狂信者のキス
ねこ沢ふたよ@書籍発売中
第1話 戦場の子ども
偶然の神様が、とんでもない間違った出会いをもたらすことがある。
――某国紛争地帯。
狙撃手として名をとどろかせたサラは負傷して殺伐とした廃病院にいた。
足に負傷して身動きが取れない。いずれ敵兵に見つかって殺される。それで自分の一生は終わるのだと確信し、覚悟を決めてサラは床に座っていた。
隣には、同じように負傷した同僚の男が、聖書を手に震えている。
ブツブツと聖書の言葉をつぶやいているのが鬱陶しい。ほとんど話したことは無い自分よりもかなり年上の男。名前は、確かジェイコブといった。
まさかこの男と同じ場所で命を落とすことになるとは、一週間前のサラでは思いもよらなかった。
負傷兵二名をかかえたサラの小隊は、救助要請の信号を送った。敵の前線は、ずっと向こうに下がったはずだった。負傷兵の救助には、訓練兵が実地訓練として手伝いに向かうと連絡があった。小隊はここで守備を続け、二人の負傷兵を訓練兵たちが本陣に連れ帰る。ただそれだけの作戦だったはずが、思わぬ敵の攻撃により、サラともう一人の男を残して小隊は壊滅。救助に来ていて訓練兵達も巻き込まれて命を落としてしまうことになった。
運よく、負傷していたことで本陣の兵達とは別の場所にいた、サラともう一人の男には敵は気づかなかったようだ。だが、一時助かったとしても、もはや動けない二人は、戻ってきた敵兵に気づかれるか、気づかれなかったとしても飢え死だろう。今はただ死神が来ることを待つだけの身となった。
空腹とあきらめと恐怖と後悔と、そんな気持ちを抱えて時を過ごしていると、足音が近づいてくる。いよいよ最期の時かと身構えていた二人の耳に入ってきたのは、場違いな鼻歌だった。
「モーツアルトの『アベマリア』だ。神が私の祈りを聞いて下された」
ジェイコブが自らの信仰の正しさに震えている。
サラは眉をひそめる。
何かの罠であろうか。こんな殺伐とした地獄のような場所には最もふさわしくない曲目だ。ジェイコブは「救いの神が訪れたもうた」などと世迷言を口走ってるが、そんなことがあろうはずがない。
こんな場所に来る暇があれば、神はもっと有益な場所で自分の子羊を手っ取り早くみつけるだろう。
教会の中で歌われるような聖なる調べと共に、散歩でもしているかのような軽い足取りの靴音が近づいてくる。
サラは悪魔が来たのかと思った。
「ねえ、この銃の使い方知らない? 僕、まだ習ってないんだ」
明るい幼さの残った声が響く。
現れたのは、緑がかった黒い瞳、栗色の髪が印象的な、中性的で繊細な顔立ちの子ども。
「わ、私のメサイヤ……」
サラの隣で、ジェイコブが呟いて泣く。
敵から奪い取ったのであろう銃を持って、ヘラリと笑う子どもの顔は、敵兵の返り血で真っ赤に染まっていた。
メサイヤ? あれが? やはり悪魔の間違いだろう?
それが、サラの抱いた印象だった。
十九歳の子どもの名前は、
日本人のこの子にとって、これは出会ってはいけない相手との出会いだった。
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