大丈夫大丈夫、悪いようにはしないよ。ただの合コンさ。頭数が足りなくてね」
「他の人を誘えば?」
「彼女がいないのは白崎くんだけなんだよ。だから来てくれるよね? 来なかったら、来週からどうなっちゃうか、ちょっと自信ないなー」
緩い脅しだな。
『理』なら都合よく使えて、相手を奪われる心配もないと思っているのだろう。
特に顔がいいわけでもなく、運動や特技など秀でたものもない男はモテない。進学校同士だから頭がいいのは当たり前で、ウリにはならない。そう判断したに違いない。
「メンバーは?」
「俺と原田くんと白崎くんの三人だよ。あちらも三人」
加藤がいないのは、彼女でもいるのか、それとも来てほしくないからか。
わざわざ別室に移動したことを思えば、加藤に聞かれたくなかったのかもしれない。
加藤が登校するのはいつもギリギリで、原田と杉本は反対の電車だからかそれより少し早く来ているから、今の内と思ったのだろう。
加藤に相手を全部持っていかれることを恐れたという線もあるが、なんとなくこの二人は加藤が好きなわけではないのだろうなと思った。
カースト上位にいるためにつるんでいるに過ぎない。そんな風に見えた。
だとしたら付け入る隙もある。
俺は表情に出ないよう気を付けながら、脅されて渋々、と見えるように頷いた。
「わかった。いいよ」
「白崎くんならそう言ってくれると思ってたよ。なんせ、俺たちはお友達だからね」
にやにやと笑う杉本の隣で、原田は俺を睨んでいた。
どうせ了承するなら最初から頷いておけと思っているのか、俺を警戒しているのか。
ちっと大きな舌打ちをしたところを見るに、前者だったのだろう。
どうやら短気なタチらしい。
頭がよくないのは助かるが、こいつはもうちょいと仕事場で揉まれたほうがよさそうだ。
しかし、ちょうどよかった。
まさか仕組んだ人間をあちらから誘ってくれるとは思いもしなかったが、これで理だけではなく、俺も間近で様子が見られる。
土曜日が楽しみだ。
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