第10話

 下校の時間はもう過ぎていて、窓の外を見ると日が沈んだ直後のようだった。職員室の方は明かりがまだついていた。みゆりはその反対側に向かって走った。廊下の蛍光灯はトイレと同じで、誰もいなければ消灯するようになっている。それなのに、みゆりが走る方の廊下はすでに蛍光灯で明るく照らされていた。ここをさっきあいかが通ったのだろう。


 階段を降りてもやはり廊下の蛍光灯はついていた。廊下の先を見ると、遠くの方にあいかの姿があった。


「あいか!」みゆりは声を上げた。


 しかしあいかはこちらを振り向きもせずに、ドアを開けて姿を消した。そこは一階の女子トイレだった。みゆりはそこまで全速力で走った。呼吸が完全に乱れていたが、休んでいる暇などなかった。


 女子トイレのドアを開けて、みゆりは中に入った。しかし、あいかの姿は見当たらない。明るい蛍光灯に照らされた女子トイレはとても清潔で、怪談とはとても無縁の場所にしか見えなかった。みゆりは、洗面台の鏡に映る自分の姿を見た。いつもと変わらない自分が、呼吸を荒くして肩を上下させていた。鏡の中には幽霊もいなければ、不思議な亜空間も無い。みゆりの背景にある白い壁がそのまま映し出されているだけだった。


 一番奥の個室の前に立った。使用中ではない。ドアを軽く押してみたが、全く動かなかった。大きい花子さんのときと同じだ。おそらく、小さい花子さんを呼ばないと、開けてもらえないのだろう。そして、いったん入ったが最後、二度と出ることはできない。あいかはここに入ってしまったのだ。


 みゆりはあいかのことをほとんど何も知らない。ときどき廊下ですれ違うだけだった。でも、ずっと気になっていた。どうしていつも怒ったような顔をしているのか。そして、いつも一緒にいる人が突然いなくなって、どんな気持ちだったのか。


 自分はあいかと友だちになりたかったのだ、とみゆりは思った。


 みゆりはポケットからドアストッパーを取り出した。こんなものが今さら役に立つとは思えなかったが、何も無いよりはましだ。そして、とんとんとん、とドアを三回ノックして、言った。


「花子さん、花子さん、どうかここを開けてください」


 悲鳴のような軋みとともに、ドアがゆっくり開いた。

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