第14話

「ココナッツは好き?」と花子さんに訊かれて、みゆりはうなずいた。なんだかすごく喉が渇いていた。


 まもなく花子さんがココナッツジュースの入ったグラスを持って戻ってきた。みゆりはグラスを半分くらい一気に飲み干した。とくにおいしくはなかったが、とりあえず喉を潤すことはできた。


「あいかを助けるのが精一杯でした。妹さんはもう……」みゆりは言った。


「そうか。でも、それでもたいしたもんだよ。いったん捕まった子を助けたなんて初めて聞いた」


「妹さんが助けてくれたんです。あいかの背中を押してくれたから、一緒に逃げることができた。でも、妹さんをあそこに残してきてしまって」


 みゆりと花子さんはあいかの方を見た。さっきと同じ姿勢でドアを押さえ、うつむいたまま身じろぎもしていなかった。


「ドアストッパー、置いてきちゃったんです。小さい花子さんの世界に」みゆりは言った。


 花子さんは眉根にしわを寄せた。「それ、まずいんじゃないかな」


「何がですか?」


「ドアが開きっぱなしになってるんじゃないか」


 ちゃんと閉まっていたかどうか、みゆりはうまく思い出せなかった。


「誰かが間違って中に入ってしまうかもしれない。中からあの子たちが出てきてしまうかもしれない」


 ドアストッパーを回収しに行くべきかどうか、みゆりは迷った。そんなことすれば、またあの暗闇に包みこまれてしまうのではないか。今度もまたあいかの妹が助けてくれるという保証はなかった。


「でも、ドアには挟まってなかったと思うんです。だからやっぱり閉まってるんじゃないですか? ドアストッパーは暗闇の中に忘れてきちゃったんですよ」


「物理的にドアに挟まっているかどうかよりも、この場合、象徴としての意味合いの方が重要だからね」


「象徴?」


「合図みたいなものだよ。ドアストッパーがあるということが、外に出てもいいという合図になっている可能性はある」


「でもだったら、今から取りに戻っても手遅れじゃないですか?」


「とにかく何かはしないとならないだろう」


「あたしが取りに行くよ」遠くからあいかの声がした。


「だめだって!」みゆりはドアを押さえているあいかの方に向かって叫んだ。


「あたしが取りに行けば、ぜんぶ収まることだから」


 ドアの外の照明が逆光になっていて、あいかの表情はよく見えなかった。それでも、みゆりはそこに、あいかの思い詰めた表情を容易に想像することができた。


 みゆりは立ち上がり、あいかのもとに行こうとした。そのとき、床に何かが落ちた。床には照明が届いておらず、それが何なのかはよく見えなかった。


 みゆりはしゃがんでその何かを拾い上げた。ドアストッパーだった。


「え、なんでここにあるの?」


 みゆりはあいかの方を見た。あいかはドアストッパーを持ったまま立ちすくむみゆりをぼんやり眺めていた。みゆりは振り返って花子さんの方を見た。


「花子さん。ここにドアストッパーが……」


「あたしが持ってきたの」花子さんは言った。「あけっぱなしだとあの子たちが出てきちゃうから」


「でも、そんなことできるんですか? 一階は大きい花子さんのテリトリーじゃないのに」


「テリトリーってなに?」


「花子さん?」


「あ、お姉ちゃん!」花子さんは立ち上がり、ドアを開けているあいかの方に向かって走って行った。そして、あいかに抱きついた。


 みゆりはドアストッパーを持ったままそこに棒立ちになって、ふたりの様子を見ていた。あいかはしばらく戸惑った様子を見せた後、花子さんを抱きしめた。背中に手を回し、頭を撫でていた。それはとても自然なことのように思えた。あいかのそんな穏やかな様子を、みゆりは前にも見たことがあった。廊下で、あいかが妹と一緒に歩いているときだ。


 抱擁が終わると、花子さんはあいかの手を引っぱって、みゆりのいるところに来ようとしていた。みゆりは小走りでふたりのところに行き、あいかが開けていてくれたドアにドアストッパーを差し込んだ。そして、三人はドアを離れ、さっきの革張りシートに座った。

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