第2話 開戦

 高田がガラリと扉を開けると、ちらほらと聞こえた私語がピタリと止まった。

 手招きされ、続いて教室に入ると、一斉に注目が集まる。

 それを端から順に見返すと、興味津々といった顔が訝しげに変わるのがわかった。

 きっと、『理』だったら誰のことも見ていないように、まっすぐ前を見ていたことだろう。

 これだけの反応の違いで違和感を抱くということは、クラスメイト達は少なからず理がどんな人間かわかっていたということで、無関心ではなかったとわかる。

 それでも理を助ける奴がいなかったというところが、スクールカーストの怖さであり、学校という閉じられた世界の怖さだ。

 奴らにとっては、学校がすべてなのだろう。それは今も昔も変わらないようだ。

 その外にも世界が広がっているのだということを、大人になってからやっと気づく人間が多いのは、六歳という幼い頃から学校という枠の中で生きてきたからだろうか。


「遅くなってすまんな! えー、今日から白崎が登校することになった。話しておいた通り、白崎は記憶がない。みんな、いろいろと教えてやれよー」


 頬杖をついている生徒など一人もおらず、俺の知っている学校とはまったく雰囲気が違う。

 さすが進学校ということか。

 それぞれの顔にはおおよそ戸惑いが滲んでいたが、その中でも数人、反応が違う者がいた。

 窓際の席で眠そうに外を見ているのが原田か。制服がややパツパツとしていて、筋肉質であることがうかがえた。

 顔が整っているわけではないが、制服の着こなしや髪型に周囲と明らかな差異があり、雰囲気でモテるタイプだろう男が楽しそうな笑いを浮かべている。おそらく杉本だろう。

 ふうん、と廊下側の席から値踏みするようにこちらを見る女子生徒。緩くウェーブした茶色の髪を指に巻き付けては離すのを繰り返している。これがたぶん桜井あいみ。

 その中でもダントツで目をひくのは、真ん中の列の後ろから三番目、余裕そうな笑みを薄く張り付けてこちらをじっと見ている男。

 周囲の生徒とは経験値の違いを感じさせた。

 いい感じにセットされた重めの前髪は最近の高校生らしい髪型で、中肉中背、制服の着こなしは崩れておらず、かといって優等生といった感じでもない。

 目立つ容姿ではないのに、ただそこに座っているだけで一つ抜けているように見える。

 それが加藤だろうということは疑いようもなくわかった。


「えー、では、白崎の席はー、確か一番後ろの廊下から三列目だったな。隣の席の野田! おまえ、ちゃんと面倒見てやれよー」

「え?! あっ、あ、はい」


 名指しされた男は肩をビクリと跳ねさせ、うろたえたようにこちらをチラチラと見る。

 そりゃあ加藤一派のおもちゃにされている奴とは関わりたくないだろうし、かといって担任の指示をこの場で拒否することもできず、どうしたらいいかわからないのだろう。

 俺はすたすたと『理』の席へと向かい、隣の野田ににっこりと笑みを向けた。


「お手数をおかけするかと思いますが、これからよろしくお願いします」


 かしこまり過ぎただろうか。学生の丁寧語ってどんなもんだったか。

 記憶が遠すぎて焦ったが、野田はそれどころではない様子で、おずおずと一度だけ頷いた。


 先程の高田の話ではこのクラスの生徒は三十八人いるらしい。

 顔と名前を全部覚えられるかは怪しいが、少しずつ自然に把握していかなければならない。

 記憶喪失でも、能力は理のままなのだから。

 それに、どこかに伏兵がいるかもしれないし、逆に味方になりえる奴がいるかもしれない。一対多だからこそ、加藤一派だけを見ているのではなく、周囲の観察も重要だ。

 特に、桜井には取り巻きがいるはずで、その仲間かそうでないかはしっかり観察して把握しなければ。


 俺が椅子を引いて座ると、生徒たちの関心はまだ俺に向かっている気はしたが、その視線は無理矢理というように引き剥がされ、高田のほうへと向いた。

 その間に俺は机の中をちらりと確認する。

 椅子にも異変はなかったし、特に何かが仕掛けられている様子はない。

 いじめといえば椅子に画びょうとか、机の裏に呪いの札とか、何か怪しげなものがあるのではと警戒したが、さすがに長期に休んでいた理の席をいじることはできなかったのか。

 もしも椅子に画鋲なんぞが仕掛けられていても思い切り座って大声をあげてやろうとおもっていたのだが。


 だが今後は座る前にしっかり確認したほうがよさそうだと考え直した。

 死ぬかもしれなかったいじめのターゲットが現れても、その顔に罪の意識が一切過らない者たちなのだから。

 こちらの倫理観とは異なる世界にいるようだし、俺の考える一線を軽々越えてくるかもしれない。何をされるかわかったものではない。

 自分のことでありながらも、やっぱり他人事な俺は、その後も観察を続けた。

 まるで、『初めて来た場所や初めて会う人たちに戸惑っている男子高校生』のように、堂々と教室中を見回しながら。


 ホームルームがおしていたため、次の授業の教師が高田と入れ替わりで現れ、休憩する間もなく国語が始まった。

 さて、誰から接触してくるだろうかと身構えていたものの、一時間目が終わっても短い休み時間には誰も声をかけてくることなく、肩透かしを食らった。

 しかし、その後も放課後に至るまで誰もが『理』に寄らず触らずで、誰とも話さずに終わった。

 斜め前に座る加藤は、一度も振り返ることはなかった。


 これはどういうことだろう。

 やはり屋上から落ちてしまったという事実を受けて、いじめなんてもうやめておこうと賢明な判断を下したのか。

 いや。

 ホームルームで見渡した顔は、とてもそんな殊勝な考えを持っている奴らのものではなかった。

 まだ様子を見ているだけなのか、それともあちらはあちらで何か企んでいるのか。


 翌日の朝、教室に入り「おはよう」と声をかけて中に入ると、反射のようにいくつか「おはよう」の声が返った。

 しかし、声の主に気が付いてはっとしたような顔になり、慌てて周囲を見回す。

 加藤一派に見咎められたらと、焦ったのだろう。

 しかし奴らの朝は早くないようで、まだその姿はない。

 誰もがなかったことにするかのように俯くばかりで、『記憶喪失で何もわからず不便をしているだろう白崎くん』に声をかけてくるようなことはなかった。

 始業時間ギリギリに加藤一派も揃ったが、目立った行動はない。


 動き出したのは、二日後のことだった。

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