第12話 呼び出し
それからさらにひと月ほど。
オリビアは着実に魔獣たちとの中を深めていた。
遠征や討伐、警邏の度に過保護なオリビアが回復魔法を掛け続けるので、今では率先して翼や背中を差し出す魔獣も増えてきた。
魔獣たちの毛艶は各段に良くなり、モンスター討伐などでは今までよりもずっといい働きをするようになっていた。
当然ながら、幼いころから魔獣を見てきた団員たちがそれに気づかないはずもなく、オリビアの評判はうなぎのぼりだった。
それでなくとも教会が封印していた魔獣の研究を一言一句漏らさずに覚えているオリビアは魔獣たちに対してまったく手を抜かない。
「もうすぐ脱皮の季節なはず。野生なら大樹に体をこすることが多いみたいだから、野山にいった時に見繕ってあげるか、丸太を用意してあげて」
「季節によって北から南まで1000km近く飛ぶこともあるみたいだし、任務とか訓練だけじゃ運動不足でストレスたまってるのかも」
「この仔、たぶんだけど発情期ね。野生種の群れを見つけたらちょっと自由時間を作ってあげたらいいんじゃないかな。イケメンだから奥さんをいっぱい連れてきちゃうかもしれないけどね」
「この仔の生息地域は海岸線が近いの。野生種は恐らく魚介類を食べてるはずだし、この仔にもあげてみましょうか」
オリビアの言葉が正しいかどうかは、首が取れそうなほどに頷く魔獣たちを見れば誰もが理解できた。
異常な強さを発揮するようになった魔獣たちに騎士たちもオリビアもご満悦である。
「へへへっ……俺のガルダちゃん、別の魔物かってくらい魔力が高まってるな」
「俺のユニコーンを見るッス。角が虹色に光ってるッスから特殊個体になるッスね」
「バジリスクをおやつ代わりに齧るとか最高にクールだぜ……!」
騎士たちが自らの魔獣を愛で続ける厩舎で、オリビアも嬉しそうに微笑んでいた。
オリビアに教わって専用のブラシを用意したり、休暇中に魔獣とデートする者まで出る始末だった。
「んー……確かにオットー博士の研究資料を信じるなら進化しても良いはずね」
「……進化、ッスか……?」
「はい。教会の資料でも実験不足であやふやな記述だったけど、魔獣の中には別種に進化する仔もいるみたいなの」
「
「マジマジ」
「やるッスよ! お前なら出来るッス! 気合ッス! もっと気合を入れるッスよ!」
ジャックがユニコーンに謎の応援をし始めるが、他の騎士も似たり寄ったりだ。「オリビア様が言うなら」と納得している者も多く、魔獣の中にも鳴いたり跳ねたりして進化を試みている者がいた。
騒がしくなった厩舎に優しげな視線を向けながらも休憩室となっている物置に戻るオリビア。
「うーん……聖女やってた頃よりずっと充実してる」
「天職ってあるんですんねぇ」
さすがのリズもこの活躍ぶりには舌を巻き、珍しくオリビアに同意していた。
飼育員の仕事も一段落してお茶を飲みながらのんびりしていると、不意に厩舎脇の茂みが揺れた。
「ん? ほーら、怖くありませんよー……回復魔法もかけてあげますよー」
「流れるように保護しようとするのやめません? そもそも茂みにいるのが何なのかすら分かってないじゃないですか」
「大丈夫よ。私、動物でも魔獣でも可愛くない生命体に出逢ったことないもの」
「何の自信ですかそれは……」
呆れたリズがオリビアを追い越して茂みを覗く。
「……」
「何々、どんな仔!?」
「お嬢様! こちらに来ては——」
制止する暇もなく覗き込んだオリビアが見たのは、地面に刺さる
「……なに、これ……?」
「……聖堂騎士団のものですね」
拾い上げたリズが
「……帰還命令……イーノック
「馬鹿じゃないですか。お嬢様を聖女じゃなくした人間がどの
「……」
「お嬢様? まさかとは思いますが、こんな手紙信じていませんよね?」
「……行かなきゃ」
広げた手紙には、聖女が王都に帰還しなければ、スラムにいる多数の獣人達を処刑すると、そう
自室に戻るとツナギからワンピースに着替え、トランクに最低限の着替えと路銀を詰め込む。
「リズ、あなたは無理について来なくて良いのよ?」
「馬鹿言わないでください。私なしじゃお嬢様は王都にたどり着けませんよ。鳥とか猫につられて迷子になるに決まってます」
「うっ……」
二人で荷物をまとめ終えると、最後に月光絹のドレスが掛けられたトルソーを撫でた。
スフェーンと琥珀で作られたネックレスも掛けられたそれはオリビアの公爵夫人としての正装になる予定だった。
「……ルーカス様には、申し訳ないことをするわ」
戻っては来れないかもしれない。
その予感はオリビアのみならずリズも感じたものだ。何しろ、獣人差別主義者の筆頭にしてオリビアを引きずり下ろした張本人からの命令なのだ。
何をさせられるか分かったものではない。
ましてや獣人を人質にとったり、聖堂騎士を動かしたことを隠そうともしないとなれば、利用するだけ利用して、最後は処分されることも十分に考えられる。
「お嬢様。本当はルーカス様のことをどう思っていたんですか?」
「何よ急に」
「良いから教えてくださいよ。未練を残さないためにも、きちんとここで吐き出していきましょう」
愛おしそうに宝飾品とドレスを眺めるオリビアが口を開く。
「ちょっと強引な人」
だけど、と言葉を続ける。
「私を——聖女じゃなくなった私を、好きって言ってくれた。態度で示してくれた。伝え続けてくれた」
「お嬢様……」
「私を包んでくれたし、温もりを教えてくれたわ」
オリビアは泣いていた。
「好いておられたのですね」
「………………うん」
ここでならばうまくやっていけるかもしれない。
そう考えた直後の呼び出しだった。
「ここに戻ってきたいと思いますか?」
「うん」
「安心しろ。すぐに戻ってこれるから」
力強い男性の声に慌てて振り向けば、部屋の出入口にルーカスが立っていた。リズはルーカスに気付いて問いかけたらしいが、混乱するオリビアはそんなことに気付く余裕はなかった。
「ルーカス……様?」
「私に黙ってどこにいくつもりだったんだい?」
「ルーカス様、あのね」
「これを見てください」
「リズ!」
「甘えるのが下手すぎます……好いた方ならば、特に」
リズが差し出した手紙にさっと目を通し、ルーカスはにっこりと微笑んだ。なぜか背筋が寒くなるような笑みだった。
「ルーカス様、お願い……行かせてほしいんです」
「ああ、安心しろ。送っていく」
「えっ!?」
「オリビアとの新婚生活の様子を聞きたいと
ゆったりとした足取りでオリビアの元に近づくと、腰に手を回す。
「幸いなことにドレスもネックレスも準備は万端だ……私以外の人間に見せるのが嫌になってしまうが、な」
「で、でも呼び出した先で何をさせられるか……」
「嫌なことなら断れば良い。無理強いするなら私が
「……はい」
話がまとまったところでいつの間にかやってきていたヘレンがぱん、と手を打ち鳴らした。
「陛下にお目通りするならば今まで以上に磨き上げる必要がありますね。リズさんもお手伝いをお願いします……さっ、行きましょう」
「ヘレン、せっかく良い雰囲気だったのに――」
ヘレンはルーカスからオリビアを取り上げると、背中をさすりながら庇うように立ちはだかった。
「泣き顔を見られたい乙女などおりません。我慢して良かったと思えるほどピカピカに磨き上げて差し上げますので、坊ちゃまは出立の準備をどうぞ」
「……」
「奥様はこれから入浴にお召替えです。まさか着替えの様子をご覧になるおつもりで?」
「……準備してくる。終わったら声をかけてくれ」
納得したのか、しないのか。
ルーカスは唇を尖らせながらも部屋を後にする。
後に残ったオリビアを囲んだ侍女二人は、手をワキワキと動かしながら良い笑みを浮かべていた。
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