第3話 協力してやるのはやぶさかではないが
入院していた『理』は記憶がないということで一通り検査を受けた。
脳に異常は見られなかったこと、体中に怪我を負っていたものの、生まれた家で暮らしたほうが記憶も戻りやすいだろうという医者の配慮もあって、二週間で退院となった。
しばらくの間は自宅療養することになったが、理の両親は共働きだから顔を合わせるのは朝と夜だけだろう。
基本的なことは入院している間に理の両親が少しずつ話して聞かせてくれた。
説明にちょっとしたエピソードを交えつつ、思い出したことがないか確認するように時折チラリとこちらを窺うが、ハナからないのだから蘇るわけもない。
理の両親には申し訳ない思いだったが、中身はただのおっさんだと明かすほうがショックだろう。
入院中に理の日記だというノートを渡されたが、中身は見ていない。
理は別に見てもいいよと言ったが、読まれることを想定して書かれたものではないはずだ。
俺に聞かせたいことだけ取捨選択して、理からもおおまかにこれまでのことを話してもらった。
ただ、日記があるのはありがたかった。
俺は嘘をつくのが苦手だから、まだ両親が話していないことを理から聞いて知っていたときに困る。知らないフリなんてできないし、挙動不審になる自信がある。
だが日記があれば読んで知っているのだと思うだろうし、どの話を理から聞いたかなんていちいち覚えていなくても問題ない。
外に出ると、夏の暑さなんて遠い過去のように風はすっかり涼しくなっていた。
車内から外を眺めている間に車は停まり、そこには周りの家と似通った外観の白い家が建っていた。
表札にはおしゃれな筆記体で『SHIROSAKI』の文字。
俺の住んでいた家と最寄り駅が同じだ。もしかしたら理とは、これまでにもどこかですれ違っていたかもしれない。
長年アパートで暮らしていたから、一軒家に足を踏み入れるのは久しぶりだ。
一階にはリビングと和室、二階には夫婦の寝室と理の部屋。
洒落っ気はなく、生活感はありながらもほどよく整理されていて居心地の良さそうな家だ。
「理の部屋はここ。自分の部屋なんだから、くつろいでね」
理の母にそう言われても、他人である俺はとても落ち着けない。
自分の部屋とはあまりに対照的だから、なおさらだ。
理の部屋はフローリングに机と本棚があるだけでまるで飾り気がなく、趣味や人柄がわかりそうなものは何も置かれていなかった。
こんなにきれいに全てを収納されていたら、どこに何があるかまったくわからない。
多少散らかっていた方が、どこに何があるかわかるというものだ。
そう話すと、理は心底不思議そうに首を傾げた。
「どこに何があるかわかるように、片づけるんでしょ?」
言っていることはごもっともだが、壁も白、机も棚もすべてが白の部屋で、物はすべて机や棚の中にしまわれているから部屋の中には白しかないのだ。
目印など何もなく、どこに何があるかを示せるのは記憶のみ。
その記憶が俺にはないから、白で覆い隠された部屋が居心地悪く感じるのかもしれない。
知らない奴が触るなという、ある種の拒絶にも感じる。
理が骨折したのは左腕だったので食べるのにはさほど困らなかったが、風呂には苦労した。
ギプスを濡らしてはいけないから袋をかぶせてゴムで縛っても、多少なりと水が入り込んでしまう。
風呂の湯気や体温で蒸れてかゆくなるし、袋の内側についた水滴で結局ギプスも濡れる。
袋がないよりは断然マシではあるが、片手で体を洗ったり拭いたりするのは骨が折れた。
いや、物理的には既に折れているのだけれども。
学校へは来週から登校することになっている。
そこからが俺の本番で、今は準備期間として理の部屋で寝たり、テレビを見たり、だらだらと過ごしていたが、食事と風呂の時だけ階下へと下りた。
ある夕方、理の母が帰ってきて夕食の支度をしているところにリビングへ下りたときのことだった。
いつもは記憶を取り戻すための思い出話や、他愛ない日常の話をしていたのだが、声をかけると突然包丁を置いてまっすぐにこちらを見た。
「ねえ、理。記憶がないあなたに言っても仕方のないことかもしれないけれど」
ずっと考え続けてきたことをついに口にするというような覚悟がありありと見えた。
俺が気になっていることを、理の両親が気にしないわけがない。
「あの日……、あなたどうしてあのビルの屋上にいたの?」
「だから、覚えてないよ」
「あのね。あなたと一緒にもう一人、同じ制服の男の子が一緒にビルに入って行くところが防犯カメラに映っていたんですって」
その言葉に、俺は思わず「え……?」と顔を上げた。
「どうしてもね、あなたが自殺しようとしたとは思えないって、警察に話したの。だって、頭のいいあなたなら、あんな三階建てのビルなんて選ばないでしょう? そういうときは衝動的になっているのかもしれないけれど、でも、他のビルはどれももっと高い建物ばかりなんだから、わざわざ選ぶわけがない。だからやっぱり、そういうつもりだったわけじゃないと思ったの」
それは俺も引っかかっていた。
しかし理に何故落ちたのかと聞いても「事故だよ」と答えるだけで詳しいことは後で話すねとはぐらかされた。
何故ビルの屋上なんかに行ったのかと聞いても、それも答えないのだ。
右隣に浮いている理の顔をちらりと見ると、ただじっと母親を見ていた。
「その、一緒にビルに入った男って? 理の……俺の友達?」
「それはわからない。ただ、理が落ちたときはもうその場を離れて階段を下りているところだったって。ただ、屋上にも階段にも防犯カメラはなかったから、何も知らずにゆっくり階段を下りて来たか、理が落ちたのを見て慌てて駆け下りてきたか、そこまでは判断できないそうよ」
少年が出てきたところの画像は不鮮明な上に角度的に表情がわかりにくかったらしい。
今の時点では警察も事件か事故か、はたまた自殺か絞り込めてはいないようだ。
しかし、今の俺にはこれしか答えることができない。
「ごめん、全然覚えてない」
「そうよね。そうよね……。ごめんなさいね、こんなことを聞いて」
理の母は無理矢理な笑顔を浮かべた。
聞かずにいられなかったのだろう。
そしてきっと、記憶喪失でよかったとも思っているのだろう。
もし理本人に死にたい理由があったとしたら、それを忘れている限り、再び死を選ぼうとすることはないだろうから。
しかし、記憶はこの体から離れただけでこの世から消えたわけではない。
ちらりと右斜め上に浮かぶ理を見上げると、静かに頷いた。
ようやっと話す気になったらしい。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
「さっきの話と俺に頼みたいことってのは、関係あるのか?」
理は頼みたいことがあると言ったものの、「先にしっかり調査して、計画の実現性がある程度確信できてから話すね」と言って具体的な内容は明かしてくれなかった。
だったら決まってから言えよとイラっとしたが、先に了承を得ておきたかったのだと言う。
俺が嫌だと言えばその調査やら計画やらは無駄になるのだから、まあ、その考えもわからないでもないが。
そうして俺が入院している間、理はふわふわと浮く白い体でどこかへと出かけていた。
必ず戻ってくるものの、「この体は不便だけど、普通だったらわからないことまでわかるのは便利だね」などと感心しているばかりで、どんな計画が練られているのかつかめないままだった。
「関係あるよ。だから話せなかったんだ。中途半端に話すと、たぶん一ノ瀬さんは怒って話にならなくなりそうだったから」
ということはつまり、聞くには覚悟が必要ということで、何故屋上から落ちたのかもまとめて話すつもりなのだろう。
「長い話になりそうだな」
「うん。まず、やってほしいことから話すね。学校に行って、僕ができなかったことをやってほしいんだ」
「復讐、か?」
じっと理の顔を見つめながら尋ねると、その顔は頷きかけ、最終的に首を傾げた。
「復讐……とは、ちょっと違うかもしれない。でも一ノ瀬さんも気づいてる通り、僕がいじめられてたのは確かだよ」
やはりそうだったか。
階下で理の両親が泣きながら話しているのがちらりと聞こえたのだ。
学校でも自殺ではないかと聞き取りがあり、複数の生徒から理がいじめられていたと証言があったと。
ただ加害者側は誰一人それを認めていないらしい。
いじめなどやっていない。遊んでいただけだ、と。
相手がいじめだと感じたらそれはいじめなのだと説こうにも、肝心の本人が記憶喪失なのだから、彼らも余裕なことだろう。
「それで屋上から落とされたのか?」
「ううん。前も言ったと思うけど、あれは事故。僕が足を踏み外したんだ」
「踏み外すような場所にまで追い詰められてたってことだろ? それは殺人未遂じゃないのか」
「うーん。迫ってたのは僕のほうだったんだけどね」
「はあ? キレて襲い掛かってたのか?」
「そうじゃないよ。『君を幸せにするにはどうしたらいい?』って聞いてたんだよ」
その言葉に、俺は束の間言葉を忘れた。
「――はあ?」
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