第17話 取り調べ


 松岡に運ばれて最寄りの警察署に行けば、周作を待っていたのは検査や証人としての供述を取る作業だった。

 できれば、このボロボロの姿をなんとかしてからにして欲しいのだが、周作の体に付いたジェイコブの痕跡の採取、殺されていた二人の様子、攫われてからの様子、記録しなければならないことは、満載だった。


 松岡は、鑑識にまだ質問を受けている。周作を見つけた時の様子を聞かれているようだ。

 周作だけ先に、刑事に連れられて取調室に入る。


 ヘトヘトで動けない周作に配慮して、鑑識の人のよさそうな男が車いすを用意してくれたのは、有難かった。

 動けないからといって誰かに抱っこされるは、周作には不愉快だし、刑事も困るだろう。


「赤野さん、無事で良かった!」


 鑑識から出れば待っていたのは加茂だった。できれば粘着質の変態からようやく逃れられたのに、新たなる変態の相手は、今はしたくないのだが。

 満面の笑みの加茂に、相手をしたくないという気持ちを込めてウンザリとした表情を周作が返すが、どうやら加茂には全く効果はないようだった。


「お疲れのところ、ご自分で動くのは大変でしょう? お手伝いいたしますよ!」

「え、いいよ。要らないってば!」


 周作は、拒否したのだ。加茂に付けいる隙は与えたくない。だが、周作の拒絶をものともしない加茂は、「遠慮なさらずに」と、車椅子を押し始めてしまった。

 

「大丈夫ですよ。貴女が女性だって秘密は、言いふらしたりしませんから」


 加茂が周作に耳打ちする。


「何それ、脅しているの?」

「いいえ、滅相もない。本心です。本当に言いません」


 睨む周作に加茂が慌てて否定する。


「だって、赤野さんの秘密を周囲に漏らせば、赤野さんは行方をくらますおつもりでしょう? それじゃあ俺が困るんです」

「キミがなぜ困るかは興味ないけど、確かにそうだろうね。残念ながら、同じ生活は続けられなくなる」

「俺が困るのも興味を持って下さいよ。冷たいなぁ」


 ふふふっと、加茂が楽しそうに笑う。

 これだけ周作が全力で加茂には興味がないと意思表示をしているのに、全く動じないのは、加茂の自己肯定感があり得ないほど高いからだろうか。

 暖簾に腕押しのお手本のような会話の繰り返しに、疲れていた周作は何もかもウンザリしてくる。

 否定するのも、面倒になる。


「もう……好きにすれば良いよ」

「はい。勝手にさせていただきます」


 周作の乗る車椅子を加茂が嬉々として押す。

 取り調べ室の扉を開けて、中に入れば、そのまま加茂は、周作の後ろに立つ。


「え、取り調べにも入ってくるの?」

「大丈夫です。警官ってことで許可はもらってますから!」

「なんていい加減な」


 なぜ許可がおりるのか。意味が分からない周作は、深々とため息をつく。

 後から入って来た若い刑事が、「どうも」と言って頭を周作達に下げてから、席につく。


「初めまして。永井です。……えっと、周作と言う名前……男性なんですよね? すごい格好ですね」

「もう、笑わないでよ。僕だって、早く着替えたくって仕方ないんだから」


 クスクスと笑う永井に、周作はむくれる。そりゃ、笑うだろう。初めて会う男性警官が、ボロボロのミニスカドレス姿。

 良かった。どうやら周作が女性であるという情報は、鑑識から署内には広がらなかったようだ。

 周作は、覚悟していたのだが、松岡が漏洩を止めてくれたのかもしれない。


「赤野さん、服をお持ちしましたよ」

「え? 僕の服を加茂君が?」

「はい。必要だろうと思って持ってきて正解です」


 加茂が旅館に置きっぱなしだった周作の服を渡してくれる。

 いや、待て。

 加茂がなぜお持ちしている? コイツ……僕の服に何もしていないだろうな?

 なんて、一抹の不安が過ぎるが、そんな事も気にしていられない今の状況。


「ありがとう」


 素直に、いや若干躊躇しながら、周作は、加茂から服を受け取る。


「ああ、脱いだドレスも鑑識に回しますから」

「分かった。後で渡す」


 せっかく温泉に入ったのに。もうボロボロだ。

 渡してもらったタオルで体を拭いながら、周作はため息をつく。


「シャワーを浴びたい」


 周作が不貞腐れながら体を拭く。


「背中……汚れていますよ」


 加茂が、周作の背中を拭いてくれる。この際、加茂でもいい。拭いてくれるなら、誰でも。それほど、に囚われている時の記憶が気持ち悪かった。


 加茂が異様に喜んでいるような気がするが、気のせいだと思うことにした。思いたい。


「まあ、シャワーは後回しにして下さい。今は、事件の全容を早く明らかにしたい。ほら、刑事なんでしょ? 元気そうなんだから、サクッと質問には答えて下さい」


 永井が調書を取り始める。


「社畜だ……。鬼だ……」


 周作のぼやきに、永井は苦笑いをしていた。


「周作……」


 松岡が顔を出す。

 現役の刑事という事で許されているのだろうか、よその署で取り調べ中に自由に出入りするのは、自由人の周作でも中々どうかと思う。


「あ、加茂!! お前、何、周作に触っているんだ」

「いえ、これは同意です。お背中が汚れていたので、拭いて差し上げていたんです」


 周作を挟んで言い争う加茂と松岡。

 こういうのは、もう勘弁してほしい。

 周作は、机に突っ伏してしまう。


「え、なんですか? 面白そうな状況ですね」


 永井がのんきにわくわくしている。


「ちょっと、遅すぎない? 周作!! さっさと全部まるっと正直に吐いて、取り調べ終わらせなさいよ!!」


 元子までが顔を出す。

 終わりだ。収集がつかない。


「あ、どうも。木根さんでしたっけ? どうか落ち着いて下さい」


 その場を収めようと悪戦苦闘している永井の声は、虚しく部屋に響いていた。



◇◇◇◇


 いつもの定食屋。二人して、夕食を食べている。松岡が助けに来てくれたことの感謝と、巻き込んだお詫びだった。


 テレビのニュースは、紛争が停戦協議に移ったことを報道していたが、次のニュースでは、また別の国で銃撃戦が始まったことを伝えている。

 サバの味噌煮定食を周作が食べて、松岡は、生姜焼き定食。


「……気づいたんだけれども、いつも生姜焼きだね」


 周作がサバと食べながら、松岡に聞く。


「ああ、つい。好物だからな」


 松岡が答える。

 一つ好意を持った物があれば、ついそればかりに目がいくのが、松岡の性格。

 周囲からは、よく飽きないね、と呆れられるが、周作にはそれは好印象にうつる。


「一途だよね」


 目を細めて周作が微笑めば、「生姜焼きにか?」と、松岡が苦笑いを返す。


「今度、作ってあげようか? 生姜焼き。最近、面倒なことに色々巻き込んじゃったし」

 

 周作がニコリと笑う。


「お前が?」


 松岡は、迷う。料理好きの周作が作れば、美味い生姜焼きが出来そうだ。だが、胃袋まで掴まれれば、本気で周作への想いを止められなくなりそうで怖い。


「ごめん。僕と二人じゃムサイよね。皆で僕を探してくれたんだし、元子も加茂君も中村さんも呼んで、みんなでご飯食べる? 生姜焼きだけじゃなくて、何種類か作ってあげるよ。場所は、どうしようかな……僕の家じゃ狭い? 松岡は遠いか……。加茂君に頼んだら、場所貸してくれるかな? お金持ちだから、手ごろな場所に物件持っていたりするかも。それか、キャンプ場? コテージとか借りて……」


 周作の話が、ドンドン話が大きくなっていく。このままだと、永井達まで呼ぶことになりそうだ。それに、加茂に周作の手料理を食べさせるのも、気に喰わない。エプロン姿の周作に、満面の笑みでまとわりつく加茂が、容易に想像できる。何故かムカつく。


「いいから、二人だけで。お前と二人でいい。生姜焼きは、俺の家で作ってくれ。休みが合う日に、来い」


 松岡が慌てる。


「そう? じゃあ、そうする」


 周作はヘラリと笑った。


「しかし……あれだな」

「うん? 何?」

「ジェイコブの野郎に手玉に取られてお前を横取りされそうになるなんて、仙石も間抜けだな。クソじじい、周作に熱を上げている内にもうろくしたんじゃねえか?」

「そう……松岡は、そう思うの?」

「ああ。このままいくと、奴を逮捕できる時も近いんじゃないか?」

「だといいね」


 今度こそ追い詰めてやろうと意気込む松岡を、周作は楽しそうに見ていた。


 定食屋の帰り、駐車場。

 周作がハミングをしながら自分の車へと近づく。


「楽しそうだね。赤野君」と、声を掛けられる。


「仙石、何の用?」


 周作は眉間に皺をよせる。

 この男は、なぜ周作の行く先々に顔を出すのか。発信器や盗聴器の類は警戒しているし、尾行も注意している。なのに、なぜ周作の行く先を感知できているのか。


「取引をしよう」


 ニコリと仙石が笑う。


「そろそろ、収穫時だと思ってね。お迎えに来たよ。姫。このまま自由にさせておいてキミが他の者に心を奪われてしまっては、困るからね」

「何のこと? さっぱり分からないや」


 ヘラリと周作が笑う。


「そろそろ表の生活が辛くなって来ただろ? 日の当たる場所で生活するには、キミはあまりに残忍で狡猾。いっそ、裏で生きた方が、キミの心は落ち着くだろ?」

「意味が分からないって。僕は、普通の良心的な一市民」


 車に乗るのを諦めて、自動販売機でブラックコーヒーを買う。仙石の分も買って、投げて渡してやれば、仙石は素直に受け取る。


「今回キミは、何人殺した?」


 にこやかに、仙石がとんでもないことを言う。周作が手を下したのは、ジェイコブ一人。


「ジェイコブのこと? それならば、正当防衛が認められて……」

「ジェイコブが、現れることは、キミなら予測できたはずだ。カードが届いた時点で」


 周作の言葉を、仙石が遮る。

 平静を装って周作が笑う。


「買いかぶりすぎだって。それに、どうして僕が、犯罪を見逃す? 友達を危険にさらすのに? 事前に知っていたならば、旅館には近づかずに逃げ出した方が早くない?」

「友達が危険に? まさか。今回、危険な目に合ったのは、キミだけだろう? あくまで言わないならば、言ってあげよう。キミは、ジェイコブが来るのを待っていた。カードが届いて、いずれ狙ってくることは分かっていたから、無防備に待つことにしたんだ。そのほうが、自分が探し出して始末するより早いからね」


 仙石の言葉を聞いて、へぇ、と周作がつぶやく。


「キミの狙いは、大人しく攫われてジェイコブと決着をつけること。何度も狙われた方が、友人を巻き込む可能性がある。もし、ジェイコブに負けて自分が死ぬなら、それまで。だが、勝つ自信はあったから、そんな行動に出た。キミが大人しく攫われることで、雇われた男二人が死んだ。見ごろしにしたね。彼らの命を」

「暴論だよ。彼らを殺したのは、ジェイコブ。僕には関係ない。男二人を雇っていたことは……」

「気づくはずだよ。ジェイコブのカードを見た時点で」


 仙石が浮かべる表情は、確信している。


「何もかも、ああ、ひょっとして、あおいが攫われることも、計算も上だったかい?」

「そんなことはないさ。僕は、優作もあおいも傷つけない。ツッコミどころだらけで、話しにならない。……で? 仙石は、何をどうしたいの? それだけ調べた労力に報いて、取りあえず聞いてあげるよ」


 周作が、仙石に目を向ける。駐車場脇のブロック塀に周作はもたれる。


「まず良く見せて、その瞳を」


 仙石が近づいてきて、周作の瞳を覗く。

 周作は、真っ直ぐに仙石を見つめ返す。


「綺麗だ。死地を越えたキミの瞳は。ますます冷たく謎めいて……極点氷下の海を思わせる。極寒で、容易く寄せ付けない」


 仙石が笑う。仙石の手が頬をさすり、髪に指を絡める。耳をいじられて、周作が肩をすぼめれば、さらに執拗に耳を触り続ける。


「合格だ。キミを傍に置きたい」


 仙石が耳元で囁く。ゾクリと背が震える。


「嫌だよ。仙石に興味はないよ。前も言ったでしょ?」

「可愛いね。狡猾、残忍、強気な女王様気質。そそられる」


 仙石は上機嫌だった。


「なにその変態リポート。全くそそられない」


 周作が言い返す。


「こんな状態でも、牙をむこうとする。いいね」


 仙石が周作の髪にキスを落としてくる。味見をして品定めをしているのだろうか。


「何言っているんだか。僕なんて、二番手も良いところでしょ? 品定めなんかして。どっかのマフィアに出荷でもするつもり? 娘もいる身のくせに。良くないよ。お父さん」


 なんとか周作は態勢を立て直す。仙石から離れて、コーヒー缶をゴミ箱に捨てる。ゴトンと音がして、ゴミ箱に缶は吸い込まれていった。


「出荷? まさか。キミを傍に置きたいだけだって言っただろ?」

「下らない。帰るよ」


 周作は、自分の車に向かう。


「あおいを諦めてあげようか? キミの大切な友人たちにも手は出さない」


 仙石の言葉に、周作は、ピクリと震える。願ってもみなかった申し出。

 自分一人の身で、皆の安全が手に入るのならば、周作にとって好都合だ。だが、相手は、仙石。信用なんてできない。周作を排除して、あおいを拉致する計画だとしても不思議はない。


「わあ。上から目線。なんでそんなに偉そうなんだか。信用できないね」


 追い詰める仙石の言葉を周作は突っぱねてみせるが、心の中は嵐のように乱れていた。


「困ったね。こんなにキミへの愛を示しているのに。信じてくれない」

「愛? 仙石が? 欲望の間違いでしょ? ますます信用できない」


 仙石の言葉を鼻で笑う周作に、仙石が苦笑いをみせる。


「僕は、キミを阻止してみせるよ。キミの思惑にはのらない」


 ジロリと鋭い目線を周作は仙石に向ける。


「いいね。そのじゃじゃ馬っぷり。屈服して手元に来る日が楽しみだ。可愛がりがいがある」

「気持ち悪い想像しないでもらいたいね」


 周作は、そう言って自分の車に乗り込んだ。気づけば、手が震えている。怒り、恐怖、そう言ったもので気が高ぶっている。深呼吸して心を落ち着かせる。

 仙石は、言いたい事だけ言って、駐車場から姿を消したようだ。手をポケットに突っ込むと、紙きれに気づく。


『気がかわれば、連絡を』という一言共に、携帯電話の番号が書かれていた。

 宣戦布告。

 仙石は、最後通告に来たのだと周作は感じた。周作の行動は、全て見通していることを示し、自分に屈服することを要求してきた。よほどの自信があるのだろう。


 何を計画している?


 どうして、秘密裏に事を運ばずに、わざわざ宣戦布告なんてしにきた?

 なぜ今? 僕が誰に心を奪われるって? なぜ、あんな提案を?

 頭には、疑問符でいっぱいだった。


 仙石は、それを周作への愛だと言っていた。訳が分からない。愛? 愛なんて物が仙石にあるはずがない。何かを他に狙いがあるのか。

 愛なんてさっぱり分からない。ただ、周りの人達が幸せに笑うのを見て、それで十分。


 そろそろ、表の生活が辛くなって来ただろ? 日の当たる場所で生活するには、キミはあまりに残忍で狡猾。いっそ、裏で生きた方が、キミの心は落ち着くだろ?


 仙石の言葉が、脳に響く。

 その方が、いいのだろうか。

 自分が普通の人間のフリをして大人しく皆の側にいたとして、


「駄目だ。完全に仙石のペースに飲まれている」


 周作は、頭を横に振る。

 とにかく、帰って仮眠を取り、頭をリセットして、仙石の動向・本当の目的を調べる。客観的事実を積み重ねて、真実をむき出しにするために分析する。偽りだらけの言葉遊びに動揺するのは、無意味だ。

 話は、そこからだ。

 周作は、車を走らせて家路についた。


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