第7話
「ピーチは好き?」
花子さんはふたりに訊いた。ふたりとも首を横に振った。本当は、みゆりはピーチジュースも嫌いじゃない。しかし前回の反省を踏まえて飲み物は控えることにしていた。花子さんは残念そうな顔をしていた。
「花子さんって、なんでそんな格好してるんですか」みゆりが訊いた。
「前の格好、あんまり好きじゃないんだ。おかっぱ頭に、赤い吊りスカート。定番だけど、もう時代じゃないし」
「時代はホストクラブなんですか?」
「あたしは前から飲食がやりたかったんだ」花子さんは語り出した。「人をもてなすのが好きでね。怖がらせるのも、子どもたちをもてなすつもりでやってた。でも最近は誰もあたしのことを怖がらない。それどころか、あたしのことを正義の味方だと思ってる子たちもいる。あんたたちみたいにね」
「繁盛してますか?」
「ぜんぜん」花子さんは言った。「子ども相手だから、もっと明るい店にすればいいのはわかってる。でも、これがあたしの趣味だしね。しかたないさ」
「駄菓子屋さんみたいな感じにしたら、もっと子どもが来ると思いますよ」みゆりは言った。
「今時、流行らないだろ」
「そんなことないですよ。今、レトロなの流行ってますから。昭和の東京を再現したテーマパークがあって、前に家族で行ったんですけど、すごく楽しかった。駄菓子屋さんのあのわくわくする感じ、今の子どもにもぜったい受けますよ」
みゆりが駄菓子屋計画に夢中になっているのを、あいかは心配そうに見つめていた。止めようと思ったが、自分のつっけんどんな言い方がまたみゆりを萎縮させるかもしれないと躊躇して、しばらく見守るしかなかった。
「駄菓子屋ねえ……」花子さんは一応考えてみる、という風に腕を組んで言った。
「それで、花子さんは割烹着を着て、おばあちゃんになるんです」
「いや、あたしはこの格好でいいよ」
「だって、駄菓子屋の人がホストの格好してたら雰囲気台無しですよ。やっぱり駄菓子屋には割烹着のおばあちゃんがぴったりですから」
「だめだめだめ。あたしにはあたしのしたい格好があるんだ。人をもてなすってのは、人にこびるのと同じ事じゃないよ。自分のスタイルは大事にしないと」
「でもそんなことじゃお客さん来ませんよ」
「あのさ……」そこでやっとあいかが口を挟んだ。「時間もないし、そろそろ話をしたいんだけど」
みゆりは「ごめんなさい」と言って、口をつぐんだ。あいかにしてはなるべく優しく注意したつもりだったが、これでも言い過ぎだったかな、とみゆりの様子を気にしていた。
「花子さん」あいかは言った。「名刺、ありがとうございます」
「ああ、それ、効くだろう」
「はっきりとはわからないけど、持ってると安心できます」
「逆にいうと、持ってないと不安だということもである。でも、それはおかしなことなんだよ。学校は本来、子どもたちが安心できる場所であるべきだ。そんなもの持ってなくてもね」
「みんな口には出さないけど、不安だと思います。人が少しずついなくなってること、気づいている人は少ないと思うけど、危険な雰囲気はみんな感じ取ってるはずですから」
それは本当だ、とみゆりは思った。入学したときから、みゆりはこの学校に嫌なものを感じていた。友だちがつくれないのは自分の性格の問題だとみゆりは思っていたが、学校に対する苦手意識が、そのまま他人に対する苦手意識に影響していたのかもしれない。
「あのさ、花子さんの名刺をたくさんばらまいたらどうかな」とみゆりは、あいかの方に向かって言った。「みんなが名刺を持ってれば、小さい花子さんも手出しできなくなると思う」
「あたしはお客にしか名刺を渡さないんだ」花子さんは言った。「それがこの空間のルールなんだよ。名刺が欲しいなら、自分で取りに来てもらわないと」
「じゃあ、この店のこともっと宣伝すれば?」
「どうやって? 花子さんのいるホストクラブですって言われて、くる人がいるかい?」
「だから駄菓子屋にすれば」
「もうその話はいいよ」あいかがいらいらした様子で言った。「時間がないの。みゆりはちょっと黙ってて」
「ごめん……」みゆりは膝に手を置いてうつむいた。
あいかはみゆりに構わず、花子さんに向かって言った。「花子さんの名刺には確かに力があります。だったら、その力を使って、あたしの妹を助けることだってできるはずです。昨日は無理だって言ってたけど、それは嘘ですよね? 本当はできるのに、力を隠してるんですよね?」
花子さんはあいかの問いかけに答えずにグラスを傾け、ピーチジュースをちびちび飲んでいた。
「あたしの妹の命がかかってるんです」
あいかの両手が太ももをぎゅっと握りしめていることにみゆりは気づいた。まるでそうすることで、自分を痛めつけようとしているみたいに。
「あいか」花子さんはそこで初めてあいかの名前を呼んだ。「妹さんのことは気の毒だと思う。でも、あたしにはどうにもできないんだよ。あたしはあくまでただのお化けだ。子どもたちの他愛の無い噂から生まれた、ただのお化け。だから、あたしは子どもたちを怖がらせても、決して傷つけない。でも、あいつはちがう」
そこで花子さんは腕を広げてシートの背に載せ、脚を組んだまま天井の照明の方を見上げた。白い照明の光はうっすらぼやけていて、まるで花子さんがタバコの息を大量に吐き出しているように見えた。
「あいつは、暗くて狭いところに子どもたちを引きずり込んでいる」
「何のために?」あいかは訊いた。
「友だちになるためだよ」
「そんなひどいことして友だちになれるわけないのに」みゆりが言った。
「わかってないんだ。あの子たちは」
「あの子たち?」
「あんたたちが言っている小さい花子さんの正体は、子どもたちなんだよ。子どもたちの苦しみが、あいつの正体なんだ」
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