第5話 訪問者の狙い
青野あおいが、自社の入り口付近を歩いていると、知らない男に呼び止められた。 四十代くらいだろうか。スーツを着て老舗の和菓子屋の紙袋を下げている。
「当社に何か御用でしょうか」
「お嬢ちゃん、ちょっと、上の人を呼んできてほしいんだ」
あおいに渡された名刺は、広告代理店のものだった。老舗の広告代理店。普通ならばあおい達の小さな会社など見向きもしない規模の会社だ。
名刺によれば、この男は、営業部長の
「貴社とは取引が無いはずですが、どのような用件かは、お教え願えませんか?」
あおいが聞いても、志田は眉間に皺を寄せるばかりだった。
「アルバイトの子に話をしても埒があかないんだよ。若い子は知らないかもしれないけれど、ウチは老舗の広告代理店だし。名刺を見せれば会うっていうはずだよ」
面倒くさそうに志田が言う。
どういった要件かは知らないが、あおい達の会社とは相性は悪そうだ。
まず、初めての訪問をするのにリサーチ不足。共同経営者のあおいの顔くらいホームページにいくらでも載っている。
それにTシャツにパーカー姿で童顔のあおいをアルバイトと認識したとしても、アルバイトにこんな尊大な態度をとっているようでは、青野達の商品のメインターゲットである若い層の気持ちは全く汲み取れないだろう。
大手ならともかく、小さな規模で少数精鋭で仕事をこなしているあおい達ににとっては、志田のような古い感覚のビジネスパートナーは、不要だ。下手をすれば、大きな損失を招く。
味方の顔をした敵が一番怖いのだ。身動きが取れなくなる。
「お引き取りを」
迷わずにピシャリとそう言うあおいに、志田は不機嫌な顔を隠しもしない。
「だから、一度上の者に取り次げって言っているんだ。鈍い女だな」
用件も言わずに、早くしてくれとイラつく志田にあおいが困惑していると、優作がオフィスの奥から走ってくる。
知らない男に絡まれて困るあおいを見かけて、心配したのだろう。
仙石に狙われていることもあって、よほど心配したのか、優作があおいの手をギュッと掴む。
「私より上の人を呼んでくれって言われたんだけど。優作、お願いできる? 上って言ったら、優作しかいないでしょ? 用件も話さないのよ」
あおいが苦笑いしながら、志田の名刺を優作に渡す。
いいよ対応すると優作が言えば、あおいはよろしくと言って、さっさと自分の業務に戻ってしまった。
二人で実りのない話を聞くような無駄な時間を過ごすような余裕は、忙しい二人には無い。
「社長の赤野優作です。どういったご用件でしょうか?」
あからさまに不機嫌な優作の態度に、志田は慌てる。
「あ、ええっと先程の方は社長の恋人でしたか。失礼いたしました」
優作があおいの手を握ったのを見て、あおいを優作の恋人と判断したのだろう。優作の不機嫌が、自分の恋人を邪険に扱ったことに対してなのだと志田は判断した。
そのことが、ますます優作には腹が立つし、志田に失望する。
「恋人である前に、彼女は大切なビジネスパートナーです。彼女が恋人であるかどうか以前に、当社の従業員に向けられた態度が不遜であったことが不快です」
「し、失礼いたしました。あの、本日は、弊社のお得意様よりの願いによりまして、新商品のプロモーション戦略に役立つ情報をお待ちいたしました」
志田は、そう言って菓子折りを渡そうとする。だが、優作は、菓子折りを受け取らない。
「先程からの志田さんの態度を考えて、どうも御社が当社の意向とは相性が悪い気がします。どなたのご紹介かは存じませんが、お断りさせていただきます。足並みの揃わないビジネスほど不毛で効率の悪いモノはないでしょう?」
優作は、きっぱりと断言する。そもそもの考え方が、この会社とは合わないのだと、志田の言葉の端々から優作は感じる。
あおいがさっさと話も聞かずに席に戻ってしまうわけだ。
あおいにとっていた態度。目下と見てとった相手に対してあの態度を取る相手を信用できない。そう優作も判断する。
あおいが若いからああいう態度を取ったのか、女性だからなのかは分からないが、あれでは若いスタッフの多い優作達の会社としては、対等な取引が期待できず困るのだ。
「そうおっしゃらずに。ご存知ないかもしれませんが、当社は老舗の広告代理店。テレビ業界にもコネクションを持ち、広告に関するノウハウも豊かです。そのように早急に判断なされれば、近い将来に後悔することとなりますよ」
仕事も分からない若造が調子に乗りやがって、と志田の顔には書いている。
「そうですか。では、将来後悔するようにいたします。志田さんのお話をお伺いすればするほど、御社とわが社の意識の違いを感じます。これ以上は、お互いに時間の無駄でしょう。老舗の価値の分からない若造とあざけっていただいて結構ですので、もうお帰り下さい」
優作がニコリと笑う。応接に通すこともしない、自分の名刺も渡さない、菓子折りすら受け取らない。完全なる門前払い。
「エレベーターホールはこちらです」
いつの間にか現れた社員が志田に促せば、志田はそれ以上そこにいることは出来なかった。
まずいな。名刺すら受け取れなかった。
ビルを出て、オフィスを見上げながら志田が頭をかく。電話で依頼主に報告を入れれば、相手の男から冷笑がもれる。
「まぁ、その程度だね」
「申し訳ございません。し、しかし、仰せの通りに、目立たぬ場所に盗聴器は仕掛けました」
盗聴器を仕掛けるなんて初めての事。
あれで良いのかはわからないが、とりあえず置いてきた。
「いいよ。過度の期待などしていない。多少の顔見知りになって、近づく理由を作れればいい」
「はぁ……」
電話の先の男の要望は分からない。
あの会社の何を狙っているのか。なぜあの小さな会社に興味を示したのか。
何にせよ気の毒なことだ。
「君にはまだ働いてもらうよ」
インテリヤクザめ。
借金さえなければ、こんな犯罪の片棒を担ぐ真似はしないのに。
志田は、電話を切ってから悪態をついた。
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