第19話 空港

 周囲の努力もむなしく、赤野周作の行方は、依然として分からないまま、半年ほど時は流れた。


 山石周やまいしあまねと名乗る人物が、成田空港で手荷物の検査を受けていた。

 淡い茶色の髪を後ろに束ね、碧色を帯びた瞳はにこやかだった。


「なんで引っかかったんだろう? 怪しい物、入っている?」


 ヘラリと笑いながら、周は小型のスーツケースを探る検査官を見ている。


「犬が反応しましたのでね。何かあると思うんですよ」


 検査官が、無造作に入れられた石鹸箱ほどの小さな箱を取り出す。


「これは?」

「それは、おもちゃ。それを買うために、わざわざ香港に行ったの」

「そうですか」


 検査官が箱を開ければ、大きな黄色い宝石の嵌った指輪をした男の指が一本入っている。


「うわっ」


 検査官が中身のおぞましさに思わず落とす。にこやかに周が指を拾う。


「フィンガーマンのジェラルド君です。よろしくね」


 周が指を動かしながらおどけてみせる。


「これ、もう一個あるの。こっちは、従兄弟のオスカー君。知らない? 『死霊の指』。B級映画でね、日本では、まだ上映していないのかな?」


 そう言って、色違いの赤い宝石の嵌った指輪をした指が入った箱を、周が開ける。箱の中に入っていた指を検査官が恐る恐る触る。


「蝋で出来ているの。宝石ももちろんプラスチック玉」


 周が爪でオスカー君の赤い宝石をカツカツと叩くと、軽い音がする。なるほど、宝石ならこんな扱いはないだろう。オスカー君の匂いを検査官が嗅げば、周の言う通り蝋の匂いがする。


「これを作る職人さんが香港に居てね。直接交渉して作ってもらったの。僕、B級ホラーファンで、他にもいっぱいコレクションがいっぱいあるんだ。今回のも素敵だけれども、一番好きなのは……。ああ、興味がある? ならば、ネットでファンサイトがあって……」


 語り出したら止まらない周。

 早口で完全に推しの話を捲し立てるのは、完全にオタク仕草だった。


「もういいです」


 検査官は苦笑いしながら指を返す。


「そう? 残念だなぁ。そうだ! DVDもあるからさ、僕、これを三つ買っているんだ。保存用と鑑賞用と布教用! 良かったらDVD観てよ! 布教用の奴をあげるからさ!」


 そう言って検査官にDVDを周が押し付けようとする。


「いえ、結構です。そういうのもらわない規則ですし! 早くしまってください」


 検査官が周のおしゃべりを無視して事務的に言えば、渋々周はDVDを戻して、指を箱にしまう。

 これはもう、指に話題は向けない方が良さそうだ。話題を向けるたびにこの様子では、検査が進まない。


「ああ、これだ」


 まだ荷物を探っていた検査官が、服の間から、封の開いたジャーキーの袋を取り出す。


「あ、ごめん。昨日食べかけをしまったんだった。忘れていたよ」

「没収でいいですね?」

「もちろん。すごいね、こんなの本人も忘れ……すごい匂い。うわ、服も燻製臭がする」


 シャツの匂いを嗅いで顔をしかめる周に、検査官が苦笑いをする。

 今度から気をつけてくださいね、と言う検査官に周は、「はぁい」と返事して、去り際も検査官に笑って手を振っていた。


 周が荷物を引きずって外でバスを探せば、空港の外で周を仙石が待っていた。


「おかえり。周作君」

「わあ、大歓迎。今更逃げないってば」

「ふふ。キミに一秒でも早く会いたくてね」

「また、分かりやすい嘘をつく」


 周作は、仙石の顔も見ずに答える。あれだけ検査官に向けていた笑顔は、すっかり周作の顔から消えていた。

 仙石が上っ面だけで囁く愛を示すようなセリフは、もう聞き飽きたし、全く信用ならない。

 周作から荷物を受け取った運転手が、車のトランクに荷物をしまう。

 仙石が用意した車に乗れば、隣に座った仙石が、周作の腰を抱き、髪にキスを落としてくる。


「ようやく震えなくなったね。愛しい人」


 嬉しそうに、仙石が笑う。


「まあね、そうしょっちゅう弄られて、キスされれば、慣れてもくるよ」


 周作は、苦笑いをする。

 なんだろう、この恋愛ごっこは。


 仙石は、周作に愛だの恋だのよく昔から口にする。油断させるためか、冗談のつもりなのかと思っていたが、周作が手元に来てからも続けているし、以前にも増して口にするようになったと思う。

 言葉通りには、とても信じられない。もし、本当に、周作を愛しているというのならば、どうしてこうも、死線をくぐらねばならない仕事を命じるのか。

 最近の仙石のやることは、合理性に欠けて矛盾だらけだ。まだ犯罪者としての仙石の方が周作には理解できる。

 これほどまでに矛盾だらけの男だったとは、思いもよらなかった。


「ああ、これ、おみやげ」


 ポイッと無造作に仙石に先ほどの箱を渡す。開ければ、ジェラルドの指が入っている。


「ジェラルドは、死んだか。なるほど、証拠に奴が大切にしていた指輪ごと指を切り落としたんだね」 


 すでに燻製のようになっている指から、指輪を外して仙石が品定めをする。良質のトパーズは、香港で闇取引をしている仙石の商売敵の愛用の品。中に毒を仕込み、その毒で取引相手を始末するのが、ジェラルドの常套手段だった。仙石も、部下を何人もジェラルドの毒で失っている。

 今回は、ジェラルドの元に周作を送り、周作に始末させた。

 何か証拠を持って帰るようには言ったが、せいぜい殺害現場の写真くらいだろうと仙石は思った。だが、周作は、トレードマークになっている宝石と指を持ち帰ってきたのだ。これ以上ない証拠として。


「よくこんな物を持って、そんな容易く入国できるね」

「色々と誤魔化す仕掛けを作ったからね。要る? 蝋で作ったオスカー君。信用させるために作ったまがい物。……そうだな。僕、見た目は人畜無害そうだし、通りやすいのかも。仙石だったら、胡散臭いから同じことをしても通れないよ」


 ケラケラと周作が笑う。


「山石周、やまいしあまね。可愛い偽名だ。私の文字も入れてくれているのだね」


 周作の偽造パスポートを見ながら、仙石がほくそ笑む。

 周作の手荷物をチェックしている。仙石に離反することをしていないかを、調べているのだろう。仕事のたびに渡されるスマホも仙石の手の中にある。データを仙石が確認している。周作を完全には信用なんてしていないのだろう。


「仙石周作から、人間を除いた名前。お前に囚われた僕に相応しいだろう?」


 車の窓から流れる外の景色を見ながら、周作は、かつての生活を思い出す。

 あんなに欲した人間らしさは、すっかり無くしてしまった。人間性は、捨ててしまった。所詮、僕の人間性なんて、見様見真似で作った紛い物でしかなかった。この蝋で作った指と同じだ。


 仙石が周作を手に入れるために仕掛けたという罠を調べて、周作は驚いた。青野と優作の周辺を警戒している内に、木根元子、松岡宗次といった友人たちの周りに、仙石の手の物が配備されていた。

 まさか、ここまでするとは、思ってもみなかった。


 詰んだ。


 自分の周辺は手薄になっていた。

 完全に自分の落ち度。

 無傷で全員を助けることは、どうしてもできない。一手遅れてしまう。


 ならば、仙石の元に自分が身を投じることで、隙をうかがおうと思った。

 だが、なかなか隙を見せない仙石に、時間がかかってしまった。


 出来れば、生きたまま罪の証拠をつかみ、警察に突き出してしまいたかったが、仙石が主犯であるという証拠がどの事件を探ってみても全く出ない。どの罪も、二重三重に自分の身を隠して、仙石までたどり着かない。


 やはり、最終手段に出るしかないかな。


 仙石に命じられた仕事をこなしている内に、自分の罪ばかり増える。死と隣り合わせの仕事ばかり。死ぬ前に仙石を始末しないと、周作の死後にどうなるかと想像すれば、気が焦る。


「そういえば、あの男。松岡といったか、彼は、結婚したようだね」


 周作の荷物をチェックし終えた仙石が、上機嫌に周作に言う。

 周作の手がピクリと震える。


 松岡は、つい最近、木根元子と結婚した。それは、安全を確かめるために友人達の近辺を調べていた時に、周作も気付いた。


 周作がいた時には、そんな恋愛感情を二人の間に微塵も感じなかったが、どうやら周作がいなくなった後で何か感情の変化があったようだ。


 元子の名字が松岡になっていて周作も驚いたが、友人たちの結婚は嬉しかった。

 素晴らしい組み合わせ。

 元子のガサツさは、松岡の優しさが包んでくれるだろうし、松岡の気弱さは、元子の強気さが引っ張ってくれるだろう。

 幸せになってほしいと、心から祈った。……祈ったが、なぜか、ぽっかりと心に穴が開いて、自分には、帰る場所がないのだと思い知らされた気がした。


 あおいと優作の仕事も順調そうだった。みな、それぞれ幸せなのだと思えば、周作も嬉しかった。

 やはり、自分がいない方が、スムーズに物事はすすむ。


 周作は思った。


「めでたいよね。天使の拍手と共にシャンパンを送りたい気分だ」


 外を見ながら、周作がつぶやく。


「強がりも可愛いね」


 仙石が周作を後ろから抱きしめてくる。

 もう完全に私の物だ、向こうから勝手に手放してくれた、と耳元で仙石が嬉しそうにささやく。

 その言葉に周作の全身に震えが走る。

 気を許していない相手に触られているためか、だんだんと鼓動が早くなってくる。


「もう、囚われた姫を助けに来る者はいない」

「なんのこと? そんなの、最初から期待していない」


 期待なんてしていなかった。最初から。


 そんなの当然だ。自分がいない方が、皆幸せにされるのではないかとさえ思う。思うから、身を投げ出した。

 不要なのは、自分だと思うから。

 それに、今からのことを考えれば好都合だ。そのはずなのに、心が痛い。

 仙石に無理やり顎を押さえつけられて、キスをさせられる。


「やだ……!やめ……んん」


 拒否する言葉も、震えてくる。必死で仙石の喉笛をつかむ。


「やめろと言っているだろ? 聞こえない?」


 ゼイゼイと肩で息をすれば、仙石がニヤリと笑う。


「このまま、喉を握り潰せば、どうなるかな? やってみるかい?」


 意地の悪い表情を仙石が浮かべる。

 分かっている。

 運転手が仙石の死を仲間に知らせ、友人の幸せは、一瞬で藻屑と化す。

 だから、面倒なのだ。だから、言いなりになっている。


「クソ! 勝手にしやがれ!」


 あきらめて、周作は、仙石の喉から手を離す。

 心を殺してしまえばいい。心を忘れれば、楽になる。いつものこと。

 なのに、どうしてか今日は、上手くいかない。ポロポロと涙がこぼれてくる。


「いじめ過ぎたね。可愛くてついいじめ過ぎてしまう」

「悪趣味だよ」


 周作は、袖で涙を拭う。仙石が買い与えたシャツ。何万だとか何十万だとか言っていたが、どうでもいい。


 もうすぐ終わるんだ。

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