第22話 幕は閉まらない
松岡が情報で知らされた場所に着いた時、住所の建物は、パチパチと音を立てて燃えていた。
まだ燃え始めなのだろう建物は原型をとどめている。だが、木造の建物、海風に煽られて、火の勢いは増していく。
中から歌声が聞こえていた。周作の声だ。
松岡の心は、久しぶりに聞こえる周作の声にドキリと震える。
良かった。まだ、生きている。
それだけで松岡は泣きそうになるが、なんとかこらえて冷静さを保つ。
意を決して建物の中に飛び込めば、歌詞もはっきりと松岡に届く。
『you raise me up』
英語の歌だから、松岡にも歌詞の意味は分かる。
あなたがいるから、自分は自分の力以上のことが出来る、荒れた海を越えることも、高い山を登ることもできると歌う。切ない、振り絞るような声。
物騒なことに巻き込まれることの多い周作だから忘れそうになるが、本当は争いごとが嫌いな、ただ音楽が好きな穏やかな人間なんだということを、松岡は思い出す。
こんな炎の中で思い出すのも滑稽だが、松岡と周作が出会った時も、研修所で一人音楽を聴きながら誰とも話さずに部屋に籠ってた周作は、友達が一人もいなかった。松岡が少しずつほぐして、ようやく周作と話すようになった時だった。同僚が、美人の周作を松岡が狙っているに違いないと言い出したのは。
あからさまに悲しそうな表情の周作を見て、咄嗟に「俺はもっとグラマーな美女が好みなんだ」と叫んだら、好奇の目で見ていた周囲も含めて、大笑いした周作がいた。以来、周作は安心して松岡に懐いてくれていた。
歌声を頼りに前に進めば、人影が見える。
「周作?」
松岡が部屋を覗くと、ベッドに横たわる仙石に膝枕をしながら、周作が歌っていた。仙石は、手を胸の上で組んで、ピクリとも動かない。もう、死んでいるようだった。
「あれ、松岡? あ! そうだ。結婚おめでとう!」
松岡を見て、ニコリと周作が笑う。笑うが、目に大粒の涙が浮かび、頬を伝っている。
「何ぼさっとしている! さっさと帰るぞ!」
「ふえ? でも、僕がここで死ななければ……」
そう。ここでは二人分の遺体が見つからなけばならない。
そうでなければ、事態をうやむやにできない。確実に友人達の安全を確保するためには、周作も仙石と共に死んだものと思わせるべきなのだ。
そんな事は松岡ならば、じゅうぶん理解しているはずだ。
松岡が手に持っていた骨壷からバラバラと骨をぶちまける。
「何それ? 誰の骨?」
周作の身代わりにしようというなら大人の女性の骨のはずだ。年齢は、成人から三十代後半までの範囲でギリギリか……。
「うっさい! 何でも自分だけで解決しようとするからこんな訳の分からないことになるんだ!」
松岡に怒鳴られて、周作はキョトンとして座っている。
「時間がない! 説明は後だ!」
「わっ! 松岡! でも僕はもう……」
無理に周作を担ぎ上げ、必死で出口を探す。
どこをどう逃げたか分からないが、何とか外に周作を担ぎ出す。まだ、周作は、炎を見て呆然と座っている。周囲に建物もない崖地。海風は強いが、延焼もしないだろう。松岡は、周作の横で、ゼイゼイと息を切らして仰向けに横たわっていた。
「お前、馬鹿野郎」
松岡は、手をのばして周作の頭をはたく。「やっと一発殴れた」。松岡がそう言って、笑う。
「なんで……」
「まず、一個。偽装なんだよ。俺の結婚は。勝手に、色々判断するな」
「え? だって、戸籍だって……。あ、ああ、元子のアイデアか……」
いつだって、周作の常識を超える元子の行動。自分達が状況を変化させれば、周作が反応するのではないかと考えたのだろう。
「あおいの母がこの場所の情報を残してくれていた」
「すごいや。あの人は」
あおいの身辺調査をしたときに、周作は、あおいの母のことも調べた。
仙石の部下だった彼女は、子どもを連れて仙石から自力で逃げ出した。右手のない女性。どこで調べても明るい笑顔の人だったというような話しか出てこなかった。
素直に尊敬できる人だと周作は思ったし、たとえ仙石が父であっても、そんな母の背を見て育ったあおいは、信頼できると感じた。
優作との婚約に反対しなかった理由の一つが、あおいの母の存在だった。
「そうか。じゃあ、あの骨も……」
「そうだ。あおいのアイデアで、持って来た。仙石から助け出すためなら、母は喜んで自分の骨を使ってくれと言うだろうって、さ」
世界一強い人だ。
とても敵わない。
「ねぇ……なんで、僕なんか助けたの?」
「知るか。生きろ。自分で考えろ。おれは、疲れた」
「そう言われても。僕は、もう刑事なんか続けられそうもないし。罪人だよ?」
松岡に突き放されて、周作は分からなくなる。
僕は、もう不要だろ?
松岡と元子の結婚が偽装だとしても、周作が不要な事には、変わりない気がする。
燃え盛る炎の中に、仙石の遺体は灰となるだろう。自分もそうなるつもりだったから、これから先に何をどうすればいいのかが、さっぱり分からない。
「周作」
松岡が名前をよんで、手を握る。手が温かい。
「理由なんかどうでもいい。どこにも行くな」
松岡が手をきつく握る。周作は、松岡の顔を覗き込む。煤だらけの顔。周作は、服の袖で煤を拭う。自分を助けるために、松岡がどれだけ無理をしてくれたのかが、この煤をみればわかる気がした。
「ありがとう」
そう言って周作が笑えば、松岡も笑う。
これは……胸の内に秘めておいた想いを今こそ語るチャンスなのでは?
松岡は、周作を見つめる。
今、この場で想いを告げるのは、卑怯ではないか?
行く先がないという相手に、そんな事を言えば、断りたくても断れないように追い詰めてしまうのではないだろうか?
一瞬よぎった考えは、戸惑いとなり松岡の言葉を止めてしまう。
「うさぴょん!」
周作の顔がパッと輝く。
優作があおいと一緒に到着したのだ。
もう二度と会えないと思っていた最愛の弟の出現に、周作の心は完全に持って行かれてしまった。
「馬鹿兄! まずはあおいに謝れ! あおいがどんな想いで大切なお母さんの骨を差し出したか!」
「ごごこご、ごめん。あおい」
優作に叱られて、慌てて周作が謝る。
「いいえ! 気になさらないで! 母も本懐を遂げられて喜んでますから!」
周作に謝られたあおいが、今度は慌てる。
亡くなった母は、仙石に対して語るには余りある憎悪を隠し持っていたはずだ。
だから、カツカツの貧しい生活の中で墓を残したり、仙石の秘密を暴露するようなUSBメモリを残したに違いない。
「ほら、早く逃げなきゃ! 奴の仲間が戻って来たら、何もかもが無駄になる」
優作に促されて、へたり込んでいた周作もさすがに動き出す。
「あ、そうだ!」
がっくり項垂れながら皆の後をついて立ち上がる松岡を、周作が何かを思い出して振り返る。
「何だ?」
「とりあえず、僕は、キミに生姜焼きをつくる。そういう約束だ」
周作が、そう言って笑った。
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