第14話 君だけに伝えるパスワード
赤野周作がいなくなった。その連絡は、あの火事の夜の翌日には、松岡にも届いた。
職場の慰安旅行に来ていた旅館から、周作が姿を消したというのだ。
初め元子は、慰安旅行に乗り気でなかった周作が自分から姿をくらませて、さっさと家に帰ってしまったのかと思った。
だが、状況から考えて、どうもそうとは思えない。周作に電話してみても、全く返答はなかった。
「周作が! 周作がいないの! あの子、どうしよう!」
「落ち着け! 元子!」
「元子さん、兄貴がいついなくなったのか、落ち着いて話して下さい」
グループ通話で、優作とあおい、松岡、元子で話をしている。元子の後ろにいるのは、加茂と中村という元子の友人らしい。
「元子、お前は仮にも刑事だろう? 焦る気持ちは分かるが、素人の優作に窘められるのは、どうかと思うぞ」
松岡は呆れる。
今、知らせを受けて松岡は、あおいと優作と共に、周作の失踪した旅館へと向かっている。
まだまだ、到着には時間がかかりそうで、運転している松岡はいら立っている。
「加茂と申します」
「はぁ……どうも、松岡です」
松岡は思い出す。
加茂といえば、元子が『加茂様、マジ王子だし』と、やたらメールを送ってきていた、あの加茂様だろう。なるほど、爽やか系イケメンってやつだ。
「周作さんの姿が見えなくて探していると、フロントの近くに木根さんと中村さんがいました」
「探してた……」
「はい。部屋でちょっとした言い争いをしたんで、謝りたくって」
言い争い……。
こんなイケメンと周作が何を言い争っていたのか。気にはなるが、今はそれどころではない。松岡は、ぐっと堪えて大人しく話を聞く。、
「そう。それで、私は気付かなかったんだけれども、中村さんが、周作が外に出るのを見たって言うから」
「ええ。ですから、三人で外に探しに出たんです」
「それで、道に落ちているスマホを見つけた……と」
「変でしょ? 周作は、スマホをうっかり落とすような性格じゃないし。何かあったのかも知れない」
「赤野さん……美人ですからね。一人で無防備な浴衣姿で夜に散歩していたなら……不審者に狙われてしまったのかもしれませんね」
加茂が周作を心配して表情を曇らせる。
いや、並の不審者なら、あの周作のことだ。あっさり返り討ちにしてしまうだろう。
松岡が思い出すのは、周作が気にしていたジェイコブのこと。確か、訓練兵時代に知り合いになったヤバイ奴だと聞いた。
ひょっとして、あおいを守るために奔走している間に、周作に近づいたのかもしれない。
それがそもそもの狙いだったか。
「優作。父親には連絡取れるか?」
「父のイサクにですか? え、ええ。もちろん取れます」
「ジェイコブって奴について、聞いてみてほしい。父親の傭兵訓練所にいた時に、ジェイコブという周作にやたら執着していた男がいるらしい」
「以前、松岡さんが『やばい奴』と言っていたのが、そのジェイコブなんでしょうか。……そうですね。俺は聞いたことがありませんが、そのジェイコブが訓練所にいた時の知り合いなら、父が詳しいでしょう。……わかりました。早速連絡を取ってみます」
松岡に言われて、優作が父に連絡をする。
メールを読みさえすれば、すぐに電話が来るはずだ。
「あの……」
「何だ?」
「署も違うのに、どうして松岡さんは赤野さんの友人なんですか?」
不満そうな加茂が、松岡に怪訝な顔を向ける。
「は? 今それを聞くか?」
「だって、気になりますし」
気になりますと言われても、松岡には困る。
この非常事態にそれを聞く神経が分からない。
「まぁ……研修の時に出会って、それ以来気が合ってつるんでいるというか……今、そんなの関係ないだろう?」
松岡は、困惑しながらも加茂に応える。
「それはそうなんですけれども。周作さんのスマホのアドレスなんて、僕も中村さんも知らないし、ウチの署では元子さんくらいしか知らないのに」
「加茂様。松岡は、周作の親友というか、周作が懐いている人物なんです。あの子、どういうわけか、松岡には気を許していて甘えているんです」
元子め……。この状況で揉め事を起こすような面倒なことを言わないでほしい。
「甘える? ちょっとどういうことか、詳しく聞いておきたいですね!」
加茂があからさまに松岡を睨みつける。
元子よ。今、そんな協力関係が壊れそうな事を言ってどうする。松岡は頭を抱える。
「うるさい奴だな。こっちだって、お前が周作とどんな言い争いをしたか気になっているんだ」
でも、今それを気にしている場合ではないから、我慢していたというのに。
「それは……その……赤野さんのプライベートに関わることですから」
「し、周作のプライベート?」
周作のプライベート…。
ゾワリと松岡の心がざわつく。
「言い争い……周作が何か加茂様に失礼なことを?」
「別に……ただ、赤野さんを抱きしめてたら怒り出したんです」
「そりゃ怒りますよ……普通」
あおいが、加茂が抱きしめたと聞いて、ちょっと引き気味に見解をこぼす。
「だって赤野さんが逃げようとするから」
加茂が言い訳する。
浴衣姿の周作を抱きしめたということは、周作の体が女性であることには、加茂は気づいていそうだと、松岡は考察する。
ああ、それで、あおいの事件で疲れていただろうにわざわざ外に行ったのか。周作が、一人になりたがった理由が、松岡には、なんとなく分かる。
松岡は、加茂に腹が立つ。
「だって、赤野さんちょっと泣いていらしたみたいですし。放っておけなくて」
「泣いて……そんな泣いている奴がもっと泣きたくなるような事をした加茂には、色々と言いたい文句は山ほどあるが、今はいい。それよりも、周作の行方だ」
「そうよね。この周作のスマホが開けられれば、何かヒントがあるかもしれないのだけど」
そう言って元子が見せたのは、普段、周作が使っているスマホ。スマホの裏には、優作の写真。透明なケースの中に差し込まれ、ピンクの文字で『うさぴょん♡』と書かれている。
「本当、もう……。やめてほしい……」
突然の自分への溺愛丸出しの写真に、優作が顔を歪ませる。
「優作、暗証番号のヒントは?」
「さすがに、俺は、兄の携帯の暗証番号なんて知らないです」
「優作の誕生日じゃない?」
元子が勝手に優作の誕生日を打ち込む。
「あら、違うみたい……」
「おい! ロックが掛かったら面倒だから、慎重にしろ!」
元子め……。
事態をややこしくする天才か?
しかし、溺愛する優作の誕生日でなければ、暗証番号は何だ?
「写真の裏……何か書かれていますね」
中村が、優作の写真をめくって見つける。
「これを誰かが読んでいるということは、僕は、何らかの理由で失踪しているね。じゃあ、ヒントだ」
元子が読み上げたのは、周作が優作の写真の裏に書いた文字。以前に書かれた物らしく、字は多少掠れている。
どうやら、トラブルに巻き込まれやすい周作が、自分で前から用意していたようだ。
「僕の最愛の人の名前を数字に」
「最愛の人……これは、優作に間違いないわね」
周作と親しい人なら皆が知っている満場一致で、そこは優作の名前だと察する。
「もう……本当に、あの兄貴はなんとかしてほしい……松岡さん、お願いしますよ」
「いや、お願いされても何ともならないだろう。あいつの優作への溺愛なんてとめられる訳がない。さて、問題は、優作の名前をどうやって数字にするかだよな。えっと、六桁だよな」
「どうでしょう……以前にSNSで名前を暗号化するアプリは見つけましたが、アレは名前を記号化するアプリで、数字ではないんですよね」
あおいが悩む。
他には何かないかと思案して自分のスマホをいじっていて、あおいは、ふと気づく。
「あ、こんなのどうでしょう? スマホで文字を入力する時って、スラッシュしながら打ち込みますよね? 横に三個、縦に四個に配列されたキーに、数字や文字が配列されている」
「確かに……」
「だから、ゆうさくは、八一三二になるんです」
あおいの言う方法で、確かに優作の名前は、数字になったが、これでは桁数が合わない。周作のスマホの暗証番号は、六桁だ。
「じゃあ、アルファベットに変えてはどうでしょう? 『yusaku』だと六桁になりますよ」
皆で『yusaku』を数字に変換して、元子が数字を入力する。
「だめ。開かない」
失敗だった。これでも駄目なら、どうしたら良いのだろう。三回の失敗でこのスマホのロック機能は働いてしまう。そうなれば、すぐにスマホの内容を確認することは難しくなってしまう。
そもそも、根本的に何かが間違っているのかと思えば、不用意にボタンが押せない。
何か、これと確信できる番号がないかと、皆で思案する。
「あ……そうか。父のイサクの綴りがIsaacなんです。だから、子供の頃にふざけて、優作をyusaacとか、周作をshuaac、なんてふざけて遊んでいたんです」
優作が、一つ古い記憶を思い出す。
「兄貴が、本名の周ではない周作と名乗るのも、その時の思い出があるんだと思います。ただ男性として生活するならば、別に『周』という名のままでも問題はないはずですが、兄貴としては思い出の名前を付けたかったのだと思うんです」
「愛する弟との楽しい思い出。父の名前を隠して、弟と揃えた名前。そりゃ、あいつのことだから、『周作』と名乗りたがるか」
松岡は、周作の妙なこだわりに、フフッと笑う。
「じゃあ、数字は何になるのよ」
「『yusaac』を数字に変換すれば……」
あおいがスマホで数字を変換する。
「九八七二二二」
あおいが確認した数字を入力する。
「開いた……」
「こりゃ、なんだな。このメッセージは、優作に向けてのものだな」
「そうですね。幼い頃の言葉遊びなんて、優作君しか分からないです」
皆の言葉に、優作は頭を抱える。
「優作になら、僕のスマホ全部みせてもいいよ! て、感じかしら。周作なら、そう言いそうよね」
元子が、追い打ちをかける。
「早く俺よりも愛せる人が兄貴にできることを、心から願います」
悲痛な優作の願いだった。
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