第3話 優作とあおい

 将来の義兄である赤野周作から、仙石を警戒するようにと青野あおのあおいに連絡がきた。

 心配性の婚約者である赤野優作あかのゆうさくは、しばらくの間は仕事を休んでどこかに匿ってもらっていてはどうかと言ってきたが、あおいはそれを拒否した。 いつ解決するか分からない事のために、この大事な時期に仕事の手を休めたくはない。


 あおいと優作の会社は、小さなアプリ開発会社。雑誌などで、新進気鋭などともてはやされているが、その内情は、まだまだ不安定。一つのチャンスも逃す訳にはいかない。 今は順調でも、一つ歯車がかみ合わなくなれば、あっという間に世間の荒波にもまれて倒産してしまうだろうと予測できる。

 今順調でも、いつ他社に出し抜かれて置いて行かれるか分からない厳しい世界なのだ。


 今は、新しく開発中のアプリを多くの人に知ってもらえそうな合同イベントを控えている。優作を信頼していない訳ではないが、優作の得意分野は経費の管理や全体的な統括。イベントのようなプレゼン能力が必要なことは、あおいの担当だ。

 ここは、逃げ隠れてあおいがイベントに出られなくなる戦力ダウンは避けたい。


「青野さん、来客です」


 そう社員に呼び止められて受付を見れば、無精ひげの男が手を振っている。


「松岡さん!」

「よう! 今のところ元気そうだな」


 受付に走ってきたあおいに、松岡は笑顔をみせる。


「周作に頼まれて、ちょっと様子を見にきた」


 弟の優作を溺愛するあまり、周作は優作達の会社へは出禁をくらっている。

 『うさぴょん』と弟の優作を呼び、所構わずベタベタしてくる兄に痺れを切らした優作からの処置だが、あおいが狙われているというこの状況でも律儀に守るのは、周作らしい。


「すみません。周作さんから、連絡は受けているのですが……今のところ、何もおかしなところはありません」

「ふうん。まあ、あの周作が言うんだから、何かあるんだろうけれども……なぜ、あの仙石が、あおいを狙うんだ?」


 松岡の目が、じっとあおいを見る。

 探るような目……あおいは、ドキリとする。

 

「さあ、何故でしょう」


 自然とかたくなるあおいの表情に、松岡の眉間に皺がよる。


「あおい!! 松岡さん!!」

「おお。優作!!」


 あおいの後ろから来たのは、赤野優作。

 赤野周作の弟で、あおいの婚約者。

 松岡も何度か周作と一緒に会って、優作とは面識がある。

 真面目を絵に描いたような印象の優作は、松岡とも仲良くやっている。


「すみません。松岡さん。兄貴から松岡さんに協力を頼んだと連絡を受けています」

「そうか。あいつ、優作が絡むと途端に心配性になるからな」

「本当、そういう所が昔から変わらなくて。割と迷惑なんです」

「溺愛ってやつを絵に描いたように優作にまとわりついているからな」


 松岡が以前の周作を思い出して苦笑いをみせる。あれは、優作の婚約を祝う友人同士の飲み会の席。

 松岡もその席に呼ばれたが、「僕のうさぴょんが結婚しちゃう」なんて言いながら、周作は大粒の涙をポロポロ流していた。

 松岡は苦労して周作を慰めたし、周作の幼馴染である木根元子は、「バカじゃないの? 弟が自分の物だなんて思う方が間違っている」。なんて正論で周作に追い討ちをかけていた。


「ええ。だから、今回の件も、心配し過ぎな兄の取り越し苦労だったらって思うのですが……」

「どうだろうな。だか仙石絡みで、あいつが判断ミスをするとも思えない。油断は禁物だ」

「はぁ……」


 優作の表情が曇る。

 仙石という怪しい男が、未成年だった周作赤野周という少女に目を付け、以来探しているのは知っている。父はそれで周を自分の職場である傭兵の訓練場に連れていき、護身術を身に付けさせたのだ。

 

 そして、赤野周は、女である自分を捨てて、偽名の赤野周作で暮らしている。

 一度海外に出て、赤野周の痕跡は丁寧に消したから、以来仙石が探しているのは知っていても、赤野周作に手を出してくることも、その家族である優作達を襲うこともなかった。


 刑事の仕事をする上で、仙石と対決することもあったが、周作があの「赤野周」だとは、気付く様子はなかったのだ。 

 それですっかり優作は油断してしまったが、ついにあおいの秘密に仙石が気づいたのかもしれない。


「大丈夫だよ。こうやって松岡さんも気にかけてくれているし。優作の言う通り、周作さんの取り越し苦労かもしれないし」


 心配する優作に、あおいが微笑みかける。


「まぁ、警戒はしていてくれ。あおいを一人にしないこと。大まかなスケジュールは、こちらに連絡しておいてくれ」

「はい」

「……何か気にかかることがあるならば、早めに伝えてくれると助かる」

「はい……」


 歯切れの悪いあおいの返答に、松岡は引っ掛かりを感じる。

 あおいと優作が曇っている様子で何かを隠しているとは感じるが、それが一体何かなのかも、どうして隠すのかも松岡には見当がつかない。


 自分の身を怪しい男から守ってもらうのに、何を隠す必要があるのか……。

 訝しみ二人を見つめるが、口を割る気配はなかった。


「俺じゃ話せないか?」

「何のことでしょうか」


 空々しい優作の言葉に、松岡がため息をつく。


「いいや。話したくなったら、教えてくれや……あ、そうだ、優作。……サラのことは知っているか?」

「サラ? 兄貴が親父のところで傭兵の真似事してた時の友達ですか?」

「そうだ。そのサラから周作に連絡が入ったんだ。『面倒なヤツが動き出した』。と」

「面倒なヤツですか……」

「心当たりあるか?」


 周作に聞いてもはぐらかされてしまった。弟の優作なら知っているかと、松岡は期待したのだ。


「さあ。あの時の知り合いは、サラしか僕は知りません。親父なら分かるかも知れませんが……聞いてみましょうか?」


 残念ながら松岡の期待に反して、優作には心当たりはなかった。

 

「いや、良い。それよりも今は自分達の安全に集中しろ」


 松岡は、優作とあおいにそう言うと帰っていった。

 

「大丈夫だよ。あおい」

「うん……」


 もう過去のこと。

 でも、まだ誰にも知られるわけにはいかない。

 だが、仙石とあおいの過去関係を周作に知られば、二人の婚約自体を周作に反対されてしまうかもしれない。


「ねぇ、あおい。やっぱり籍だけでも先に入れてしまおうか。籍さえ入れてしまえば、兄貴がどう言おうが関係もないし、反対のしようもないよ」

「この状況ではダメよ。せめて今回のことが解決するまでは、そんなこと無理よ。下手したら仙石に優作が狙われかねないわ」

「俺は、あおいと一緒になれるなら、そんなの気にしないのに」

「ダメ。あの男に相手に付け入るスキを与えるのは危険だもの」


 優作の提案にあおいは頑なに首を縦には振らなかった。

 あおいと結婚すれば、それだけ仙石の魔の手が優作に近づく。

 そうなることを、あおいは心から恐れているのだ。


「やっぱり無理なのよ。私みたいな優作と一緒にいるなんて」

「違う。俺が強くなってあおいを守るから。あおいは、俺の傍にいて」


 優作はあおいの手をギュッと握りしめて、不安気なあおいを元気づけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る