第4話 メジャーとマイナー
教室には重苦しい空気が漂うばかりで、誰も言葉を発しはしない。
「――こういう話がある」
以前テレビで集団心理の実験をしていたのを見たことがある。それをかいつまんで話した。
実験の趣旨を説明し、何人か集めた部屋の中に煙を流し込み、火事の警報を鳴らすが、そのうちの一人にだけは何も伝えずにおく。そうすると周囲が動じずに席についたままでいるので、事情を知らない一人も動かないままでいる。
「自分には事故など起きない」「自分は死んだりしない」人間にはそんな思い込みがある。
そして日本人は集団と同じ行動をとろうとする習性や、「本当に命に関わるような危機なんて訪れない」という思いこみから、慌てて逃げることを恥ずかしいと思い、危機的な状況にあってすら、全力で逃げようとしないことが往々にしてある。
そうして大震災と呼ばれるような状況の渦中でも逃げ遅れた人たちが何人もいたという。
「あいつはターゲットを探してるぞ。俺が一向にこたえないんでつまらなくなったらしい」
押し黙っていた面々が、ざっと青ざめていくのがわかった。
「だから理は考えてたんだよ。どうしたらこのクラスで誰も矛先にならずに済むかを。どうしたらこんなことを終わりにできるかを」
「そう言って俺たちを巻き込んで説得しようってんだな? クラス全員で白崎と一緒に加藤をいじめろって、そういうことだろう」
斎藤がそう声を上げると、何人かが顔をあげた。なるほどそれならやってやる、という顔の者と不安そうな者、それから不快そうな者もいた。
「そうじゃない。矛先が加藤に変わったからって何も変わらないだろ。最初はスッキリするやつもいるかもしれないが、振り返った高校生活は人に誇れるのか? 自分が嫌悪してる人間と同じになるんだぞ」
百パーセントの善人なんてそういない。
誰の心にも悪意の種はある。だから加藤の行動に惹かれて同じ行動をとる仲間ができたように、その種が芽吹いてしまうことはある。
好んでそういうことをしたくないとは思っていても、相手が悪人であればその身の内の悪意をぶつけてもいいと思いやすい。
ましてや、高校生なんてほとんど大人に見えるが、中身はまだまだ子どもだ。
俺の言葉も通じてはいるのだろうが、まだそこには反発が見える。
じゃあどうするんだよ。そう言いたいのがわかった。
「お前ら、自分をいじめた奴を幸せにしてやろうって、思えるか」
「は? いよいよ頭沸いてんじゃねえの」
「まあそう思うよな。だが理はそう考えた」
「バッカじゃねえの。何のためだよ。ゴマすって『ぼくをもういじめないでください』ってことかよ、クソだっせえな」
「やり返したら同じことが繰り返されるだけ。だったら満たされていじめに興味が向かなくなればいいって考えたんだよ」
「でも、だからって幸せになんて……」
平井が小さく呟いた。
ついさっきまでターゲットにされていた身だ。見ないようにしていた自分の中の怒りを自覚したのだろう。
他の生徒たちも、眉を寄せたり、憤った顔を見せたり、不安な顔だったり様々だったが、それぞれに考えこんでいるようだった。
そうだ。考えてほしい。自分の身の上として、考えてほしい。向き合ってほしい。でなければ今話す意味はないのだ。
「そうだな。普通は恨みがある人間に対してそんなことは思えないだろう? 俺もだ。思いついたってそんなこと絶対にやりたくない。どんな意図があろうと、憎い奴がヘラヘラ笑って過ごしてるなんて、考えただけで反吐がでる。それを一人で始めた理を、俺はすごいと思った。だから、他人の俺が続きを手伝った。結果として、もうあいつらは自分の世界で生き始めている。加藤と桜井以外はな。二人は今も誰かを傷つけたくてうずうずしている」
その言葉に一番顔色を変えたのは女子グループだ。
どんなに杉本たちが離れていこうと、桜井だけは変わらないのがわかっているからだろう。
「なあ、お前ら。もう一度よく考えてみてくれ。残ったクラスメイトの事を考えて、自分を殺しかけたやつを幸せにしてやるんだと言った理の気持ちを。どうしたら桜井と加藤がこれ以上暇つぶしのいじめをしなくなるかなんて、本当は簡単なことだろう。お前らが一番よく知ってるだろう」
そう呼びかけると、それぞれに声を上げた。
「桜井と加藤を一人にすればいいんじゃない?」
「それって無視だろ。その延長がいじめなんじゃないの」
「違う、無視そのものがいじめって先生たちには言われるだろ」
そもそも『いじめ』とは何なのか。確かな定義があるわけではないと思う。ただ誰しもがやられたくはないと思っていること。それだけはわかっている。
生徒たちの話は続いた。今まで黙っていた者も、おずおずと声をあげ、話に加わった。
「加藤を、じゃなくて『いじめ』をマイナーにすること……。いじめなんてしたくないしされたくないって私たちの声をメジャーにすること?」
そう。声をあげればいい。マイナーに怯えてあげなかった声をあげるだけでいい。必ず賛同者はいる。賛同者がいればメジャーになる。
「あとはお前らで考えてくれ」
いつ理にこの体を返すことになるかはわからないが、また一人で背負わせるようなことのないように。
こいつらを庇って理は一度死んだのだ。
それは逃げたのではない。
理は嫌というほど悩み、苦しみ、戦ったのだ。
加藤のやり口をこの身に受けたからこそわかる。
クラスメイトたちの理のこれまでの印象を聞いた今だからこそわかる。
斎藤は理が何を考えているのかわからないと言ったが、平然といじめを受けていたわけがない。
そう見えるくらいに、理は感情を殺し、耐えていたのだ。
辛い思いをしていることが目に見えれば、加藤を喜ばせ、ヒートアップさせるだけだとわかっていたから。
そうして一人戦い続けた理を、もう解放してやってほしい。
自分の人生を歩ませてやってほしい。
自分の幸せを求めさせてやってほしい。
いつまでも憎い奴の幸せを考え続ける苦しさを、理一人に抱えさせないでほしい。
俺が教室去った後も、話し合う声は続いていた。
理はそこに残り、ずっとそれを聞いていたようだった。
もっと早くに誰かがそうして理と一緒に戦ってくれたらよかったのに。
竹中と同じように、渦中にいる人間が殻を突き破ることは難しいことなのだろう。
だから考えても仕方のないことなのだとわかっていても、そう思わずにはいられなかった。
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