第4話 仕掛けられた罠

 赤野周作が出署すれば、隣の席で幼馴染で同僚の木根元子きねもとこがウキウキしていた。最近仲の良い交通課の中村悠衣子なかむらゆいこと楽しくおしゃべりに興じている。

 

 田舎にある警察署。

 のどかな土地柄で、それほど事件は多くない。もちろん、殺人のような凶悪事件もゼロではないし、小さな事件もチラホラ起きるが、松岡の住んでいる都会のように忙しくはない。

 せいぜい、交通違反の取り締まり程度の仕事が日夜起こるくらいで、空き巣一件、一ヶ月に一回起こるかどうかの平和な土地柄で、仕事を嫌う周作には、もってこいの職場だった。


 プライベートの時間を大切にしたい周作からしたら平和なのはとてもありがたいし、こんな土地柄だから元子のような勢いだけの人間でも刑事としてじゅうぶんやっていけているのだろう。


 ……とは思うが、就業時間中に、これほど楽しそうにお喋りに興じている元子達をみれば、そろそろ多少は仕事しないと、市民の皆様から苦情の一つでもくるのではないかと心配になる。


 まぁ、こんな警察署の奥まで見に来る輩はいないだろうけどもね。

 色々と元子に思うところはあるが、心にしまって静かに周作は席につく。


「あ、周作。慰安旅行、あんた参加決定だから」


 元子に命令される。

 嫌いなジャンルの行事。青野あおいを仙石が狙っていることもあって、できれば仮病でも使って休みたいのだが。


「何で元子が決めるの? 僕、行くこと自体が嫌なんだけれども」


 周作は、二人を無視して仕事を始める。メールを確認して、机の上の山積みの書類にうんざりする。

 紙の書類は苦手だ。訳の分からない法則で成り立った提携文や、独特の言い回しの単語をいちいち覚えておいて書き込まなければならない。

 そんなの、パソコンで書くなら、あることさえ分かっていれば、パソコンに覚え込ませて一発なのに。

 こんな合理性に欠ける作業、面倒だと思えば取り掛かる手も、つい遅れがちになる。

 同じ警察でも、松岡の勤めている署では積極的にパソコンを導入して書類もパソコンで処理できるようになっているものが多いらしいが、周作の住むような田舎では、どうしてもそういう導入は遅れる。


「また、そんな風に引きこもろうとする。そんなのだから、その歳にもなって友達が少ないのよ。友達って松岡と私だけ? 後は……中村さんにも入ってもらう?」

「え、私も赤野さんの友達って名乗っていいんですか!」

「良いわよ。泣いて喜ぶわよ」

「はいはい。うえーん」

「周作! 何、そのやる気の無い泣きまねは! そんなだから、友達が少ないんでしょ!」

「もう……良いよ。友達少ないことは連呼しなくても」


 元子が、周作に遠慮のない言葉を投げる。

 元子は、周作の幼馴染。周作の体のことを知っている数少ない人間の一人。

 この職場で周作の体のことを知っているのは、元子と元子の父の木根署長ぐらいのはずだ。元子さえ他に漏らしていなければ。

 周作の母と元子の父が、学生時代からの友人だから家族ぐるみの付き合いがある。その関係で、女性であることを隠したままで周作を警察署に受け入れてくれたのが、元子の父親である木根署長だった。

 周作と優作にとって元子は姉のような存在。そのせいか、周作に遠慮ということを元子はしない。

 文句を言ってやりたいと思うことは多々あるが、元子の父親は今の上司だし、優作には仲良くしろと釘を刺されている。八方塞がりで分が悪すぎるから、周作は黙って放置しているのだ。


「赤野さん、でも……たった一泊ですし」 


 中村が、おずおずと案内を渡してくる。日程を三つに分けて、部署の仕事に支障がでないようにしているのだろう、複数の日程がある中で、一つの日程にだけ印が入れられている。


「あれ、この日程って、元子が決めたの?」

「ううん。旅館から指定してきたの」

「え、旅館から? 普通、客側から要望するものじゃないの?」

「それがね、違うのよ。なんでも人数や男女比で部屋割りが変わるからって。こちらからの人数を割り振った名簿を渡して、向こうから日程は指定してきたのよ」

「ふうん」


 丸が鉛筆で書かれているのは、先ほど元子が言っていた日程。元子が書き込んだのだろう。

 このど田舎の警察署よりもさらに超田舎の温泉旅館の名前と住所が書かれている。特に温泉以外に目立った観光施設がある訳ではない地域。これは、ゴルフに行く連中以外は、一日中温泉と宴会三昧の予定と想像できる。案内の下が切れているのは、そこに申し込み用紙が付いていたからだろう。


「中村さんも私も周作も、同じ日になっているから安心して」


 安心と言われても、トラブルメーカーである元子と一緒であることに何をどう安心すれば良いのかは分からない。


「行きたくない……」


 周作の心からの訴えを元子は聞かない。


「駄目。ほら、その書類の山の片付けを手伝ってあげるから。駄々こねないの」


 元子は、周作の机の上の書類を半分ほど自分の机に移動する。周作の返事を聞く前にやることで、周作が断りにくくするつもりなのだろう。


「あなたが来ないと、加茂様ががっかりするでしょ?」


 元子の言葉に、周作はため息をつく。周作は、加茂を喜ばせるための道具らしい。

 元子の憧れの『加茂様』。

 交通課のイケメン白バイ隊員で、実家は大きな会社を経営している。将来は、そこを継ぐ予定だが、小さい頃の夢を叶えるために、白バイ隊員になったらしい。

 お金持ちの笑顔が爽やかなイケメンであることから、元子は加茂を一目見た時から入れあげていた。

 元子の憧れの王子様で、女性署員にも人気がある。そんな人気者の加茂に、出来れば穏やかに静かに暮らしたい周作は何の興味もないが、加茂の方では周作に関心があるようで、事あるごとに周作と接する機会を作ろうと画策してくる。

 女の体であることがバレるのも面倒だし、周作として放っておいてほしいのだが。


「健気だねえ。でも、元子。加茂君って、僕に興味があるって元子が言っていたんでしょ? 元子にはなびいてくれないんじゃない?」


 以前から気になっていたことを元子に聞いてみる。元子が周作を道具扱いすることは、長年のことで今更だから気にも止めない。

 だが、せっかく道具として周作を使っても、それに意味があるのかに疑問が残る。


 どんなに加茂が喜んでも、この場合それが元子に目を向けるきっかけになるとは思えない。むしろ、加茂を周作が嫌って避けるのを放っておいてもらった方が元子にとっては良いような気がする。


 周作の方では一ミリどころか一マイクロも一ナノも加茂に興味はないから、加茂が周作に興味を持っているという話は、迷惑以外何物でもないのだ。

 実際、加茂の興味の先が何なのかは、周作は知らない。何かの拍子に女性であることを見抜いて好奇の目を向けいるのか、弱味を掴んで脅迫したいのか、それとも元子の言う通り恋愛感情を周作に向けているのか。

 いずれにせよ、周作にとっては迷惑な話ということには違いなかった。


「でも、加茂様、周作は加茂様に興味ないでしょ? 周作にフラれた加茂様を慰めれば、ワンチャンありかもじゃない」


 小声で元子が、周作に打ち明ける。


「ええ〜。そういう物なの?」

「そうよ」

「あはは、全然分からないや」


 恋愛なんて論理的でない物、僕にはやっぱり難しすぎて永遠にわからない。

 周作は、もはや恋愛を理解することを諦めていた。


「元子、けっこう鬼畜なんだね。好きな人がフラれるの待つなんて」


 とは、周作の素直な感想。好きなら、その人の幸せを最大限に想う物ではないのだろうか? それとも、愛情の定義が、そもそも周作は間違えているのか。


「策士といってよ」


 元子がむくれる。その隣で、中村が苦笑いしている。元子と仲の良い中村、元子のこの突飛な考えも知っているのだろう。


 周作は、案内の旅館を調べてみる。歴史ある旅館だが、改築後に客足が減り最近は資金繰りに苦労していたようだ。最近になって融資先を見つけて、何とか運営のめどが立って滞りがちだった改築の費用も完済できた。周作は、これは怪しいとかんぐる。客足が減った旅館がどうやって新規の融資先を確保できたのか。

 周作が、一目ネットの企業情報を見て客足が減っていることが想像できる収支しか上がっていないのに、銀行などの金融関係者がそれに気づかない訳がない。ならば、この新しい融資先には、何か裏がある。


 旅館のホームページに移って、ありきたりの紹介文と館内を撮影した写真を眺める。ほんの小さな人影だが、仙石の側近の姿をフロントの写真の隅にみつける。何度か仙石の周辺を調べていた時に目にした人物。


「へえ、なるほどね」


 周作がホームページを見ながらつぶやく。


「何? 急に。旅館が気に入ったの? 露天風呂が気持ちいい旅館なんだって。最近、団体割のキャンペーンをやっているらしくてね。この日程限定なんだけれど、おかげで今年は、こんないい旅館に行けることになったのよ。直接署に旅行会社が売り込みに来たらしいわ」


 周作が検索している旅館のホームページを元子が覗き込む。

 確かに、毎年、署の慰安旅行の目的地としている近場の雨漏りだらけのおんぼろ旅館よりかは、グレードの高い旅館だ。元子に聞いて旅行会社の名前も打ち込む。旅館と似たような境遇。やはり最近新しい融資先を見つけている。


 松岡が送ってくれた青野あおいと優作のスケジュールを見て、誰が何をしようとしているのか察しがついてくる。


 これは、ただ怯えて待つよりも相手の策にのってみる方がいいかもしれない。

 このあからさまに仕掛けられた罠に乗らなければ、次は何をするのか分からなくなる。

 これは、仙石からの呼び出しのメッセージだ。『お前の全ては把握している。あおいのイベントの日、この旅館へ来い』と言っているのがひしひしと伝わる。


「面白そうじゃないか。何を見せてくれるのやら」


 ニヤリと笑う周作に、元子が嬉しそうに、でしょ? なんて言っていた。


 その日の内に、松岡から昨日のラブホテルの事件の経過連絡が周作に送られてくる。

 証拠を押さえられていることから、清掃員は、自分がホテルの一室を利用して顧客に銃を受け渡ししていたことを、素直に話したのだという。

 注文の連絡を受け、清掃するフリをして例の部屋に銃を隠す。顧客は、通常の客のフリをして入室して銃を受け取る。金銭は、取引を終了した連絡をすれば、その仕事料として、清掃員の口座に振り込まれた。清掃員の仕事は、渡された銃を顧客に渡すために、ホテルの一室に隠すことだけ。この仕事はネットの闇サイトで見つけ、銃の入手は、いつも、清掃員のバイト時間を狙って、同じ包み紙で包まれた荷物が不定期で届くから、それに注意して受け取ればよかったらしい。


 現在は、清掃員が仕事を見つけた闇サイトの検索と、銃の入っていた箱や包み紙、送り先の捜査がすすめられているとのことだった。清掃員の持っている情報では、顧客のことも分からない。ラブホテルの防犯カメラを調べているが、当然のように客は顔を隠しているし、ホテルの性質上、フロントと客が顔を合わすこともない。名前の登録ももちろんない。そちらを洗うのも難しそうだ。


 おそらく、既にそのサイトは閉鎖されているだろうし、海外のサーバーを利用しているだろうから追跡も難しい。それに、箱や包み紙に指紋が清掃員の物以外に見つかる訳もなく、送り先も、ダミーの住所に違いない。松岡達だって、そんなことは百も承知で、少しの綻びを求めて捜査を進めているのだろう。


 仙石が好きそうなやり方だな。


 周作は思う。完璧なシッポ切りを当初から頭に入れた計画。もし犯行が暴露されても、自分たちに捜査は及ばないように、細切れにされた組織。だが、トカゲの胴体からたどればどうだろう。仙石と同じやり方をする人間は他にも何人もいるから、捜査に当たっている刑事がわざわざその全てを同様の事件が起こるたびに調べるようなことはできない。だが、この計画に仙石の関与の可能性があるから、松岡は、あおい達のこともあって仙石の動向に詳しい周作にこの捜査情報を流したのではないだろうか。


 調べてみるか。元子が面倒な書類は引き受けてくれるらしいし。


 元子が集中して周作のやるはずだった紙の書類に取り組んでいる間に、そっと周作の机の書類を、さらに元子の机の上に移しておいた。これで、金銭の流れを調べる時間は確保できた。



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