第8話

「いつの時代にも、子どもは楽しいことばかりじゃなかった」花子さんはそう切り出した。


「世界中で、たくさんの子どもたちが理不尽な理由で命を落としてきた。子どもは割と簡単に死ぬんだよ。子どもは楽しいばかりではない。子どもは、この世の苦しみを一身に背負う存在でもあるんだ」


「あたしと、あんたたちの言う‘小さい花子さん’は、いわば姉妹みたいなものだ。子どもたちの楽しみの部分があたしを生んだ。子どもたちの苦しみの部分があいつを生んだ」


「あたしたちは一度も顔を合わせたことがない。テリトリーを定めて、お互いに干渉しないようにしてきた。楽しみは楽しみ、苦しみは苦しみ。敵同士ではない。でも、あたしたちのあいだには境界線がある。目に見えない、概念上の境界線がね」


「楽しいこともいつかは終わる。ずっと子どものままでいるわけにはいかない。だから、あたしも子どもたちの遊びの終わりとともに、消えていく運命だったんだ。昭和が終わり、学校のトイレがきれいになって、子どもたちがトイレを怖がらなくなってから、怪談は廃れていった。トイレの花子さんという遊びは終わったんだ。楽しいことが終わったら、あたしも消えなきゃいけない」


「あたしが消えられないのは、あいつが消えられないからだ。楽しいことが終わっても、苦しいことはいつまでもつづく」


「子どもの苦しみはどこにだってある。それが澱んだところにあいつは生まれるんだ。そして苦しみは苦しみを引き寄せる。あいつが子どもたちを捕まえるのはそのためさ。子どもを無理矢理引きずり込んで、苦しみを一緒に背負ってもらおうとしてる。もちろん、そんなことで苦しみは癒やされない。また新しい苦しみが生まれてしまうだけだ。苦しみが苦しみを呼ぶ悪循環。それが、澱みということだよ」


「あたしには何もできない。今のあたしは子どもたちに求められてない。あいつがいるから、そのおまけで、あたしもここに残っているだけ。でも、あたしが役に立たないということがわかれば、いずれあたしも消えるだろう。あたしは消えたいんだ。昭和の終わりとともに、あたしは消えるべきだった」


「駄菓子屋? まあ、確かに悪くないね。レトロで生き残っていく方が賢明かもしれない。でも、そこまでしてあたしは残りたくないんだ。終わったものは、いさぎよく消えていくべきだと思う。あたしは古いものより新しいものが好きさ。子どもたちは過去じゃなくて、未来の方を見ていてほしいと思う」


「あの子たちがどうやったら苦しみを忘れてくれるのか。あたしにはわからない。あの子たちは、楽しかったことをぜんぶ忘れて、苦しかったことだけ覚えている。永遠の、終わりのない苦しみだ」


「あいか、みゆり。あんたたちは、楽しいことだけ見ていればいいんだよ。あの子たちのことを考えてはいけない。見て見ぬふりをするしかないんだ。そうしないと、あんたたちも苦しみに引きずり込まれてしまう。そして、小さい花子さんの一部になってしまう」


「妹さんのことは残念だったね。あいか。どうしようもないんだよ。あたしにはあんたが期待しているような力はない。その名刺を持っていると安心できるのは、あたしがあんたを守ってあげているからじゃない。あんたの目を苦しみからそらせてあげているだけなんだ。楽しいことだけ見て、苦しみに対して見て見ぬふりする手助けをしている。今日は、妹さんのことを思い出す時間がいつもより少なかったんじゃないかい? ずっと持っているといい。家に帰っても肌身離さず持っているんだ。そうすれば、いつかは妹さんのことを忘れられるかもしれないから」


「忘れろって言われて、忘れられるわけがない。でも、みんなそうしてきたんだ。そうしないと残された者たちは生きていけない。妹さんの話をしたかったら、いつでもここに来てくれていい。とことん話を聞いてあげるよ。でも、聞いてあげることの他は、あたしには何もできない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る