第12話 巻き込まれた犠牲者

 ホテルの火災は、その日のうちに大々的なニュースとなった。

 火元はレストランの厨房。新人のシェフが、うっかりガスの付近でアルコールを使ったのが原因とみられている。その新人シェフもすでに逮捕済み。

 数名が死亡し、重傷者も出ている。

 今後の救護活動で、まだ被害者は増える可能性はあるが、現場は混乱していて火も消し切れていない。

 現場の対応の遅さに憤るニュースキャスターが、「こんな事態になった責任はどこにあるのか」と画面に訴えかける。

 

 救急車と消防車のサイレン、人々の怒号、泣き声。着の身着のままで避難してきた煤だらけの人々は震えてその場に座り込み、騒ぎに野次馬がドンドン増えていく。

 緊急車両のライトが暗闇を赤く照らす。 

 どこかの赤ん坊が不安で泣き続ける声が響くが、あやす元気が親にないのか、いつまでも泣き続けていた。


「なんだよ。この茶番は!!」


 クソッと松岡がいら立つ。

 あおいと優作を連れて、他の宿泊者を誘導しながら逃げることで必死だった。

 火が迫る中でホテル内はパニックになっていた。とても、仙石を逮捕するところまでは、手が回らなかった。

 人命を優先して走り回るだけで精一杯だった。


 仙石が火をつけさせたのは明らかだ。仙石を捕まえて、今度こそ罪を認めさせるチャンスだったのだ。なのに、代わりの犯人が用意されて、仙石は混乱に乗じて逃げてしまった。


 松岡達の力は及ばず、鼻先から逃してしまったのだ。


「ジェイコブだよ」


 周作が、松岡のスマホの向こうで呟く。


「松岡……ごめん。僕の昔の知り合いが、仙石の参謀についているようだ。この戦略は、昔、ジェイコブに教わった物そっくりだ」


 訓練兵だった頃、ジェイコブに教わった策の練り方。常に回避を考え、逃げ出す時には過剰なくらいのトラップを仕掛ける。

 冷酷なジェイコブならば、ホテルの一般人を盾にして逃げるような策を平気で練ってくる。自分のミッションを成功させるためには、無関係な人間が巻き込まれることをいとわない。

 残忍な仙石は、躊躇なくジェイコブの立てた策を実行したのだろう。


「何だってお前の知り合いは、そんな物騒な奴が多いんだ」

「……ごめん」


 気まずい空気が流れる。

 どうやら、無関係な人の中に犠牲者が出たことが、周作の心を弱くしたようだ。

 普段なら強気で言い返してくるはずの言葉が周作から返ってこない。

 

「まあ、お前が悪いわけではないが……」

  

 慌てて松岡は繕うが、周作の元気が戻らない。


「なあ、お前。自分が世間に関わなければ、こんな事件にはならなかったのにって感じの意味不明なことを考えていないか?」

「え……違うの?」

「大馬鹿だな。そんなの奴らが悪いだけだろ?」

「うん。でも、奴らを引き寄せて面倒ごとに巻き込んでいるのは、僕だよね」


 どうにも周作の沈んだ心が戻らない。


「周作、めったなこと考えるなよ」

「うん……ありがとう」


 周作に元気が戻らないまま電話は切れた。


「周作さん、どうかしたんですか?」

「いいや……どうにも気落ちしていて、いつもの軽口が無くなっていた」

「まぁ、亡くなった人も出ましたから。兄貴も辛いんでしょう」


 あおいも優作も、松岡の言葉を聞いて周作を心配していた。愛する弟達の心配は、周作にとって何よりも嬉しいことのはずだが、残念ながら、切れた電話の向こう側、遠くにいる周作には届かなかった。

 

◇◇◇◇ ◆◆ ◇◆◆◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◇◆◇ 


 関係ない人を巻き込んでしまった。

 その人達にも家族や友人がいだだろうに。

 一体、何人が今回の事件で悲しみに暮れているのだろう。


 旅館の部屋。一人で布団にうずくまる周作は、自分の無力にやるせなくなる。


 僕は万能な神ではない。だから、できる範囲は限られる。ベストを尽くしたならそれで良いはず……。考えろよ、まだ仙石は捕まっていない。ジェイコブだってそのままだ。今落ち込んだって、敵が喜ぶだけだ。

 そんな冷静な判断は、当然、周作の頭には浮かぶが、心がついてこれずにいた。


 切り替えなきゃ。奴らはまだ何かを仕掛けてくる。仙石もジェイコブもまだ捕まっていないし、まだ手紙の真意も分っちゃいないんだ。警戒しなきゃ。周作は何度も自分に言い聞かせる。布団に顔を埋めて歯を食い縛る。


 ここにずっといるのは駄目だ。思ったよりも長くかかってしまった。

 宴会が終わる前に部屋から立ち去らなければ、加茂達が戻って来て、別の厄介なことが起こってしまう。


 だが、どうやら遅かったようだ。

 ガチャガチャと部屋の鍵が開けられる音がする。

 扉が開けられて入ってきたのは、加茂だった。


「赤野さん? どうしたんですか……泣いていたんですか?」


 目が微かに潤んでいるのを、加茂は見逃さなかった。


「何でもないよ。酒で酔っているからでしょ。放っておいてよ」


 加茂が部屋に戻って来たなら、ここにはいない方が良い。

 周作が退室しようと扉へ向かえば、すれ違い様に加茂に腕を掴まれる。


「何? 僕、今最高に機嫌が悪いんだけど」

「赤野さん……それで良いから、二人だけで話がしたいです」

「……何だって言うんだよ。まったく」


 普段ならのらりくらりと代わすが、今はどうにも調子がでない。


「赤野さん……!」


 油断した周作は、ぎゅっと加茂に抱きしめられてしまった。


「わ、ちょっと! 何で?? 離してよ!」


 加茂の腕の中で周作がもがく。

 加茂の手が、周作の身体を弄る。


「やっぱりだ。赤野さん、女性なんですね」

「何がそんなに嬉しいか知らないけれど、とにかく勝手に体を触るな! 僕の体が男でも女でも加茂君には関係ないでしょ!」


 ――逃げなきゃ。

 周作は、慌てる。

 加茂の腕の力が強くて、なかなか逃れられない。

 白バイ隊員の加茂。普段から大型のバイクを乗り回しているだけあって、腕力もあるのだろう。警察官だから武術の心得だってある。


「離して!」

「離したら赤野さん逃げちゃうでしょう? ねぇ、どうして男だと偽って生きているんですか? 教えて下さい」

「偽ってない! その方が僕には生きやすいんだ」


 必死でもがく周作は、だんだん苛立ってくる。

 元子の王子様だから黙って我慢してたし傷つかないように注意していたけれど、もう限界だ。


「小さい手……可愛い」


 加茂が周作の手の甲にキスを落とす。力の強い加茂にとっては、周作のを抑えこむのは余裕らしい。元子だったら喜ぶのだろうが、周作にとっては怒りの着火剤でしかない。


「離せよ! 変態!」

「変態? 俺はただ……」


 今まで自分に向けられたことのない罵倒に、加茂が怯む。

 周作が加茂の手首を親指を軸にして捻ってやれば、簡単に加茂の体が周作から離れる。


「い、痛いです! 折れちゃいます!」


 手首を捻られた加茂がもがく。

 形勢逆転だ。

 加茂だって警察官だからこの程度の技は知っているはすだ。だが自分よりも小さな周作を侮っていたのだろう。多少の怪我ぐらいで済んだことに感謝してもらいたいくらいだ。


「自業自得だよ! 反省しろ!」


 まだ手首を摩って痛がる加茂を後に残して、周作は部屋を出た。

 旅館廊下を歩いていると周作のスマホがメールの着信を告げる。

 相手は、松岡だった。元気のない周作を心配してくれたのだろう。短いメッセージが一つだけ送られている。


『今度、モン何とかを奢ってやるから飲みに行こう』と書かれた無機質な文字は、限界まで落ち込んでいた周作の心を少し温かくしてくれる。


「モン何とかって何だよ。モンラッシェだろ」


 フフッと周作の口から笑いがこぼれる。


『破産しても知らないよ』


 周作は、松岡に返信する。


 とりあえず、外の空気を吸おうと周作が廊下を進めば、バスの添乗員とすれ違う。手には、紙袋を抱えている。


「あ、ねえ」


 周作はすれ違いざまに添乗員に声を掛ける。


「はい。どうしましたか?」

「それね、気を付けて処分しないと、火事になるから。アルコール度数が強いから引火しちゃうんだ。そうだな。捨てるなら、水でずいぶん薄めてから捨てるようにしてね」


 ヘラリと笑う周作に、添乗員は残ったスピリタスを抱きしめたままヒッと小さな叫び声をあげた。


「驚かないでよ。簡単なことでしょ? バスと宴会場、その両方にスピリタスの入った水を確実に僕の前に出せるのは、キミしかいなんだから」

「あ、あの……私は」

「別にこれ以上、追求しない。どうせ仙石に弱みでも掴まれて、実行犯になるように強要されたんでしょ」

「あ……」


 添乗員は、真っ赤な顔して目を潤ませる。


「勘違いしないで。これ以上何か手を出すようなら、僕はキミを生かしてはおかないから」

「で、でも……どうすれば……」

「知らないよ。キミの問題で、僕の問題じゃない。でも、そうだな。僕がキミの立場なら、その酒を捨てたらさっさと逃げる。今なら仙石は、自分が逃げるのに夢中だから手薄だよ」


 ホテルの火災の後だ。仙石は、自分が事件に関わった痕跡を消そうと躍起になっているはずだ。この添乗員のような小物に注意はしていないだろう。


「あ、ありがとうございます!」


 添乗員は、礼を言って走っていってしまった。 

 フロントの待合室では、元子と中村が、キャアキャア言いながら何やら盛り上がっている。アレに混じれば、また訳わかんなくなっちゃいそうだ。


 頭を冷やして考えをまとめたい。

 周作はホテルを出て、周辺を散策する。木立に囲まれた細い道で一人周作が歩きながら考えるのは、ジェイコブのこと。


 あの手紙は、どう考えてもジェイコブからの手紙だろう。ジェイコブとはとっくの昔に縁は切れたと思っていた。周作にとっては、父のいる海外の傭兵訓練所で出会っただけの男だ。

 それが、何故今更周作の元に?

 いや、やっと今ということか?

 周作がすっかりジェイコブのことを忘れ去っている間に、ジェイコブが、着実に周作の居所を掴んで、準備を進めてきたということだろう。


 仙石は、用心深い男だ。その仙石に取り入り利用しようするならば、ジェイコブはかなり苦戦したことだろう。

 

 そして、手紙に示されていたユダの接吻。それは、裏切りの象徴だ。


「そもそも、僕は、あの男を味方だと思っていないし、裏切りも何もないのだけれども」


 分からない。あれが何をしたいのか。

 なぜ、仙石の仲間になったのか。


 サラから連絡はまだない。

 周作と違って交友関係の広いサラならば、何かをつかめるかと思ったのだが。

 

 考えごとをしながら周作が小道を歩き続けていれば、ポツンと外灯の下に人影がある。羽虫が飛んで焼かれ、足元に虫の死骸が散らばる中に、ジェイコブの姿がある。


「メサイヤ、お待ちしておりました」


 聞き覚えのある声。

 周作は、緊張した。

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