第10話 暴力の結果
「……さっきからお前、誰なんだよ。何なんだよその喋り方。上から目線でむかつくし。虚勢はってんのか? 子どもじみた芝居だな」
「芝居で他人に見えるほど変えられるんなら、オーディションでも受けて違う道に進んでるけどな。それと――」
言いながら素早く腰を落とし、竹中の眼前に拳を突き出す。
竹中は一瞬怯んだように目を見開き、その場にビタリと固まった。
動じなかったのではない。動けなかったのだ。
「いつも暴力を受けててその恐怖が体に染み込んでるやつが、何故他人に暴力を振るえる? はぐらかさないで答えろよ。俺には聞く権利があるはずだ」
「――うるせえな」
「殴ったらスッキリするのか? 自分より弱い奴を狙って、自分とおふくろさんが殴られた分だけ殴って鬱憤を晴らしてるのか?」
「違う! スッキリなんてしない。どんなに殴っても殴っても、苛立つだけだ!」
「それがわかってるのに、やめられないのか。親父と一緒だな」
竹中はカッとしたように俺の胸倉をつかみ、拳を振り上げた。
しかし震えるそれを頭上で止めたまま動かない。
「お前のおふくろさんが何で逃げようとしないと思う? お前を守るためだよ。もし見つかれば、今よりひどい目にあうのがわかってるからだ。権力に固執する親父さんは外聞を気にする。老いが見えてるおふくろさんよりも、若くて体力があって近頃生意気な息子を二度と逃げる気なんて起こさないように徹底的に痛めつけるだろうっておふくろさんは心配してるんだよ」
普通は力のついた息子とやり合うのは避けて、母親のほうを殴ると思うだろう。
俺もそう思った。
だが理は、昔の気のいい夫を知っている母親は、どこかでまだその良心を信じてるんだろうと言った。
年を取って弱くなった母親では死んでしまうかもしれない、さすがにまずいと矛先を変えるのはわかるが、どちらにせよそんなものは良心だとは思えない。俺にはどこにも良心なんて見えはしない。
母親の気持ちもわからないが、DVをするような奴の心理はもっとわからない。
ただ竹中は見開いた目で俺を睨みつぶしそうに凝視し、拳を振り上げたまま固まっている。
「それからお前、友達を作るのが苦手なんだってな。逃げる度に転校しなきゃならなくなると、それがお前に負担なんじゃないかと、ひきこもりになっちゃうんじゃないかと思って動けないでいたんだとよ」
「――なんだよ、それ。俺はおふくろに守ってもらわなきゃいけないほど小さい子どもじゃない!」
「だけどおふくろさんにはそうは見えない。小さい頃と変わらず、今も子どもに見えるんだろ。高校生なのにな?」
あざ笑った俺に、竹中は真っ赤だった顔を真っ青にし、怒りに震えた。
「子どもじゃないならお前がおふくろさんを守ってやれよ。DVから逃げる方法なんて、住民票を異動せずに引っ越して、市役所にはDVに遭ってる旨伝えて居場所を突き止められないようにするとか、よく聞く話だろ。俺だって簡単に調べられたし、プリントアウトまでしてある。あとは行動するだけのことだ」
「そんなことはおまえに言われなくたってやる!! ただ、俺はおふくろがまだ親父と離れたくないと思ってるんじゃないかと……」
竹中は子どもの頃から父親の暴力を受けて育ったらしい。
母親は子どものため、子どもは母親のために逃げられずにいたのだろう。
理が怪我をして竹中が家から離されていた間、母親に対する暴力はひどくなっていたらしい。顔や腕など見えるところに傷はないが、明らかに歩くときに足を引きずり、腹を痛そうにかばいながら立ち上がるのを理が見たという。
腹には内臓があり、そのダメージは目に見えない。
暴力の結果がいつでも回復できるものとは限らない。
それは竹中が学校で暴力を振るった結果だって同じで、目の前で起きていることの内側など考えたこともないのだろう。
だから竹中はいつまでも子どもなのだ。
「それを確かめたのか? 母親と話したのか」
「聞けるかよ……」
「そんなの、向き合ってもないのに勝手に決めつけて、結局自分が動かない言い訳にしてるだけじゃねえか! そんなこと言ってるうちにどっちかが死んだらおしまいなんだぞ。もし話して、このままでいたいって言われたとて、渦中にいる人間ほど冷静な判断ができなからこそ、おまえがそこから引っ張り出してやらないといけないんじゃないのか」
「わかってる。――そんな簡単に死ぬとか言うな、うるせえんだよ」
手を放し、ふいっと目を逸らした竹中の胸倉を今度は俺がガッと掴む。
「逃げるな。お前が見ようとしていないだけで、死なんていつだって目の前に転がってるんだ。人なんか簡単に死ぬ。お前はいつも殴られて殴ってばかりいるから、滅多なことでは死んだりしないとでも思ってるんだろうが、そんなのはまぐれが続いてるだけだ。たった一回殴っただけで死ぬやつもいる。自分で転んで打ちどころが悪くて死ぬやつだっているんだ。人間の体なんてもろいんだよ」
竹中は何度か口を開いたり閉じたりしたものの、何も言葉は発さなかった。
それから無理矢理俺の腕を引き剥がすと、封筒をぐしゃりと掴んだまま足音荒く公園を出て行ってしまった。
俺はその背中を見送り、ベンチにどかりと座った。
体中から息を吐き出す。
「一ノ瀬さん、殴るんじゃないかって冷や冷やした」
「俺が殴ったら説得力ないだろ」
「うん。本当に感謝してる。一ノ瀬さんにお願いしてよかった。きっと、僕が僕の言いたいことを言っても、竹中くんには響かなかったような気がする」
「んなこたないって」
「なんていうのかな。やっぱり憎い気持ちが強いから、心底から親身になれないんだ。心のどこかでは、あんな奴らなんてどうにでもなっちゃえばいいって思ってる」
「そんなの俺だって竹中なんぞどうだっていいと思ってるわ。だからこそ言えるんだよ。高校生のガキよりは経験も積んでるし、大人だからこそ見えるものもあるかもしれんが」
「うん。すごく言葉に力があった」
「肝心の竹中自身がどう思ったかはわからんがな」
「大丈夫。きっと、竹中くんは動くよ」
理はふわりと浮いて一人分間を空け、俺の隣に座る格好になった。
「一ノ瀬さんの体、随分とよくなっているって看護師さんは言ってたけど。あとどれくらいで意識が戻るようになるんだろう。その時になれば、自動的に一ノ瀬さんの魂は体に引っ張られて戻っていくのかな」
「――さあ。呼んでくれればいいがな」
まだ必要としていれば、そういうこともあるかもしれない。
だが――。
「もしも途中で一ノ瀬さんが元の体に戻ってしまっても、続きは必ず自分で成し遂げるよ」
理はまっすぐ前を向いたまま、きっぱりと言った。
「自分で? 相当しんどいぞ。他人の俺だってイライラするのに」
「うん。一ノ瀬さんを見ながら、本当は自分でやらなきゃいけないことだったのにって、だけどやっぱりできなかったかもって、ずっと悩んでた。でもさっきの竹中くんとの話を聞いてて思ったんだ。確かに渦中の人は正常に考えられなくなってて、うまく身動きが取れなくなってるかもしれない。でも当人こそがしっかりしないと、周りを巻き込んじゃうんだって。もうこんなことがないように、僕は強くならなくちゃいけない」
「そうだな」
決意を固めたなら、背を押してやるしかない。
だが、誰もが強いわけじゃない。頑張ったら必ず強くなれるわけでもない。
世知辛いことだが、それでも諦めずに自分にできることを探していけば、楽になれることもある。
本当なら、悪い奴がいなくなればそれで済む話だが、現実はそうはいかない。
誰の心にも悪の部分はあるからだ。その大小や表出するかどうかが違うだけ。見る者の立場によって善悪が違うだけ。
善だった者が悪になることもあれば、その逆もある。
理だって、過剰な復讐を企てれば善とはいえなくなるだろう。
竹中も、理や俺にとっては悪だが、母親にとっては善なのに違いない。
その、善だと思ってくれる人を竹中がどうするか。
本人だけではどうにもできないことでも、二人ならできることもある。
そう気が付いて、動く勇気を得られればいいのだが。
人と人が関わる限り、善と悪は入れ替わり、形を変えつつ共に存在していく。
だが理にとって竹中や加藤は、変わることなくずっと悪なのだろうと思った。
いじめとはそういうものなのだろう。
誰かに一生恨まれ続ける人生でも、それを当人が自覚していなければ意味をなさない。
いじめというやつはあまりに一方的で。ゆえに、業が深い。
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