大きい花子さん、小さい花子さん
残機弐号
第1話
子どもたちの噂によると、トイレの花子さんは二人いる。それぞれ大きい花子さん、小さい花子さんと呼ばれていて、大きい花子さんは二階の女子トイレを、小さい花子さんは一階の女子トイレを
大きい花子さんがどれくらい大きいかというと、小学四年生なら背の順で後ろから三番目くらいに大きい。大きい花子さんが学校に居着くようになったわけは、誰も知らない。
小さい花子さんがどれくらい小さいかというと、草むらに潜む名もない虫たちよりもさらに小さい。その姿を見た者はいない。小さい花子さんを見た者はみんなこの世から消えてしまうから。そんな人がいたのだという、人々の記憶とともに。
子どもたちが少しずついなくなっていることに、みゆりは気づいていた。みんなが気づかないことに気づいてしまうみゆりは、いつも周りとテンポが少しずれていた。そのせいか、みゆりには友だちがいなかった。
小さい花子さんはいつかきっと自分を捕まえにくる。みゆりはそう確信していた。いなくなった子どもたちのことに気づいている自分を、小さい花子さんが放っておくとは思えない。そして一度小さい花子さんに捕まったら、もう二度とこの世界には戻ってこられないのだ。
ある日の放課後、みゆりは大きい花子さんに会いに、二階の女子トイレに行った。小さい花子さんから守ってもらおうと思ったのだ。噂によると、大きい花子さんは二階女子トイレの奥の個室にいるそうだ。それは、友だちのいないみゆりでも知っているくらい、あまりにも有名な噂だった。
とんとんとん。
みゆりは三回ノックして、「花子さん、花子さん、どうかここを開けてください」と唱えた。しかし、どんなに待っても返事はない。
LEDの照明がまぶしかった。下校時間が過ぎているとはいえ、クラブ活動で残っている子どももたくさんいるし、学校はまだまだ賑やかだった。お化けが出る時間にはまだ早い。やっぱり夜の学校に忍び込まないとだめなのかなあ、とみゆりは思った。
いったん家に帰ろうかと迷っていると、誰かがいきなり大きな音を立ててトイレに入ってきた。みゆりは反射的に個室のドアから飛び退いた。その女の子は勢いよくこちらに向かって歩いてきて、みゆりを押しのけるようにして個室の前に立つと、どんどんどん、と三回ノックした。
「花子さん、ここ開けてよ!」
隣のクラスの「あいか」という子だった。つややかな長い黒髪の、目鼻立ちの整ったきれいな女の子。でも廊下で見かけるときは、いつも怒ったような顔をしていた。今はいつもよりもさらに怒ったような、しかしどこかおびえたような表情をしていた。
ドアはやっぱり開かなかった。あいかはドアを力任せに押したけれど、鍵は掛かっていないはずなのに、どうしても開かない。みゆりは手伝おうと思った。でも、あいかが体全身でドアにのしかかるように押しているので、どう手伝えばいいのかわからない。やがてあいかは「くそっ」と言って、ドアを蹴り、みゆりの方を振り返った。
あいかはそこで初めてみゆりの存在に気づいたようだった。みゆりは思わず目をそらした。黙って見ていたことをとがめられると思ったのだ。
「なに見てんのさ」あいかは言った。
「見てません」みゆりは言った。さっきまで見てたけど、今は見ていない。それは本当だ。
あいかはそれ以上とくに何も言わず、「ちっ」と舌打ちだけすると、そのままみゆりを置いてトイレの外に出ていった。
みゆりもトイレから出ようと思った。しかし、なぜさっきはドアが開かなかったのか。気になって、ためしに個室のドアを軽く押してみた。すると、あっけないほど簡単に動いた。そしてもう手で触ってないのに、ドアは勝手にどんどん開いていった。まるで強風に吹きつけられているように。そして、ドアは完全に開ききった。
中にあるのは便器ではなかった。薄暗い空間がぼんやり広がっている。照明の光が上の方で吸い込まれてしまって、個室の中まで届いていないようだった。薄暗い空間の奥に、何か広い部屋のようなものが見えた。ガラスのテーブルを取り囲むコの字型のシートがあって、そこにスーツを着た人がひとりだけぽつんと座っている。シートに比べてずいぶん体が小さいように見えた。その人はグラスを片手で持ったまま、もう片方の手をこちらに向かって盛んに振っていた。何か叫んでいるようだが、遠いせいか、何も聞こえない。
こっちにこい、と言われている気がして、みゆりは個室の中に足を踏み入れて、ドアを後ろ手に閉めた。すると、急に声が聞こえた。
「ばか! ドアを閉めるなって言ったのに!」
遅かった。振り返っても、個室のドアはもうどこにも見当たらない。煙のように、跡形もなく消えてしまっていた。
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